■2ドア冷蔵庫の微妙な揺れ
夜空。星がいっぱい。うるさいくらい光っている。ところが星はみんな遠い彼方で光っている。視界の周辺部でだけ、星が輝いている。うるさいくらい光を感じているのに目の縁でしか星は見えない。だから近くには何もない。目の前にあるのは真っ黒の闇。暗黒が大きく迫ってきて、飲み込まれてしまっていた状態。実はずいぶん前からそんなところに自分が突っ立っていたことに、やっと気がつく。実のところ空気もないから、ここは宇宙空間なのだった。なぜか宇宙空間、絶対的にそうなのだった。真っ暗闇の中に、突然、冷蔵庫が現れる。旧式の2ドアタイプ。一瞬の後光とジャーンという音とともに、冷蔵庫が現れる。白く光り輝く冷蔵庫。冷蔵庫は急に現れたものだから、勢い余って微妙に揺れている。揺れ方が独特だ。金属とはかなり違う。そうだ、この揺れ方は、消しゴムのものだと思い当たる。だから冷蔵庫は、消しゴムで出来ていることがわかる。妙に角張っている冷蔵庫だ。角は鋭く尖っている。こめかみや額をぶつけたら、簡単に皮膚が破れ、大量の血が流れてしまいそうだ。消しゴムのくせに、そんなことも出来るのか、と呆れてしまう。そう思ったら、また暗闇。奈落だ。奈落といっても、そんなもの人間にしか通用しない。犬も猫も奈落を恐れない。そんな人間にしか通じない奈落の周囲には、まだ星のような光が、遠く、遠く、いくつも瞬いてはいる。でもしかし、目の前に見えるのは、九分九厘、すぐろの奈落だ。そして奈落の真ん中に、またしたも冷蔵庫がさっきと同じように出現する瞬間。その瞬間を何度も何度も目撃しながら、奈落の底にまで落ちていけばいいか、とかさもしく考えている。試しに落ちてもみたが、なかなか底には辿り着かない。それでもとりあえず、ただただ流されてみた。流されながらも何度も繰り返される消しゴム2ドア冷蔵庫の出現する瞬間を目撃する。ただただ流されてみた。流されても底には沈まず、辿り着いたのは、なれの果てだった。そんな言葉が頭の中に浮かび、妙に納得する。どん尻でまた2ドア冷蔵庫が、後光とともに出現する瞬間を目撃する。いきなり現れたものだから、冷蔵庫は揺れている。ああ、消しゴムで出来てるからなんだなと、またしてもわかるのだった。
■水切りの石になって水をくぐり抜ける
晴天だ。空には、四方八方の視界のヘリにかすかに入道雲。すこしモコモコいってる。耳をすますと、雲が膨れたり、ちぎれたり、動いている音が聞こえてくる。その音は僕の骨に直接振動するので、入道雲はいつの間にか骨身にしみる存在になっている。真昼の入道雲。でも入道雲があるのは、空の縁だから遠くて低い。今の体制にはなんの影響もない、と唐突に僕は思う。思うというよりわかっているのだ。頭に浮かんだ体制という言葉になにか意味があるのか、僕は考えようとするが面倒になるし、大したことではないので、しなくてはならないことに集中することにする。空の真ん中は青くストーンと高い。照ってはいるのだけど、太陽がどこにあるのかわからない。しかし、遮るものがないので、まっすぐに、堂々と照っていることだけはわかる。グングン照っている。おかげで周りが、みんなが太陽を反射して、とっても煩い。轟音のゆな光の反射だ。僕は水面のさざ波を斜め横から、なるべく水平に突っ切る。僕はクルクル回転している。さざ波の小さな水の山を抉るように潜り抜ける。潜り抜けるたびに、回転する僕が水滴をまき散らす。水滴をどこまで遠くまで、どこまで整った形で、まき散らせるのかで、美しさが決まることになっている。問題は回数だけではないのだ。まき散らされた水滴は、僕の回転方向の斜め後ろに弧を描くように、そして重力に引っ張られ、水平方向と垂直方向に放物線を描きながら、やっぱりさざ波の起きている水面に、おっこちていく。落ちた水滴の玉によってさらに小さな水滴が、王冠のように跳ね上げられる。それらの一粒一粒が、いちいち太陽に反応して、キラキラと輝く。眩しくて、目がつぶれそうになる。なにしろ僕は目を回さないでいるだけで大変なのだ。