スモーカー大佐がほとんど休暇を取らないことは、海軍内でよく知られている事だ。
超人的なスタミナで働き続ける彼に、彼の部下たちは驚きと尊敬の眼差しを向けてい
る。(無論、当人はそんな事を知らない。)だが、そこには少々誤解がある。部下た
ちは「大佐殿が休暇を申請しないのは、職務に対する強い責任感からだ」と考えてい
る。確かにそれもある。それもあるが、スモーカー大佐殿が休暇を申請しない一番の
理由…
それは彼が「休日をどう過ごしたらいいのか分からずに持て余してしまうタイプ」
であるからだ。
そんな大佐殿が珍しく夏の休暇を申請した。彼の部下たちは内心「これで俺たちも
気兼ねなく休みが取れる」と胸を撫で下ろした。
スモーカーは自分の為に休暇を取ったのではなく、彼の得物である特別製の十手を
修理する為だった。彼の十手は特注品で整備できる技術者が少ない。民間の業者にも
腕の立つ技術者はいるにはいるが、軍の特殊な武器は機密扱いなので気軽に頼むわけ
にもいかない。どうせ、遠く離れた整備士が所属する部署まで行かなければならない
のなら、ついでに貯まりに貯まっていた休暇を消化してしまおうと彼は考えたのだ。
<夏島・シュバリス島海軍基地>
基地内の武器整備室では、ねじり鉢巻をした中年男がスモーカーの特大十手を睨む
ように凝視している。
「持ち手の拵えもそうだけど、海楼石が大分磨耗しちまってるねぇ。拵え直しや取
替え自体はそんなに時間がかからねぇんだけどよ。替えの海楼石が届くまで早くても
三日はかかっちまうが、いいかい?煙の旦那」
風体も口調も下町の職人に見えるが立派な軍の整備士、しかも腕利きだ。
「いいさ、休暇ついでに来たんだ。丁度三日ある」
整備士はスモーカーが海軍のジャケット姿ではないことに納得した。スモーカーは
黒のタンクトップの上に綿のパーカーを羽織っている。
「へえぇ、珍しいこともあるモンだ。三日も預けてもらえるんなら、ピッカピカに
磨いて新品同然にしてやるよ」
気合を入れて調整に入るべらんめぇ調の技術者を後に、スモーカーは基地を出た。
数歩進んで彼はやや不快気味に溜め息をつく。
”背中がスカスカして落ちつかねぇ…”
シュバリス島は常夏の島、青い海を縁取る美しい砂浜と椰子並木が自慢のリゾート
地だ。大きな海軍基地が在ることも手伝って治安が良いことで定評があり人気が高い。
おまけに本格的なバカンスの季節前とあってそれほど混雑はないときている。休暇を
過ごすにはうってつけの時期と場所なのだが、残念なことに仕事中毒の大佐には退屈
な海にしか見えない。
太陽はじりじりとスモーカーの紫煙色の髪を焼く。冷たい飲み物を求めて彼は繁華
街に足を向けた。
バーの立ち並ぶ通りに差し掛かるとガラス類の割れる音の混ざった騒音が聞こえて
きた。スモーカーは殆ど条件反射的に騒音のする方向へ足を向けた。
バーの中で一人の男が三人の若者たちから袋叩きに遭っていた。男は抵抗する力を
失っているのか一方的に暴行を受けていた。スモーカーはその騒ぎの中へズカズカと
入り、三人の前に立ちはだかった。
「止せ、抵抗できなくなった奴を痛めつけたって見苦しいだけだ」
「なんだよ」
反抗的な視線がスモーカーの鋼のような肉体を捕らえた途端、微かにうろたえた。
「お前もボコボコにされたいのか?」
スモーカーは三人を見据えた。若者たちは精一杯虚勢を張ったが、気迫だけで既に
押されている。
短い睨み合いの末、一人が仲間に耳打ちするように仲間に言った。
「やばいよ、こいつ海兵だ。履いてるブーツ見てみろ!海軍で支給されてる戦闘用
のヤツだぜ。特殊部隊かもしれねぇぞ」
スモーカーは足元を見た。
”しまった、ついそのまま履いてきちまった…”
「バカ!それを先に言え!」
言うが早いか若者の一人が一目散に逃げ出した。
「待てよぉっ!」
二人もすがるように店の外へ出て行った。
「大丈夫か?」
スモーカーは倒れている男に手を差し伸べた。
「立てるか?歩けそうか?」
男が黙って差し伸べた手を掴むとスモーカーは肩を貸して男を担いだ。
店主がスモーカーに駆け寄って来た。
「有難うございました、お客さん。喧嘩を止めて下さって…、あたしゃどうしたも
のかとうろたえてしまって、何とお礼を言ったら良いか」
「ここから一番近い医院は?」
長々しい店主の礼をスモーカーはあっさり遮った。
