シャンクスの艦は明日の出航に備えて忙しく準備をしている。シャンクス と副船長は必要物資を担いで艦に戻る途中、マキノが町の中をきょろきょろ 見回しているのを見つけた。 「どうしたんだい?」 シャンクスが声をかけた。 「昨日からルフィの姿が見えないんです。どこへ行ったのかしら、今まで どんなに遠くに行ってもご飯の時間には帰ってきたのに…」 マキノは心配そうに答えた。 二人は顔を見合わせる。副船長が質問する。 「ひょっとして…店の食料も姿を消していたとか?」 「…そう言えば、昨日の片付けの時に果物が減っていて、ハムの切れ端も なくなっていたし、フレンチトーストにするつもりだった固くなったフラン スパンも…」 マキノが言い終えない内に、シャンクスは艦へまっしぐらに走っていった。 「ルフィをそちらに返すから、波止場まで迎えに来てください」 副船長はそういい残してシャンクスの後を追った。 「皆、作業を止めて静かにしてくれ。奇妙な音が聞こえたら合図しろ」 シャンクスは仲間たちに通達した。 全員が手を止めて耳を澄ます。 きゅるるるるるるる…ぐうぅぅぅ 動物の声にも似た腹の虫の音がかすかに響いた。 「聞こえたぞーっ!こっちだーっ」 シャンクスは声の方向へと向かった。 倉庫の木箱と木箱の間にルフィが潜んでいたのをシャンクス達は見つけた。 ルフィはシャンクスに摘み上げられた。 「密航しようなんざ十年早いぜ」 「もうちょっとだと思ったのに」 ルフィはふてくされる。 シャンクスはルフィを連行する。波止場にはマキノが迎えに来ていた。 「シャンクスのケチーッ」 この言葉で見送られて出港するのは、もう幾度目になるだろうか。 航海中に敵船と遭遇し、艦上は戦場と化した。 「結構しぶといな」 副船長が銃撃の合間に独り言のように呟いた。 シャンクスは麦藁帽を副船長に投げてよこした。 「王手かけてくるわ。留守を頼む」 「御武運を」 副船長がこともなげに返した。 シャンクスはそのまま黒いマントを翻して敵船の中へ吸い込まれるように消 えた。 敵船は惨敗を喫してファーブニル号から離れていった。 真っ赤に染まった人影が副船長の方へ向かって歩いてくる。赤い髪に黒ずん だ血がこびりついて固まり始めていた。 新米たちは船長が怪我をしたのではないかとうろたえている。 副船長もシャンクスの艦に乗った当初は、同じように驚き肝を冷やした。 だが慣れるに従い、表情や足取りで体を染めているのが返り血なのか彼自身の 血なのかはすぐに分かるようになっていた。 船長は相棒の前で足を止めた。 「状況は?」 「負傷者七名、船の破損状況については報告待ちだ」 相棒は答えると煙草に火をつけた。 甲板や船内に流れた血の掃除、破損したロープやマストの修理など、戦いの 後には面倒な仕事が山のように増える。それでも、船員たちはこの作業の後に 待っている宝の分配を楽しみに精一杯勤めるのだった。 奪った宝を目の前にした船員たちが目を輝かせた。 「お頭、どう分ける?」 船長は血を洗い落とした髪にタオルを頭にかけたまま、呆然として答えなか った。 「お頭?」 やや遅れて船長は気付く。 「あ?」 間の抜けた返事。 「お頭、しっかりしてくれよ。大事な宝の分配だぜ?」 「くたびれたのか?」 「年なんじゃねぇの」 口々に船員たちが笑う。 「さて、お楽しみの分配は…」 シャンクスはいつも通りの表情に戻った。 船長の微妙な変化を、副船長だけが的確に察していた。 お頭は疲れていたのではなく、ルフィのことを思い出していたのだろう、と。 艦はフーシャ村に帰ってきた。手の空いた副船長は小さなコンテナの上に座り、 木彫りの酒盃に紙やすりをかけて最後の仕上げをしていた。 船乗りたちは凪で航海が進まぬ間の暇つぶしに何かしらの趣味を持っている。 ボトルシップはその代表例だが、副船長の場合は銃の改造の他、流木を削って 日用品の類を作ることなど、幾つかの趣味を持ち合わせている。 ルフィが副船長の手元を見つめている。 「副船長、器用だなぁ」 ルフィは感心している。そこにマキノが現れた。 「手作りの酒盃ですか?お上手ですね。見せていただけますか?お店でお酒を 出しているとそういうものに興味がわくんです」 「まあ、女性向の絵柄じゃないとは思うんだが…」 そう言って副船長は酒盃を手渡す。酒盃には竜の浮き彫りが施されている。羽 はなく鋭い爪の生えた手に水かきがあった。水竜の姿。 「海の底に棲むと云われる伝説の竜、リヴァイアサン…ですか?」 「そうだよ」 「実際にご覧になったことがありますか?」 「あるよ」 副船長は静かに笑った。 