それ以上のことをするには、僕の体の機能が足りないことを、つくづくと感じさせられる。僕は水滴をまき散らす。雨上がりに濡れた傘を開いて回して、水滴を払っているような僕の回転が、さざ波の小さな山を一個くぐり抜けるたびに起こる。ヘタな奴にやられたときは、そのままドプンだけれど、僕はともすると二〇回以上も山をくぐり抜ける。ヘタなやつにやられたときは、一回だけ水面に跳ね返されて、そのままドブンのこともあるのだけれど、調子のよい時は、僕は、サラサラと水面を転がる。僕はシュルシュルとさざ波の小さな山を潜り抜ける。僕は回転しているから本当の太陽の位置がわからない。でも僕は基本的に水平方向にしか回転しない。縦に回転なんかしたら、それこそ一直線にドプンだ。僕は平べったくて丸いから、角度によって水面を転がることが出来る。
■オートバイのタイヤ
神経を集中させなければ、いくら俺だって目が回る。実は運転手との相性なんか関係ないのだ。俺はただのタイヤだ。オートバイの前輪だから、いつも矢面に立っている。みんなも知っていると思うが、俺の場合、背中を内側にして、体を反らせる格好でタイヤをやっている。いつだって前を見ていたいからだが、顔がちょっとつらい。顔は敏感だ。他の部分と違って、石があたったり、棘が刺さったりしただけでも、悲鳴を上げそうになる。それでもタイヤの俺は踏ん張って、前へ前へと突き進む。だが前を見続けるのは難しい。前方を確実に見つめるためには、回転する体に反して、視線を固定しなければならない。実際には、下目使いから上目遣いまで、前方一八〇度の範囲に目をこらしているのだが、こんな疲れることはない。だから時々、胸の横にちぢ込めていた手で、小石をはねとばしたりして気を紛らわしている。本当は誰かにぶつけたいのだが、うまくいくことは滅多にない。とばしやすい小石に巡り会うこともなくなった。そんな俺だが、砂利道が大好きだ。砂利道をゆくとき、俺の顔はすさまじい表情になっている。俺は目をむいて、歯を気張っている。それはまるでマンガのようだ。もっともどろんこ道は最低だ。歯の間にまで泥が入り込む。いったん入り込んだ泥は、滅多なことでは落ちない。俺はオートバイのタイヤだ。俺がどんなに汚れても、運転手がちゃんと洗ってくれるとは限らないのだ。
■地下ライブハウスの壁は豆腐だった
公園を歩いていたら、真ん中に島のある池があったので、貸しボートで渡ってみた。島には水面すれすれ高さしかないので、雨で池の水嵩が増したら、水没してしまいそうだった。そんなだからだろうが、入り口は潜水艦のハッチのようだった。中に降りると、そこはライブハウスだった。客も数人いたが、出演者の方が、明らかに多かったし、誰もが画に描いたような皮と錨のファッションだった。その日はヘビメタバンドがいくつも出演していたのだった。意味もなく轟音を出すバンドばかりだった。音楽は何も聴き取れず、轟音が響いていた。轟音は、ライブハウスの壁を揺らしていた。外では雨が降ってきたという。僕はジンジャーエールを飲んでいた。壁に寄りかかろうとしたら店員に激しく怒られた。壁はやっぱり揺れていた。音に共鳴して振動しているのだ。色は白い壁だった。壁の表面にはくっきりと、木綿の布目が現れていた。水も浮き出て滴り落ちていた。床は水浸しだった。バンドは興奮して、演奏を続けている。入り口から増水した水が入り込んでくるというので、ハッチが閉じられた。水が引くまで我々は閉じこめられることになった。だから一層、バンドは演奏に熱を入れたように見えた。轟音はますますドカドカしてきた。、そのたびに、白い壁が揺れていた。揺れていた壁は、少しずつ、崩れてきた。さわってみたら壁は豆腐で出来ていた。つまんで食べてみると木綿豆腐だった。我々は音と豆腐と水に埋もれそうだった。
■巨大水竜のいる河口
