夕焼けの色も褪めて薄暗くなった港の桟橋の上、二人分の人影が暗さに紛れるよう
に潜んでいた。
 「なあ、エース。本当に明日海に出るのか?」
 「ああ、夜明け前にな」
  エースは自分で作った二艘式のカヤックを海に浮べ、もやいを桟橋の杭に括りつ
けた。
 「オレもついでに乗せてってくれないか?」
 「致命的なカナヅチにカヤックは無理だ。お前は約束には三年早いし、何より自分
の力で海に出るのが誓いの条件だろう?」
 「んん。そーだった」
 「…ルフィ、お前に頼みたい事がある」
 「何だ?」
 エースはこれから積み込む荷物をゴソゴソと掻き分けて分厚い大きめの封筒を差し
出した。
 「三年後、お前が村を出る直前にコッグズワースさん家に届けて欲しいんだ」
 「ああ」
 ルフィに手渡す手前でエースは封筒を引っ込めた。
 「やっぱ、やめた」
 「何でだよ!」
 急に態度を変えられ、ルフィは真剣な表情になった。
 「お前は三歩進めば全てを忘れる鳥頭だから、これは確実じゃないな」
 エースの挑発的な態度にルフィはムキになった。
 「何だとー!オレは約束だったら絶対に忘れたりなんかしねーぞ!」
 「本当に忘れずに渡せるか?マキノには見つからないようにするんだぞ」
 「もちろんだ!!」
 エースはルフィを信用していないのではない、ルフィの性格を熟知しているエース
ならではの作戦だったのだ。
 「よーし、忘れるなよ。男と男の約束だ」
 「おう!」
 二人の少年の瞳には男としての意志と自覚が宿っていた。

 


