海賊王か、懐かしい言葉を聞いた。 ミホークは船の上で静かに微笑んだ。あの熱い若者たちに出会ったせい か、鮮烈に彼の若かりし頃の記憶が蘇った。海賊王という男の記憶。 ミホークが長い船旅からアジトに帰りつくと、いつもと雰囲気が違う。 侵入者か?ミホークは体中の神経を集中した。気配は居間にあるらしい。 そっと気配を消して近づく。 「よお、ミホーク」 いきなり声をかけられた。 一人の男がソファに座り悠々と酒を飲んでいる。バサバサした黒髪に長 い口髭、忘れられない風貌の男。 「ロジャー?」 「邪魔してるぜ」 ロジャーはグラスを持ち上げてみせた。 「何のつもりだ」 ミホークは怪訝な顔で答える。 「坊やの顔が見たくなってな」 ミホークは用意されているもう一つのソファに座った。 「まあ一杯やれよ。良いコニャックが手に入ったんだ」 円卓の上にはグラスがもう一つ用意してあった。 ロジャーは広い居間を見回して言った。 「それにしても広い家だな。部屋が幾つもあって、どれも豪華な作りだった。 どっかの金持ちの元別荘ってところか」 「海に近い適当な空家を調達してくれと言ったら、ここだった」 それを聞いてロジャーは吹きだした。 「賞金首が言えば、不動産屋もさぞや恐ろしかっただろうな。お前は目つきが 厳しいからなおさらだ。そう言や、しばらくの間に賞金額が上がったな」 「そういったことに興味はない」 ロジャーが笑っても、彼の厳しい表情は変わらない。 「その様子じゃ、黒刀はまだ見つけていないか」 ミホークは黙ったまま、グラスに手を伸ばす。 「あれは、一年半前のことか。そう昔のことじゃないのに懐かしく感じるな」 ロジャーはグラスを揺らしながら言った。 港には海賊船が停泊している。片田舎の平和な町の住人たちは、恐れて波止場 に姿を現そうとはしない。 人通りのない大通りを大きな刀を背負った若者が一人歩いていく。彼は堤防に たむろする海賊たちに近づいていった。 「一つ尋ねたき議があって参った」 刀を背負った若者が尋ねた。 「なんだ?」 船員の一人が問い返す。 「貴殿らには黒刀を奪った覚えが?」 「さあな」 「答えなくちゃいけないのか?」 船員たちが睨みをきかせる。若者はひるまずに言う。 「剣のことは剣で決めるべきかと心得る」 「面白い、相手になろうじゃないか」 海賊の一人と若者が同時に剣を抜いた。 若者との決闘を囲んで周りが野次を飛ばしているのが、船から見える。舟の上 でも、野次馬の人だかりが出来ていた。 「何をやっとるんだ?」 騒ぎを聞きつけて、海賊船の主が船室から出てきた。 「お頭」 船に残っていた全員が彼のほうへ注意を集中させた。 「祭りでもやってるのか?」 船長が尋ねた。 「なんでも、若いのが黒刀を盗ったかと喧嘩を売ってきたそうで」 「そいつらは何人だ?」 「一人です」 「一人片付けるのに随分てこずってるじゃないか」 「ガキ一人に多数で襲い掛かるのも、大人気ないと一対一でやってるんですが 彼奴は結構強くて、もう五人抜きを果たしました」 「そいつは面白そうだ」 船長はにやりと笑った。 剣のかち合う音が止んだ。海賊が剣を落としていた。 「次は俺だ!」 船長は叫ぶなり船から飛び降りた。 着地と同時に野次馬たちが後へ下がる。 ミホークは飛び降りてきた男を見つめた。賞金首のビラで幾度となく見た顔。 この男が海賊王、G・ロジャー…。 「今度は俺がお相手しよう。申し遅れたが、この艦の船長だ。相手にとって 不足はなかろう?」 「望むところ。いざ、参る」 若者は駆け出して、ロジャーに斬りかかっていった。 だが、ロジャーは若者の一太刀をなんなくかわした。若者の浴びせるような剣 舞を彼は見物するかのような余裕で自分の剣でその流れを変える。 若者の顔に浮かぶ焦りの表情。剣はさらに速くなる。 「俊敏にして大胆。センスも良いし、無駄な動きも少ない」 呑気に若者の評価をしながら剣を交えている。 ロジャーの剣が大刀を絡め取る様に動いた次の瞬間、大刀は若者の手から離れ 宙を舞って地面に突き刺さった。 「だが、まだ青い」 剣の切っ先が若者の顎の前に突きつけられた。 「俺に戦いを挑んでくる奴は珍しくないが、たった一人で、しかも何かを求めて 挑戦してきたのはお前が初めてだ。お探しの世界最強の黒刀は残念ながら俺の戦利 品にはない。