草木も−−−もとい、海藻も眠る一点鐘。
 月も星もないのに何故かうすぼんやりと明るい甲板上、数カ所の見張り位置全て
から死角になる物陰を選んで、物騒な男が四人、つまらなそうな顔を突き合わせて
いた。
 何が物騒かと問われれば、彼らの身なり黙って指さすだけで答としては十分だ。
錆止めに塗り込まれた黒漆が艶光りする小札鎧(ラメラー・アーマー)に身を固め、6フィート強の手槍
を携えたランス、グラスも愛用の大刀に加えて珍しく脇差しを腰に履き、着込みを
つけた胸元にはシューティングエッジをびっしりと刺した革帯を襷に掛けている。
バックスキンのコートを羽織り、夜闇に目立つ白髪を黒のバンダナで覆うように纏
めたベックマンも、スタッドを植え込んだごついレザーグローブ以外丸腰と見せか
けて、それなりのキャリアを積んだものなら、袖口や腋の微妙に不自然なラインか
ら、内側に色々と仕込んでいる可能性に思い当たるだろう。身軽を身上に大げさな
装備を好まないシャンクスでさえ、海王類の皮革で仕立てた戦闘用のマントで肩か
ら下を覆っている。僅かにざらついた光を放つ裾から、ブーツにたくし込んだ厚地
のズボンとサーベルの鞘が覗いていた。
 どいつもこいつも、今から一戦やってきますと言わんばかりの身ごしらえだ。そ
れも、本来銃手である副首領さえ無粋な音を立てる火薬式の射出武器を手にしてい
ないところから推察するに、隠密性の高い強襲一撃離脱戦を想定しているとしか考
えられない。見渡す限り自分たち以外小舟の影も見えない現状で、どこにカチコミ
かけるつもりなのかと突っ込む奴は、残念なことに今ここにはいなかったが。
 「おこーんばんはー…分かって下さってて嬉しぃっすよ」
 「僕がメッセンジャーじゃ頼りなかったかい?」
 心外だ、と口で言いながらも、気安さを言外に滲ませてランスは眉を吊り上げて
見せた。目つきも態度もちんぴら紛いの操帆長と、どこから見ても由緒正しいおぼ
っちゃまの渉外部統括は、共通の話題があるかどうか怪しまれるほど背景は噛み合
わないが、本人同士は何故か非常に気が合うらしい。少なくとも、この程度のじゃ
れ合いは許される程度には、お互い解りあっている。
 「いゃま、ほらょ、ジョーシキテキに考えて。ホントにブキ持って来られたら洒
落なんねぇし」
 「大頭達なら、スプーンでも喉笛を掻き切るぐらいのことはなさるんじゃないかな」
 「あれだけ思わせぶりなことを言っておいて、そりゃねえだろ」
 「そりゃまた失礼しゃぁした」
 心外だ、とシャンクスが唇を尖らせる。グラスはおどけたしぐさで深々と一礼し
た。
 確かにまあ、船乗りの符丁でブキと言ったら折り畳み式の携帯用食器を指しては
いるが、昼間の伝言、あれの裏の意味も読みとれないと思われていたとするなら、
確かに馬鹿にしている。そろそろ食料の食い延ばしを真剣に検討すべきだろうこの
タイミングで、酒宴を催そう等と本気で言い出すボケナス(エアヘッド)に、自らの船に乗り組む
ことを赦すシャンクスではない。よしんば、もっと余裕のある状況で、月を肴にと
っておきの酒で一献傾ける気になったとしても、それならこの二人に声をかけはし
ないだろう。シャンクスが絡むと、秘密にしておいたはずが、何故か気が付けば大
宴会に発展した挙げ句、発起人は幹事やらされて、酒も飲めず無駄に気苦労を蓄積
しただけ、なんてことになりがちだし、ベックマンに至っては『毒味は信用できる
が味見はさせるだけ無駄』が定説の、殆ど味盲に等しい無粋なウワバミだ。どちら
も秘蔵の逸品をこっそり酌み交わす相手には不向き極まりない。月見や酒が、漏れ
