『なあ、前から聞きたかったんだけどさ』 『何だ?お頭』 『お前、何でオンナ抱かねえの?』 『女は…子供を産むだろう』 『それが?』 『だから、嫌なんだ。』 情事の汗が、ゆっくりと引いていく。意識を手放したままのベックマンの、 秀でた額にかかる黒髪をそっと払ってやりながら、シャンクスは暗澹と嘆息 した。久しぶりの停泊、珍しく二人のオフ日が重なった。つるんで街へ繰り 出して、匂いにつられて入ってみた飯屋は大当たり。入り江と峻険な山地に 挟まれたこの港ならではの、山菜と狩猟肉がメインの料理は海の幸に慣れた 彼らには新鮮だったし、腰の強い地酒とよく合っていて実に旨かった。たら ふく飲んで喰って、地味だが上等な温泉宿の暖簾を潜ってみると、ラッキー なことに声や気配が漏れる気遣いのない離れの一棟が空いていた。二人で贅 沢に湯を使い、そのままスプリングの効いた広いベッドにもつれ込んだ。つ れないコイビトは手の届く距離で寝息を立てている。何もかも申し分なし、 本来なら鼻歌の一つも出そうなシュチュエーションのはずだ。体の内側の熱 さえ共有するようになって10年近く、いい加減なれ合いも通り越すほどの 期間が経過しているにもかかわらず、黒髪の副船長はいつも何となく素っ気 なくて、ことが終わるなりするりと情人の顔を脱ぎ捨ててしまう。セックス そのものと同じくらい、くつろいだじゃれ合いを愛するシャンクスとしては、 甚だ面白くない。こんな風に、腕の中の寝顔を堪能しながら添い寝できたら さぞかし俺は幸せだろうと夢見ていたというのに、どうしてこう、現実とい うのは情け容赦ないのだろうか。何か俺、悪いことしたか?…してるな、山 ほど。 自分で突っ込んだあげくに自爆して、シャンクスは寝台に沈没した。 ベックマンは聡明な男だ。そして強い。肉体的な意味でも、精神を指して 言うときにも。しかし、海賊団旗揚げ当時からのつきあいの、一握りの古参 幹部達は朧気に察しているだろう。この揺るぎなく沈着な男の内側、誰も手 を触れることの出来ない領域には、無惨な傷がぽかりと口を開けている。そ れが何に依るのかまではわからないにしても。 それにしても、これは予想外だった。読み違えたと、赤髪の大海賊は苦く 自分の過ちを認めた。 長い航海の合間の寄港だ。誰も彼もが、一時の慰めを求めて妓廊へと繰り 出していく。シャンクスも、十回に一回くらいは、柔らかく受け止めてくれ る乳房が恋しくなって足を向けるのだから例外ではない。だが、彼の座艦に は、一人だけ、女の肌に安らぎを求めない男がいた。ほかでもない、ベン・ ベックマンその人である。こうやって枕をかわす決まった相手がいるから肉 体的には必要無いのかも知れないが、人並みはずれて強健な、しかも根っか らの同性愛者というわけでもない若い男が、受け身のセックスだけでは別の 意味でフラストレーションが溜まって来るのではないだろうかなどと、柄に もないとは自覚があったがどこか気持ちに引っかかっていた。いい機会だと 思った。たまには物わかりのいいお姐さんに、後腐れなく甘やかされるのも いいもんだぜ、俺に義理立てしてるつもりなら、そりゃ見当違いの気遣いだ とでも水を向けてやれば、案外乗ってくるかも知れない。何ならいい敵娼を 見繕ってやろうかなどとまで考えていた。その前振りのつもりで口を開いて みれば、返ってきた台詞と来たら冒頭のあれである。 言葉自体もショッキングだったが、それ以上に、苦悶の果ての無感覚に陥 った虚ろな視線が不撓不屈で名を売る海賊を打ちのめした。いつも通りの飄 々さ加減を崩しもしない口調があまりに辛かった。せめて痛いと泣いてくれ たなら、流れ続ける血を舐めてやるぐらいのことはできただろうに。もはや 自分が手負いだと言うことすら自覚できなくなった男にそんなことをしたと しても、困惑以外のものなどもたらせやしない。 ごめんな。酷いことを言った。辛いことを言わせてしまった。 届かない謝罪の代わりに、身じろぎもしない体を抱きしめた。なじんだ温 もりが遠い。とっくに忘れ去ったはずの、泣きたいような衝動が突き上げて くる。畜生、触ることのできない傷をどうすれば縫い合わせることができる んだ。誰でもいい、教えてくれ、このままではこいつが壊れちまう。手の届 かない所に逝ってしまう。そんなのは嫌だ。 眠れないだろう長い夜を思いながら、シャンクスは瞑目した。自分の手が、 いとおしい男の夢を少しでも安らかにするものであればいいと、呪うような 激しさで祈った。
