海浜を臨む小さく粗末な海の家の中、男たちが屯している。カウンター上の電伝虫が鳴った。うねった
金髪を短く刈り上げた男が煙草を口から外して受話器を取る。
「はい、こちら海鳩屋。ご依頼内容をどうぞ」
強面の男たちは一斉に電伝虫と受話器を持つ男を見つめる。大人たちの中に長い黒髪の少年が一人混ざ
っていた。
『私はブルーターキーの社長だ。高級酒を樽で二十程運びたい。海賊に狙われにくい手段で運んで欲し
いのだが、出来るか?海鳩屋はそういった危険な航海に慣れていると聞いた』
「ええ、仰る通りですよ。で、どこからどこまで運べばよろしいんで?」
『シノー島からサーク島までだ』
「シノー島なら約三日後には到着できますが?」
『明日にでも出発してもらって、こちらに来て欲しい』
「ええ、分かりました。輸送船はこちらで用意致しますか?」
『それも頼む。今、我が社は動かせる船がないのだ』
「了解しました、即参上致します。目印は青地に葉をくわえた白い鳩の旗ですから、お見逃し無きよう」
『うむ、頼む』
男は相手の通信が切れたのを聞いてから受話器を置いた。灰の部分が長くなってしまった煙草を名残惜
しそうに吸った。
「ま、そういうことだ。明日には出発する」
「ここんところ、順調に仕事が入るな。腕が鳴るぜ」
男たちは嬉しそうだ。ただ一人、ギプスに固定された腕を三角巾で下げた小男を除いては。
「今回の留守番はフィンチしかいないよな」
金髪の男が煙草を灰皿に押しつけながら言った。
「そりゃないぜ、J・J」
フィンチは口を尖らせた。
「けど、仕方ないだろ。前の仕事でこさえた怪我が治ってないんじゃ」
「フィンチの分まで俺が働いてやるって」
黒髪の少年が笑った。
「B・B…」
小男は情けない顔で笑った。
「そんじゃ、明日の朝一に出発だ。船はキャロライン号を使う。出航準備にかかれ!」
「おう!」
桟橋にいた三人の男が海鳩屋の旗を見つけて、こちらに歩み寄ってきた。濃紺のスーツに身を包んだ三
十後半ほどの逞しい男と、その部下らしき若い男が二人。
船を降りたJ・Jに彼らは話しかけた。
「海鳩屋さん、お待ちしてました」
「早速ですが、商売に移りましょう。運ぶブツはどちらに?」
「こちらです」
開けられた倉庫の中に樽がびっしり並んでいた。樽の文字を読んだヘキサンが素っ頓狂な声を上げた。
「王妃の涙!」
王妃の涙はブランデーの中でも時価扱いの特級中の特級。一樽で最低額でも三百万ベリーはするという
代物だ。
「船の中までは我が社の社員が運びます。向こうに着けば、向こうにいる社員が運びますので」
「はあ…」
運送会社の社長は驚きと要領を得ないような生返事をした。
ブルーターキーが雇ったと見られる人員十人ほどが倉庫奥に待機していた。彼らは黙々と樽を船内へ
と運び込んでいく。
ベンは運ばれる樽からこぼれる音に耳を澄ませた。液体しかない筈の樽から硬い物が転がるような音が
微かに混ざっていた。
ベンが樽に近寄るとスーツの男が肩を掴んで止めた。
「ダメだよ、坊や。樽に曳かれたら、ぺちゃんこだよ」
男は笑ってはいたが、神経質に何かを隠そうと視線が泳いでいた。少年はそれを見逃さなかった。
「じゃあ、打ち合わせ通り、私と部下の二名がこの船に乗り込みます。目的地では、積み込んだときと
同じ様に我が社の人員が樽を卸します」
「了解」
J・Jは煙草をくわえた口に愛想笑いを浮かべて見せた。
船が沖に出た頃、ベンはブルーターキーの社員がいないのを見計らってJ・Jに耳打ちをした。
「J・J、この輸送には何か裏があるみたいだ」
「おう、それはオレも思ってた。きな臭いが、それが何かって確証がまだ無い」
「調べてもいいか?」
「ああ、好きにやれ」
夜も更けかけた頃、褐色の肌を刺青で飾った上半身にバックスキンのベストだけを羽織った男が枯れ草
のようなものを小さな炉で焚き始めた。
「何だ?煙草か?それにしちゃ煙いな」
見張りの一人が様子を見に来た。
「すんません、航海が無事に済むようにと魔除けの香を炊いてるんでさ」