「そんな嘘を言って俺を怖がらせようとしたってムダだぞ」 大きな声でルフィが言った。 「本当にいるんだぜ」 「そんなの平気だい」 ルフィが勇んで言い返した。 マキノは酒盃から目を離さない。 「確かに恐ろしい姿だけれど、この竜には強い憧れみたいなものを私は感じま す。例えて言うなら、ルフィが海賊に憧れるような純粋な憧れ」 副船長はマキノの顔を見た。 「私ね、こう見えても小さな頃は男勝りのお転婆で、冒険がしたいなんて夢見て たから、ルフイの気持ちも分からなくはないんです」 「ええーっ?マキノがぁ?」 ルフィが素っ頓狂な声を上げた。副船長も口には出さなかったが、信じられない と思った。 「でも、やっぱり違うんですよね、男の人って。男の人は自分より大きなものや 強いものに憧れる。それが大きければ大きいほど、強ければ強いほど憧れも強くな る。そして、それが自分の命を危険にさらすほど恐ろしいものであっても、追い求 めてやまない。女の身では真似の出来ない生き方…」 副船長はマキノの言葉に固唾を飲んだ。 「なあ、副船長。この木ってシャンクスの髪の色に似てるな」 ルフィの問いかけに副船長は我に帰った。 「ああ、良い色だろう。マホガニーって言うんだ」 「お好きなんですね」 副船長は凍りつく。 「マホガニーが」 マキノはそう言ってにっこり微笑んだ。 副船長はどっと冷や汗をかいていた。今、お頭と俺の関係まで見透かされたか と思った…。 「あ、もうこんな時間!おつまみの仕込をしなくっちゃ。これ、お返しします」 「いや、受け取ってくれ。いつも大勢で押しかけて迷惑かけてるから」 「でも、こんなに良いものを…」 「お代は今の言葉で充分だ」 「ありがとうございます。それじゃあ、私はこれで」 マキノは駆け足で自分の店に戻っていった。 「ねえ、副船長。俺にもこの木で何か作ってよ」 「ああ、マグカップでいいか?」 副船長は立ち上がるとルフィの頭を撫でた。 「うん」 その夜も、マキノの店で赤髪団一行は酒を飲んだ。そしてお決まりのルフィ の「連れていけ攻撃」を船長がからかう。 副船長は彼らの姿を見ながら、最近のシャンクスの変化を思い出していた。 海は確かに過酷な世界で子どもには耐えられない。だが、連れて行かない理 由はそれだけじゃない。 お頭は口にこそしないが、ルフィが海賊になりたいと言うのを誰よりも嬉し く思っている。海に連れて行きたくないと言うのも本心からではない。 ルフィの憧れが強く純粋なものであるからこそ、お頭は血みどろになって戦 う自分の姿を見せたくないとも思っているのだ。 副船長はルフィをからかうシャンクスの顔を見た。 あの正直で嘘のつけない男が、よくも葛藤を顔に出さず頑張っているものだ。 一行は早めにマキノの店から引き上げた。 副船長は自室に戻ると、マホガニーの塊を削り始めた。ドアから聞こえるノ ック音。 「どうぞ」 お頭が返事を待たずに入ってきた。 「ルフィから聞いたぞ。マキノさんと楽しくお喋りしてお手製のカップまで プレゼントしたとか?浮気は許さんぞ。それにマキノさんはカタギだ」 「そんなんじゃねぇよ」 副船長は呆れた。シャンクスは副船長の手元に目をやった。 「何作ってんの?」 「ルフィのマグカップ」 副船長は時計をちらりと見遣った。 「いいのか?そろそろルフィがあんたの部屋に泊まりに来る時間だろう」 「ルフィなら、さっき村長さんが引っ張ってった」 「とうとう見つかったか」 「いや、俺がチクった」 シャンクスが笑う。 「七歳の子ども相手に搦め手かよ」 副船長は苦笑する。 「俺は正義の味方じゃないんでね」 副船長はシャンクスを見た。彼の右手には酒瓶、左手には木製の酒盃が握ら れている。 「それ、俺が昔に作ったのだな」 「お前も飲む?」 「ああ」 副船長は杯に手を伸ばした。だが、シャンクスはそれを自分で飲み干してし まった。 「おい?」 シャンクスは副船長に顔を寄せて唇を重ねた。酒は副船長の喉へ流し込まれ ていく。副船長の口の端から細く一筋こぼれていくのをシャンクスは見つけた。 落ちていく雫を舌で受け止め、口へと戻すように舐め上げていく。唇にたどり 着くと舌を吸い絡める。 副船長はベッドに横たわりシャンクスに身を任せた。彼に体を貪られながら、 彼が戦っている姿を思い出していた。 あの姿を見るたびに、脳裏を過ぎる聖書の言葉。海を支配する赤き巨竜。こ の男こそ、まさしくリヴァイアサンそのものなのだ。 そしてリヴァイアサンに出会ったら最期、魅入られて深海の底に引きずり込 まれる。陸の生き方さえ忘れてしまうほどに。
