追憶の椿姫

memoir of camellia

 

 赤髪海賊団は水と食料を最低限補給する為に小さな島に艦を留めた。

 島には椿の原生林が自生していた。椿は庭で手入れされている分には小さな木でいられるが、人の手を借りずに
長い年月を過ごすと大木に育つ。赤と白の大きな花が空を埋め尽くすように咲き誇る姿は見るものを圧倒する。
 椿の開花期間は三ヶ月近くと長いため、小さな鄙びた島もこの時期だけは観光客が増えるらしい。
 副船長は椿の森に足を踏み入れた。ブーツの先には紅白の椿が一面に散りばめられ、森の奥まで広がっていた。
銀髪の頭を上に傾ければ、葉と花が空に向かって溢れて出していた。


 シャンクスが土産物屋の前で暇を潰している。シャンクスは棚に並ぶ黄金の輝きを湛える小瓶を眺めた。
 「これ、何?ただの油にしちゃ高いね」
 ふっくらとした中年女性の店主が笑う。
 「これは椿油だからね、値が張るのは仕方ないの」
 彼女の口調はまるで小さな子を諭すかのようだった。
 「へーっ、椿ってあの赤や白の花の咲く木だろ?椿から油が作れるんだ。知らなかった」
 「実を搾って油を取るんだよ。この島の名産でね。高級化粧品なんだよ。髪の手入れにはこれが一番さ。艶々に
なるよ」
 「ふーん、それなら買っていこうかな」
 「おや、いい女がいるんだね?」
 「うん、灰金髪のかみさんにと思ってね」
 「奥さんにかい?いい心がけだね。おまけしてやるよ。これも持っていきな」
 店主は赤と白の椿の小さな花束を手渡した。
 「あんがとね、おばちゃん」



 副船長は椿の花森見つめる。
 ”椿ってのはこんな大木になるもんだったのか?”
 彼が幼き日を過ごした娼館には椿の木があった。育ての親の娼館の女将の声を彼は思いだした。
 「花弁と雄蕊をとって雌蕊の根元を吸ってごらん」
 幼年の彼は言われるままに紅い花に口づけた。ふくよかな香りと甘みが舌の先を湿らせた。
 「甘いね」
 「お前のお母さんもよくそうしていたんだよ」
 「ふーん」
 母は俺が物心つく前に死んだ。遺言は二つだけ。一つ目は葬儀もせず墓も建てず、金は俺に残して欲しい。二つ目は、
遺骸を埋めた上に紅い花の椿を植えて欲しいと言ったそうだ。
 母の顔はたった一枚の写真で覚えただけ。考えようにも感傷に浸ろうにも、それだけの記憶がなかった。
 俺が館を出たあの日、椿は俺の背丈ほどだった。
 今、初めて母について疑問が浮かんだ。彼女は何故この花を自らの墓標に選んだのか。



 日が暮れた港の酒場で副船長は一杯飲んでから艦内の自室に戻った。
 何故か自分の部屋に明かりがついていた。察しはついている。そんな男は一人しかしない。
 「よっ!お帰り。待ってたんだぜ」
 椅子に座っていたシャンクスは紙袋を掲げて見せた。
 「何だ?その紙袋」
 「椿油の整髪料だよ。どうせお前は、煙草と銃の備品しか買ってないだろ?」
 「余計なお世話だ…」
 副船長は口をへの字に曲げてベッドに座った。
 「ほら、こんなおまけも」
 シャンクスが椅子を離れ、椿の花束を顔の真ん前に差し出した。
 ”女に買ったと思ったんだな。相手が俺と分かったら腰を抜かすぞ…”
 副船長は花束を手で押し退けながら思った言葉を胸の内にしまう。シャンクスは花束の持ち手を残っている左上腕部に
挟み、右手で一本の紅椿を引き抜いた。
 「ほら、似合う」
 シャンクスが戯れに花を銀髪に挿した。
 『紅い花がずっと咲いていれば良いのにね…』
 花の感触を感じると同時に副船長の耳に女性の声がよぎった。
 ”今の声は?まさか母の…?”
 副船長は呆然としながら髪から花を取り除いた。
 「枯れるまで合図に使うか?良い日は白い花で駄目な日は紅い花とかさ」
 「…俺に月の障りはない」
 副船長が怒り含みに呆れる。
 「紅い花の時はしないのなら、ずっと紅い花にしとくか?」
 副船長が意地の悪い笑みで切り返す。
 「冗談よせよ!お前にずっと触れないなんて無理!」
 「…ぁ…」
 副船長がぼんやりと何かを思い出したかのように呟いた。
 「どうした?」
 シャンクスは返された一本の花と花束を机に置いて副船長の横に座った。副船長の左手がそっとシャンクスの頬に触れた。
 「ん?」
 頬に触れた手はそのまま首筋に移り、シャンクスの頭はその手に引き寄せられた。引き寄せられた顔に副船長は自分の顔
を、唇を重ねる。唇を挟み、舌をするりと滑り込ませ濃密に貪っていく。シャンクスは煙草と酒気の残る口から与えられる
快楽に恍惚となった。長い接吻が途絶えるとシャンクスは放心しながら恋人に問う。
 「どっ、どうした?今夜はいやに積極的だな」
 シャンクスの体は既に奮い立っている。
 「嫌か?」
 「大歓迎!」
 シャンクスは夢中で恋人に覆い被さった。情交には消極的な想い人が今日は余裕のある笑みを浮かべている。その表情の
妖艶さにシャンクスは我を忘れてむしゃぶりついた。
 シャンクスは恋人を自分の上に座らせて体を繋げた。恋人は額や頬、耳に口づけを降り注ぐ。
 「んっ、ふっ、…あ!」
 穿っているシャンクスの方が悩ましい声を上げた。
 ベンは背を丸めて上下とも体を繋げた。
 やがてどちらからともなく柔らかく大きな波に呑まれていった。
 息の乱れたシャンクスは恋人の目を見つめる。
 「これ一回で収まりそうにないんだけど、続き、いいか?」
 恋人は微笑んで予想外の返答をした。
 「…欲しいだけくれてやる」
 「本当〜vvv!」
 喜色満面でシャンクスは恋人を抱き寄せた。
 副船長は恋人の体を感じながら目を閉じた。

 心を許した相手にだけ肌を許す。その選択を許される事が最高の贅沢なのだと気付いた時、少しだけ母という(ひと)の哀しみが
見えたような気がした。
 せめて魂だけは誰にも触れられぬ様にと、紅い椿は彼女の切なる願いだったのだ。
 もう彼女は紅い花に守られて、誰の手も届かない。
 きっとあの椿は今、大樹となって紅い花で彼女の骸を埋め尽くしているに違いない。

 赤と白の花束の向こう、シーツの上で紅い椿と白い椿は互いの体を強く束ね合わせていた。


 
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