今のところはな」 最後の部分を強めて語るロジャーを、若者は睨むように見つめた。 「なんなら、うちの宝物庫を気が済むまで探してみるか?」 ロジャーが申し出た。 「俺は敗者だ。そんな権利はない」 若者は膝を折ってその場に座り込んだ。 「俺にはくれてやるものが何もない。あるのはこの命だけ。さあ、殺せ」 「お頭、こいつはあのジュラキュール家の御曹司じゃないか?」 船員の一人が驚いたように声を上げた。 「ジュラキュールって、あの伯爵家のか?」 横にいた男が聞き返す。 「ああ、確か家宝の黒刀が盗まれてから、本家の息子が家出したって噂があっ たが、本当だったんだな」 今度は別の男が言った。 「そういや、ジュラキュール伯爵に似てる」 また違う男が呟いた。 「家のことは関係ない」 ミホークは吐き捨てるように言った。 ロジャーが質問する。 「家を捨てたのなら、何故家宝にこだわる?」 「答える筋はない」 「あるさ。敗者は勝者に従うものだ」 ミホークはロジャーを見上げた。 「ジュラキュール家はかつては武門だった。だが近衛から爵位を得て立場が変 わり今は貴族として堕落の一途にある。命であった黒刀も飾り物と化し、奪われ ても、誰も自ら取り返そうとはしない」 「それで?」 ロジャーがさらに問う。 「飾り物みたいな人生から抜け出したかった。黒刀を本当に使えるようになれ ば、自分を変えられるような気がしたのだ」 ミホークは叫ぶような強い調子で語った。 「自由意志というやつか」 ロジャーは満足そうな笑みを浮かべる。 「だが、せんなきこと。負けて命を失う俺にはもう必要がない」 ミホークは目を伏せた。 「そこまで言うなら仕方ない。目を閉じろ」 ミホークは力を入れて目を閉じ、体を強張らせた。剣がどの方向から振り下ろ されるのか、意識しまいとしても耳は音を求める。 何かで口を覆われた。唇の上を這う柔らかい感触、かすかに当たる固い毛のよ うな感触。ミホークは目を開けた。ロジャーの顔が眼前にあった。ロジャーは一 瞬目を開けてミホークの顔を見たがすぐに閉じ、舌を挿し入れて接吻を続けた。 ようやく彼は顔から離れ、にやりと笑った。 「戦利品を頂いた。命を奪う必要はない」 ミホークは何が起きたのか分からないまま体を硬直させていた。 「お頭、女も男も見境ないから」 「かわいい顔してるもんな」 船員たちが次々にからかうがミホークの耳には入らない。 「俺が黒刀を手に入れたらまた挑戦しに来るがいい」 ロジャーはそう言ってコートを翻した。 船員たちはミホークを振り返りながら、口々に声をかける。 「また、手合わせしようぜ」 「元気でな」 まるで友達と別れるように彼らは艦に戻って行った。 これが、ミホークとロジャーの最初の出会い。 「あれは楽しかった」 ロジャーは悦に入る。 「昔話を好むのは年をとった証拠だ」 ミホークはむすっとしたまま言った。 「こりゃ一本取られたな」 「いい加減にしてくれ。そんな昔話をするために来たわけではなかろう」 ミホークがたしなめた。 「じゃあ、本件に入ろう。ある筋から聞いた話だが、世界政府がプライベー ティアの他に特別枠を設けるそうだ。その枠は七人までになるらしい」 「それが何だと言うのだ?」 「その七人には賞金がかからなくなる。つまり、海軍や賞金稼ぎから命を狙わ れることはなくなるわけだ」 「分からん」 ミホークは横に首を振った。 「お前もその枠に入れ」 ロジャーの命令に一瞬驚いた後、すぐに憮然として答えた。 「断る」 「ジュラキュール家は世界政府の王族たちとも縁が深い。お前ならばその 枠に入れる」 「飼い犬の生活に戻れとでも言うのか!」 ミホークは強く叫んだ。 「家柄を利用するのが嫌なら、俺を政府に差し出すって手もあるぞ」 「そんなことが俺に出来るものか!」 ミホークは興奮していた。ロジャーはなだめるように話題を変える。 「今晩はここに泊まることにしよう。お前が承諾してくれればの話だが」 「勝手にするがいい」 ミホークは居間を出て行った。 深夜、扉が音もなくゆっくりと開いた。 天蓋つきのベッドの中ではロジャーが寝息を立てている。天蓋から垂れ下がる 薄布を退けたのはミホークだった。 彼は馬乗りになってロジャーの喉に短刀を突きつけた。 長い沈黙と静止。 「起きているのだろう。何故抵抗しない」 ロジャーが片目を開けた。