聞いて不審を抱いた予定外の面子に首を突っ込ませないための用心にすぎないこと
ぐらい、すぐに知れた。
 一点鐘に、月が見える位置、つまりは上甲板で、武装を整えた上で集合。他言は
無用、あくまで内密に。粉飾をとっぱらって平たく言えば、そんな要請だった。
 「で、会場は?ここでやるのか?」
 「舳先の方が都合いぃっす。…ああ、それと、大頭と副ちょはこれ持ってて下さ
い。なったけ見つかりたくねぇんで」
 「俺達だけか?」
 副首領が怪訝そうに問いただす。状況を慮ってのことだろう、珍しく煙草を銜え
ていない唇が些か寂しそうだ。夜闇では、火口の光は否応なく目立つ。
 ランスは、正統派の強みで、何時、どこで、誰が相手だろうと一定の力量を発揮
できる手堅さを身上とするかわりに、暗闘は幾分不得手だった。対して他の三人は、
理由こそ違え、気配を覚らせずに一仕事片付ける類の戦にも熟達している。
見つかりたくないと言うのなら、彼こそが最優先の配慮を受けてしかるべきだ。
 「僕は後詰めです。誰かが上がっていらした際の保険を兼ねて」
 それならわかる、と副首領は頷いた。もし誰か、勘のいい奴が闘争の気配を嗅ぎ
取ってやってきたとしても、彼なら弁舌さわやかに丸め込んでくれるだろう。舌先
三寸の冴えもあるが、なにより彼は後方支援の意味を骨身に徹して知っている。そ
の手の役回りには打ってつけだ。焦れて闖入した挙げ句、本来の目的を疎かにする
ような醜態は何があろうと晒すまい。
 胡散臭そうな顔で、シャンクスは手渡された木片をひねくり回した。両面にのた
くるような筆文字が墨で記されている以外、これと言って変わった品ではない。
 「これ持つと見えなくなるのか?」
 「別に透明になるわけじゃぁありゃあせん。気配が紛れて、見ても見えたと思ぁ
ねぇ、って程度ですから、叫んだり声かけたりしたらアウトっす。こういう−」
 グラスは、胸の前に両手を持ち上げ、だらんと垂らした手首から先をぶらぶら振
って見せた。お化け、を意味する仕草だった。
 「−しろもんと出くわしやすくなっちまぅから、普通はやばすぎて使ぇゃしませ
んがね。落っことさないように気ぃつけてくださいよ」
 二人が隠しに札をしまい込むのを待って、
 「ついでに現状報告しとくっす。今日の昼に、ちぃと聞いてみたんですがね」
 「誰に?」
 「…内緒。そいつの言うことにゃ、この辺にゃ主がいるんだとか。そいつがこの
船掴まえてる間は、風も潮も気持ち悪ぃから近付いてこねぇって話でした」
 「ほう」
 「おや、それはいけませんね」
 「まあありそうな話だけどな」
 すっとぼけた相槌が三つ連なった。狼狽の気配は薬にしたくとも欠片もない。拍
子と一緒に膝まで抜けかけて、グラスは危うくつんのめりそうになった上半身を根
性で立て直した。
(こいつ等相手に、フツーの人間のリアクションを警戒した俺が馬鹿だったよ、あ
あもう)
 御幣担ぎの多い船乗りにあるまじく、彼岸の存在に対し不必要に怯えない−−−
畏怖や畏敬を欠いているわけではないから、念のため。ただ、そろいも揃って、魔
物だろうが亡霊だろうが、いるものはしょうがないじゃないかの一言で済ませてし
まえる程度に器の底が抜けているだけだ。徹底したリアリストと解釈できなくもな
い−−−面子だからこそこんな話を持ちかけられもしたわけだが。
 殊に、副首領は、先だってのように冗談交じりでもなければ気振にも見せない堅
いガードに阻まれて、詳細までは掴んでいないが、少なくとも、彼自身の特技と似
たような位置づけに分類される類の芸を隠し持っていることをグラスは確信してい
