唐突だが、『鷹の目』ことジェラキュール・ミホークが、意外と飲ませ上手だと
言うことは非著名な事実である。武人としては相当に良家の出身である彼が受けた
躾の中には、酌み交わす席で手酌は不作法であるという項目が含まれていた。この
マナーを遵守する限り、誰かに注いでもらわなければお代わりは出来ない。と言っ
て、バーテン相手なら兎も角、同席の連中に注いでくれとあからさまに要求するの
も何となく嫌だ。妙なところで気を使う、と自分でも馬鹿馬鹿しく思いはするのだ
が、拘りや気質というものは本人にもどうにもならない部分がある。
手酌はいかん。しかし出来れば心ゆくまで飲みたい。で、思案の末、彼は返杯と
言う習慣に行き当たった。大体どんな土地でも、これは酒席の作法の一部と考えら
れているだけに汎用性がある。要はタイミングを計って注いでやれば良いわけだ。
そうすれば自然に、場の流れを壊さず注ぎ返してもらえる。
相席のグラスの空き具合を見るともなく図ってボトルを差し出したのも、そんな
いつもの習慣に乗っ取っての流れの内だった。剣術修行で培った呼吸の読みはこん
な場合も有効らしく、大抵の相手なら本人が意識する前に、ミホークの動きにつら
れた手の方が勝手にグラスを差し出してくる。
「いや、済まんがもうここまでだ」
「酔ったようには見えぬが?」
すまなそうに、しかし断固として酌を断られて、ミホークは怪訝な眼差しで隣席
の黒髪の青年−−−実年齢はまだ10代だそうで、上に伸びる方にエネルギーをと
られて、骨格の割に幅と厚みが追い付かない、成長期にありがちな体型だが、端正
な所作は少年とは形容しがたい−−−の顔を観察した。やや頬に赤みが差している
程度で、ろれつはしっかりしたものだし動作にもアルコールの影響は殆ど見られな
い。既に46プルーフのバーボンをボトル3本転がしていることを考えれば妥当な
台詞と言えなくもないが、まだまだいけそうな風情ではある。
そう指摘すると、
「…酒癖が悪いんだそうだ、俺は」
「ほう」
双方大真面目だ。端から見るとかなり可笑しい。
面白い男が仲間に入ったと聞いたが、とミホークがシャンクス率いる海賊船を訪
ねてきたのが数時間前。ミホークも大剣豪に一番近い男、と目されているが−−−
この時点では、まだ彼はその座を射止めていない−−−シャンクスも勝るとも劣ら
ない腕利きで、剣を通じて大分以前からの顔見知りである。一応新入りの男、つま
りベックマンが目当てで遙々やってきたわけだし、と相席を割り振られて、甲板で
涼しい海風に吹かれながら戦術談義や各地の動向などを肴にのんびりとやっていた。
「ほんと?副船長が酔ったトコなんて見たこと無いけど」
現状では唯一、鷹の目相手に食欲を落とさないマイペースぶりを鑑みて差し向か
いの席に着いていたラッキー・ルゥが、それでそれで?と身を乗り出してきた。も
う一人、ミホークを平気でツレ扱いできるシャンクスは、刀装具の新調に出向いた
先で足止めを喰ってまだ戻ってきていない。
「大分前、学校の寮の歓迎会の時の話なんだが」
言葉を切って、チェイサーの水を一口含む。ミホークは興味を隠さない顔で続き
を待った。珍しいことだ。異名の由来となった金色に光る目は、刺し貫くほどに強
い眼光を宿しながらも、まさに猛禽のように感情を表面に表すことがない。
ミホークは、以前からベックマンにひとかたならぬ関心を抱いていた。数年前、
それまで金銭にさしたる執着を見せなかったシャンクスが、突然遮二無二蓄財し始
めた時、一体どうしたのかと尋ねたことがあった。見事な赤毛を戴いた海賊は、恐
ろしく真剣な顔でこう答えた。
『どうしても仲間にしたい奴がいるんだ、でもそいつ、今それなりの立場がある
奴でさ、飛び込んでこいってどーんと言えるぐらいの巣を作らなきゃ迎えに行けな
い』
大体何事もハッピー・ゴー・ラッキー、楽観の権化の極楽蜻蛉にこれだけのこと
を言わせたのだ。興味を持つなという方が無理であろう。
「朝起きたら、宴会に最後まで居た奴らが妙にぼろぼろになっていてな。それで、
お前酒癖が悪いぞ、と」
「憶えておらぬのか?」
「恥ずかしい話だが…」
こりこりと、面映ゆげに耳の後ろを掻く仕草がアンバランスに年齢相応で、ミホ
ークは腹の中だけで僅かに相好を緩めた。ほんのりあったかい気分だ。微笑ましい、
とでも言うか。