見張りたちは煙たがっていたが、やがてその場で崩れ落ちるように眠ってしまった。
ケツァールが香を消した。海鳩屋の面々は煙が無くなったのを確かめると、口に含んでいた小さな葉を
吐き出した。その葉は催眠香の効果を打ち消すものであるらしい。
一同は並べられた樽の中の一つの前で止まった。
「これの何が怪しいんだ?B・B」
少年は樽の蓋間際を叩いた。液体の鈍い反響音が響く。
「これが本物の王妃の涙なら樽に目一杯入ってる筈がないんだ。長年寝かされたブランデーは天使の分
け前分は少なくなってるもんだから」
「天使が酒を盗み飲むだか?」
大男が間延びした声で不思議そうに言った。
「ものの例えさ、アルバトロス。長い年月をかけて寝かせるうちに微かに蒸発もしてるのさ」
少年は明解に答えた。
「寝かせが足りないとか、これから寝かせるんじゃないの?」
ヘキサンが口を挟んだ。
「一番怪しいのはこの番号のついた樽の中で何かが転がる音がした」
ベンは樽の蓋を指でつついた。
「酒石とかじゃないのか?」
ケツァールも樽をノックした。
「そんなんじゃない、もっと大きくて硬い何か。まあ、予想はついてるんだけど」
少年はそういって上向いた蓋の栓を外す。
「おい、大事な依頼品だぞ!」
水色のモヒカン頭のカグーが慌てた。
栓には細い釣り糸が付いていた。ベンはそれを慎重に引き上げる。糸に繋がれて指輪や宝石の付いた貴
金属がぞろぞろと顔を出した。
「やっぱりな…まだ中に入ってるみたいだぜ」
少年は糸を引っ張り中の様子を探った。
「宝石?」
「こんな運び方をするってぇことは…」
ケツァールが腕組みをして難しい顔をした。
「盗品か、関税逃れかってことだろうな」
J・Jが入り口付近に眠る見張りをちらりと見た。
垂れた液体にヘキサンが手を伸ばした。
「おい、怪しいとは言え依頼品だぞ」
J・Jが釘を差す。
「ちょっと味見だって」
「おらも」
アルバトロスも釣り糸の滴に指を伸ばした。
「んん?」
ヘキサンが首を傾げた。
「どうした?」
ケツァールがヘキサンに訊ねた。
「何かいつも飲んでる安いのとそう味が変わんないような…」
「おらもそんな気がするだ…」
「ええ〜?」
「そのままで高く売れるはずの樽に宝石隠すような連中だ。空樽に安物を入れるってことだって有り
得るよなぁ?B・B」
J・Jが呆れたと言わんばかりに大きくため息を付いた。少年は頷く。
「その推測で間違ってないと思うぜ」
「どうする?危うく安い賃金で暴利を貪るお手伝いをさせられるトコだったワケだが…」
J・Jは周囲に意見を求めた。少年が手を挙げる。
「俺に考えがある。この一件、俺に任せてくれないか?」
「他に意見のある奴は?」
全員が首を横に振った。
「いいだろう、B・B。やってみろ」
「じゃあ、電伝虫を貸してくれ」
ベンはJ・Jから電伝虫を受け取ってダイアルを回す。
「フィンチか?調べて欲しいことがあるんだ。一つ目は王妃の涙の醸造元に取引先の照会を頼む。後
はブルーターキー社について調べて欲しいことがあるんだ。無理を言って済まないが、この航海が終わ
るまでに頼む」
『いいぜ、B・B。任せときな』
見張り台に上ると伸ばしかけの少年の黒髪が追い風に乱される。彼は髪を書き上げて結い直すと電伝
虫のダイアルを回す。
「ノワールからリトルトゥイーティー。どうだ?」
『あいよ、今かけようと思ってたとこだ』
「どうだった?」
『ほとんどお前が言ってた通りだったよ。醸造元の会社の裏も取った。ブルーターキーは前科有りを
集めた経済やくざだ。後、お前が言ってた例の一社の連絡先も分かったぜ、担当者までばっちり押さえた』
「サンキュ、留守番でもばっちり働けてるじゃないか、フィンチ」
『お前のおかげさ、後は任せた。オレは先に休ませてもらうわ』
「ああ、ゆっくり休んでてくれ。働いてもらった分だけきっちり報酬は持って帰るから」
『おう、楽しみに待ってるぜ』
水平線の目指すサーク島の影が浮かび上がった。スーツに身を包んだ男は感心しきりだだった。