一一階建てのマンションの裏には川が流れている。マンションの壁は白く、人の気配はない。住人が出入りしているところを目撃したというはなしは聞かない。でもこのあたりはひそかに賑わっている。子供達はみんな、川に泳ぎに来るのだ。川底と両岸は、イギリス海岸と同じ岩だ。両岸には背の低い木が緑をたたえているが、近づいていくと、背が低かった木々が高くなり、しまいには大人の背の十倍くらいの高さになる。木はぺんてる水彩絵の具の茶色と同じ色の肌をしている。その葉も、ぺんてる水彩絵の具の緑と黄緑だ。川の水はどんなときも澄んでいる。川底もはっきりと見える。泳ぐ魚も、ちゃんと見える。川幅は、一〇メートルのこともあれば、時には数十メートルに及ぶこともある。川はマンションの裏の流れはすぐに河口につながっている。河口は、海へとつながっている。しかしこの川には満潮も干潮もない。だから水位も変わらないし、海水が満ちてくることもない、真水の川だ。泳いでいるのは真っ赤な鮭が多い。鮭の体長は数十センチだ。時々、どこからかやってきて、鮭なのに群れをなして泳いでいる。河口の向こうは理屈の上では海なのだけれど、誰も見たことがない。見ようと思えば見えるはずなのだが、誰もそっちの方に顔を向けたことがないので、河口の先がどうなっているのか、誰一人、知るものはいなかった。水の流れは穏やかだ。風が吹いても、波も立たない水質を持っている。水の透明度は完璧だ。川底から深みまで、どこまでも眺めることができる。百メートルほど先になると、水の層がちょっと緑がかってくるが、そこに何があるのか、はっきりと見ることができる。子供たちは、この河口でよく泳ぐのだった。ここの水は濡れても、乾くの早い。そういう水質だった。服を着たまま泳いでも、岸に上がれば、瞬時に乾くから、子供なら誰もがここで泳ぎたがった。週に一日だけ、誰も水に入らない日がある。その日は、大きなウナギが上流からやってきて、河口を泳ぎ回るからだ。ウナギは全部で七匹もいる。体長は一五メートルぐらいだ。顔は、ウナギというより、ワニとキリンを足して半分に割ったような感じだ。だからウナギなのに、頭には二本の角がある。ウナギの泳ぎは恐ろしく速い。その日は、狂ったように河口の水の中を泳ぎまくっている。巨大ウナギは、雑食なので、子供が泳いでいると食べてしまう。だからウナギが泳ぐ日は、誰も水に入らない。だから誰もウナギには食べられていない。ウナギは週に一日、河口で泳ぐと、また上流に帰っていく。上流がどうなっているのか、子供達は知らない。ウナギが来た翌日から、六日間は子供が泳ぐことが出来る。
■こめかみピアノ線
苛々した時はいつも、こめかみに捻り針をさして、ギシギシと回す。それからそおっと抜くと、捻り針の捩れにそのときの苛々の素が絡みついている。濡れて粘っていることもあれば、乾いて干からびていることもある。うまくいくこともあれば、うまくいかないこともある。どんなことにも、慣れというものがあるからだ。だから人間はすばらしいと言う人もいるし、だから人間は堕落するのだと断言する人もいる。捻り針が駄目な日が続いたある日、中空のピアノ線にすることにした。出来るなら夜がいい。地上二〇階くらいのちょうどいいビルが二つ並んで建っていると、屋上から屋上へと一本のピアノ線が綱わたしされていることが多い。そのピアノ線をこめかみにとおして、中空にぶら下がる。このとき難しいのは体重のかけ方だ。全体重が米神を通っているピアノ線にかかっているので、ヘタに動くとスパッと頭が切断されて、体が落っこってしまう。頭が半分切断されただけでも死んでしまうのに、20階建てのビルの屋上と同じ高さから落下するので、体がペッチャンコになってしまう。それでは苛々どころではなくなる。とはいえ中空には激しい風が吹くこともあり、体のバランスを取るのが大変だ。素人は簡単に駄目になってしまう。玄人でも苛々は解消しても筋肉痛になってしまう。夜空に浮かんで風に吹かれてこめかみを起点にブラブラ出来るようになると一人前なのだが…。
■痛ましき腕