「ガッコ入ったばっかりっていったら10代前半デショ?しょうがないと思うけ
どなぁ。何やったの、暴れたとか、絡んだとか?」
「だから憶えていないと言っている」
憮然とした顔に奇妙なかわいげがあった。年増女や場馴れした男が騒ぎそうなか
わいさだ。
「構うまい、飲め」
「いや、しかし」
「いーっていーって、暴れたところで、ミホークがいるんだヨ?ちょいちょいの
ぷうで片付けてくれるって」
「…絡んだらどうする気だ」
「そういうのはボクの担当。論戦愚痴泣き言何でもこいだね。ってことでぐいっ
とイっちゃえ」
「どん」と言うか「ばよん」と言うか微妙な線の音を立てて、ルゥは反っくり返
って胸を叩いた。肥りすぎてトンボが切れなくなった道化師のような見てくれから
は想像もつかないが、これで口舌の戦にかけてはベテラン官僚顔負けの強者だ。十
代の酔っぱらいをあしらって寝かしつけるくらい、朝飯前の軽いおめざにもなりは
しない。おまけに、暴力沙汰も苦手ではないと来る。流石にシャンクスやミホーク
の人間離れを極めたというか、生物学会に科だか目だかを新設する動きが見られな
いのが不思議なぐらいの破壊力には見劣りするが、それでも海賊として侮られない
だけの技量と腕力はある。
その道の達人二人にアフターフォローは任せとけ、と言いくるめられ、ベックマ
ンは不承不承グラスを差し出した。
更に5杯ほど重ねたあたりから、様子がおかしくなってきた。口数が減り、上半
身が不規則に揺れ始める。
そろそろか、と思いながら、ボトルを取り上げようとしたミホークの手が不意に
止まった。酷く透明な気配でまじまじと見据えられて、思わずたじろぐ。
目つきが、違う。酔っぱらいと言うより、異常に賢い獣の表情だった。感情はあ
る、意志も感じられる、知性の光は見違えようもない。だが、言葉が通じる気がし
ない。何か、全く異質な論理体系で思考する生き物を見ているようだ。不機嫌では
ないようだが…。
ふんふんと、頬をすりつける仕草で、黒髪の副船長の鼻面が空中に静止したミホ
ークの手を嗅ぎ回した。僅かにかかる吐息がくすぐったい。
そして、おもむろに。
かぷ。
今度こそ、ミホークとルゥの目が点になった。動揺も露わな視線も知らぬげに、
目尻を下げて、ベックマンは嬉しそうにミホークの小指の付け根にかぶりついてい
る。文字通り。名だたる剣士に相応しい、上質のなめし革に似て強靱だが柔らかな
掌の感触が気に入ったのか、しきりに甘咬みしながら高く張った関節をなめ回して
くる。反射的に引こうとした手をはっしとばかり両手で掴まえて、更にかぷかぷか
ぷ、ぺろぺろすりすり。
「虎になるヒトはたまにいるけど…」
「猫だな、これは…止さぬか、くすぐったい」
普段を知るものならどうしちゃったんだと恐慌を来すんじゃないかと言うか、自分
でも酒が過ぎたかと首を捻るぐらい優しい声が出た。
それでルゥも我に返った。
「こらこら、駄目デショそんなもの食べちゃ。止めなさいって」
酔態もここまで突拍子もないと面白いぐらいだが、剣士の利き手をこんな風に扱っ
て良いわけがない。
脱力しきって、ふにゃんと頼りない感触の体をミホークから引き剥がし、
「はい、いい子いい子。こっちにおっちんしなさいねー?」
出来ればこのまま寝かしつけてしまえ、と腹を枕がわりに寝そべらせる。分厚い筋
肉をたっぷりの脂肪で包み込んだ限りなく球体に近いフォルムの胴体は、クッション
が効いて気持ちいいと、実は密かに妓楼のお姐さまがたの間で評判がよかったりする。
寝心地には自信があった。
甘かった。喩えるなら八宝飯にてんこ盛りのバナナカスタードを添えてチョコレー
トシロップをぶっかけたほどにも激甘な了見だった。
猫という、古来綿々と愛玩の対象となってきた動物の中には、構って構って、膝枕
大好き、でも抱っこは嫌い、などというどうしようもない我が儘を通す輩も存在する
のである。
ひとまず大人しくなった人型の大猫に、何だこりゃ、とでも言いたそうな顔でぺふ
ぺふと腹を叩き回されて、ルゥは苦笑とも何ともつかない笑みを漏らした。乱れた束
ね髪を手櫛で整えてやるついでに耳の下を擽ってみると、鳴らせるものなら喉をごろ
ごろ鳴らしそうな上機嫌で頬から首筋にかけてを手に擦りつけてくる。
(何かこー、そういえば猫のマーキングってこんな感じだったような…?)
