田舎町の海軍基地。海賊どころか商船も通らない鄙びた海域には静けさしか似合わな
い。水平線を見飽きた見張りの目が久しぶりに船の影を捉えた。双眼鏡を構えてその姿
を確認する。レンズ越しに見えたのは壊れた船、大きさから見て恐らく巨大な戦艦の一
部分。
 遭難か?見張りはその正体を見極めようと双眼鏡の焦点を調整しながら対象物を追っ
た。よく見ると船の残骸らしき物は小船に綱で牽引されている。小船には不気味な青い
灯火が二つ、その間に足を組んで悠然と座る黒い帽子の男。羽飾りのついた帽子の後に
は十字架の如き大刀の柄が垣間見えた。
 「まさか…鷹の目?!」
 見張りの声に周囲がざわめいた。
 「鷹の目って王下七武界の?嘘だろ!」
 小船は次第に基地に近づきつつある。船に乗っている男の特徴的な顎鬚や鷹の目と呼
ばれる所以の鋭い眼がはっきりと見えてきた。
 「やばい!」
 「なんだってこんな田舎に来るんだよーっ!」
 「んなこと言ってても仕方ない!先ずは中佐に報告しろ!」
 海兵たちは半狂乱になってうろたえた。
 王下七武界は決して海軍を攻撃しない。他の王下七武界、ドフラミンゴやバーソロミ
ュー、クロコダイルなら海兵はここまで慌てたりしない。七人の中で鷹の目だけが海軍
基地に歓迎されない理由が在るのだ。
 基地の海兵全員が波止場に迎え出る。田舎支部で一番上の中佐が進み出て敬礼をした。
 「ようこそおいで下さいました、アール・ジュラキュール・ミホーク」
 七武界は基本的に海軍本部上層幹部と同じ扱いがなされる。ミホークはその実力と伯
爵家出身であることから名実ともに七武界では伯爵の称号を与えられている。ミホーク
自身は気にいらないのだが、田舎海軍がそんな事を知る由も無い。
 「上納金を納めに来た。あの船の残骸に戦利品が積んである。適当に上納金を差し引
いたら残りは己の当座に振り込んでくれ」
 海兵全員が「げ!」と言わんばかりに顔を歪めた。
 ミホークは用件を告げるとその場を去ろうと踵を返した。一歩進もうとした足を止め、
彼は振り返る。
 「船はここに預けていくが良いか?」
 「はっ…」
 中佐の力ない敬礼と返事には目もくれずにミホークは定規で引いたかのような直線上
を真っ直ぐに歩いていった。
 海兵たちが深い悲嘆にくれながら溜め息をついた。七武界の中で鷹の目だけが海軍基
地に恐れられる理由、それは彼の上納金の納め方にあった。
 上納金はその海賊の収益から一定の割合で差し引かれる、謂わば所得税のようなもの
だ。想像し難い事だが、七武界に名を連ねる猛者たちも確定申告をしている。中には故
意に収益を少なく申告して上納金を減らす者もいるが、海軍はその事を知りながらも目
を瞑るのが暗黙の契約なのだ。
 だが、ミホークだけは他の六人とは違った。彼は戦利品をそのまま手付かずの状態で
海軍基地に持ってくる。彼の育ちのせいなのか、生来の性分なのか金品には執着しない。
戦利品の中の名刀は自分の蒐集品に加えるが、それも海軍との契約で最初から承認済み。
上納金の計算は全て海軍に任せきっている。
 ミホークの公明正大にして無頓着な支払いが海軍を大いに悩ませる。彼は「適当に」
と言い、多少掠め取られても構わない口ぶりだ。その「適当」と言われた仕事をざっと
説明すると以下の通りである。
 上納金は海軍にとって重要な資金であるから、一支部が勝手に計算する訳にはいかな
い。先ずは本部に報告の上、不正のないように監察役を招かねばならない。
 戦利品が貨幣だったとしても、単純に数えるだけでも一苦労な額である。貨幣が数ヶ
国の外貨や歴史的古銭等の数種類に渡れば、全てを世界政府通貨ベリーに換算して計上
する。
 戦利品に宝飾品や骨董品が混ざっていた場合、それを現金化した場合の見積もりを算
出しなければならない。宝石、骨董には鑑定も必要なら、オークションに出品した場合
の価格の変動も考慮しなければならない。ちなみに鑑定料、出品参加費は戦利品から差
し引く。骨董品に付いては「博物館に寄付をしては」との意見もあったが、軍事費はい
くらあっても足りないのが世の常だ。地道に換金するより他ない。戦利品に世界政府参
加国のいずれかの国宝級の重要文化財が入っていようものなら、返還するのだって海軍
の仕事だ。
 数々の煩雑な事務と実務の結果、資産価値を漏れなく計上した所でやっと上納金を計
算し、残りをミホーク名義の口座に振りこむ。
 こんな仕事がいきなり小さな田舎支部に持ち込まれたら、海兵たちがパニックに陥っ
ても無理は無い。
 あまりの仕事量の多さに「鷹の目専門の会計班を作ろう」と海軍会議の議題にさえな
ったこともあるが、流浪の一匹狼の上に神出鬼没な彼には打つ手が無かった。結局、こ
のように運の悪い支部が突然に煩雑かつ膨大な仕事を背負う羽目になる。海兵には基本
的にデスクワークが得意な者は少ない。残業手当や報奨金がつくにも関わらず、この特
別業務の志願者は皆無だ。
 運悪く赴任先で二回もこの「上納金会計」業務に出くわしてしまった某海兵はこう語
る。
 「前線勤務や海賊の夜襲の方がまだマシだ。鷹の目の上納金業務よりは…」


