海鳩屋の船は海賊に出くわし乗り込まれて乱闘となった。海鳩屋は漁船を装いながら小さな貨物を輸送していた。 普通の海賊ならば見過ごすような船だったが、出会ったタイミングが悪かった。海賊達は遭難しかけ、飲まず食わ ずの状態が続いて、船を選べる状況ではなかったのだ。動ける海賊は少ないようだが、海鳩屋の面々は獣と化した 海賊達と必死で戦った。 海鳩屋の小男が海賊に追いつめられ武器をはたき落とされてしまった。海賊の半月刀が小男に振り下ろされかけ た瞬間、少年が飛び込んできた。 「フィンチ!」 黒髪の少年は背後から短刀を海賊の腰に突き立てた。吹き出した返り血が少年の顔を染めた。 「…あ…」 少年の短刀を手放した両手が震えていた。 フィンチは間髪いれず渾身の力を込めて海賊を蹴って船縁へ押し退けた。短刀が縁に押されて刺さり、海賊は動 かなくなった。海鳩屋の面々は海賊達を次々に海に落とし、速度を上げて海賊船から離れていった。 フィンチは動けなくなっている少年の顔にこびりついた血をサッシュで拭ってやったが、乾いた血は落ちにくく、 半分も取れはしなかった。 「お前がいなかったら、オレぁ死んでたぜ。ありがとな、ベン」 フィンチは自分より少し小さいだけのベンの両肩をそっと抱いた。 「奴にとどめ刺したのはオレだ、お前が苦にするこたぁねぇぞ」 ベンは何も答えられずにぼんやりしていた。 その夜、ベンは眠れずに船室の外側の壁にもたれて座っていた。手に海賊の背に短刀を突き立てた時の硬いような柔 らかいような奇妙な感触が生々しく残っていた。血の臭いと臓器臭が鼻に沁みついてとれない。彼は夜空を見上げたが、 雲が垂れ込めていた。 時間が経っても眠気は一向に訪れてくれなかった。眠気の代わりに聞き慣れた足音が煙草の煙と同時に近づいてきた。![]()
「ベン、眠れないのか?」 「ジェイク…」 海鳩屋のリーダーJ・Jはベンの右に座った。ベンは俯いたまま口を開いた。 「…情けないよ、震えが止まらなかった。刺した時の感覚がまだ手にべったり貼り付いてるみたいで…」 J・Jの強面が少しだけ優しげに緩む。 「それが正常な感覚なのさ。最初から人を刺して平気な奴の方がイカレてる。肉食獣だってトドメの刺し方は母親か ら習って覚えるって話だぜ」 「そんなもんなのか?でも、俺は何があっても平気なつもりだった。俺は弱いのかな?」 「お前は初めてにしては落ち着いてる方だ。そういったショックで嘔吐したり、ちびったり、糞を漏らす奴も結構い るんだからよ」 「ふぅん…」 少年の顔は一向に明るくならない。 「分かるぜ、おれも昔…って言っても、たかが数年前の話だがな。初めて刃傷沙汰があった日には眠れなかった」 「J・Jが?嘘だろ?あんなに強いのに」 ベンが顔を上げた。 「おいおい、言ったろ?おれだってイカレてるワケじゃないぜ」 J・Jはくわえていた煙草の吸口をベンの口元に持っていった。 「ほれ、吸ってみ、思い切りな」 言われるままベンは煙草を吸ってみた。だが、吸い込もうとした煙は全て体が勝手に吐き出してしまった。咳き込む ベンの目の端に涙が滲む。 「何だよ、これ…」 「最初はそんなモンだ。でも、こういった悪い興奮を沈める効果もあるんだよ、煙草には。肺は真っ黒になるけどな」 ジェイクは悪ガキのようににたりと笑う。 「吸うならもう少し後にしておけよ。背が伸びなくなるって噂もあるからな」 「だったら最初から吸わせんなよ」 ベンが苦笑した。 「今日のことで、館で質の悪い客を追い払うのと、本気で命を狙ってくる海賊を追い払うのはワケが違うってのは、 お前も分かったろ?」 