「全員解散! 今回アクシデントはあったが、冷静に切り抜けた諸君らの対処 は高い評価に値すると思う。ご苦労だった。よく体を休めるように。但し報告書 の締め切りに変更はないからそのつもりで」 ヒナの号令と共に、気合いの入った敬礼が揃う。なにがしかの思いを込めて答 礼し、ベルメールは踵を返した。すぐに保護した民間人を連れて海賊被害者遺族 救済財団へ赴かなければならない。運営資金の半分を出資している海軍の要請で ある以上話は簡単に済むだろうが、半ばお役所なだけに申請書類をうんざりする ほど書かされることは間違いなく、事務仕事が嫌いな少尉は鈍痛を訴えるこめか みを揉みほぐした。学生共の採点も含めて、ゆっくり休むにはまだまだ時間がか かりそうだ。 ミルコレメオ群島からの帰投の3日間は、穏やかな航海になった。風も潮も順 調そのもの、軽傷者一名を除いて全員無傷。あんな切迫した非常事態をくぐり抜 けたにしては上等であろう。本部も手を焼いていたモーガニア船撃沈と民間人救 助のおまけまで付いて、これではいかに辛い基準で採点したとしても優をつけな いわけには行かない。渋い顔をする士官学校の教諭連中を思い描いて、ベルメー ルはほくそ笑んだ。ざまあみろだ。 「シャンクス君、一応確認させてもらうけど、本当に財団の援助は要らないの ね?」 一緒に脱出した仲間一人一人に別れの挨拶を告げている、ゼラニウムレッドの 髪が印象的な少年に最後の確認を問うた。顔の傷はもう塞がって、生々しい三本 の痕を残すばかりになっていた。優しげに整った顔立ちにその傷跡は何とも痛々 しかったが、当人は『ハクがついていいさ』と笑っていた。 「お世話になりました。電伝虫で確認した限りじゃ、預かり屋の俺の口座は無 事だそうですから。独立資金のつもりで結構溜め込んでましたし、当座の生活に ゃあ困りませんよ」 「財団の方じゃ、職業斡旋もやってるから、あ、商船とかだよ?仕事口が見つ からないようなら遠慮なく頼りにおいで」 「いよいよって時にはお願いしに伺います」 きっぱり笑って断られては、それ以上押すこともできない。元気でね。月並み な言葉しか見つからなくて、妙に腹が立った。もうちょっと弁が立てば、気の利 いた台詞の一つも言えたかも知れないのに。 「大丈夫かなみんな」 眉をひそめて、ベルメールにつれられていく一行を見送るシャンクスの心配を 少しは和らげてやろうという気になったのか、スモーカーは紫煙混じりに口を開 いた。足かけ四日のつきあいだが、この機敏で陽気な少年が妙に気に入ってしま っていた。媚びも蔑みもない天衣無縫の笑顔を嫌うのは、癇性と反骨で鳴らした 彼にさえ難しかった。 「あそこの育英施設出の知り合いに言わせりゃ、悪いところじゃないってよ。 第一出資してるのが商船組合と海軍だ。どっちも納得すりゃあ金は出すってクチ だからな」 「違いない」 シャンクスは頷いた。無駄遣いがゴキブリより嫌いな商売人の代表が、自分が 出した金の行方に厳しく目を光らせていることは想像に難くない。海軍の上に立 つ政府の方も、たっぷり税金を払ってくれる高額所得者が増えた方が嬉しいとい う理屈で人材を揃えているから、教育は充実しているし斡旋される働き口も筋が 確かだ。子供や会計士の将来はさしあたってさほど暗いものではないだろう。 「俺達は宿舎に戻る。元気でな。またどこかであったら酒でも飲もう」 相変わらずサングラスに表情を隠したベックマンが、まだ包帯がとれない手で 軽くシャンクスの肩を叩いた。成人年齢にはほど遠いくせに結構飲んべえでヘビ ースモーカーの少年の言いぐさに軽く笑った。鼻筋をちょっと掻いて、シャンク スはベックマンに正対した。 「その、さ、俺、自分の船持つつもりで、あと4年か5年ぐらいで、小型の交 易船買うぐらいの金はたまりそうなんだけど」 頭一つ下から、レンズ越しの視線がそれで?と問うてくる。咳払い一つ、シャ ンクスは続けた。酷く緊張していた。喉がからからで巧く声が出ない。 「自分の船手に入れたら迎えに行くから、ベン、俺の副船長になってよ」 こいつとならなんだって出来る。俺は、ずっと求めていた翼を手に入れられる。 奇妙な確信があった。手放したくなかった。からかわれて困って怒って、不意に 砕けたように笑う彼を見るたびに胸を打ち抜かれるような衝撃を味わった。出来 ればずっと手の届く距離で笑っていて欲しかった。 「あらあら、会って四日でプロポーズ?随分情熱的ねあんたのカレシは」 「ヒナ!」 ベックマンが真っ赤な顔で噛みつく。史上最年少の主席殿が、実は色恋沙汰にか けては箱入り娘より不器用で照れ屋だとばれたのはこの3日間のことだった。本人 曰く、彼の生まれたあたりは夜這い婚のポリガミー、さりげなく誘い、はたからは わからないようにサインを返すのが彼の地での恋愛のルールで、惚れたのなんのと 人前で口にする行為は広義の性犯罪に該当したらしい。慣習の違いだとわかってい てもいい気はしないとぶすくれる、かわいげがないほど何でも出来る天才様の意外 な一面は、周囲には好意的に受け止められていた。本人は勘弁してくれとめげてい たが。 「その、ベン」 「なんだ」 「返事…聞いてない。嫌か?」 情けないような懇願混じりの視線を向けられて、ベックマンは深々と溜息をつい た。