 そんな海軍の苦労など微塵も知らぬミホークは宿を探しに港町を歩いていた。一般人
しかいない田舎の港町では只でさえ目立つ彼の姿が殊更に目立つ。周囲の目を気に留め
る事もなく、彼は酒場で飲んでいた。
 やがて町は満月の夜を迎えた。
 宿の部屋に入り、ロングコートを脱ぐとポケットがふいに重い。ポケットの上から触
ると小さな球体であることが判る。手を入れて探ると指にコツリと当たった。取り出し
てみると、直径一インチ程の虹色の艶を帯びた黒色の珠、黒真珠だった。ミホークは三
本の指で摘んでもなお余る大粒の真珠を眺めながら考えた。
 先の戦利品の中にあったような…。ポケットに入れた覚えは無いし、ごまかすつもり
も無かったのだが。かと言って海軍にもう一度渡しに行くのも面倒だ。宿代に置いてい
くか。
 ミホークは間違いなく「時価」扱いになるであろう極上の大粒黒真珠を、無造作に木
製の安っぽい机の上に置いた。机には窓から差し込む月光が丁度当たり、黒真珠をより
輝かせた。
 「ジュラキュール・ミホーク様」
 どこからとも無く声が聞こえた。ミホークは神経を瞬時に研ぎ澄ませて気配へのアン
テナを部屋中に張り巡らせた。だが「人」の気配は部屋の外にさえ無い。
 「ミホーク様、ここです。机の上です。今貴方が置いた黒真珠です」
 見るとそこには黒真珠しかない。真珠から何かしらの気配を感じ取ることが出来た。
 「貴方を見込んでのお願いがあるのです。話を聞いて戴けませんか?」
 おぼろげに響く人のものとは思えぬ声は確かに黒真珠から聞こえてくる。
 「…生憎、無機物と会話をする趣味は無い」
 ミホークは真珠に背を向けた。
 「無機物って…、これでも今までは海の至宝とか海神の眷属とまで呼ばれてきた
んですがねえ…」
 元々口の無いものをどうやって黙らせればいいのかとミホークが思案し始めたその時、
 「では、この姿なら話を聞いて戴けますか?」
 真珠の声のトーンが変わった。聞き覚えのある男の声。驚いたミホークが振り返ると
背の高い男の姿があった。豊かで長い黒髪が月光を受けて艶やかに光る。その髪からの
ぞく精悍な顔は、ミホークの記憶の中で常に赤髪の隣にいる男のものだった。
 「ベックマン?…何故彼に化ける?」
 彼は髪も結っていなければ、何一つ纏わず月光にその肌と肢体をさらけ出していた。
思わずミホークは顔をそむけ、目に入ったベッドの上のリネンを掴むと彼に投げつけた。
投げられた布は広がりながら彼の体にかかった。ベックマンの姿を借りた真珠の精はそ
の布を体に羽織ってミホークの傍らに歩み寄った。
 「目を背けるのは何故です?見たいという欲望を心の底で強く抑えているせいではあ
りませんか?」
 ミホークは目だけで睨んだが、彼は怯えもせず蠱惑的な目でミホークを見つめ返す。
 「貴方の様に頂点を極めている御方でも、一つや二つは叶えられなかった何かが在る。
…違いますか?」
 ベックマンの姿をしているが新しい記憶にある本物よりも若い。最初に会った時の姿
であるらしい。赤髪は心底嬉しそうに彼を「俺の相棒だ」と紹介した。初めて出会った
彼の姿が何故かいつまでも胸に残った。
 己の心を読むか…、海の魔物か?ならば心してかからねば。
 ミホークは気を引き締め表情を更に厳しくする。
 「…何が望みだ」
 彼はミホークの肩にそっと手を置いて囁く。