「うん…」 「それが戻れない道を進むって事なのさ。引き返すならためらいが無くなる前、つまりは今だ」 「いいや、引き返さない。絶対に!」 J・Jは強い視線で見つめ返してくる弟に真顔で向き合う。 「お前の運動能力を過小評価するわけじゃないが、いかんせん、お前はまだ体が成長しきってない。だから、ほれ」 J・Jは少年に銃を渡した。その銃は小型だが、改造されライフル並の狙撃力を備えた彼の得物の一つだった。 「銃は撃てるよな?」 兄貴は真剣な眼差しで弟に問う。 「ああ」 「お前は体の身軽さを生かして、見張り台か帆桁に上って狙撃しろ。敵の体のどこでもいいから必ず当てるんだ。外 せば自分の命も仲間の命も失う、そう思え」 「分かった」 少年は銃を両手で受け取り握りしめた。 「早いとこ部屋に戻って寝ろよ」 J・Jは立ち上がり見張りに戻る。 少年は膝を抱え自分の両肩にめり込むほど爪を立てる。 ”怖くない、もう震えたりなんかしない。目の前で大事なものを失うあの痛みに比べたら、こんなことは何でもない” J・Jは船縁にもたれて次の煙草を出し、火を点けた。 ”こうした経験はもう少し先延ばしにしたかったが、あいつが自力で這い上がって来ちまったもんは仕方ねぇか…” ため息と煙が曇った夜空に吸い込まれていった。 一ヶ月後、海鳩屋の面々は用心棒として大きな貨物船に乗り込んだ。そこにはベンの姿もあった。まだ延びきって いない黒髪を後ろで一つに束ねている。彼は自分と仲間の銃の整備を任されていた。 「それ、本物の銃?」 ベンが振り向くと彼よりやや年上らしき淡い金髪の少年が立っていた。フリルのついた白シャツに燕脂色のリボン タイ、紺の半ズボンと美しいボタンの品質が裕福な身分を物語っていた。 「玩具の銃で用心棒が務まるかよ」 ベンは不愛想に吐き捨てて彼に背中を向けた。 「君、幾つ?」 「海鳩屋のメンバーになったからには大人なんだ。年齢を答える必要なんてない」 少年はベンの隣にやってきた。 「じゃあ、せめて名前を教えてよ。僕はシド・ユースウェル」 ベンは振り向いた。 「ユースウェルってこの船の会社の?お坊っちゃんがなんでこんなとこに?」 「理由を教えるから、君の名前も教えてよ」 シドはにっこり笑った。ベンは精一杯不機嫌そうな顔を浮かべて見せた。 「…ベン・ベックマン」 「ふふ、素敵な名前だね」 シドは名前を教えると更に機嫌を良くした。ベンは内心毒づく。 ”髪の色の明るさと性格って比例すんのか?あいつも会った初っ端からこんな風に馬鹿明るくてなれなれしかっ たっけ…” ベンは苦笑すると意地悪そうな表情で脅しにかかる。 「お坊っちゃんがこんな海賊に狙われるような船に乗るのはお勧めできないな。海賊に捕まったら人質にされたり、 色子宿に売り飛ばされたりするんだぞ。とっとと次の港で降りたら、おうちでお勉強でもするんだな」 シドは動じなかったが、諦め顔でため息をついた。 「勉強は嫌いじゃないけど、やっても無駄なんだ。それに僕に人質の価値はないよ」 「…どういうことだよ?」 「僕の母親はユースウェルの愛人なんだ。だから、僕がどんなに兄たちより優れているかを証明しても大人は認め てくれない。船に乗りたいって言ったらすんなり認めてくれたよ。兄たちには許されないことでも、僕には許される。 それは僕の命があいつらにとって軽いから」 「ふ〜ん、お坊っちゃんの世界にも色々あるんだな」 整備する手を止めずにベンは喋る。 「まあね」 「だけど、うまくいかないからって拗ねてたって仕方ないじゃないか。