こんな奴に、こんな顔をされて無下に出来るほど人非人ではない。 「その時軍を馘首になってたらな」 「ほんとか!聞いたぞ、約束だからな!」 お前となら世界の果てだっていける。絶対迎えに行くから、それまで大けがした りするなよ、絶対だからな。そんなことをまくし立てながら、両手を掴んでぶんぶ ん振り回された。 「またな!待っててくれよ、俺急いで金貯めるから!体壊すなよ、煙草程々にし ろよ!」 「あー…無理しない程度にな」 「約束したからなー!」 大きく手を振りながら、安宿の固まった街区へと歩み去っていく、豪華な髪を王 冠のように頂いた少年を見送って、ベックマンはぐったりと首を垂れた。なんだか 修羅場を切り抜けた時より疲れたような気がする。 「熱烈ね、嬉しい?」 「勘弁してくれよ…」 げんなりと返された答を気にした様子もなく、ヒナはうきうきした調子でベック マンの肩に腕を回した。 「ところでベックマン君、あの子達に着替え全部あげちゃったんだって?」 「ああ。それがどうかしたか?」 「出世払いの催促無しで貸したげるわ、今から買いに行きましょ。明日のシャツ も無いんじゃない?」 「ああ、まあ…」 「そうと決まったらブティック直行!何着せようかしら、髪留めも買わなきゃね」 ヒナ楽しみー、と引きずられて、ベックマンはもう一度深々と嘆息した。どうや ら彼の受難はもう一幕残っていたようだ。 さしものラプラスの悪魔も、4年後、シャンクスがどんな形で彼を迎えに来るか までは、予想することは出来なかった。 時間は現在に戻る。赤髪海賊団のアジト、夕刻。 「お疲れさん。冷たいもんでも飲むか?」 「有り難い」 温泉の源泉からパイプを引いたバスルームから出てきたベックマンに、ベッドに 腰を下ろしていたシャンクスは井戸水で冷やした果実酒の瓶を掲げて見せた。暑い のか、シャツを省略して剥き出しの上半身に思わず頬が緩んだ。随所に残る傷跡に まで惚れ惚れしてしまう。相変わらずスクエアな恋人も、二人っきりになれる場所 ではこの程度には無防備な姿を見せてくれる。 アジトを構えるときに、抵抗を押し切って二人用の家を建てさせて本当によかっ た。船室に忍んでいくのも趣があって捨てがたいが、他人の気配に身構えないベッ クマンというのはまた格別だ。当然のように隣に腰掛けられて、肩がくっつきそう な距離にまたにやにやしてしまう。 厚手のグラスに僅かに発泡する金色の酒を注いで、とりあえず満足すべき結果が 出たこの一ヶ月の努力に乾杯する。気泡の混じったガラス越しの掌が目に入った。 年中ロープや銃を操っているからかなりごつい。働き者の手だ。 「胼胝だらけだなあ…」 「どうした、藪から棒に」 「んにゃ、最初にあった頃は舵輪で擦り剥いてたのにと思って」 「古い話を…」 「何となく思い出してさ。俺よりちっちゃいベック見たのって、よく考えたらあ のときっきりなんだよな」 士官学校を卒業してから、ベックマンの身長はきっかり1フィート伸びた。頭一 つ下にあったはずの目線が、再会したときには完全に逆転していた。 「不満か?」 「いんや。どうもお前、でかくなってからの方が可愛気が増したような気がするし」 「…頭に日が入りでもしたか?」 むっとした顔を繕って、照れ隠しにシガーケースに手を伸ばす。そんな仕草だけは、 これだけ年月が経って、無精髭に向こう傷、堂々たる体躯の中年男になった今でも変 わらない。ついよしよしと頭を撫でてしまって、自分も変わってねぇやと可笑しかっ た。 「でもやっぱ、もっと早く迎えに行けばよかったよ。あの4年はほんっと永かった。 お前と来たら、人の気も知らないで容赦なく名前売りまくりやがって」 おかげで人前じゃ肩書きでしか呼べない。 本気で不満そうな顔をされて、ベックマンは喉で笑った。僅か3年8ヶ月の軍人生 活だったが、その間に沈めた海賊船は3桁のオーダーに達する。アジトもろとも灰燼 に帰した海賊団も数多い。今となっては余程のオールド・タイマーでもなければ、第 7艦隊のウルトラエースを憶えているものもないが、恨みを買ったことに疑いの余地 はなく、素性を秘匿する必要はシャンクスでさえ認めざるを得なかった。赤髪海賊団 の構成員でも、副首領のフルネームと前歴を知っているのは旗揚げ以来の古参に限ら れている。 「あれを迎えに来たと主張するか?あんたのやったことは拉致と言うんだ」 「悪いか。どうしても欲しいものはぶんどるのが海賊だろ」 「ったく、あんたってひとは…」 怒りきれない自分が嘆かわしい。この執着をどこかで嬉しく思っている自分を知っ ているから、情けなさもひとしおだった。 こういうのを惚れた弱みって言うのかね? 髪を梳いていた指が、いつの間にかうなじに移動していた。かすかな懼れを捨てき れない指先が好きだった。これ以上増長されては堪ったものじゃ無いから、口に出し たことはないが。悟れ、馬鹿者。 「せめて飲み終わるまで待ってくれ。逃げやしないよ」 「んー待つ待つ」 口だけはしおらしく、きかん坊の大頭の手は好き放題腰骨だの背筋だの、敏感な部 分で遊んでいる。人の言うことを聞かないところも相変わらずだ。 『迎えに来たぜ、副船長!』 場所も状況も無視して、高らかに放たれた遠い昔の宣言が、耳の奥でこだました。
