フェザークロス島は評判のオリエンタルリゾート地。美しい海浜を見渡せるなだらかな石畳の路
は観光客だらけだ。その人ごみの中を、薄っすら銀灰色を帯びた白いペルシャ猫がたった一匹で悠
然と歩いていた。猫と擦れ違った人々は振り返る。猫自身の豪華な外見と贅沢な首飾りが彼らの目
を奪っていた。一匹で彷徨う姿が余りに不似合いな姿、つまり金持ちそうなマダムの胸に抱かれて
いないと不自然にさえ見えるのだ。当の猫は周囲の視線などお構いなしに気ままな素振りだ。

 やがて、辿り着いたのは静かな浜辺を見渡せる異国情緒溢れる椰子葺屋根のコテージ。開放的で
隙間の多いコテージの中へ、猫は見事な毛並みの尻尾を揺らしながら入っていった。猫は部屋の中
に音も無く無断侵入する。

  あ、金魚
  金魚が二匹もいる
  赤い金魚と黒い金魚
  赤い金魚はゆらゆら揺れる
  黒い金魚は尾が長い
  赤い金魚が揺れるたび、黒い金魚はぴくりと跳ねる

 は翡翠の瞳でベッドの上の二人を見つめていた。二人は猫に気付かぬほど互いに夢中だ。

  ぴちゃり ぴちゃ ぴちゃっ
  鰭の音?舐める音にもよく似てる
  赤い鰭は楽しそうに揺らめくのに
  黒い金魚は苦しそうに口を開けたり閉じたり
  苦しそうな呼吸、水に戻らないの?
  くちゅ… くちゃっ…
  何の音?何か食べてるの?

  私なら赤い金魚を獲るけど、私の大切なあの人はきっと黒い金魚が好き
  避暑地での冒険旅行なんだから、お土産は欠かせないわ
  黒い金魚は大きいけど、弱ってるからきっと大丈夫
  持って帰ったら、彼はいつも以上に私を褒めちぎってくれるに違いないわ
  いーちぃ、にーぃ、さーん、えいっ!

 赤い髪の男の腕が素早い動きに即座に反応した。

 ガリッ!かぷっ!
  …あら?

 「いってえー!」
 猫がシャンクスの腕から離れ、数歩退いた。
 「猫?」
 ベンがベッドから上体を起こした。
 「何で猫がこんなとこにいんだよ?」
 ベンは猫がしている真珠を連ねた首輪を見た。
 「!まさ−」
 ベンは咄嗟に手を口に当てた。この猫がここにいるってことは…まさか…あの男もこの島
に!?
 シャンクスがベンを振り返ると、彼は口に手を当てたまま固まっていた。
 「お?つわりか?とうとう当たったか?」
 「当たるわけねぇだろっ!」
 ベンは拳骨で赤い頭に直接ツッコミを入れた。
 既に猫の姿は部屋のどこにも無かった。
 「どっから来たんだろうな、あの猫」
 「その傷、手当てしないと」
 「かすり傷だよ。それよりも続きだ」
 シャンクスの口付けから彼はするりと逃れ、腰にタオルを巻いてベッドを離れた。
 「おい!」
 ベンはミニバーからウオッカの小瓶を取るとシャンクスの前まで戻り、彼の傷に酒をかけ
た。
 「いってー!…っ、しみる…」
 「消毒だ、我慢しろ」
 悶絶している隙にベンはズボンのポケットから小箱を取り出した。小箱を開けながら
シャンクスの前に座ると、軟膏を傷の上に塗り始める。
 「猫の爪や牙の細菌は馬鹿に出来ないんだ。破傷風にでもなって腕が壊死したらどうする」
 「大袈裟だよ」
 シャンクスは溜め息を吐いた。
 「あんたにはこの腕しか後がないんだぞ」
 ベンはシャンクスを見上げて睨んだ。
 「でも、ゴミ箱漁ったり、庭で獲物を追っかける猫には見えなかったけどな」
 「それでも油断は出来ん」
 「はいはい」
 ベンがシャンクスの傷の上に乗せた薄いガーゼを医療用テープで固定した。
 シャンクスが愉快そうに笑う。
 「猫の首飾りに真珠を使うなんざ酔狂な飼い主だな。いっぺん顔を見てみてぇよ。どんな
成金なんだか」
 いや!見ない方が良い、絶対に!ベンは心の中で頭を思いきり横に振った。
 「来いよ」
 ベッドに座っていたシャンクスがベンの腕を掴んで引き寄せる。
 「まだやるのか?」
 「ムキになって心配したり、甲斐甲斐しく手当てする健気な姿ってのは何よりも男をそそ
るモンなんだよ。それが分かってないトコもお前らしくて可愛いな」
 「…表現が間違ってるぞ」
 「良いんだよ!」
 シャンクスはベンの脚の間に素早く自分の両足を滑り込ませ、腰を右腕一本で引き寄せて
自分の腿の上にベンを座らせた。ベンは最後の抵抗を試みる。
 「あんたの休みはもう残り一時間しかないんだぞ?」
 「まだ一時間ある、だ」
 シャンクスはベンの腰からタオルを剥ぎ取る。
 ベンの脳裏に一抹の不安が過ぎる。あの男とシャンクスが鉢合わせしなきゃいいんだが…。
 「おい、集中しろよ」
 「あ!」
 この男が傍にいると休みにならない…。
 次第に二人の呼吸が荒く乱れ始めた。


 真珠の首飾りを着けた白い猫は飼い主の姿を見つけて駆け寄った。
 「クレオパトラ!」
 麻のパナマ帽にシンプルな白いシャツにスラックスの男が猫の名を呼んだ。
 「心配したんだよ、クレオパトラ。今まで何処に?」
 抱き上げられた猫の翡翠の瞳が飼い主を見あげる。パナマ帽の下にはプラチナブロンド、鼻
梁の高い整った顔立ちは熟年の二枚目俳優の様。その顔を飾る微かに緑を帯びた金色の目は安
堵を湛えていた。
 猫は撫でられる喉を嬉しそうに鳴らす。
  シドは私にいつも優しいのね、私もシドが大好き
  今日は失敗しちゃったけど、今度見つけたら必ず持ってきてあげる
  貴方の好きな黒い金魚
 
季節の挨拶へ


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