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第1部 三銃士_The three musketeers
第2部 20年後_Twenty years later
第3部 ブラジュロンヌ子爵_Viscount of Bragelonne
ここで紹介する物語は「三銃士」「20年後」「ブラジュロンヌ子爵」と言う3部作で、作者はかの有名なアレクサンドル・デュマ・ペール。1700年頃にケルンで刊行された「銃士隊長ダルタニャン氏の備忘録」と「ラ・フェール伯爵の備忘録」と言う手記には、ルイ14世親政初期にフランスの王室でおきた数々の事件とアトス、ポルトス、アラミスと言う不思議な名前の人物が登場していた。これに関心を持ったデュマがこれらをベースにこのロマンを制作した。

このサイトではこの大変オモシロイ物語をイラストと要約した文章で紹介してます。随所に理解しやすいような簡略化がありますが御容赦ください。またデュマがふれなかった歴史的な事件のいくつかを、あえて追加しています。

このサイトは制作者の主観に基づく個人的な娯楽品であり、歴史や文学の資料ではありません。また商用意図はありませんが転用等はご遠慮ください。

実在の四銃士と銃士隊)
1622年ルイ13世直属で新型のマスケット銃を装備した部隊が三銃士のいた近衛銃士隊です。隊長がベアルン出身の武将トロワヴィル伯爵ジャン・ド・ペレだ。三銃士の面々は実際に存在しており、まずはアラミス、実名はアンリ・ダラミツと言う貴族で隊長の甥だった。彼の入隊はダルタニャンと同じ1640年、また1654年に結婚し4人の子供を授かった。アトスは実名アルマン・ド・シレーグ・ダトスでアラミス同様1640年に銃士隊に入隊し、非常に残念なのだが1643年に28歳にして決闘によって死亡している。ポルトスは実名イザアク・ポルトーと言う1643年に銃士隊に入り2年間在籍した。彼の生家ポルトーの城は今もある。そして主人公ダルタニャン、彼の実名はシャルル・ド・バッツ・ド・カステルモール・ダルタニャン(ド・アルタニャン)伯爵で1615〜1620年の間にアルマニャックで生まれ、母方のダルタニャン姓を名乗り1640〜1644年銃士隊に入隊した。しばらく銃士隊にとって大きな戦闘はなく、決闘三昧の日々を嫌いマザラン枢機官は1646年に銃士隊を解散。ダルタニャンはマザランの手許に残りフロンド時代に隠密としてのを任務を遂行し。そして1657年ルイ14世は名誉ある銃士隊を再結成、16〜17歳の上流貴族の青年を推薦によってのみ入隊させたエリート部隊だ。1663年さらに増援部隊として第2銃士隊が結成された。隊長はマザラン枢機官の甥ヌヴェール公だったが後に退位しダルタニャンが銃士隊隊長代になる。1659年ダルタニャンは結婚している。1661年国王の命で財務卿ニコラ・フーケを逮捕、1665年フーケをピネロルへ護送。そして1673年6月25日にマストリクトにて戦死することになる。ヴェルサイユ宮殿の戦死の間にシャルル・ド・バッツ・ド・カステルモール・ダルタニャン伯爵の名は刻まれている。
上)パリマルシェルブ広場のダルタニャン像、17世紀のポン・ヌフ
右上)銃士兵舎のあったバック通り
右中)ボナシゥの宿があったフォッソワイユール通り、現在のセルヴァンドニ
右下)アトスが間借りしたフェルー通り
右下)サン・シュルピス教会と広場下。下4点)ミレディーの邸があったロワイヤル広場、現在はヴォージュ。ルイ13世の騎馬像がある。ポン・ヌフとアンリ4世の騎馬像下。パリ市庁舎、残念ながら再建されたもの。