「医院でしたら、この大通りの突き当たりのT字路を右に曲がって直です」
「分かった」
スモーカーは不審に思った。もたれかかるはず男の体重は彼の体にこれっぽっちも
感じられない。それでも、彼は教えられた医院までの道を進んだ。店からある程度離
れた所で男が口を開いた。
「すみませんが、左の細い路地に入っていただけますか?」
「ん?、ああ」
スモーカーは言われた通りに、細い路地に向かった。一瞬、被害者を装ったカッパ
ライか強盗の手口を疑ったが、その場合は現行犯逮捕すれば済むことだと腹を括って
路地へと入った。
男は路地に入った途端にしゃきっと立ち上がり、体の汚れや埃を払った。
「どうも、お世話をかけました。ありがとうございます」
先ほどまで殴られてぼろ雑巾のようになっていたはずの男は、正しい姿勢で深々と
頭を下げた。
「礼を言われるようなことは何もしてない」
スモーカーの言葉を聞いて男は顔を上げた。男はまだ若く、やや長い黒髪に精悍で
整った顔立ちで頬のそばかすが印象的だ。
「いや、お世話になった礼に一杯おごらせてくれないかな」
青年はスモーカーににっこりと笑いかけた。人懐っこい笑顔にはまだ少年らしさが
残っている。
「俺は勤務中…じゃなかったんだな、今日は」
「それじゃ、決まりっ!」
青年はスモーカーの腕を掴んで引っ張っていった。スモーカーは若者の力強さに驚
きながら引きずられていった。
青年は繁華街から離れたビーチに一番近い南国風阿舎のバーを選んだ。椰子の葉で
編んだ屋根が作る影の下は涼しく、砂浜に打ち寄せる波と青い空の下に広がる水平線
を見渡せる。
ドレッドヘアに日に焼けた肌をアロハシャツに包んだ男が二人の前に立った。
「何にします?」
「俺はソルティー・ドッグね」
ソルティー・ドッグは海兵を指す俗語だ。この青年の度胸をスモーカーは面白いと
思った。だが彼はそれを表情に出さずに自分の分を注文した。
「俺はモスコミュールを」
エースはそれを聞いて笑った。
「そういや自己紹介もしてなかったな。俺のことはエースって呼んでくれ。海兵さ
ん、あんたの名前は?」
「スモーカーだ」
「あの、白猟の?凄い、有名人じゃん!」
「そうなのか?」
スモーカーは眉間に皺を寄せた。彼は視線には敏感だが、周囲から下される自分へ
の世俗的評価にはまるで疎い所がある。
ドレッドヘアのバーテンは手際よく作ったカクテルを会話の途切れた間を縫うよう
に差し出した。
「お待たせしました」
二人の前に出されたグラスは既に表面がうっすらと曇って結露し始めていることが
器も中身もよく冷えていることを物語っている。
スモーカーはグラスを口に運びながらエースを改めて観察した。裸身に革のベスト
一枚だけを纏った彼の体は無駄なく鍛えられ、研ぎ澄まされていた。しかも、彼の体
には痣や擦り傷さえ残っていなかった。スモーカーが見ていただけでも三発ぐらいは
蹴りや拳を喰らっていたにも関わらず、だ。エースの不自然に赤い虹彩、この気迫と
波長、同類の気配を彼は感じた。彼は悪魔の実の能力者に間違いないと。
その結論から、エースがあの三人に敵わないとは考えられない。能力を使わなくと
も彼の腕力なら簡単に勝てたとさえ思える。彼は故意に喧嘩を放棄していたのだろう。
スモーカーは確かめずにはいられなかった。
「俺のしたことは余計なお世話だったか?」
「あー、アレね。いや、本当に助かったよ。喧嘩ってほどじゃないんだけど、アイ
ツらしつこくてっさ、どうやって終わらせようか悩んでた」
「喧嘩じゃないなら何だったんだ?」
「ナンパに付き合えって言われたんだ。ルックスが良いのがいると引っ掛かりやす
いから仲間に入れとか何とか言ってきて、イヤだって断ったらああなったワケ」
確かに彼は女たちが放って置かない様な外見の持ち主だとスモーカーは納得した。
「なんだそりゃ、一方的にあいつらが悪いんじゃないか。別に喧嘩を奨めるわけじ
ゃないが、勝とうと思えば勝てたんじゃないか?」
「悲しいかな、世の中には喧嘩する値打ちもない連中は少なくない。俺にだって買
う喧嘩を選ぶ権利ぐらいあるさ」
スモーカーの脳裏に規律に小うるさいだけの能無し上司共の面々が浮んだ。
「その通りだ」
喉を鳴らしてスモーカーは愉快そうに笑った。笑うのと同時に葉巻の灰が落ちる。
