肌寒い夜風が帆を畳んだマストの間をすり抜けていた。
 「これだけ涼しくなったら、もういいだろ?」
 そう言いながら、副船長の部屋でシャンクスはシャツを脱ぎ始める。
 フーシャ村の夏は蒸し暑く、シャンクスが副船長を求める度に
 「ただでさえ暑いのに、そんな暑苦しい真似が出来るか」
 と、断られることが多かった。
 だが、夏もそう長くは続かない。フーシャ村は秋を迎え、ここ数日で気温も湿
度も下がり過ごしやすくなっていた。
 副船長は諦めを含んだ苦笑でシャンクスの求めに応じる。
 ベッドの中で副船長の服を脱がしはじめた途端小さな足音がせわしなく近寄っ
て来たかと思うと、副船長室の戸がノックされた。
 「ねぇ、起きてる?」
 戸の向こうからはエースの声。
 「お…、おう」
 シャンクスが急いでズボンのジッパ−を上げて扉を開けた。本を抱えたエース
とルフィが立っていた。
 「何の用だ?」
 シャンクスは二人を中に入れる。
 「シャンクスこそ何でここにいるんだ?」
 ルフィの無邪気な質問が大人たちの耳には痛い。
 「次の航路について航海会議(ミーティング)」
 ベッドに座っていた副船長が落ち着いた様子で答えた。
 「そ、そうそう。で、お前たちの用は何だ?」
 シャンクスが副船長のフォローに乗じて、話題をそらす。
 エースは本を二人に見せた。
 「この本を読みたいんだけど、読めないんだ。だから副船長に読んでもらおう
と思ってさ」
 エースは時々副船長から本を借りることがあり、それをルフィに読み聞かせる
こともあった。最近では副船長の書棚から自由に本を選んでいた。この本も副船
長の蔵書である。本のタイトルは 
  ”Porta Coeli”
昔の冒険家ルイ・アーノートの航海日誌を編集した本である。
 「特にここを読んで欲しいんだ」
 エースは本についた栞のリボンをもとに頁を開く。そこには海に浮かぶ美しい
島の挿絵があった。その章は”La Isla Bonita”と題されている。
 シャンクスは開いた本を覗き込む。
 「原文の方か、俺も読めないことはないけど、翻訳して読み聞かせるならお前
の方が良いな。お前の母国語だから」
 シャンクスは本を副船長に渡した。
 「この章で良いんだな?」
 副船長は二人に訊ねた。
 「うん」
 二人の少年は同時に頷くと副船長を挟んで体をぴったりとくっつけて寄り添っ
た。
 ”Porta Coeli”は「天国に至る門」を意味し、アーノートの航海日誌の中で
も美しく豊かな海や島についての記録を編纂した本だった。
 副船長は独自に翻訳しながら朗読する。少年たちは挿絵を見ながら見たことも
ない遥か遠くの島での冒険に思いを馳せた。シャンクスは椅子に座って三人を見
つめながら、相棒の低く静かな響きの良いテノールを堪能する。
 だが夜が更けるにつれ、子どもたちの頭はゆらゆらと舟を漕ぎ始めた。シャン
クスはその頭をそっと支えてベッドに寝かせ、起こさぬように毛布をかけた。
 二人が熟睡したのを見届けるとランプを消して、音を立てぬように部屋を出る。
 「今夜は俺のベッドに泊まれよ」
 シャンクスが笑った。
 「ああ、仕方ないな」
 副船長が苦笑する。
 ベッドに寝転んだシャンクスは天井をぼんやりと見つめながら口を開いた。
 「先の翻訳、La Isla Bonita。直訳すると”美しき島”ってのを”天国に一番
近い島”って訳したのは中々の名文句だったな」
 「ああ、あれは子どもにも分かりやすく言い換えただけのつもりだったんだが」
 「天国に一番近い島…か」
 感慨深げにシャンクスが呟いた。
 「行ったことはあるか?」
 副船長が訊ねてきたのは意外だったが、即答する。
 「あるよ」
 「どこの海にあった?」
 「どことは言えないな」
 シャンクスは笑った。
 どこそこにあるとは言えないのさ。俺にとってはお前が側にいるならどの島も
本当に「天国に一番近い島」だから。
 「教えてくれないなら仕方ない。いつか俺をそこに連れて行ってくれるか?」
 「ああ、いいよ。連れて行く、いつかな」
 果てしない約束を二人は視線で交わした。
 シャンクスは副船長の腰に手を回す。
 「子どもってのは可愛いもんだな。三人目を作るか」
 唐突な申し出に副船長は面食らった。
 「何わけのわかんない冗談言ってるんだ。無理に決まってるだろ」
 シャンクスは戸惑う相棒の反応が可愛くて、からかうことを止められない。
 「大丈夫だよ。お前器用だし」
 「そういう問題じゃな…」

 船長室での会話が途絶え、灯りも消えた。冷たい風が微かに艦を揺らしていた。 
 


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