コンビーフの缶詰をあけるように、自分の皮膚が剥けることに気がついたある日の午後は、レモンティよりミルクティのほうがおいしく感じられた。まるで濃縮したような濃い牛乳で湧かして作ったミルクティを飲んでから、左手の手首から剥き始めた。皮膚だからそんなに厚みがない。皮をむいた部分は、ピンクの肉の表面から、血が滲んできて、すぐに真っ赤になる。それでも滴り落ちるほどは出ないから、まるで赤いテープを巻き付けたような腕になる。肩の辺りまで剥き上げて、はたと気がついた。これ以上続けるには、背中にも手を回さなければならないし、右手だけの作業ではおぼつかない。といっても左手は皮が剥かれて出血し、動かすのもままならない状況なので、まったくあてにならなかった。一時間以上考えた末、仕方ないので、片手を剥くだけにとどめたのだった。
■頭をはずして熟睡する
眠るのが下手だった。よく眠るのに失敗した。あらゆる方向から考えた末、どうして眠ることが出来ないのか、ついに原因を発見した。そしてその原因を取り除けば、確実に熟睡できることとなった。それ以来、毎晩、眠る時には、胴体から頭を外している。体を仰向けにし、外した頭は、左手と脇腹の間に、首を下にしてちゃんと立たせておくことにした。そこに置いておけば、何かあった時でも、すぐに首を元に戻すことが出来る。僕は左利きだった。そうやって眠るようになってから、僕は寝付きが良くなり、肩こりに悩まされることもなくなった。訳のわからない夢をみることもなくなった。眠っているとき、そおっと左手で瞼の上から眼球を触ってみても、眼球が動いていることは完全になくなった。僕はやっとこさ熟睡出来るようになって、胸をなぜおろしている。
■永遠に続くスタートダッシュ
私は走っていた。当然、追っ手から逃れるためだ。しかしなかなかスピードに乗らない。いつもの走りが出来ないのだ。私には陸上競技の知識がある。テレビで見たのだ。短距離はスタート・ダッシュが重要だ。スタートはなるべく姿勢を低くして、小刻みに足をステップさせ、体を前に押し出していく。最初から姿勢を起こして大股で走っては、時間をロスする。ところがどうしたわけか、スタートが続いている。既に何百メートルか走っているのだが、私はまだスタートしかしていないのだ。これには本当に困った。腿がもう悲鳴を上げている。スタートダッシュだけ、何百メートルも続けるには、私は若くない。体は怠いし、いっこうにスピードが上がらないから、追っ手にも追いつかれそうだ。曲がり道でも私はスタートをしている。スタート・ダッシュの姿勢だから、曲がるのも一苦労だ。カーブの内側につもった雪に体をつっこみそうになるが、雪の冷たさが心地よいことも確かだった。私の体は湯気を発しながら、スタート・ダッシュをし続けている。まだ一キロくらいしか走っていないというのに、時間だけが過ぎてゆく。補助輪をつけた自転車に乗った四歳児が私を追い越してゆく。このままでは駄目だと悟った私は、ガードレールの向こうの積もった雪の上めがけてダイブした。二〇メートルの高さの高架橋から、雪の中に飛び込んだ私を、追ってはしっかりと見ていたらしい。放水車から熱湯が放水され、私の体を隠していてくれた雪が、一分もかからずに溶けてなくなってしまった。水浸しの私はまたスタート・ダッシュを始めなければならなかった。しかし、今回は救いがあった。あそこに旅館が見えていた。あそこまで辿り着き、布団部屋に忍び込むことができれば、なんとかなる筈だった。いつもはあそこまでいく前に、追っ手をまくことが出来ていたのだった。
