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第1部 三銃士_The three musketeers
第2部 20年後_Twenty years later
第3部 ブラジュロンヌ子爵_Viscount of Bragelonne
1660年緑あふれる5月。ここブロワのオルレアン大公ガストン・ドルレアンの城に、25歳になったアトスの息子ラウル・オ−ギュスト・ジュ−ル・ド・ブラジュロンヌ子爵がコンデ大公の使いで、国王一行の到着を告げに来た。ガストンはルイ13世の弟だが、王位をねらって陰謀を企て宮廷を追放されブロワに隠居していた。そしてこの城には、あの幼い日からラウルが想いを寄せるルイズ・フランソワ−ズ・ド・ラ・ボ−ム・ルヴラン・ド・ラ・ヴァリエ−ル嬢がいた。ルイズの母親がガストンの執事サン・レミと再婚したからだ。ラ・ヴァリエール侯爵令嬢の肩書きを持つルイズにとって母親の再婚は汚点だった。これを懸念したアトス・ラ・フェ−ル伯爵はラウルがルイズに会う事を禁止していた。しかし今回の来訪でラウルは、細身で少しびっこをひいた17歳のルイズに再会した。前の物語から10年、22歳のルイ14世はスペイン王女マリ−・テレ−ズ・ド−トリッシュとの婚礼のため、王女を迎える途中ブロワへ寄ったのだ。

銃士隊で周囲を固めたルイ14世と太后アンヌ・ド−トリッシュ、宰相マザラン枢機官、ルイの弟アンジュ−公フィリップ、コンデ大公らの大名行列が到着した。今やマザランは絶対的な権力を持ち、若いルイ14世は完全にその管理下にいた。その上ルイ14世はマザリネットと呼ばれるマザランの3人の姪の末娘マリ・ド・マンシーニに恋をしていた。最初は二女オランプに恋したが、オランプの人格に問題を感じた太后アンヌがオランプをサヴォイ家のソワッソン伯爵ユージェーヌ・モーリスと結婚させ遠ざけた。そのオランプが将来産む子がルイ14世の敵サヴォイ公オイゲンになる。政策とは裏腹にマザランはフランス国王の叔父になりたいと望んでいた。ブロワの城では国王を歓迎する宴がもようされた。そんな宴の片隅で、鋭い眼光で周囲を見張る銃士隊の副隊長こそ我らがダルタニャンである。その夜ルイ14世のもとへ亡命中のイギリス国王チャ−ルズ2世がやって来て軍事力の援助を求めたがマザランが拒絶した。翌朝ルイ14世はお忍びでダルタニャンをつれて、イタリアへ帰るマザランの姪マリに会った。マリは結婚を迫ったがルイは応じなかった。マザランの姪と結婚する事はマザランの管理下に留まる事になるからだ。すでにルイは自からの親政を考えていたのだ。そして一時は手に入れた銃士隊長の辞令を取りあげられた事を理由にダルタニャンは辞表を出して去って行ったのだ。

イギリスはクロムウェルの残したランバ−トとモンク将軍が国を二分する戦いを続けており、本来の国王チャ−ルズ2世は亡命の日々を送っていた。チャ−ルズ2世は偶然にもラ・フェ−ル伯爵アトスに会い、チャ−ルズ1世がアトスに託した100万金の事を聞かされた。その金でモンク将軍を味方にしようという考えだ。アトスは渡英してモンク将軍に会い説得、一方ダルタニャンも単身渡英してなんとモンク将軍を捕虜にした。それを寛容に解放したチャールズ2世。それらが功を奏してモンクはチャールズ2世を国王として迎え入れた。アトス・ラ・フェ−ル伯爵には金羊毛勲章が、ダルタニャンには大金の報酬が与えられた。すでに結婚したルイ14世とマリ−・テレ−ズ王妃、母后アンヌ、王弟アンジュ−公フィリップなどが新王宮でカルタ会を開いた。マザランは痛風が悪化して死期が近かったし、太后アンヌも乳癌に苦しんでいた。そこへ聖霊、ガ−タ−、金羊毛の三大勲章をつけたラ・フェ−ル伯爵アトスがやってきてイギリスでの事を語った。ルイ14世はダルタニャンを失った事を心底後悔した。アトスの話の最後にはイギリス国王からの伝言で、チャ−ルズ2世の妹アンリエット・ダングルテ−ルとルイ14世の弟アンジュ−公フィリップの婚礼の申し出があった。

マザランはルイ14世に片腕としてジャン・バプティスト・コルベ−ルを紹介して、その夜静かにこの世を去った。ルイ14世はこれまで自分を束縛してきた古い勢力から解放されたのだ。ルイ14世はコルベ−ルを財務卿フ−ケの配下になる財務監督官に任命した。コルベ−ルはフ−ケの地位を狙っていたので不満だった。ルイ14世の親政がいよいよその一歩を踏みだし、まず最初にダルタニャンを呼びつけた。ルイはダルタニャンに軍務に戻るよう説得、そして財務卿フ−ケの所領ブリュタ−ニュにあるベル・イ−ル・アン・メ−ル島を視察する事を命じた。フーケがベル・イ−ル島に城塞を建造中との噂の事実確認だった。この役目から帰還したら正式に銃士隊長に任命されるのだ。財務卿ニコラ・フ−ケは国庫を預かっており、その用途には公私の境がないのが通例だ。フ−ケは粋な紳士で国庫の巨富を利用して数多くの友人と、芸術家や詩人を保護していた。マザランのあと宰相になると思われていて、ルイ14世にとっての脅威だった。

コルベ−ルはフ−ケを失脚させるためフ−ケの部下を公金横領で告発、パリ市庁舎前のグレ−ヴ広場で公開処刑が行われた。フ−ケは暴動をおこして部下の救出を謀ったが、偶然居合わせたダルタニャンとラウル・ド・ブラジュロンヌ子爵それに見物人の中にいた銃士たちによって鎮圧された。

次の日ダルタニャンはお忍びでフ−ケの領地ブリュタ−ニュへ向かった。この地方ではフ−ケは王様のように崇められ、ルイ14世はまだ真のフランス国王ではなかったのだ。ダルタニャンはベル・イ−ル・アン・メ−ル島へ上陸、そこには最新式の要塞、戦艦、軍隊が完成していた。そして島の総指揮をしている大男はなんとポルトス、デュ・ヴァロン男爵だったのだ。さらにこの地ヴァンヌの司教となったアラミスと再会した。アラミスはフ−ケの力でヴァンヌ教区の司教になった。そしてポルトスを呼び込んだのだ。アラミスとフ−ケ2人の野心家が手を組んでいたのだ。
ダルタニャンから先手をとるべくアラミスはすぐさまフーケに会い、要塞を国王への献上品とする事で事態を回避するよう説得した。早速フ−ケはル−ヴル宮へ行きルイ14世にベル・イ−ルの要塞は陛下の為に造ったとして献上した。
ダルタニャンはアラミスに謀られて悔しい想いだった。しかしルイ14世は約束通り辞令を与え、今度こそ本当にダルタニャンは銃士隊長になったのだ。そんな宮廷にブロワのオルレアン大公ガストン死去の知らせが届き、オルレアン大公の称号はルイの弟フィリップに継承された。