「えっと、どっかに肉球付き猫パンチグローブが無かったかなー?」
「何だそれは」
「おバカ宴会グッズ。付け耳とセットになってる奴。そういうのが好きな乗組員が居
るのヨ、似合いそうな気がしない?」
鷹の目は賢明にも返答を避けた。代わりに、
「ところで、つかぬ事を尋ねるが」
「何?」
「何故一房だけ長さを違えてあるのだ?」
節の高い無骨な手が、副船長の額を指した。一房だけ束ねるには短すぎる前髪が、
緩い螺旋を描いて顔にかかっている。
「んー、ちょっとね、こないだ切っちゃった」
「ふむ」
それだけで納めてくれた剣士に、ルゥは感謝を籠めてお代わりを注いだ。言外の
『わけありなんだよー、つっこまないでねお願い』は通じたらしい。自分が話題に
されているのがわかっているのかいないのか、ベックマンは今度は差し出されたミ
ホークの手に気を取られている。もう一度掴まえようとして僅かに届かず、薄い唇
がへの字にひん曲がった。
実を言うと、ベックマンの不揃いな前髪は、彼が仲間に入る過程でのすったもん
だの名残である。副船長ゲットしてきたぜー、と巫山戯た口上と共にシャンクスに
連れてこられた−−−と言うかお持ち帰りされてきた−−−−海軍第七艦隊、通称
猟犬艦隊の少佐殿は、被害総額607万とんで452ベリー、船体構造に深刻な損
傷をもたらしかけた力業の説得の末、ついに根負けして一つの条件を引き替えに赤
髪海賊団に止まることを承諾した。
「発つ鳥跡を濁すべからず、だ。しがらみは整理しておきたい」
全く正論だ。反論の余地もない。
海軍は、脱走者を黙って見送ってくれるほど危機管理能力に欠けた組織ではない。
お尋ね者になるのはみんな一緒だからまあ良いとして、忘れた頃に彼の前歴を内訌
の種に切り崩しを図られてはかなわない。それに、短期間に驚異的な戦績を叩き出
した高級将校が海賊に転業したとなれば、真っ先に疑われるのは敵との癒着である。
裏取引でもしていなければ、あんな若造以前のひよっこがあれほどの成果を出せる
はずがない、ばれて審問にかけられる前に逃げ出したのだと言い出す輩が必ず出る
はずだ。ベックマンの周囲、特に部下が徹底した追及に晒されるおそれは、杞憂と
ばかりは言い切れなかった。実際、第七艦隊は、過去4回にわたって内通発覚を発
端とする大量粛正を記録している。海軍上層部でさえ、あんな破落戸の集まり、実
績がずば抜けているから存続を赦しもするが、ひとくくりに扱われるのは非常に不
本意だと公言する将校が珍しくないぐらいだ。今回の件が5回目の不祥事に発展し
ない保証はどこにもない。
禍根を放置するわけには行かない、と主張して一歩も引かない姿勢は、いくらお
頭がご執心とは言え所詮は海兵、と些か白眼気味だった乗組員達の視線の温度を変
えた。ベックマンの訴えは、法に守られていない分、堅気以上に筋を通すことを重
んじるアウトロウの倫理観に通じる部分があった。結構話せる奴らしい、と感じた
海賊達の態度は急速に軟化した。
急遽召集された対策会議の席上で、死んだことにしちゃいましょ、とアイディア
を出したのはルゥだ。公文書に殉職と記載されてしまえば、後は何とかなる。その
後事実誤認が疑われたとしても、海軍の面子が邪魔で撤回は難しい。
乱戦の中で状況を見失わない冷静さを買われて切り込み隊を任されているとは言
え、本来情報戦を領分と自認するルゥにとっては久々の腕の振るいどころだった。
過去ベックマンと戦って壊滅の憂き目に遭った海賊の残党の復讐、という安直だが
いかにもありそうなシナリオを、嘘八百とわかって聞いている味方ですら信憑性を
感じるほど微に入り細に穿って設定するまで何と数分。ミスディレクションの方針
を立てるのに30分。それから約一ヶ月に渡って、ディテールを補強する情報や噂
を虚実取り混ぜて流したり、裏付け捜査に引っかかることを期待して人伝に金目の
所持品を故買屋に売り払ったり、血塗れの軍服の切れ端で束ね、空の棺桶じゃ葬式