いつの間にか雪は降り止み、積雪は三メートルにも及んでいたが、除雪車が迅速に作業していたおかげで、路面にはアスファルトがむき出しになっていた。近頃は強力な溶雪剤があるので、アスファルトは黒々とし、遙か山頂まで湯気を立てていた。溶けた水がこちらに向かって川の要に流れてきて、私の足下をすくう。私の下半身はずぶぬれになるのだが、太陽が煩いくらい照っているので、寒さは感じない。雪解けの水流は、路肩の積雪の下に潜り込み、雪を溶かし、少しずつ、積もった雪の体積を動かしていく。私は人目を避けながら、いつもの温泉旅館の入り口に向かう。中から誰も出てこないことを確かめて、布団部屋めがけて走り出す。この旅館は斜面に建てられていたので、正面玄関からは二階建てに見えたが、裏に回ると、六階建てなのだった。目指す布団部屋は、四階、つまり玄関から入って、一階下にあった。途中、仲居の集団に気取られぬように、カーテンと一体化して、やり過ごす。これにはこつがある。自分の体の表面の細胞のくっつき加減を、ちょっと緩くして、隙間を多くして、そこにカーテンの分子を紛れ込ますのだ。しかし、カーテンとの相性もあるので、いつもうまくいくとは限らないし、洗濯の行き届いていないカーテンだと、埃やゴミなどの不純物が多いので、あとで体が辛くなる。逆に清潔なレースのカーテンだったら、私の体の方が、細胞の隅々までさらえたようになって、とっても気持ちよくなる。とりあえず今回はうまく布団部屋に辿り着いたのだが、今日に限って先客が二人もいたのだった。一人は新人仲居の若い女。仕事熱心で布団に慣れようとしているのだった。もう一人は、綿屋の親父。古い布団の打ち直しをするために雇われているのだが、今時真綿を使用した布団など、黴の原因となるので、何十年も前に、ここの旅館では廃止されていた。しかし綿屋の親父は、時々、裏のボイラー室から出てきては、布団部屋に酒を飲みにやってくるのだった。
■階段から通路
私がまだ、幼稚園に通う前の子供の頃、私の家の階段にはいくつもの通路がつながっていた。私の家は木造の普通の二階家だった。階段はもちろん、一階から二階に上がるためのただの階段だ。階段の両側は、幅一五センチほどの板を張り合わせたように見える木目のあるベニヤ板だった。当時はやりのベニヤ板だったが、ベニヤ板だから、この幅一五センチほどの板が並んでいるように見えても、実際にはベニヤ一枚分ひとつながりになっていた。ところが中には独立したものがあり、ある箇所をトンと叩けば、クルリと反転し、闇の通路への入り口となっていたのだった。当時の私は本当に体が小さかったから、その通路に入り込むことができた。これは家族の誰も知らない秘密だった。階段の左右にそれぞれ、三本ほど、そういう通路があった。通路はそれぞれ、別々の処へとつながっていた。一本は、町内の外れにあるお稲荷さんの土台の下に続く地下通路だったし、ある一本は、ヤクルト工場…当時のヤクルトはまだ瓶詰めだった…の裏手の叢の中に忽然と現れることの出来る扉になっていたし、ある一本は、隣の町内にあった本家の土蔵の中に通じていた。またある一本は、まだ二階に達しない高さであるにもかかわらず、そこを反転させれば、二階の洋室を天井間際から見下ろすことの出来る小窓になっていた。それらの通路は私が成長し、一五センチの幅を通ることができなくなってから、使っていない。
■さや堂の中の家
そこは西日しか射さない家だった。なにしろ夜でも昼でも朝でも、西日が射しているものだから、住むのが大変なのだ。だから常に格安で貸し出されている。私は貧乏だったから、その家を借りることにした。なんと家具もついているという。早速、同級生四人と引っ越しを始めた。もともと家具など持っていなかったから、四人が手で持って運べたのだ。引っ越し当日まで、その家を見たことがなかったのが、初めて見るその家は、予想以上にオンボロだった。屋根は茅葺きの上にトタンをかぶせて、コールタールを塗っていた。木造の平屋だったが、大きさだけはあった。四面がガラス戸になっている。玄関だと思われる引き戸を開けると、広い土間だった。真ん中に竈が並んでいる。手前の二つは煮炊きようだろうが、奥の巨大なお釜には人間も入れそうだから、五右衛門風呂かもしれないと思っていたら、同級生の一人が、風呂付きなんていいなあと羨ましそうに私の後頭部を殴って、出て行ったっきり、戻ってこなかった。土間は廊下のように、ガラス戸沿いに部屋を取り囲むように一周している。部屋はさらに四面を廊下に囲まれ、障子の向こうにあるらしいことがわかる。