「…自分で裏とっといてこういうことを言うのもナンだとは思うんだけどね、お頭」
 「どーしたよルゥ、奥歯に食べかすでも詰まったか?」
 差し出された楊枝入れをまるまっちい手で脇に押しやって、ラッキー・ルゥはテーブルの上
に投げ出したこの数ヶ月の努力の結晶に再度目を落とした。
 「…ホラじゃないってとこがますます頭痛いっていうか、そのさ」
 自分自身で収集し、信憑性をくどいほど確認した資料を評する台詞じゃ無いだろうと思わな
いでもないが、言わずにはいられなかった。
 「ナンだかなあ、ナニこれ、この撃沈記録。直接参加した戦闘だけで累計116隻?それも
この3年半で?」
 そもそも広大な海上で、敵と交戦距離で遭遇すること自体そう簡単なものではない。それに
大体戦船なんてものは、沈むときは拍子抜けするぐらい呆気なく海の藻屑になるくせに、沈め
ようとするとこれがなかなか、生半可なことでは沈まない。各国が独自に保有する沿岸警備軍
に籍を置く軍人であれば、撃沈数5隻を超えれば十分エースの称号を冠するに足りた。世界政
府直下の海軍に所属し、全面戦争の最前線でキャリアを積んだ人物でも、生涯戦績で100隻
を数えた例は稀だ。海賊王との決戦も過去となり、もっぱら小競り合い主体の現状を鑑みれば、
賞賛を通り越してあきれ果てる他はない。子供向けの海洋冒険物語に登場するスーパーヒーロ
ーの履歴としても、サバ言うなこのやろーとギャグのネタにされるのは確実だった。       
 それが実在の、現役ばりばりの新鋭士官のデータであるのだから洒落にならない。仮借無き(グリム)
死の鎌(リーパー)とはよくぞ呼んだものだ。普通なら失笑を買うケレンの効いた二つ名も、この超絶的な
レコードを前には単純な畏怖を籠めてしか発語されることは無いだろう。こんな報告書を毎回
処理しなければならないのかと思うと、海軍本部の連中に同情めいたもの
さえ感じた。
 「敵と見りゃあ取りあえず全部沈めたって感じだよねコリャ」
 「手加減が下手なところは変わってないと見える」
 「そう言う問題?ドクター」
 「メディヴで良いって言ってるじゃないか。正直な感想って奴さ、昔から人並みってのが苦
手な子だったんだ」
 懐かしささえ含んだ闊達な声音で煩悶を笑い飛ばされ、なんだか情けなくなってきて、ルゥ
は水風船のように丸い背中をしょぼんと窄めた。つい先日、周旋屋経由でスカウトされた女医
は、元は海軍の軍医将校だったとかで、話題の争点になっている人物とも個人的な面識がある
らしい。参考に、書面だけでは把握しきれない人為(ひととなり)を尋ねるつもりで会議に参加を要請したの
は確かにルゥ自身ではあるのだが…どうも何か間違ったような気がしてならなかった。
 「言っとくけど、好戦的ってタイプじゃあ間違ってもないよ。どっちかって言うと、荒事も
め事は嫌いなんじゃないかな、面倒くさいから。多分当の本人は適当にやってるつもりだろう
ね、これでも」
 そんなんありかと、反射的に口から飛び出しかけた繰り言が喉の奥に引っかかって止まった。
メディヴの顔は、口調に反してひどく生真面目だった。
 些か痩せすぎのきらいはあったが、ドクター・メディヴ・ロングアームは明らかに美女のカテ
ゴリーに分類される容姿の持ち主だ。タンクトップの胸元から覗く柘榴の花の刺青やひっきりな
しのチェーンスモーク、細い鎖でイヤーカフと繋いだノーズピアスといったあくのある趣味は確
かに好みの別れるところだろうが、きちんとドレスアップすれば大抵の男が自分からエスコート
を申し出るのは確実である。若竹のような、ほっそりとしなやかなうちに強靱さを秘めた首筋が、
白鳥の戦乙女(ワルキューレ)を思わせてひどく魅力的だ。
 女らしい艶とたおやかさに決定的に欠ける点に目をつむりさえすれば、掛け値無しの美女で通
る、知性の香り高い尋常でなく端正な面立ちはそれだけで十分に迫力がある。それが真剣そのも
のの形相で詰め寄って来るのだ。生半可な反論など到底出来たものではない。交渉戦にかけては
若さに似合わぬ経験値を積んだルゥをして、こくこくと頷く他はなかった。何と言っても、相手