も出しづらいだろ、と嫌味なメッセージカードを添えて、艦隊司令本部に遺髪を装
った切り落とした前髪を送りつけたのもその一環である。デコイに利用したモーガ
ニア崩れのちんぴらが、弔い合戦に猛り立った友人・元部下連合軍に血祭りに上げ
られた等という、正に知らぬが花の後日談までおまけについた事の経緯は、口の堅
さでは定評のある鷹の目相手といえども説明できないししたくない。
(やばいことも結構言っちゃったしねえ…退路は断っとかなきゃ、とか)
脇から回して胸板で眠気を誘うリズムを刻んでいた手をいきなりぐいと捕捉され
て、ルゥは回想から引きずり戻された。咄嗟に離れようとして力に負け、あんぐっ
と開いた口に今度は思い切り噛みつかれてこめかみが引きつる。
「いたい、痛いって、止めてよふくせんちょー」
発達した犬歯が食い込んでまじで痛い。もぎ離そうとベックマンの手首の関節の
逆をとったルゥは、思わぬ反撃を喰らって間抜けな悲鳴を上げた。
「ぴぎょっ!」
ごついブーツのつま先が、ルゥの肉に埋もれた肩と腕のつなぎ目付近にあるツボ
に食い込んでいた。ここを強打されると、しばらく腕が痺れて力が入らなくなる。
押さえ込みや関節技の返し技の一つだ。仰向けで中途半端に寝そべったまま、長身
をジャックナイフ状に折り畳んだ窮屈な姿勢で正確に点穴する手練は称賛に値する
が、蹴られた当人にはそんなことに感心する余裕はなかった。副船長の履いたブー
ツは、分厚く堅い皮革を鉄板と鋼線で補強した戦闘仕様だ。金槌でぶん殴られるの
と大差ない。
上半身を捻って俯せに体を返しながら、骨の間に指先を突き立てるように固定し
て、ベックマンはなおも鼻の頭に皺を寄せてぽっちゃりした手の甲をがりがりと囓
った。
「なかなか見事だな。銃手と聞いていたが、体術も使うのか?」
「カタールなんかも巧いよ…って、だからヤメテ副船長、食べないでお願いー!」
ルゥは、何とか有利なポジションをとろうと、両足と胴体の重心移動を利用して
縦横に転げ回った。不規則な軌道でスピンする丸っこい体にへばりつく距離で、長
い手足を器用に捌いて6フィート半を超える長身が死角を逃げ回る。滑稽だが熾烈
な組み手争いになった。
何かに似ているような、と長閑に脳裏を渉猟していた剣士は、思い当たってぽん
と手を打った。
「ネズミ花火のようだな」
「人ごとだと思ってーっ!ミホさん何とかして、おねがい」
「その呼び名は好かぬ」
「ご無礼平にお許しをサー・ジェラキュール・ミホーク!なにとぞ我が苦衷をお
救い下さいませ!」
苦笑混りに、ミホークは興奮気味の副船長を取り押さえにかかった。こう無邪
気だと気がそがれる。彼にしてはぞんざいな動作になった。
「その辺で止してやれ、そんな匂いでも食肉では無いのだぞ?」
仏心が仇になった。ミホークは、ベックマンが何が気に入らなくてルゥの膝から逃
げようとしていたのか、把握していなかった。
丁度目の前に来た首根っこを押さえ込もうとした手が逆に捕まった。剥がそうと掌
底突き並の勢いで押し込むと、ベクトルに逆らわない動きで引き絞るように真横に伸
ばされて、ミホークは僅かに目を眇めた。関節の逆を取られていた。無理に振り払え
ば筋を痛める。ぐ、と力を入れて、腰を上げ肘が自然に曲がる距離まで間合いを詰め
た。真っ直ぐに伸びきれば完全に肘を極められてしまう。
ミホークの腕を抱き込むように軸足を捻って、立ち上がりざま、ベックマンの左足
が颶風を巻いて真上にはね上がった。変形の斧刃脚。のけぞり気味のスゥェイバック
はぎりぎりの危うさだった。踵が掠めた顎先が、擦過熱で一瞬焦げるように痛む。
ほっとする間もなく、通り過ぎた足が、慣性を筋力でねじ伏せた急角度で今度は後
頭部を刈り倒しに来た。危うく膝を崩しながら上体を前に沈めて避け、鷹の目は半ば
本気で目を見開いた。彼をして、完全には回避できなかった。爪先に引っかかって吹
き飛んだ帽子の鍔が、刃物で斬りかかられたように裂けている。(読みづらい…!)
