深夜、凪の水面には半月がその姿を崩さぬまま映っていた。 赤髪団の艦ファーブニル号に、黒い影が閃いた。見張りの目にもとまらぬ速さで。 黒い影はある部屋へと近づいていく。船長室にはシャンクスと副船長が眠っていた。 副船長が気配に気付いた。片目をうっすら開けて、体を極力動かさぬように枕の下に 手を差し入れる。船内用の剣「カトラス」が万が一の場合に備えてあるのだ。 人影が部屋に入ってきた。副船長のカトラスが影を突く。 金属音が部屋に響いた。 敵は四本の細い刃物でカトラスを受け止めていた。刃物の根元には黒い毛皮の手袋。 窓からうっすらと入る月明かりが敵の姿を映す。暗闇に慣れた目がとらえたのは見覚 えのある顔だった。 「クロード?」 「剣を引け、戦いにきたわけじゃない」 クロードと呼ばれた男は猫の手の剣先で挟んでいたカトラスの刃を離す。 「突然来ておいて言うのも何だか、前ぐらい隠したらどうだ」 全裸だった副船長が毛布を腰に持っていった。彼はシャンクスの相手をつとめた後だ ったのだ。言い返せない彼にクロードは追い討ちをかける。 「海賊になったと聞いて来てみたら、男同士で腹を重ねて寝るまでに堕落していよう とはな」 大きなため息をついて男は続ける。 「兄さんはお前をそんな風に育てた覚えは無い」 「育ててねぇだろ!腹違いなんだから」 副船長が小声で言い返した。 「で、クロード。いや、今はキャプテン・クロか。何の用だ?」 副船長は煙草に火をつけた。オレンジ色の光の向こうに見えるクロの顔は以前よりも 険しさを増していたように彼は感じた。 クロが表情を変えずに話を始めた。 「軍が海賊狩りを強化してるだろう」 副船長は事も無げに言葉を返す。 「むこうはそれが本業だからな」 クロは掌で眼鏡を上げた。 「同盟を組める強い海賊を探しているが、なかなか見つからない。お前たちとなら組 んで戦力が上がると思って来てはみたが・・・」 「却下」 クロの申し出を遮るように副船長は即答した。副船長は続ける。 「あんたとこの男じゃ水と油だ。上手くいく筈がない」 副船長はこの騒ぎに気付きもせず幸せそうな顔で熟睡している赤髪の男に眼を遣る。 クロもその男の寝顔を一瞥する。 「俺も、この男の馬鹿面を見たらその気が失せたと、今言おうとしてたトコだ」 副船長は言葉を失う。 クロは神妙な顔をして、副船長の目を見た。 「ベン、お前だけでも俺のところに来ないか?こんな片腕の男の側にいて何になる」 副船長はクロの目を見つめて返す。言葉で返す前に、すでにその目が語っている。 クロはその返事の内容を分かっていながら待った。 「この男としか行けない海があるんだよ。俺はそれを見てみたい。ただ、それだけだ」 酔ったような台詞だったが、副船長の瞳は真剣だった。 クロは大きなため息をついて、質問する。 「そんなに俺が嫌いか」 「好きになれないだけだ、嫌ってるわけじゃない」 そう答えて副船長はクロから視線をそらす。 「同じ事だろ・・・」 クロは踵を返した。 「交渉は決裂だな」 背中を向けたまま振り返らずに言った。 「そういうことだ」 クロは副船長の返事を肩越しに聞いた。 クロの気配が消えた後、副船長は隣で眠り続けるシャンクスの頬を軽くつねった。 「あんたのおかげで、かかなくてもいい恥をかいたよ」 シャンクスは「むに?」とつぶやいたが眼を覚まさなかった。 小船がファーブニル号から離れていった。 クロは小船の中で仰向けに倒れこむ。彼は夜空を見上げながら数ヶ月前のことを思い 返していた。 ある港町の病院で、彼は一般人のフリをして診察を受けた。 若いけれども貫禄のある医師がカルテから目を上げて説明を始める。 「先天性の眼の疾患ですね。残念ながら、今の医学では治療する術がありません。この まま視力は落ちていく一方です。目が見えるうちに点字の学習や、盲導犬などを扱う訓 練などを行うことをお勧めします」 その話を中断するようにクロが質問する? 「眼が見える期間は後どれだけです?」 医師は躊躇したものの、真剣な表情で答えた。 「長く見積もっても、五年ですね」 「そうですか」 クロは返事と同時に立ち上がって部屋を出て行く。 医師が呼び止めて忠告を続けようとしたが、クロの耳には届かなかった。 俺は海を夢見て海賊になったわけじゃない。十五の時に自分の眼がやがて見えなくなる ことを医者から内密に告知された。同情されることが嫌で故郷を捨て、手っ取り早く一生 分の金を稼ぐ為にアウトローの道を選んだ。だが、集まる手下どもは使えない奴ばかりで、 稼ぎも思うように上がらなかった。 さらに病状は進行する一方で、かつては「杓死」の技で仲間を区別して殺さないように していたのだが、最近ではそれが出来ずに巻き込んでしまうようになってしまった。 ベン・・・変わらないな、昔から。 お前だけは、俺の思い通りにならなかった。 俺を上回る才能を持ちながら、お前はその才能を俺の為には使ってくれなかった。本当 は、何人もの馬鹿どもに崇拝されるよりも、お前一人とコンビを組みたかったのだ。 彼の脳裏に少年の日の出来事が過ぎった。 「クロード、見てご覧よ。向こうに船が」 ベンが指差した水平線上の船が、クロの目にはぼやけて見えた。 「あの向こうには何があるんだろうな」 ベンはまっすぐ水平線を見つめている。 ベン、俺には見えない。水平線の向こうも、明日さえもだ。 クロは眼鏡をずらして月を見た。彼の肉眼は月が満月なのか半月なのかさえ捕らえられ なかった。 海賊を続けたって、俺の欲しいものなんて何一つ手に入りゃしない。 クロは右腕で両目を覆った。 「辞めてやる、海賊なんて」 こめかみに涙が伝った。 数ヵ月後。 クロは目が悪くなっていることを悟られぬように本を読むフリをしながら、彼の舟の副 長に言った。 「ジャンゴ、俺は舟を降りるぜ」