随分と短くなっていたことに気付いて吸殻を灰皿に押し付けた。彼は新しい葉巻を
ポケットから取り、端を噛み切った。ライターで火を点けようとするが、海風で錆
びたライターは中々言うことを聞かず、火花さえ出ない。
音も無くスモーカーの目の前に小さな炎が差し出された。
「遠慮なく使ってくれ」
火はエースの食指から直接出ていた。静かに揺らめき続けている。スモーカーは
葉巻の先をその火に翳した。
”なるほど、発火能力か…”
葉巻を吸うスモーカーをエースは懐かしそうな目で見る。
「お礼ってのは実は口実でさ。似てるんだよね、スモーカーさんは。昔俺が好き
だった船乗りに。だから話してみたくて誘ったんだ」
「どんな船乗りなんだ?」
「どんなって言われると困るけど、顔じゃなくて雰囲気がとにかく似てるんだ。
禁欲的で厳しい表情とか、ヘビースモーカーで煙草を口から離さないトコとか、眉
毛が薄くて実年齢より老けて見えるトコとか、暑くてもごっついブーツ履いてるト
コもお揃いだし…。…でも、特に似てんのは”休日はどう過ごせばいいのか分から
ない”って顔で困りながら暇を潰してるトコかな」
最後の項目は全くの図星で、スモーカーはエースの鋭さに驚いた。エースはスモ
ーカーの顔色を伺うことなく楽しそうに話を続ける。
「だから、副船長…その人、その船の副船長だったんだけど、俺その人の休暇を
仲間から聞き出して、休みになると押しかけたんだ。懐かしいな。俺が船乗りにな
るって決めたのは、その人のいる船に出会ったからなんだ」
楽しそうなエースの言葉を聞きながら、スモーカーは顔の緊張を弛めつつあった。
「お前さんも休暇なのか?」
「いや、俺は就職活動真っ最中。仲間を探してるんだ。船乗りのね。俺の好きな
船乗りたちは凄い仲間を集めてて、俺もあんな船員たちを仲間に出来たらって思っ
ね」
「その船乗りの所には行かないのか?」
「あの人たちが今何処にいるかはまだ掴めてない。けど、俺はあの人たちにとっ
て、手強い好敵手になりたいんだ。昔にそう宣言したよ。その為にも絶対良い仲間
が必要なんだ」
エースの熱っぽい語りにスモーカーは破顔一笑した。厳しさに生きる男の滅多に
見せない笑顔には人を惹きつける強い魅力があるものだ。だが、当の本人にはその
自覚が全く無い。
「仲間か…考えたこともなかったな。軍の上層に逆らってばかりの俺に味方する
奴なんざ殆どいなかったからな」
スモーカーは自分の事ながら他人事のように笑う。
「大丈夫だよ」
至って真面目で優しい声でトンチンカンな答えが返って来た。
「何が大丈夫なんだ?」
「スモーカーさんにも、仲間が現われるって。あの人と違って上司運は悪そうだ
けど、スモーカーさんについてくる根性のある部下がきっと現われるよ。俺が保証
する!」
「だといいがな」
根拠は無いが熱意だけは充分にあるエースの言葉をスモーカーは素直に受け止め
た。
何杯かのグラスを空にして、二人は店を出た。
「仲間が見つかると良いな、エース」
「お互いにね」
エースはウインクしてスモーカーに答えた。
スモーカーは宿をとる為に繁華街に再び足を運んだ。エースに絡んでいた三人組
が歩いているのを見つけた。三人はスモーカーに気付かない。一枚の紙切れに三人
とも夢中になっている。擦れ違い様に耳に入る会話。
「さっきの男、ほんとにこの賞金首かな?」
「人違いじゃねぇの?あんな弱い奴」
「間違いでも何でも儲けになりゃ良いさ。あいつなら楽勝だぜ」
スモーカーは即座に紙切れを三人から奪った。
「何すん!ですか…」
スモーカーは紙切れを握り締めたままビーチの方角へ駆け出した。
「ちょっとおっ!」
三人はスモーカーの後を追いかけた。
エースの姿は程なく見つかった。後からよたよたと追ってきた三人もエースを見
つけた。
「海軍さん、あいつは俺らが先に目をつけたんだぜ」
「俺の邪魔をするな」
仕事モードに入ったスモーカーの鋭い一瞥と声に三人は凍りついた。
スモーカーが叫ぶ。
「待て!エース!聞きたいことがある!」
「何?俺の電々虫周波数?」
エースは期待に満ちた笑顔で振り向いた。スモーカーは新しい手配書を掲げて見
せた。
「お前はこの手配書の海賊か?」
問われてエースはにんまりと口の両端を吊り上げる。
「いかにも、俺は海賊ポートガス・D・エースだ。でも、今日は非番なんだろ?
