
マザランが新しい税制を発表しては高等法院が反対、それを民衆が絶賛してパリ中で暴動が起こる。マザランに不満をもつ貴族たちもフロンド派に加勢。心細いマザランは強い味方がほしいと願う毎日をおくっていた。そんな時銃士隊の副隊長をしている男に気付いた。40歳になる我等がダルタニャンだ。マザランはかつてダルタニャンが何かの陰謀に成功した噂を嗅ぎつけ、当時リシュリュ−の腹心で今はバスティ−ユに投獄されているロ−シュホ−ル伯爵から聞き出す事にした。リシュリュ−の死後アンヌ王妃は、宿敵の腹心をバスティ−ユに幽閉していた。マザランはロ−シュホ−ルから大リシュリュ−枢機卿を相手に暴れた無敵の4人組の話を聞き、その4人組を味方にしたいと考えた。バスティ−ユに連れ戻される途中でロ−シュホ−ル伯爵は逃走しマザランへ復讐するためフロンド派に加わった。マザランは銃士副隊長ダルタニャンに三銃士を集めて味方になってほしいと頼み込んだ。ダルタニャンはチクトンヌ街の牝鹿亭の女主人マドレ−ヌといい仲で、住み込んでいた。三銃士の消息は全く不明だった。そこへフロンド派でロンバ−ル街でお菓子屋を営むプランシェがやって来て、ノ−トルダムの寺男でアラミスの従者バザンが時々にアラミスを訪ねている事を知った。
アラミスに会いにダルタニャンとプランシェはノワジ−・ル・セックのイエズス会修道院に向かった。道中宵闇の中でロングヴィル公爵率いる一団に襲われかかった。再会したアラミスことルネ・デルブレ−神父の身なりや言葉使いはとても僧侶らしくなく、部屋に飾った数々の武器、いまだに色恋に興じているであろう美しい容姿は銃士そのものだ。マザランについて昔のように戦おうと言うダルタニャンの話を、アラミスはとぼけるばかり。ダルタニャンはアラミスがフロンド派のレス大司教補と通じている事を見抜いた。ダルタニャンとプランシェはノワジ−をあとにした。抜け目のないダルタニャンは夜の闇に隠れて逢いびきするアラミスとロングヴィル公爵夫人アンヌを確認した。青い大きな瞳の美女として有名な夫人は王家筆頭の武将コンデ大公ルイ・ド・ブルボンの姉で、兄と違いフロンド派だ。つまりアラミスはフロンド派だ。しかしこの美女にはもう1人世間に知れた恋人がる、それは「箴言」で有名なラ・ロシュフーコー公爵だ。この時すでに公爵夫人のお腹には彼の子供がいた。
ダルタニャンとプランシェはポルトスに会うためにピエ−ルフォンへ向かった。ポルトスの名はデュ・ヴァロンだが、今は広大な二つの領地の名をつけてデュ・ヴァロン・ド・ブラシュ−・ド・ピエ−ルフォンと名乗り田舎のお殿様暮らしをしていた。彼の従者ム−スクトンも一緒にいた。ポルトスは大変裕福だったが妻に先立たれ心寂しく生活していて、ダルタニャンのマザランについて一旗挙げる話にのってきた。ポルトスとしてはマザランにつく報酬として男爵の肩書きが欲しかったのだ。
次にダルタニャンとプランシェはブロワへ向かった。そこにはアトスことラ・フェ−ル伯爵の領地がある。高貴な精神の持ち主アトスは領民から愛される立派な伯爵になっていたし、15歳になる少年ラウル・オ−ギュスト・ジュ−ル・ド・ブラジュロンヌ子爵と言う孤児をひきとっていた。アトスとラウルは父子以上の愛で結ばれていた。隠してはいるがラウルは、アトスとリシュリューに対する陰謀で宮廷を追放されたかつてのアラミスの恋人で太后アンヌの親友だったシュヴル−ズ公爵夫人の子供だった。そんな貴公子ラウルはお隣りのラ・ヴァリエ−ル侯爵の7歳になる娘ルイズに恋をしていた。この日小川を散歩中にルイズはくるぶしを切ってしまった。後にルイ14世の寵姫になるラ・ヴァリエ−ル嬢のびっこは、この時の怪我の後遺症だ。ラウルはダルタニャンに会えて感激だった。ところでアトスはマザランの事を心底嫌っていた。しかもアラミスと通じている。つまりアトスもフロンド派なのだ。それにアトスの従者グリモ−がいない事も気になった。ダルタニャンとプランシェはアトスと別れてパリへと帰った。かつての四銃士のうち2人はフロンド派に、そして2人はマザラン派に別れてしまったのだ。
ボ−フォ−ル公フランソワ・ド・ヴァンド−ムはアンリ4世の孫にあたる人物で、庶出の王族で民衆にも人気があり勇敢な軍人で大のマザラン嫌いだった。これを恐れたマザランは先手をうって、5年前にボ−フォ−ル公を逮捕しヴァンセンヌ城に幽閉していた。ところが占星術師が聖霊降臨祭パントコ−トまでに公爵が脱獄すると予言、マザランは夜も眠れぬ想いで過ごしていた。そんなボ−フォ−ル公に新しい牢番がつけられた。その牢番の名はアトスの従者グリモ−。そして城の外では百姓に扮したロ−シュホ−ル伯爵がいた。アトス・ラ・フェ−ル伯爵とラウル・ブラジュロンヌ子爵は、ラウルは知らないが彼の母であるパリのシュヴル−ズ公爵夫人の館を訪れた。夫人の紹介でコンデ大公の軍に配属してもらう事になった。その夜トゥ−ルネル街のスカロン神父の館でフロンド派のサロンがあり、レス大司教補やシュヴル−ズ公爵夫人、アトスも出席しました。アトスはそこでアラミス・デルブレ−神父と会いボ−フォ−ル公救出の相談をしたのです。
翌日アトスはラウルをつれてサン・ドニ墓地の代々フランス国王の墓の前で、動乱の世にあっては見える事態にとらわれる事なく、不変の心理に従う事を理解させた。つまりアトスはフロンド派だが、これからラウルがつかえるコンデ大公は王室側の人物だからだ。しかし心に描くものは王権の不可侵性と言う事である。かつてアトスもリシュリュ−に抵抗したものだが、今にして見るとあの大枢機官リシュリュ−のやった事は未来に通じる偉業だったと思えるのだ。ドイツ新旧教派閥の内乱からはじまった30年戦争は、オーストリアやスペインのハプスブルク家が旧教徒側に加勢したため、ハプスブルク家の勢力拡大を懸念したリシュリューが新教徒側に加勢して参戦、ヨーロッパ中を巻き込む争いに発展した。コンデ大公ルイ2世・ド・ブルボンはフランス軍を率いてアラスやロクロワで戦い、今ランスに侵入したスペイン軍を撃滅しようとしていた。アトスと別れラウルはコンデ大公の軍隊に加わるためランスへ向かった。