つまり部屋は廊下と土間とに二重に囲まれているらしい。思ったより狭そうだと感じていたら、いつの間にか他の同級生がみんな帰ってしまい、私一人が残されてしまった。ああ、今日は四人の同級生に手伝ってもらったけれど、誰一人顔を知っている奴はいなかったなあと、私は西日の射す土間にしゃがみこんだ。廊下の上には、ガラス戸に向かって、つまり家の外に向かって、冷蔵庫や食器棚、家具調の大型ブラウン管テレビ、洗濯機などが並んでいる。ぐるりと回った奥の土間に、つるべ式の井戸があった。明日から水汲みをしなければならないなと、新たな生活を決意する。西日が射しているから明るく感じたけれど、時計を見たら、時刻はもう夜中だった。なるほど、電灯は必要ないわけだなと納得する。試しに探してみても、電球や蛍光灯は、どこにも見つけることは出来なかった。そろそろ寝ようかと部屋にあがると、そこは作業途中に職人がいなくなった畳屋だった。張り替え途中の畳が一枚、中央の台の上に乗っている。その日はそこを寝台代わりにして眠った。寝返りを打つとき、畳針を射さないように注意しなければならなかったので、浅くしか眠られなかった。
■長屋のようなアパート
アパートの外壁は茶色い煉瓦で出来ていたのだが、夜になると、板張りにしか見えなくなる。一棟に三室、二階もあることになっていたが、階段を見かけたことがないから、よくわからない。しかし、天井から人が歩く音が聞こえているので、人が住んでいることは確かのようだ。同じ形のアパートがここの草原に四つ並んでいる。森を抜けると高低差のあるくさむらの広場に出る。芝を植えてきれいに刈り込めば、ゴルフ場になるような高低差のある地面の草原だ。そこにアパートが建っており、窪地に建っている三号棟の一階真ん中に私は住んでいるのだが、夜中しかこの辺りを歩いたことがないので、周囲がどうなっているのか、本当は詳しくは知らないのだった。毎日、暗くなって、周囲が寝静まってから私は帰ってくるのだが、それまで時間、何の仕事をしているのか、思い出せない。それでも毎日暮らしているのだから、問題はない。大概は大型のオートバイの後ろに乗せてもらって帰ってくる。私は大型オートバイの免許を持っていないので、時々、運転する人がいない時は、一人で後ろに乗って帰ってくる。そんな時はものすごく緊張する。それでも今まで無事に帰ってきている。部屋に帰って来ると、まず最初に、玄関脇の流しの上にある窓を開けて、次に突き当たりの部屋の窓をあけて、風を通すことにしている。私の部屋は玄関を開けると板の間の台所で広さは四畳半だ。その奥に六畳の板の間のがあり、トイレは別棟で、草原の一番高いところに四棟分、四つ建っている。窪地の建物だから、窓を開けると風に乗って色んなものが、部屋の中を通過する。でも私は虫が嫌いだ。だからといって殺したりはしない。虫専用の道を造ってあげているのだ。直径10センチくらいの灰色の塩ビ管を、台所の窓から奥の部屋の窓の外まで用意しているのだ。虫たちにはその中を通ってもらうことにしている。虫たちは聞きわけがいいので、私に迷惑をかけない。そして時々私は月光を浴びながら、月面音楽を聴く。
■色に追いかけられる
時々、裸で走っていることがある。裸で走っている時に限っていえば、自分の姿を左側三メートルほど離れた位置から、見ることができる。それが僕の特技といえば特技なのだが、一人の時しかその特技は使えないし、一人の時でないと、僕が裸で走ることなんかないからだ。裸で走る場所は、いつも奥行きのないところだ。奥行きがないから、裸でも左右を気にすることがない。とはいえ時々、膝を抱えるような形で前転してしまうことがある。それでも、僕は走り続ける。なにしろ後ろのちょっと上の方から、色が追いかけてくるのだ。色は七色以上ある。台風の目に虹が絡み捕られたような渦巻き状の色が、僕を塗ってしまおうと回転しながら追いかけてくるのだ。色が渦巻いて回転する時は、吃驚するくらい変で、背中の皮を剥かれるくらい気持ちの悪い大きな音をたてる。それが全く四千人の人間が蛤の殻を一度にこすり合わせるような君の悪い音なのだから、走っている僕としても落ち着かない。何度か色に追いつかれたこともあるのだが、体が染まるだけで、思ったほど恐ろしい目に遭う訳じゃない。しかし、色に追いつかれるのは、人殺しに追いかけ回されるよりも嫌な気分になる。
