TOP銃士たちの世界
フェンシングのこと
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第1部 三銃士_The three musketeers
第2部 20年後_Twenty years later
第3部 ブラジュロンヌ子爵_Viscount of Bragelonne
歴史背景)
聖王ルイ13世は公正な王でしたが政治の才は乏しく、「恐るべき枢機官」と言われたリシュリュー枢機卿が宰相として手腕をふるった。枢機卿とはローマ法皇の相談役であり法皇は枢機卿達の中から選出されるものだ。清教徒の内乱とスペイン、イギリスとの勢力関係が当時の課題だった。摂政時代には幼いルイ14世の母アンヌと秘密結婚したマザラン枢機官が政権を握った。「20年後」の部で描かれる高等法院と対立したフロンドの乱ではレス大司教補らと交渉してうまく切り抜け、これに反感を持ったコンデ大公がフロンドに寝返り再び貴族のフロンドの乱がおこる。フロンドは後の革命とは異なり王権への不可侵性が基板にあり、結果として王権を強化しルイ14世の専制時代を生んだ。ルイ14世は幼い頃にフロンドに恐い思いをさせられたルーヴル宮にはあまり居着かなかった。ヴェルサイユの改築が完了するまではサンジェルマン、フォンティーヌブロー、シャンボール、ヴァンセーヌと宮廷を移動した。
ルイ14世の寵姫たち)
ルイ14世の愛人を全てあげるのは不可能。結婚前に愛の調教をしたのは片目の不自由な中年女性ボーヴェー夫人だ。純粋に恋をしたのはマリ・ド・マンシーニで、スペイン王女マリー・テレーズとの結婚後は義妹オルレアン公妃アンリエット・ダングルテール、その侍女ルイズ・ド・ラ・ヴァリエール嬢、モンテスパン侯爵夫人。その間にもモナコ公妃やフォンタンジュ嬢にも手を出した。最後が王妃の死後に秘密結婚した庶出のド・マントノン夫人だ。マントノン夫人自身は性的な行為を徹底して嫌ったが、常にルイに女性をあてがい続けて寵愛を維持した。彼女が設立したサン・シールの女学校はそうした女性を確保する場所だった。その一方で政治に対する干渉は目に余る、ナントの勅令を廃止させて2万人のプロテスタントを虐殺に導いた残忍な人格の持ち主である。
ルイ14世の評価)
今日でさえルイ14世にたいしては様々な評価がされており、書籍も彼の讃美派と反対派では全く見方が異なりルイ14世の治世を判断するのは難しい。傲慢でおべっか好き、全てどんな些細な事でも直々に命令を下した絶対的な支配者。華々しい絢爛豪華にあけくれた宮廷生活、その一方でその統治中の大半を戦争にあけくれた外交。お世辞にも賞賛しがたい部分が多いが、非凡な定めを理解し時代の流れに立ち向かった姿こそが彼の偉大さではないか。それでもルイ14世は死の床で、隣国との平和と人民の生活を守るようにルイ15世に言い残し77歳の誕生日を4日後にひかえて世を去った。この大切な遺言を次の小物ルイ15世がどうしたかは、今日誰もが知っている。
右)ルーヴル宮の大時計のパビリオン。下2個)ルイ14世の偉業を讃えたサン・ドニ門とサン・マルタン門。下順に)ヴェルサイユのルイ14世騎馬像。カルナヴァレ館のルイ14世立像、リュクサンブール宮殿庭のアンヌ・ドートリッシュの立像。新王宮だったパレ・ロワイヤル。コンコルド橋、この敷石は解体されたバスティーユ要塞の石が使われている。