呆れたことに、この期に及んでベックマンの気配は邪気無く遊ぶ小動物か幼子のそ
れのままだった。本人には攻撃している自覚さえなく、それでいてこれほど冴えた技
を仕掛けられた経験は、ミホークをして殆ど皆無に近い。殺気どころか闘気さえ無い
分、どうしても動作の起こり際への反応が僅かに遅れがちになる。
「って、副船長、危ないから止しなさいって!」
腕の痺れから立ち直ったルゥが参戦してくる。ベックマンの目が嬉しそうに光を増
した。アクロバティックな体捌きが更にスピードを上げる。
「おー何だ何だ、手合わせっすかー?」
突然の立ち回りを遠巻きに眺めていた人垣から、脳天気な茶々が飛んでくる。確か
に、傍観の立場なら、金払っても見物する価値がある殺陣だ。鷹の目&ラッキー・ル
ゥ対副船長の一番など、狙ってお目にかかれるカードではない。
「とばっちりくっても知らないよ、ちょっと離れて!」
顎を削る角度で跳ね上がってきた前蹴りを掌握で止めながら、ルゥは暢気なお仲間
にやけくそ気味に警告を飛ばした。それを隙と見たか、捕まれた足首を支点に逆足の
脛蹴りが変則的な角度で側頭部を狙う。。ミホークの掌が寸前で受け止めた。不自然
な姿勢から、腰の捻り一つで加速したとは信じがたい鉈の一撃に、泰然自若を持って
鳴るルゥが冷や汗を垂らした。
両足捕獲されて、つぶれた逆立ちの姿勢でぶら下がったベックマンが、頭を庇って
甲板に着いた両手を思い切り突き放した。軟体芸人並の柔軟さで、後頭部が踵の高さ
を超えて輪を作るように反り返る。足首を掴んだ手を支点に、細長い長身が優雅な弧
を描いて、二人の頭上を背面飛びに飛び越えた。拘束をはじき飛ばす余勢で回転しな
がら、逆落としにミホークの背に両手で組み付く。意表を突いたタイミングで落下速
度を丸ごと預けられて、堪らず鷹の目は片膝を突いた。
済し崩しに今度は高速のグラウンド戦に持ち込まれた。酔っぱらい特有の唐突な脱
力加減まで加わったルーズジョイントは、ちゃんと骨を靱帯が繋いでいるのかと疑問
に駆られる手応えのなさで突拍子もない方向に折れ曲がり、二人がかりの押さえ込み
も極まったと思う端からつるりつるりと逃げられる。
「何かこー…イケナイことしてるような気分になってきた…」
一体どこら辺で間違えたんだろうかと、ルゥはとほほな気分で愚痴った。何をされ
ているのかわかっていない子供に無体な悪戯を仕掛けているようで、ちくちくと罪悪
感がこみ上げてくる。
「楽しい…」
「は?」
思わず、と言う感じでぽろっと漏れたミホークの呟きを運悪くも聞きつけてしまっ
て、ルゥの手が一瞬止まった。ガードを忘れた鼻先を、拳を振るうにも足りないほど
の隙間をすり抜けてきた、鞭のしなやかさをなぞった足の甲が薙いだ。
盛大に鼻血を噴き上げて、堪らずルゥが戦線を離脱する。ギャラリーのどよめきが
更に高くなった。
港湾管理局運営の小舟で、入り江の中央部にある船溜まりに戻ってきたシャンクス
は、甲板上の妙な騒ぎに首を傾げた。ノリのいいお祭り野郎が揃っているから、酒席
の余興がエスカレートすることなど珍しくもないが、指笛や歓声を微妙に彩る緊迫感
が訝しい。
自分をほったらかして何盛り上がってやがるんだ、と密かに憤慨しつつ、船頭にチ
ップ込みの運賃を渡して、シャンクスは愛しの我が船に乗り移った。右腰に吊ったサ
ーベルの柄の滑り止めが、垢じみた麻布から複雑に組まれた絹糸に交換されていた。