 三年後、フーシャ村−

 パーティーズバーの厨房ではマキノが大きな鍋に火をかけながら、歌を口ずさみな
がら調理器具を洗っていた。歌は「あなたの生まれた日は?」という題の古い童謡だ。
 「”♪月曜日の子は、美しい顔に生まれ
    火曜日の子は、お上品に育ち
    水曜日の子は、泣き虫になる
    木曜日の子は、遠くへ行く♪〜
  あっ!」
 歌と同時に彼女の手も止まる。
 「また、やっちゃった…」
 彼女は調理台を振り向いた。
 「作りすぎちゃった…」
 マキノの酒場は木曜を定休日としているので、水曜日の夜は少し早めに店を閉め、
金曜までもたない残り物は調理してしまう。その残り物料理を毎週楽しみにしていた
のが、村一番の食いしん坊兄弟エースとルフィだった。だが、それも半年前までの話。
今はエースもルフィも海へ出てしまっていた。
 エースが海に出て間もない頃も、マキノはうっかり二人分作ってしまうことがよく
あった。その時は、ルフィがエースの分まできちんと平らげてくれた。だが、そのル
フィも今はいない。
 マキノもそうそう間違えはしないが、何かのはずみで気が抜けると手が勝手に今ま
での量を作ってしまっている。彼女は今、習慣の恐ろしさを身をもって感じていた。
 ”トントン”
 勝手口の戸がノックされた。
 「遅くにごめんなさいね、手は空いてる?」
 声の主はフーシャ村の時計屋の奥さんだった。マキノは扉をすぐさま開けた。そこ
には小太りで愛嬌のある中年の女性が小箱を持って立っていた。
 「あ!コッグズワースさん、ちょっと待ってください」
 マキノは引き返して調理台上の一番大きな鳥の丸焼きの乗った皿に銀のカバーを被
せて持ち出した。そしてそれをコッグズワースの目の前で開けてみせる。
 「こんばんは、コッグズワースさん。突然なんだけど、もしよろしかったらこの丸
焼きを持っていったくれませんか?作りすぎちゃって」
 コッグズワースは目を丸くしたが、すぐに笑顔になった。
 「あら、丁度良い時にきちゃったわね。ありがたく頂戴するわ。でも、それを受け
取る前に渡さなくちゃいけないものがあるの。あなたにお届けものよ」
 「私に?」
 マキノは丸焼きを近くの棚に置いた。
 「あなたの家族からよ」
 コッグズワースがそう言って渡した箱には丁寧なラッピングと赤く細いリボンで飾
られていた。
 「?」
 マキノは首を傾げた。マキノは両親を十五歳の時に亡くした。良い酒を仕入れにと
張り切って遠出をした先で事故に遭ったのだという。両親の他に彼女に身寄りらしい
身寄りはなく、彼女は一人で店を継いだのだ。
 「元気すぎる弟二人からよ」
 「…あ!ルフィとエース?」
 マキノは驚いた。
 「そうよ。じゃあ、あたしは帰るわね」
 「あっ!丸焼きを忘れないで」
 「そうだったわね」
 皿を手渡されながらコッグズワースは優しい笑顔で囁くように言った。
 「誕生日おめでとうマキノ」
 マキノは驚いた。今日が自分の誕生日である事などすっかり忘れていたのだ。
 彼女はすぐに包みを解いた。三本立てマスト帆船の彫刻の施された木製の箱。蓋
を開けるとそこには懐かしい写真が額の中に収まっていた。写真の中ではマキノを
挟んで並ぶ二人の兄弟、背景はパーティーズバーの入り口前、村長が撮ってくれた
ものだった。箱の底からは優しいオルゴールの音色、”Happy Birthday”のメロデ
ィが溢れてきた。
 中にはコッグズワースの気遣いと思われる小さな花束、その底には封筒が見えて
いた。封筒の表には懐かしいエースの文字で「マキノへ」とあった。
 彼女ははやる気持ちで封筒を取り出した。封はされておらず、中には折りたたん
だ便箋が二枚入っていた。
 一枚目はエースの字、三年の月日の為かインクがやや色褪せていた。
 ”俺たちはマキノを残して海に出てしまうけれど、マキノの事は本当の家族だと
思って育ったし、これからだってずっとそうだ。ただ、マキノの誕生日を側で祝う
事が出来なくなるから、このオルゴールを贈ることにした。海の最果てに行こうと
も、俺たちの故郷はここだってことは絶対に忘れない。海の向こうから「マキノが
幸せであるように」と祈っているよ”
 懐かしさに笑みがこぼれると同時に、残される自分を気遣ってくれるまでに彼が
成長したしたことを彼女は何より嬉しく思った。
 もう一枚を開くとそこにはルフィの文字。インクは黒く、一字一字が大きく稚拙
で特徴的な文字。
 ”オレは絶対にワンピースを見つけて「宝払い」しに帰ってくるから、待ってて
くれよな!マキノ”
 素っ気無いほど短い文もルフィらしいと彼女は微笑む。その目には涙が滲んでい
た。
 繰り返されるオルゴールの音色を聞きながら目を閉じると、彼らと過ごした日々
の風景が蘇ってきた。
 ”私は突然に両親を亡くして笑う事を忘れかけ、自分の心の時間までが止まって
しまいそうになっていた。そんな私の前に現われた二人の小さな兄弟。あなたたち
と過ごしていると本当に楽しくて、心が温かくなって笑えるようになった。
 両親を失ってどんな大人になればいいのかと迷っていたけれど、あなたたちを見
守る事が私を自然に大人へと成長させてくれた。”
 「ありがとう、エース、ルフィ…」
 その夜、マキノは何度もオルゴールの螺子を巻いた。
 
 翌朝、目に染みるような青空の下、二階の物干し台でマキノは洗濯物を干してい
た。
 「おはよう、マキノ。いい朝ね」
 隣の奥さんが道から見あげながら声をかけた。
 「ええ、本当にいいお天気ですね」
 マキノは全ての洗濯物を干し終えても、物干し台に立っていた。歌が彼女の口を
ついて出た。
 「”♪月曜日の子は、美しい顔に生まれ
    火曜日の子は、お上品に育ち
    水曜日の子は、泣き虫になる
    木曜日の子は、遠くへ行く
    金曜日の子は、気前が良い
    土曜日の子は、苦労が多い
    日曜日の子は、皆に愛され運も良く、とにかく言うこと無し♪”」
  ”うんと遠くに行ってらっしゃい、木曜日の子どもたち。私は待っているわ、
  あなたたちの故郷のこの村で。”

 海から吹いてくる柔らかな風は、彼らの笑い声が溶けこんでいるかのように温か
かった。

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