「あの距離をこのスピードで運ぶとは、海鳩屋の運送は噂通りだな」
J・Jが笑いながら答える。
「お褒めに預かり光栄ですよ。ところでお客さん、報酬についてお話があるんですがね」
「ああ、それなら、最初に本社で決めた通りに」
「いやいや、ご冗談を」
J・Jは男の前に右手の甲を向ける。その小指には深く青い大粒のサファイアを戴いた金の指輪があった。
「それは…!いつの間に?」
「ええ、依頼された商品リストに載ってないものを見つけましてね。これは立派な規約違反だと思いますが?」
J・Jの口の端がつり上がり、ヤニで黄ばんだ歯が見えた。B・Bが二人の側に寄ってきた。
「こいつが、見つけたんですよ。まだ年若いが、頭の回転が人三倍は早いもんでね。頼りになる船員なんでさ」
J・Jが顎をしゃくって弟分を紹介した。
「陸にいる仲間に王妃の涙の醸造元に問い合わせてもらったよ。王妃の涙は顧客に届くまでのデータが完全に
管理されてる。そのリストにあんたらの会社名はなかった。どこからか入手した空の樽に安酒を入れて高く売り
つけようって魂胆だったんだろ?最後の航海に別会社に運送を頼むのは万が一悪事が露見した時に罪を擦り付け
る為、ってところかな?」
「ぐ…」
言葉に詰まる男にJ・Jは商談を再び持ちかける。
「別に俺たちは正義を振りかざす気は毛頭ないんだ。ただ、仕事がもたらす利益とリスクに見合った報酬を払
って欲しい、それだけさ」
男は虚勢を混ぜて形勢を立て直そうとする。
「何故お前等に金を払わなきゃならない?港にさえ着けば後はお前等の代わりなんていくらでも居る。小さな
運送会社の船員が遭難した所で誰も不審には思わんぞ?」
「払った方が身のためだと思うけどな」
少年は涼しい顔で言い返した。
「何でだ?」
「俺たちの仲間が定期的に連絡を待ってる。それが途絶えると仲間があるところに通報する手筈になってる。
合い言葉は各自違えば順番も決まってるから、偽の連絡なんて通用はしないぜ?」
「…あるところってのはどこだ?海軍か」
「惜しいね、海軍、税務局、保険屋の三カ所さ」
ブルーターキーの若頭は息を飲んだ。部下は事情が飲み込めずに問いただした。
「保険屋?何のことだ?」
「高級品の輸送には保険を掛けておくもんだ。あんたらのボスは偽の王妃の涙に高額の保険をかけてるんじゃ
ないかな?万が一海賊とかに横取りされても、損が出ないようにね。それがばれたら、保険金詐欺で罪状が三つ
も並んじゃう訳だ。俺たちの仲間はあんたらが入ってる保険屋の担当者までばっちり調べたんだぜ」
「若頭?ホントなんですかい?」
部下の問いかけに若頭は強ばった顎を微かに動かしてみせた。
「困るよね?この三勢力が一度に押し寄せたら、尻の毛まで毟られて何も残らなくなるぜ?」
少年の艶笑は下っ端経済やくざの背筋を凍えさせた。
「報酬の三倍払ってもらえれば、黙っていてもいいかな」
「三倍?そんなに払えるワケねぇだろうが!」
少年の言葉に狼狽える若頭にJ・Jが畳みかける。
「安いもんだと思うぜぇ?お客さん。口止め料と手切れ金込みなんだからさ。全てを毟りとられた上に牢に
ぶち込まれて稼げなくなるのと、ここで手数料を払って細々と稼ぎ続けるのと、どっちが得かなんて、算盤弾
かなくたって分かるだろ?」
港は目前まで迫っていた。
「では、樽は我が社の社員が運びますので」
桟橋から柄の悪そうな人足が船に上がってきた。全員が上がったのを見計らって若頭が叫んだ。
「かかれ!始末しろ」
男たちが海鳩屋の船員に襲いかかった。J・Jは壁に立てかけてあった金属バットを振り回し、あっと言う
間に三人を海に放り込んだ。彼はそのままバットの先を残った若頭に向ける。
「これが便利なんだよ、殴っても突いても良し、剣や弾を打ち返すにも良し、オマケに船に刺さって抜けな
くなることもない。船の上の運動不足解消にも持ってこいときたもんだ」
にやりと笑った口の端の煙草から灰が落ちた。若頭は見渡したが、残りの手下たちも海鳩屋の面々に熨され
ていた。