鞘も、柄糸に色味を合わせて表装を張り直されている。どこが気に入ったのか、サー
ベルを見せるなり妙に気合いを入れてきた職人肌で商売気の薄い刀屋の店主渾身の突
貫作業の成果だ。船乗りの持ち物が日光や潮で簡単に劣化するようでは話にならんと、
堅牢度の高い品を捜して卸問屋の屋根裏まで漁り回っただけあって、実用性と見栄え
を見事に両立している。
格安でいい仕事をしてもらえたのは嬉しいが、こう遅くなるとは予想外だった。出
航まぎわだったらえらい騒ぎになってしまう。
今後頼む時にはこの辺気に止めておいた方がいいな、と心のメモ帳に朱筆で書き込
みながら、シャンクスは人垣の後尾に歩み寄った。手近な乗組員の肩を叩き、
「よう、もりあがってんな、誰の芸だ?」
「お、お頭!その、お帰りなさい」
「悪かったなー遅くなっちゃって。で、誰が何やってんの?」
わたわたと、無意味に両手を振り回す乗組員の脇越しに、シャンクスがひょいと首
を突きだして人垣を透かし見る。
直後。
伝説の、予言者を迎え入れた海のごとく、何層かに重なった人の輪が一気に割れた。
何を感じ取ったのか、どいつもこいつもぎくしゃくと、叩けばぱりんと割れそうに強
張っている。
曲者揃いの乗組員を気配一つで押しのけて、緊迫した視線の中、花道を往くように、
緋の鬼王が人の輪の中心へと歩み寄る。
「何、やってんだ、貴様は…」
殺気に硬化した喉から軋るような声が絞り出される。人喰い虎の咆吼もこれに比べ
れば優しい子守歌だ。音もなく全員が一歩退いた。
受けた方の反応も、或る意味流石だった。かぶりついて押し倒した副船長の喉元か
ら顔を上げ、
「赤髪か、久しいな。邪魔しておるぞ」
「何やってんだって訊いてるんだよおれは!」
物理的な圧力を感じるほど殺気を凝固させたシャンクスの視線をどこ吹く風とやり
過ごし、
「済まぬな、少しばかり飲ませ過ぎたようだ。…主の頭が戻ってきたぞ?」
身を起こして胡座をかいたミホークの、裸の胸板や手元に頭をこすりつけてマーキ
ングの真っ最中の副船長は、こきゅ、と可愛らしく首を傾げた。とろんとした−−−
あれだけ飲んで暴れれば、酔いが回って当たり前だ−−−目でシャンクスを見遣り、
そのままずるずるとのしかかった足の付け根に顔を埋めるように突っ伏する。
すうすうと安らかな寝息を立て始めた頬を愛しげに撫でて、ミホークはあくまでも
穏やかに、
「獣は喉元に噛みつくと大人しくなると以前耳にしたことがあってな、試しにやっ
てみたのだが、真であったのだなあ…ところで赤髪よ」
「何だよ」
人の副船長をケダモン呼ばわりするな猛禽類、と喚きかけたが、ころんと寝返りを
打った異常に可愛い寝顔にぐっと詰まった。確かに人間というよりはマタタビでラリ
った猫−−−サイズ的には虎か豹だろうが、まあいい、どちらにしろ猫科には違いな
い−−−に近い。
「持って帰ってもよいか?」
一瞬、シャンクスは惚けたように絶句した。ミホークが何を指して言っているのか
認識するまで、僅かに間が空いた。金色の目線が、ちらりと膝の上を見遣る。そこに
いるのは…。
「却下だ、却下ー!!!」
「騒ぐな、やっと寝かしつけたところなのだぞ」
ぐ、とシャンクスは詰まった。ここ数ヶ月、見たこともないぐらい安らかな顔をし
たベックマンが、僅かに鼻の頭に皺を寄せ、動くな、とミホークのズボンににぎにぎ
と爪を立てる。シャンクスの額にぴしりと青筋が立った。