は白兵戦に嬉々として突撃をかます、血の気の多さもワルキューレ並の困ったお医者様だ。この
状況で下手なことを口走った日には、どんな目に遭わされるか想像したくもない。状況によって
は船長権限さえ上回る権威を持つ船医命令をもって、ダイエットでも言い渡された日には…悪夢
だ。
 慎重に頭痛の元たちから目を逸らし、悪あがきだなと自分でも思いながら、それでも一応念は
押しておこうと、ルゥは赤毛のお頭に向き直った。まだ少年の残り香を色濃く漂わせた海賊は、
嬉しげに−−−殆ど脂下(やにさ)がった顔で−−数葉の写真見入っている。
 「本気でお頭、コレ仲間に引っ張り込むつもり?」
 「おう、本気も本気」
 「ホントのホントに?」
 「ホントのホントの本気。くどいぜ」
 ぐい、と顔を突きだされて、ルゥは気持ちのけぞった。
 ひどく楽しげな、殆ど物騒なほど愉快そうな笑みに唇を歪め、豪奢な朱金の髪を王冠のように
戴いた若い海賊は、鉤形に曲げた人差し指の関節で書類の束を叩いて見せた。
 「それになあ、お前、こんなおっかないの、何時までも敵に回したまんまじゃいらんねえって。
違うか?」
 「…ごもっとも…」
 ぽかんと口を開けた、一本とられましたとタイトルでも付けたいような顔で、ラッキー・ルウ
は呆然と頷いた。全くもってその通りだった。
 確かに、冷静に考えれば、こんな、目を付けられたが最後、逃げ切れたとしたら敢えて見逃し
てくれた場合だけなんて嫌味な男と何時までも敵対関係を続けるのは、賢い選択とは到底言えな
い。逆に、味方に付ければこの上もなく頼もしいことだろう。
 かなわないなあと、腹からこみ上げてくる爆笑の発作をこらえて、それでもルゥはぽそっと嫌
味を付け加えてみることだけは忘れなかった。
 「もしかしてお頭、丁度良い言い訳が出来たとか思ってない?」
 「まさか」
 思いもかけないほど渋い声で反論されて、ルゥはおやと肉に挟まれてただでさえ細い目を眇め
た。本気で不本意そうに聞こえる。
 珍しくも口をへの字にひん曲げて、シャンクスは不満げに天井を仰いだ。
 「こんなに名前が売れちゃ、仲間に引き込んでもそれで目出度し目出度しってわけにゃ行かな
いぜ。困ったと思ってるよ、どっちかってーと」
 「…仲間に引き入れるのはどっちにしても決定事項なわけね…」
 「たりめーだ、4年も前から決めてたんだぞ」
 「だったら、ほいほい海に出てくる今のうちだね。情報部あたりに転属になっちゃ、勧誘しに
行くのも一苦労だ。お頭ならマリージョアまででも口説きに行くんだろうけどさ、手はず付けた
いかい?ルゥ」
 「冗談ポイ。やだよそんなめんどくさい」
 「よし決まった、っつーことで、副船長を迎えに行くぞ」
 決然と告げて、シャンクスは指につまんだ写真をひらひらと振って見せた。
 写真の中で、将校服を纏った痩せ形の少年が、顔にかかる黒髪を指で払い落としながら水平線
を睨んでいた。仏頂面で彼方を見遣る視線が、何故かひどく所在なげな、居場所を掴みきれない
苛立ちを孕んでいるようにも感じられる。
 不意に、面白いな、と思った。
 苦心惨憺して収集した資料を通じて、彼の最大の武器が何であるかはおおよそ理解したつもり
だ。巧みな戦闘指揮だの、突出した個人戦闘能力だの、そんなものは、極論だがおまけと言って
いい。淡々と平明で、飛躍も破綻もなく、それでいて氷の刃のようにシャープな、美しくさえあ
る論理展開。それこそが真骨頂だ。この男は、喩え半身不随で安楽椅子に横たわる身になったと
してもなお恐るべき存在で有り続けるだろう。
 あの戦慄と陶酔を誘う、冷徹な情報分析と、無機質に固められた表情から僅かに漏れる、年相
応の−−−まだ17歳でしかないはずなのだ−−−痛々しい幼さの間に、どうやって折り合いを
付けているのだろうか。興味がわいた。
 急激にせり上がって来た好奇心をくすぐったい心持ちであやしながら、ラッキー・ルゥは写真
の中の少年が乗る船の航海計画の再検討にかかった。

次頁に続く


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