■ふざけるなの男
路上だった。空が青い。灰色のコートを着た男が歩道で叫んでいる。「ふざけるな! ここの間に必要なのは、ユーモアなんだ!」と叫んでいる。うろついている。ここのアイダと両手を広げて幅を示している。必死な表情だが意外に立派な顔立ち。違うところで見たら、誰もが認める社会人。年齢は四〇代後半か。ユーモアって言ってるところが、もしかしたら男が仕事でこんなことをしているのかもしれないと疑問に感じながら、でも僕は怖いので男を避けて道の反対側を歩く。ユーモアが必要だと言いながら、同時にふざけるなと言う。世の中の人間のほとんどがそういう奴らなのだと僕にはわかっていた。本当は自分がそうなくせに、往来の人々は男を堂々と笑っているのだった。しかも指をさして笑っている。男は笑い者になっている。笑いものにならないうちに早く帰らなければと思うのだが、僕の下半身は、往来だというのに金縛りに会っているのだった。1メートル歩くのに5分くらいかかるから、ふざけるなと叫んでいる男の顔が止まって見えて、ますます怖い。
■川の中の道を自転車でゆく
この川には橋がない。川は深く、近所には船大工もいないので、船もない。その代わり優秀な石垣職人が、川に中に作った道があるので、その道を利用すれば、川を渡ることが出来た。この辺りの川の水深は、五メートルある。石垣職人は、川底から四メートルの高さまで石を積み上げて、道を造った。川の流れはひじょうにゆるいので、水面下一メートルにある道を、人々は歩いて渡る。たいていは自転車に乗ってわたる人が多いようだ。とくに子供は背が低いので、サドルを高くした自転車に乗りたがる。乗りたがるけれど、水の抵抗に逆らって自転車をこいで渡りきるには子供はひ弱だ。だから子供をサドルに乗せて、大人が自転車を引いて渡るケースが多い。川幅があるので渡りきるまでに一五分はかかってしまう。渡りきったとき、誰もが田圃の畦道を歩いたようだという感想を持つ。
■念じてみてもの男
とりあえず、しゃがんで地面を見つめてみた。瞬きしないで両目でしっかりと見た。土の中にはガラスのかけらのような透き通った細かい砂があった。それに焦点を絞って見つめてみたが、何も起こらなかった。それならと、右側にあった小石を見つめてみた。何も起こらなかった。ちょっと声を出してみた。あーという小さな声だ。それでも何も起こらない。当たり前だけれど、何も起こらない。立ち上がって、目をつぶってみた。力を込めて、瞼をしっかりと閉じた。しかし何も起こらない。ちょっと斜に構えてみた。片足に体重を乗せ、あいた方の足をちょっとブラブラさせてみた。それでも何も起こらない。人が死ぬこともないし、体から血が噴き出すこともない。誰も笑わなかったし。両目を見開いて足踏みをしてみても、えっほ、えっほというかけ声を出してみても、何も起こらない。飛行機が落ちたり、前を走っている車が事故を起こすこともないのだった。やはり自分には超能力がないのだなと、悟った。
■木彫りの妻
妻と家を出発した。どんな家だったか、ちょっと思い出せないのだが、家の玄関の外はすぐに交通量の多い道路だった。雨が降りそうな天気だった。少し肌寒いので、上着を取りに戻った。上着を腰に巻いて外に出てきてみたら、いつものパーカーではなく、ニットのサマーセーターだった。こんなもの自分が持っていたっけかと疑問を感じていると、妻が良く似合っているじゃないと言う。そこでさっさと歩き出した。私も妻も歩く速度が速い。これは昔からだ。妻と片側四車線の太い道路を歩いた。繁華街を四角形だとすると、その一辺をこの道路が走っている。