た。同類は匂いでわかる。
 こんな深夜にも関わらずかけっぱなしのサングラス越しに意味ありげな視線を寄
越して、レッドラインの巫人の裔である海賊はわざとらしいほど軽い口調で腹いせ
の爆弾を落とした。
 「で、まあ、そいつがですがね。聞いたところじゃ、赤くてきらきら光るモンの
コレクションが趣味だそうで。特に人体パーツ」
 「すぐぶっ倒そう、すぐ。舳先にいるんだな?」
 「いるっつーか、あの辺に仕掛してまして」
 今一やる気の見られなかったシャンクスの背に、五割増の緊迫を帯びてぴしりと
芯が通った。
 「40前でスキンヘッドは流石に嫌っすかね、大頭も」
 「あの手の連中じゃ、髪の毛だけもっていくなんて手間はかけんだろう。赤髪から
骸骨かぶり(スカルキャップ)に改名だな」
  「るせえ!その伝でいきゃあお前の目玉も危ねえんだぞ!」
 お前の目は誰にも渡さん!と気炎を噴き上げる大頭を見遣りながら、赤髪海賊団
の副首領と操帆長は顔を見合わせて肩をすくめた。指定の会場はもう目の前だ。
「…ま、目無しの水先案内人(パイロット)なんぞ、保管しておくだけ場所ふさぎだ。真面目にや
るとするか」
  「僕も、副首領並に優秀な航海士兼会計士を捜し出せなんて無理難題を遂行した
くありませんからね、よろしくお願いしますよお三方とも」
 「なーんか、口調の割に中身と目線が不穏な気がすんぞ…」
 足を早めてシャンクスを追い越し、フィギュア・ヘッドの後ろ姿を拝む位置で、
グラスは足を止めた。振り返って、彼にしては恐ろしく真剣な顔で、
 「気合いが入ったところでお二方。俺の仕切で申し訳ねぇっすけど。
 スリーカウントでマニフェスティエーションかけゃす。ガーッと短期決戦で決め
ちまいゃしょう」
 「まにふぇ…?何だそりゃ」
 「一つ(イー)」
 「普通に切るなり殴るなりしやすい状況に持ち込むって程度の意味だと思え。
実体化(マニフェスト)させてしまえば、色々外見は奇抜かもしれんが、死ぬようにすれば死ぬ」
「二つ(アル)」
「あー、そう言うことね」
 おお納得した、とシャンクスが大きく肯く。色々と大事なものを−−−たとえば、
この世の常識だとか−−−を纏めて海の彼方に蹴りやった内容と、見慣れぬ食材の
調理法について講釈してもらった程度の気安い感謝があまりにもそぐわない。
 良識と分別の要と自他共に任ずるヤソップあたりが耳にしたら、言葉もなく泣き
伏しそうなやり取りを繰り広げる大頭とその懐刀の斜め前で、グラスは厳かにゴン
グを打ちならした。
「三つ(サン)…!!」
 舳先のそこここに、巧妙にしかけられていた木札が一斉に爆発的な力を放った。
圧力を感じるほどの烈光が爆縮する。咄嗟に目を庇いながら、シャンクスは僅かに
口尻を吊り上げた。ひどく剣呑な笑顔だった。
 得体の知れない代物相手、しかもお膳立てを整えて、よーいどんで戦闘を開始し
た経験などほとんどない。口では余裕ぶって見せていても、確かにあった戸惑いが、
火にあぶられた鉋屑の速やかさで消え失せた。
 緑の残像を残してゆっくりとあせてゆく光の焦点から放たれる気配。敵意ではな
い。殺意では更に無い。強いて言うなら食欲か性欲に似ているが、何かが違う。コ
レクターが、気を引かれた物品に注ぐ妄執。それが最も近いものだろう。
 人の(ことわり)とは無縁であるにしろ、自分の意にそぐわない行為を強制してくるなら、
それは倒すべき敵だ。しかも、こいつは仲間の身命までも犠牲にしようとしている。
歩み寄る余地さえない。
(やらねえよ、お前には何にも。俺も、俺の仲間も、俺の船も!)