「報酬額、考え直す気になった?お忘れのようだが、ウチは海賊に狙われても大丈夫ってのが売りでね」
J・Jは小首を傾げて肩を鳴らした。
「皆さんが動けないようなんで、運んで差し上げますね。さあ、運ぶぞ、野郎ども」
J・Jの指示に従い、海鳩屋の面々は樽を倉庫まで運んだ。
若頭は苦々しく現金を詰めたトランクを渡した。
「ありがとうございました」
J・Jがにたりと笑って見せた。当然、相手は笑い返しもせず憮然としている。
「おっと、これで全部運び終えましたよ」
J・Jは右小指の指輪を外して男に差し出した。男が開いた掌にJ・Jは指輪を置いた。男はそれをポケット
にしまい込む。
「人手が無くてガキまで働かせる零細企業と侮ってたが、まさかこいつが参謀だったとはな…。一杯食わされたぜ」
「海鳩屋は子どもを働かせたりはしないさ。俺はちょっと若いだけ」
ベンが悪戯っぽく微笑んだ。
「おい、坊主。ウチの輸送のからくりを見抜いたのはお前が初めてだ。こんな小さな運送屋に置いとくに
は惜しい。ウチに来ないか?給料はたんまり弾んでやる」
「悪いけど、先約があってね。契約は出来ない」
「そう、それまで預かってるワケアリ人材って事だから、悪いね」
J・JはB・Bの肩を抱き寄せた。勿論その手はB・Bがすぐに外した。その場を去りかけたJ・Jが振
り向いた。
「縁があったら、またのご用命をお待ちしてますぜ、旦那。ただし、今度は隠し事は抜きでね」
「もう、あんたらとはこれっきりに願いたいね」
若頭は苦笑を浮かべた。
「と、まあ、こんな仕事をしてたわけだ」
ベックマンは新しい煙草に火をつけた。紫煙の向こうで鷹の目の異名を持つ大剣豪が愉快そうに笑っている。
「本当に大した男だな、お前という奴は…。その時の報酬は天使と言うよりは堕天使の分け前というべきか?」
「天使だなんて呼ばれたくもないね」
ベックマンが苦笑した。
「しかし、その頃のお前は十五に満たない少年だったのであろう?天使の分け前などという酒の蘊蓄をよく知り得たのだ?」
「昔、ロジャーが教えてくれたんだ」
気が緩んでいたのか、ベンは本当のことを口走っていた。
「ロジャー…、もしや海賊王ゴール・D・ロジャーか?お前も彼に会ったことが?」
鷹の目の反応にベンの目の色が変わった。
「まさか…、あんたも会ったことがあるのか?」
互いの目が相手を探り合う。目の前の男は彼の男の何を知っているのか、それを知りたい、と。
「あの男は…」
二人の声は言葉までそっくり重なった。思わず二人は笑い出す。
ミホークは首を横に振った。
「いや、止そう。互いの記憶にあるあの男を変える事など無意味だ」
「ああ…、全くだ…」
二人は酒を口にした。両者の感慨深げな顔がやはり知りたいという気持ちを再燃させた。ミホークが提案する。
「とは言ったものの、やはり気になるな。どうだ、互いに教え合わないか?短い一文で良い」
「じゃあ、言い出したあんたから」
「彼は…己の人生で最高の恩人だ」
ベックマンは思案を巡らせる。
「彼こそが世界の全てだと思っていた、子どもの頃の話だが」
「なるほどな…」
豪雨に閉ざされた密室に穏やかな空気が流れる。
ミホークが傍らの時計に目を遣ると、針は2時半を過ぎていた。彼は名残惜しそうにグラスを回してテー
ブルに置いた。
「実に楽しい夜にだ。己はこのまま夜を明かしたいが、お前はそろそろ眠らねばなるまい。明朝には出か
ける身だしな」
鷹の目の思いやりが子女を扱うかのように感じられてベンは軽く反発した。
「俺もそんなにヤワじゃないぞ。徹夜ぐらいは何でもないぜ」
「赤髪に隈の出来た顔で会ったら、己が夜伽を勤めさせたと思われるのだろう?」
夜伽…、シャンクスの口からは絶対出てこない言葉だな。
「確かに眠った方が賢明だな。じゃあ、遠慮なく眠らせてもらうかな」
「寝室はどちらがいい?キングサイズのベッドが一つの部屋とツインベッドの部屋があるが」
「ツインの片方で良い。狭い方が慣れてる」
ベンは部屋を出る時にもう一つの頼みを思い出した。
「おやすみ、ミホーク」
「ああ、お前もな、ベン」