 「貴方の望みを叶えて差し上げようと言っているのですよ。これから起こることは貴
方と私だけの事。貴方が私をどうしようと誰にも咎められる道理はありません」
 「黒真珠よ、それで汝は何を得るのだ?」
 核心を問い詰められて黒真珠は静かに微笑んだ、好敵手の恋人の顔で。
 「海に還る為に貴方の手をお借りしたいのです。私の提案は御礼の前払いと言った所
です」
 「?」
 「私は…百年前には珊瑚の死骸から出来た小さな砂粒でした。大きな蝶貝に吸いこま
れて十年近く貝の中で眠り、蝶貝から取り出されて目覚めた時には既に陸にいました。
それから私は多くの人間の手を渡りました。ある者は私を買い、ある者は私を奪い、宝
物庫やショーケースに居たこともあれば、時には薄暗い密輸船の中で怪しげな生薬と一
緒に運ばれたこともありました。人間は私を見ると皆が皆、一様に欲しがった。滑稽で
すよね?元々は小さな砂粒だったのに」
 彼は自身をも嘲笑するかのように寂しげな苦笑を浮かべ、話を続ける。
 「私は人の世界に、争いに巻き込まれ続けることに疲れてしまった。人の手が届かな
い私の故郷で安らかに眠りたい、ただそれだけなんです」
 人を悪戯に化かす物の怪とは違うようだと彼は思った。彼の顔から険しさが消えてい
った。
 「己を選んだのは?」
 「言ったでしょう?人間は私を見ると掌中に収めたいという欲にかられてしまう。私
を見て何の関心も持たなかったのは、貴方が初めてでした。私を海に還せる人は貴方の
他にいません」
 黒真珠はミホークの正面に立ち布から手を離した。布が床の上で乾いた音を立てた時
には、彼の唇がミホークの口を塞いでいた。ミホークは自分の唇を吸っている男の首に
右手をかけて押し返す。
 「好きにして構わんと言ったな。それはどう扱っても文句は言わぬ、そう言うことだ
な?」
 彼の首を掴むミホークの指に力が入る
 「どうぞ、貴方のなさりたいように。貴方が私の望みを叶えて下さるなら」
 黒真珠の悠然と微笑む目が「でも、乱暴には出来ないでしょう?」と語りかけている。
彼はそのまま座り込むとミホークのベルトに手を掛けた。ジッパーを下ろして中を探り、
中心を見つけると口に含んだ。
 ミホークが黒髪を柔らかく掴んで彼の顔を上げさせる。黒真珠はミホークのブーツを
脱がせ、ズボンも脱がせた。
 ミホークは黒真珠をベッドに寝かせて組み敷いた。掴んだ手首に抵抗する気配は微塵
も無い。ミホークは猛禽を思わせる目でベックマンの顔を見つめる。ベックマンの瞳そ
のものだが、宿している光が違う。本物の彼の目にはミホークに対する警戒心が密かに
宿っていた。
 ”彼はこんな目で己を見ることはない”
 ミホークの愛撫を受け入れながら妖艶な肢体が惜しげもなく放り出され、ミホークの
意のままに従う。
 ”彼は己の前で無防備に素足を開いたりはしない”
 「ミホーク…」
 交わった瞬間の声には歓びを待ちかねていたかのような熱がこもっていた。
 ”彼の声は己の名をこんな風に呼んだりはしない”
 ミホークは体の下に敷きながら交わっているベックマンに接吻をした。
 どうせ退屈な夜を幾夜も過ごしているのだ。心に禁じていた夢を描いてみるのも一興
だ。今宵限り、この世に決して存在し得ない光景を見るのも良い。
 月光の中、睦み合いは繰り返された。