 ちりちりとうなじの産毛が逆立ってゆく。一瞬で戦闘モードの剣呑な気配を纏い
ながら、それでもシャンクスは暢気な口調でぼやいて見せた。
 「おいおい、随分と多いじゃねえか」
 光が収まった舳先では、ソフトコーラルかイソギンチャクを連想させるフォルム
の、小さいもので猫、大きいものでも子供ほどのサイズの動物が、2ダースほども
うねうねと燐光に飾られた触手を振り立てている。さながら陸に現れた南海の楽園
だ。普段のシャンクスなら手放しではしゃぎ愛でただろう。鑑賞に値する幻想美だ。
それを、粘つく妄念が全て台無しにしている。ひどく腹が立った。
 空気の裏側まで見通すと囁かれたベックマンの瞳が、ゆるりと揺れた。色合いが、
幾分淡い。鮮血の瞳。目に映らない何かを見切ろうとする色だった。袖口から何か
を掌に零しながら、
 「いや、これ全部で一つだ。群体だな」
 「はー…海綿みたいなもん…かっ!」
 予備動作もない、完璧な唐突さで触手がシャンクスの頭部、薄闇を朱金に燃やす
天来の王冠に向けて殺到する。言葉尻を切り裂いて、シャンクスの肘上しか残って
いない左腕が、マントを引っ掛けて鋭く煽られた。無音の気合と共に一閃した裾の
軌道に触れた触手全てが薙ぎ切られて弾け飛ぶ。シャンクスの纏ったマントは、や
や小型の海王類の一種の皮革をなめして仕立てたものだ。猫の舌に似た形状の、し
かし遙かに強固な突起がびっしりと表面を覆っている。防弾防刃、鎧としても高性
能なら、武器としても、エッジを正確に合わせて振り抜けば成人男性の大腿部を骨
ごと切断するほどの威力を発揮する。ただし、迂闊に触れれば掌がずたずたになる
扱い辛さ故、強力な装備であるにも関わらず流通することは少なく、使いこなす者
は更に稀だ。
 吟詠詩ぐらいでしか耳にしない伝説の武具を、利き腕を失って僅か数年の修練で
シャンクスは己のものにしていた。低下した戦闘力を補うため、ただそれだけで。
今では、総合力であれば左手にサーベルを携えていた頃よりも上を行くだろう。
 追い撃つタイミングで、ベックマンの掌から無角がぶちまけられた。全てが着弾、
叩きつぶす激しさで次々と珊瑚もどきが吹き飛ばされた。中空の円錐形に成型した
鋳鉄の内側に鉛を鋳込み、底面で溶着した古典的な投擲武器は、手投げ故の初速の
遅さを補って余りあるほどに重く鋭い。生身で受ければ論外、喩えウーツ鋼に身を
鎧っていたとしても、衝撃だけで十分に骨を砕く。ひとたまりもなかった。無造作
な弾幕を追いかけて、更にグラスの駆け抜けざまの居合いが閃く。間合いの外にい
たはずのイソギンチャク紛いまでも巻き込んだ剣風が、空気ごと異形の軟体を引き
裂いて吹き抜ける。品格の差は否めないが、グラスの剣技そのものは剣豪位に値す
る。この程度の相手ならそれこそ並べてなで切りだ。
 「…やってみりゃぁ呆気なかったっすね…」 
 「グラス!後ろだ!」
 最後の一体に止めを刺し、僅かに気の緩んだグラスの背を鞭のようにしなったも
のがしたたかに打ち叩いた。肺から空気が叩き出される。グラスは声もなく悶絶し
た。立ち上がろうと手足があがくが、急な酸欠と打撃のショックで末期の痙攣じみ
た動きにしかならなかった。
 「げ!まとまりやがった!」
 ごろごろと転がった残骸から、光の粒が流れ出し一点に集結していた。巨大な、
ベックマンの上背より更に頭一つも高い、蛍の群生で形作られたような美しいソフ
トコーラル。無数の触手が、残像を残す勢いで制空権を支配する。
 無言無音でベックマンは突撃した。グラスに追い打ちをかける暇を与えるわけに
はいかない。遮二無二パーリングで触手を弾き、懐に肉薄する。皮膚には一閃たり
とも触れさせない。形状からして、毒がある可能性は大だ。イソギンチャクも珊瑚
も、外見が如何に麗しかろうと肉食だ。有毒の刺胞を武器として持つ。
(喰われて堪るか!)