スモーカー大佐殿」
「非番だろうが何だろうが俺は海賊を見つければ捕まえる、それだけだ」
スモーカーのつれない返事にエースは苦笑した。
「そんなんじゃ長生き出来ないぜ?」
「生憎、老後なんざ考えたこともねぇ!」
スモーカーの体が煙の鞭となって襲い掛かる。エースは体を赤い炎の花弁の如く
散らしてスモーカーの一撃を交わした。スモーカーは瞬時に体を網状の煙に変えて
炎と化したエースを捕らえにかかった。
「炎舞曲!」
エースは猛火の竜巻に姿を変えた。巨大な火柱は爆炎となって膨大な熱と突風を
生み出した。スモーカーは体の分散を止める為に素早く人型に戻ったが、それでも
はるか上空に吹き上げられた。
”せめて十手がこの手にあれば…!”
彼がようやく地上に降り立ったときには、既にエースは海へと漕ぎ出していた。
誰が通報したのか、海兵たちがビーチへ押し寄せ、エースを追い始めた。
海兵の中にいた幹部らしき男がスモーカーに駆け寄ってきた。
「スモーカー!お前の所轄荒らしはよく聞いてるぞ。ここは俺の管轄だ。手出し
をするなら容赦せんぞ」
幹部はまくし立てた。スモーカーは何か考えるように間を置いて、一言。
「小言なら後にしてくれ。俺は休暇中なんでね」
拍子抜けする幹部を後にスモーカーはその場を立ち退く。数歩進んだ所で、能力
者同士の戦いに腰を抜かした三人組を見つけた。
「何だ、まだいたのか?」
三人組はへっぴり腰のまま這う様にその場から逃げ出した。
「次は偉大なる航路で逢おうぜ」
スモーカーは歩きながら炎の竜巻に巻き上げられる瞬間にエースが残した言葉を
反芻した。
「いいだろう…」
スモーカーは口尻を僅かに上げた。猟犬の如き鋭い眼光をその目に湛えながら。
<ローグタウン基地>
「お帰りなさい、スモーカー大佐」
基地で一番新米の海兵が声をかけた。
「俺の留守中に何かあったか?」
この質問、実は意味が無い。緊急事態が起こっていたら大佐はとっくに呼び戻さ
れている。連絡が一度もなかったのは何もなかった証拠なのだ。それは彼自身、百
も承知だ。それでも、彼は聞かずにはいられない。
「いいえ、事件は何一つ起きていません」
「そうか」
「休暇はいかがでしたか?大佐」
スモーカーはしばらく考え込んだ後、
「…結構楽しめたかな」
ぼそりと呟いた。
それを聞いた古参の海兵は目を剥いた。新米はそれに気がつき不思議そうな顔を
した。
「どうしたんですか?先輩」
古参の海兵は新米を廊下に連れ出し、声を潜めて話し出した。
「お前はここに来て日が浅いから知らないだろうけど、大佐の口から”休暇が楽
しかった”なんて聞いたのは俺も初めてなんだよ。一体何があったんだか…」
そう言って彼は首を傾げた。
ともあれ、大佐殿の短い夏のバカンスは終わりを告げた。