俺もすごく辛いことがあってさ、心が壊れ そうになった。でも、うまくいかないってことだけに流されないために、二度とそんな思いを味わなくて済むように、 こうしてここにいるんだ。誰に言われた訳でもない。自分の意志で俺は海鳩屋のメンバーになったんだ」 ベンの瞳は自信に満ちていた。 「僕にもそんな生き方が出来るんだろうか…」 「そりゃ自分次第さ。自分の生き方を他の誰が決めるんだよ?」 「ふふ、そうだね。君の言う通りだ」 シドも笑った。 見張りが望遠鏡を構えたまま叫んだ。 「敵船発見!最近ここらを荒らしてるとかいうサボテンブラザーズだ」 黒髪の少年が名乗りを上げた。 「最初の折衝は俺に任せてくれないか?」 「出来るか?ベン」 リーダーが確認する。視線で答えるベンの目に迷いは無い。 ベンは双眼鏡をのぞき込み敵の頭の顔を確認した。 「手旗で合図を送ってくれ」 「何て?」 ベンが長銃を構えた。 「これ以上近づけば船長の命はない。脅しではない証拠にまずは左耳を撃つ」 手旗が終わらないうちにベンは撃鉄を引いた。 見張りが驚きの声を上げた。 「奴の左耳に命中した!」 「次は右耳」 ベンはまた手旗が終わる手前で引き金を引いた。通告が終わると同時に弾が届くよう計算しているのだ。 「すげぇぞ!ベン!また当たった」 見張りが興奮気味にはしゃいだ。 「互いに揺れてる船の上で狙い通りに撃てるってのか…?」 J・Jは驚きながら弟を見守る。 「折衝じゃなくて立派な先制攻撃じゃん…」 入れ墨だらけの腕を組んだケツァールが呆れ気味に呟いた。 一方、サボテンブラザーズ側はパニックになっていた。超長距離から狙撃され、反撃の術がないのだ。船長に 代わり、弟が指揮を取る。 「狙撃手を探して打ち返せ!」 見張りが叫び返した。 「それが…!子供が銃を構えているだけで…他には誰も銃なんて構えちゃいませんぜ!」 「馬鹿!そいつは囮に決まってる。どこか別の場所で大人が撃ってるに決まってんだ。見張り台とかガンデッキ に隠れてるかもしれん。そいつを探せ!」 数分後に見張りが叫んだ。 「でも、やっぱり見つかりません!」 「じゃあ、その子供でもいいから狙って撃ち返せ!」 狙撃手がライフルを構えた途端、ライフルの照準器が弾け飛び、狙撃手のこめかみから鮮血が吹き出した。彼は その場に崩れ落ちた。 獲物の船から手旗信号が送られてくる。 <ツギニシニタイノハダレカ?ナノリデロ> 弟分が叫んだ。 「仕方ねぇ!あの獲物は諦めろ!どうにも分が悪い。接近戦に持ち込む前に船員が半減しちまう。とり舵いっぱい に切るんだ。これ以上近づくな!」 海賊船は進路を変え、次第に遠ざかっていった。 海鳩屋のメンバーも貨物船の警備員もたった一人の少年に圧倒されていた。 青い髪をモヒカンに刈ったヘキサンがJ・Jの肩をたたいて興奮気味に口を開いた。 「すごいな、ベンの奴。足手まといどころか守護神に化けそうな勢いじゃないか」 「ああ…」 J・Jの目線の先にはあの夜に震えていた少年の姿ではなく、一人前に狩りで獲物を仕留められる若き獣が居た。 「我が弟ながら、末恐ろしい奴だぜ…」 ジェイクは獣のように歯をむき出して笑った。 イーストブルーのある田舎港 「なあ、副船長は幾つの時に船に乗ったんだ?」 ルフィがベックマンに訊ねた。 「そうだな、今のお前よりは大人だったな」 「もういいよ!」 少年は怒りながら立ち去った。少年の背中を見送る彼の脳裏に、成長しきらない自分を乗せると決めた船長の事を 思い出していた。 ”J・Jはあの時、どんな気持ちで俺を船に乗せたんだろうな…”