大抵の輩なら、今のミホークを穴が空くほど観察したところで、この状況でなんて
平静なと感心するだけだろうが、生憎シャンクスは鷹の目とのつきあいが長い上に密
度が濃い。プラス、シャンクスの観察眼は、鋭いを通り越してあんた実は霊能がある
んじゃないかと周囲がびびるレベルに達している。
剣の腕以上に信を置いている、直感に近い感覚が告げていた。鷹の目は、見たこと
もないぐらい上機嫌だ。そしていつも通り本気だ。膝の上で無防備に眠りこけている
背ばかり高い少年を、本気で気に入っている。連れて帰って、しばらく起居を共にし
たいと、この孤独癖の強い男が真面目に口にするぐらいには。
ここで怒りにまかせて席を蹴りでもしようものなら、明日になったら本当にテイク
アウトされていました、なんて事になりかねない。それは嫌だ。非常に、嫌だ。
恐ろしく複雑な顔で、赤髪海賊団の頭にしてベックマンの恋人志願の男はどんと甲
板に胡座をかいて座り込んだ。
「…お前ら」
「は、はい!」
「酒もってこい酒!ミホーク、飲め!勝負だ!」
泡を食って、人垣の最前列の一人がラムの樽とジョッキを持って飛んでくる。
険悪な酒宴は、2時間後、ベックマンが酔いから醒めて起きるまで続いた。
(後日談)
「俺の酒は飲めないってか?ミホークの酌はほいほい受けたんだろうが」
目を据えて酒瓶を突きだしてくるシャンクスの前で、ベックマンは途方に暮れ
た。ミホークとルゥの口車に乗って見せてしまった醜態は、その後仲間から断片
的にだが耳にして奈落の底まで落ち込んだ。本音を言えば飲みたくない。
「お頭…」
「それとも何か、下の口から飲まされる方が好みか?」
下の口、が何を意味するのか、理解するまで数瞬かかった。ベックマンは湯気
を噴きそうに紅潮した。いくら他人の目がない船長室とは言え、一体何を言い出
すんだこの男は!
「な、あんた何を!」
「飲むのか、飲まされたいのか?」
いかん。ベックマンは背に冷や汗が伝うのを感じた。昇った血が今度は滝のよ
うに退いていく。シャンクスの目は、完全に、見誤る余地の欠片もなく本気だ。
はぐらかそうものなら、この莫迦は自分を殴り倒してでも口に出したことを実行
するだろう。
うっかりリアルに思い描いてしまった映像を持て余しながら、ベックマンは白
旗を揚げた。
「…わかった、飲む」
シャンクスが何に怒っているのか、わからないわけではない。全身からこうも
露骨に嫉妬をまき散らされて、わからないほど鈍感にはなれない。
愛情に裏打ちされた執着心というか、リビドーとごちゃ混ぜになった愛情と言
うかの対象になっている立場を、諦め混じりとは言え受け入れてしまう程度には、
王冠より豪奢な髪を戴いた緋色の海賊を好いている事をベックマンは自覚してい
る。それだけにこの言い合いはひたすらに不利だった。沸き起こる困惑に、幽か
に混入した疼くような何かの正体を認めることは酷く情けなかったが、事実だ、
しょうがない。
「多分暴れるぞ、そのつもりでいてくれ。あんたに怪我をさせるのは不本意だ」
「せいぜい派手なところを見せてくれよ」
望むところだ、と不穏な顔でシャンクスが嗤う。
断固たるやけくそで、ベックマンはなみなみと注がれたラムをぐい、と干した。
翌朝、両目の回りに青あざをこしらえ、筋でも違えたか、首を不自然な角度に
傾けながらも、シャンクスが妙に溌剌としていたことは。
正に、余談だろう。