 甲板が足形に陥没する強さで踏み込み、振り下ろされた触手をはたき落としざま、
滑らかな一挙動で右腕を楔に折り畳み、甲を上にして手首を真っ直ぐに立てる。左
掌が、立てられた掌を突き上げた。体ごとねじ込むような杭打ち(パイルバンク)が柔らかな体幹部
に突き刺さった。打撃全てを衝撃力に転化する。撃たれた部分の背面が爆発的な勢
いで爆ぜた。
 体を低く沈めたベックマンの肩を蹴って、シャンクスが高く鋭く舞い上がる。
 「海の底(おうち)に戻りな!」
 大上段からうち下ろしたサーベルが、唐竹割に振り抜かれた。重々しく、ゆっく
りと、まっぷたつに切り割られた巨体が甲板に倒れ伏す。
「…今度こそ、終わりかな。成る程なー、確かに本物はそんなに怖くないな。切れ
ばくたばるし」
「だろう?」
 ちりちりと、海ほたるよりも弱まった光が、拡散し海面へと流れ散ってゆく。そ
れを見届けて、シャンクスはようやく臨戦態勢を解いた。ベックマンと二人がかり
でまだ立ち上がれないグラスに肩を貸し、意気揚々と振り返り…。
「…ありゃー」
「申し訳ありません、何とか誤魔化そうと思ったんですが」
 困り顔で頭を垂れたランスの傍らに、ヤソップがへたり込んでいた。泡でも吹き
そうな形相で硬直している。
 彼も海賊としてのキャリアが長い。異変を嗅ぎつけてやってきたのだろうが、そ
れにしてもタイミングが悪すぎた。ヤソップは、怪談大好きなくせに本物の怪異に
はてんで弱い。失禁しなかっただけまだましかも知れない。
 「もう終わった、安心しろ。明日には風が戻る」
 「お、おおお終わったってなあ!何だよありゃあ!」
 「何だよヤソップ、あんなに怖い話好きなくせに、本物にあえて嬉しくねぇの?
副ちゃんなんか…」
 「シャンクス!」
 あらぬ事を口走りかけたシャンクスの脳天を、ベックマンの拳が急襲した。
 拳のつっこみはいつものことだった。ただ、現状のベックマンの装備が災いした。
 彼のレザーグローブは、単に革手袋にスタッドを張りつけただけの安直な代物で
はない。スタッドの下をベースのプレートが支え、更に指を痛めないように、幅広
の指輪がそれぞれのプレートに取り付けられている。威力は素手と比べものになら
ない。
 そんなものを填めた手で、ベアナックルと同じ調子でぶん殴ればどういうことに
なるか。
 当然の帰結として、シャンクスの頭頂部から噴水よろしくぴゅーっと血が迸った。
 「…ベック」
 「す、済まん!ついうっかり!」
 バンダナで止血しようとするベックマンの手を振り払い、恐ろしい形相でシャン
クスはヤソップにきっと向き直った。血だるまの顔を目の前に突きだされて、ヤソ
ップが思わず後ずさる。目が据わりきっていた。なまじの化け物より遙かに怖い。
 「ヤソップ。アジトに戻ったら百物語やるぞ。参加者募ってネタ仕込みしとけ。
 …んで副首領」
 「シャ、シャンクス!?」
 「お前は書記役で参加な。全部、細大漏らさず、一言一句口述筆記!ンでもって
終わったら俺の前で全部朗読しろ!」
 「シャンクス!」
 勘弁してくれ、と大書されたベックマンの顔に人差し指を突きつけて、シャンク
スは最後通牒を厳かに告げた。
 「大頭命令。ヤソップ、ちびるくらい怖いの揃えろよ」
 「あ、アイアイサー…」

 後日、赤髪のアジトでは、古式ゆかしく百物語が開催された。参加者の語るとこ
ろによれば、必死の形相で、蝋燭に下から照らされてペンを走らせる副首領以上に
怖い話は、流石に誰も持ち出せなかったという。
 
訳者後書へ


LIBRARYへ戻る