ミホークは尋ねる。 「あの言葉は冗談ではないと言うことか?」 「未来の大剣豪の為に踏み台になるのも悪くない、と思ったのさ」 「そんな下らぬ死に方は許さん。何ゆえに、ここまで築き上げたものを今になっ て放棄するような馬鹿げた真似をする?」 「人生の価値は時間の長さじゃない。得た財産の金額でもない。限られた時間内 にどれだけのものを残せるかどうか、それが重要なのさ」 「俺にはあなたが分からない」 短剣を放り出したミホークの目に涙が浮かんだ。涙は止まらず頬を伝い、ロジャー の胸に落ちた。月光がかすかにその表情を照らす。 「泣くなよ。そそられちまう」 ロジャーの手がミホークの顔に触れる。 「俺は我慢の出来ない男でね」 ロジャーはミホークの体を組み敷いた。彼は抵抗しなかった。どんな方法でも 構わない、この男を知りたいと思ったのだ。 前回の戯れとはまるで違う接吻。舌を吸われ絡め取られるような気さえする。やが て、彼の唇が喉元を這いはじめると、ミホークは身じろぎしたものの、されるがまま に体を預けた。シャツのボタンが外される。胸や腹に愛撫が及ぶと、ミホークの息が 乱れ始めた。ロジャーの頭が彼の太腿の間に埋まると、彼は腿で頭を挟み手で掴んだ。 息はさらに荒くなり、体が震える。指が内部へと押し入ってきて、彼はたまらず背中 をのけ反らせた。指の感触から開放されたかと思うと、すぐに体の奥を突き破られる ような痛みを感じた。 ミホークは呻き声をこらえている。 「我慢することはない。自分に正直に生きたいと願っていたんだろう?」 ロジャーの指がミホークの固く閉じた口に滑り込み、彼は深い溜め息をついた。 彼は喘ぎながら、体の底から突き上げられような波に呑まれていった。 ロジャーの交わりは一度では終わらなかった。力の抜けたミホークの体に舌を這わ せ、隙間を残さぬかのように愛撫し始めた。 熱さに包まれるうちに、今までずっと心の底に固く閉じ込めていた感情が吹き出し てきた。うわべだけの貴族社会に対する怒り、それに隷属してきた自分への憤り、家 を飛び出してからの孤独と焦りと不安。自分の深部に人を入らせたのは、彼にとって 初めてのことだった。 頬に伝わる涙を吸われ、彼は自分から相手の舌を絡めとり温もりを貪った。自分を 奪っている男に夢中でしがみついていた。 部屋には静けさが戻っていた。 「まるで、『自分は死ぬが俺にその分を生きろ』と言っているように聞こえる」 ミホークが呟いた。 「当たらずとも、遠からずってとこだな」 「何を企んでいる。それも、自分の命の終わりを利用してか?」 ロジャーが鼻で小さく笑った。 「不死の人間がいないように、終わらない夜もない。俺がこの長い夜を終わらせる」 そう言うと、彼は闇に手を伸ばした。 「夜が明けるとどうなる?」 ミホークが尋ねた。 「新しい時代が来る。お前たちのような男たちが本気で生き抜くことの出来る時代 だ。お前にはその時代を見届けてもらいたい」 真剣な眼差しをミホークは受け止めた。 「何故俺に?」 「若く強い者にしか頼めないのさ。ミホーク、お前なら出来る」 ミホークは体を預けるようにそっとロジャーの胸に顔をうずめた。 「分かってくれるか?」 ロジャーはミホークの頭を撫でながら聞いた。ミホークの頭が小さく頷いた。 目が覚めると、横にいたはずのロジャーの姿がない。起き出そうとベッドを探 るミホークの手に固いものが触れた。それを掴んで確かめようと持ち上げたが、 思いのほか重く、容易には持ち上がらなかった。 刀?ミホークは跳ね起きた。ベッドの上に無造作に置かれた剣。大きな十字架 のような形。黒い鞘。柄の装飾。鞘をずらして刀身を見る。彼の記憶にある黒刀 そのものだった。 机の上には一枚の紙があった。窓の外は朝焼けの紫紅に染まっていたものの、 書いてある文字を読めるほどの光はなかった。ミホークは急いで蝋燭を灯し、 走り書きを読んだ。 "先日の戦利品だ。楽しませてもらった礼に置いて行く。 この刀にふさわしい剣豪になれ" 部屋の窓を開けると、冷たい空気が体中に触れた。朝焼けに染まる海の向こう に小さく帆船の影が見える。それが、ロジャーの艦であるか確かめる術はなかっ たが、彼はそれが水平線に消えるまで見つめていた。彼の冷えた体を日光が少し ずつ温めていった。