 ベックマンの姿をしたままで黒真珠は寝入っていた。ミホークは全裸の彼に布を掛けて
ベッドを離れた。
 黒真珠には分かっていた。彼がこの布を掛けたのはここにいない本物、真珠の自分に布
を掛けてくれたのではないのだ。黒真珠は寂しげな表情で目を固く閉じて布を引き寄せた。


 翌朝、ベッドの上には黒真珠が乗っているだけだった。ミホークはロングコートのポケ
ットに真珠を入れて宿を出た。
 海軍基地は上納金業務で大騒ぎになっていた。悲鳴を上げる海兵たちにミホークは目も
くれずに自分の船を海に出した。
 船は沖に進み、陸も見えなくなった。
 昨夜のことは夢か?と思いかけたその時、彼の目の前にベックマンの姿が現われた。船
縁に座り波を見つめる。彼は昨夜と同じく全裸だが、髪がより長く豊かになり背も腰も艶
のある黒髪に覆い隠されている。
ミホークは自分のコートを脱いで目の前の裸の男に掛けようとした。
 男はそっと手を上げてミホークのコートを拒み、
 「一晩だけでよろしいのですか?」
 振り向きもせずに問う。
 昨夜のような逢瀬を繰り返せば、本物への想いが募る。慕情を止められなくなる前に黒
真珠を出来るだけ早く手放したいという焦りが彼の胸にあった。痛いところまで見透かし
てくれるものだとミホークは思った。
 「己の未練を笑うか」
 ミホークの口調は自嘲気味だった。黒真珠が振り向いて微笑む。
 「いいえ、気が変わったのは私の方です。貴方の掌中ならば、人の世も悪くはない。そ
んな気がして」
 ミホークは優しく笑み返す。
 「…いや、汝は海に還るほうが良いだろう。それが汝の為であり、人の為でもある」
 「そうでしょうね」
 黒真珠は寂しそうに笑った。
 二人の会話が途絶えても、船は進み続けた。
 不意に黒真珠がすっくと立った。
 「ここで船を止めて下さい。ここの海の底なら人の手も届かない」
 ミホークは船を止めて黒真珠に歩み寄った。
 「ありがとう…」
 黒真珠はミホークに口付ける。滑らかで硬質な感触。黒真珠がミホークの手を握ったか
と思うと、彼の姿は消えてミホークの手に僅かな重みだけが残った。
 黒真珠を握った手を海面の上に差し出し、その手を開く。「とぷん」という音と小さな
水跳ねを最後に、人々に求められ続けた至宝は永遠にその姿を消した。

 船を走らせながら、ミホークは詩を口ずさむ。
 "The little fire by the name of love, that always make only little ash."
  (恋と言う名の小さな炎を灯さば、残るは僅かな灰ばかり)
 諺にも似た古い詩文。
 かつてこの詩を聞かされた時は、下らぬ詩だと失笑した。己がこんな詩を理解すること
は一生あるまいと当時の己は高を括っていたものだ…。
 ミホークは静かに目を閉じた。
 沈めてしまえばいい、この詩も己の想いも海の底へ。あの黒真珠と供に…。

 
 
 数年後、ミホークはとある賞金首のビラを持って好敵手に会いに向かった。
 「悪かったな、鷹の目。これをわざわざ届ける為にこんな島に来てくれたのか」
 彼の好敵手・赤髪は思いがけない朗報にすっかりご機嫌だ。
 自分で逗留しておきながら「こんな島」呼ばわりするとは相変らず酔狂な男だと、ミホ
ークは内心に思う。
 「上納金を納めるついでもあってな」
 ミホークの一言に、会計業務に日頃から頭を悩ませている赤髪大海賊団の面々が溜め息
をついた。この件ばかりは彼らも海軍に同情してしまう。
 「だが、驚いた。副船長、主は随分変わったな」
 ミホークは白い髪の元副船長・現副首領を見つめる。
 「ん…、まあな」
 副首領は鷹の目の酌を務める。
 「…真珠の色だな。前の髪も、今の髪も」
 「…?」
 鷹の目の思いがけない言葉と、いつもとは異なる何かを含んだ視線に副首領は密かに戸
惑う。
 「こら、鷹の目。ドサクサに紛れてうちの船員を口説くな。何が真珠の色だ、くっさい台詞ぅ〜」
 絡むシャンクスはまるで酔っ払いオヤジで、大海賊の威厳はない。
 鷹の目は肩に寄りかかるシャンクスの顔を真面目に凝視する。
 「何だよ」
 「…主も少し変わったな。額が広くなったと言うのか、生え際が少し後退したようだが」

 「ぶわっはっはっはっはっは!」 
 宴会は大爆笑に包まれた。
 「言うなよ!気にしてんだから!」
 ミホークは無表情に会場を見回した。
 「別に笑わせようと思って言った訳ではなかったのだが…」
 「本気だから余計に性質が悪いんだよ!もーっ!副ちゃんまでそんなにウケるこたぁね
えだろっ!」
 「わ…悪い…」
 横に居た副首領も笑いを必死でこらえている。
 「どーしてお前はそんな真面目が過ぎて外れるんだからよー」
 シャンクスは酔いが回ったか、ミホークに背中を預けてもたれかかった。
 「客人を布団にしてどうするんだ、あんたは…」
 副首領がシャンクスをミホークから剥がした。
 「じゃあ、お前が布団になれ〜」
 シャンクスは副首領の膝の上を寝転ぶように占拠した。
 「んじゃ、副首領が動けなくなったんで俺が酌をしまさぁ。鷹の目サン」
 すかさずにヤソップが酒瓶を持って鷹の目の隣に構えた。
 「気の利くことだ。ありがたく頂こう」
 鷹の目はグラスを差し出した。
 相棒の膝の上で呑気に眠る赤髪を見て、鷹の眼は微かに口元を弛めた。

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