左側に川があった。大きな渓流だ。岸壁から水面まで40メートルある。遊歩道がある。妻は対岸の遊歩道を歩こうとするが、そっちは途中で行き止まりになっていることを私は知っていたので、こちら側の遊歩道に降りる。遊歩道には、本当の水際にある岩場の道と、舗装された山道との二本がある。私たちは、山道を歩いた。途中、両側が麦畑になる。赤いトタン屋根の農家がある。日本家屋ではないので尖塔がある建物だ。畑の向こうから渓流の音が聞こえてくる。麦は収穫されたあとで、麦わらが棚柱に塀のように干されている。麦わらは、ペンキを塗ったみたいに真っ黄色だ。あとて色んなものに加工して使うのだ。麦わらは今では高級品だ。遊歩道から外れて、繁華街へ向かう道に入る。途中に沈没した駅がある。昔は地上数階建ての駅舎だったのだが、いつだったか沈没して、今では最上階が半分しか地面から顔を出していない。駅舎全体を苔が覆っている。良質の苔と、近隣に評判が高い。しかし、電車の就航には支障がなかったので、何事もなく駅として使われている。駅に入るのをやめて、細い路地に私たちは入る。路地といっても、廊下のように壁と天井がある路地だ。壁も天井も床もクリーム色をしている。妻と二人でやっと並んで歩ける程度の幅。そのとき、妻が私より背が高いことにはじめが気がついた。途中何度も曲がり角があった。最後に受付を通過した。真っ赤なスーツと、同じ色の帽子をかぶっている受付嬢が二人、私たちを見て、驚いている。私たちは、度を超したほど熱々のカップルのように振る舞っていたからだ。その先は、服飾専門学校の校舎だった。生徒もたくさんいる。その中の一つの教室に私たちは入った。そこにいる二十人ばかりの人々に妻を紹介する。そのメンバーに妻を紹介するのは、初めてのことだった。妻は、あんまり常識がない。ピュアといえばピュアだが、常識がないし、他人に合わせることえをしないし、自分に絶対の自信を持っているから、とても強い。妻と離れて私はそこの人々と閑談をする。社長が、私に給料の前私をしてくれると持ちかけてきた。しかし、社長が何の会社をやっているのか、私は知らないし、そこで働いた覚えもなかったから、どうしたものかと考えていると、手帳の切れ端に金額を書いて見せてくれた。6.3という数字が書いてあった。これがいくらなのか、検討もつかなかったので、曖昧な顔を、私はしてみせた。そのうちに、つい一月も経たない前に、前の妻をみんなに紹介していたことを思い出し、愕然とする。前の妻はわたしよりずっと背が低かった。どうして妻が二人いるのは、私はわからなくなり、部屋を飛び出す。よくわからない、わからないと呟きながら、アイロン専門の教室やミシン専門の教室をぬけ、廊下の一角に作られたパソコンの教室にゆきつく。そこには懐かしい顔ばかりが、七つ八つあった。そこで、私はどうして前回と今回と、妻が違うのか、みんなに説明を試みる。が、自分でもわかっていないので、しどろもどろになる。一人が、どうして前の奥さんに逃げられたんだ、とってもいい人だったじゃないか、と説教され、ほっと胸をなぜおろす。そうか、逃げられたんだと、胸のつかえがとれて、一気に安らぐ。その後、妻を連れて服飾専門学校を抜け出す。建物の外を出て、まだ敷地内の通路を歩いているうちに、妻が木彫りの人形に変化してしまう。美術のデッサンに使う木製の人形等身大。妻は口をきかなくなったが歩いてはくれる。また渓谷の淵に出る。妻は底に向かってダイブする。これには飛び方がある。膝立ちした形で背中をエビぞりにして、両手は後ろに回して、それぞれの足首をつかむ。この姿勢が一番いいのだ。その姿勢で木彫りの妻が渓流に飛び込む。私はそれを黙ってみているのかどうか、よくわからない。
■ブローニュの森
いつもそこは落ち葉がいっぱいだった。枯れ葉が何センチも積もっているので、足下がフカフカしている。靴底で、時折、パリッパリッと葉っぱが砕ける音がする。樹木は枯れ木が多い。常緑樹は一本もない。そこはとても広い。家の前の路地を抜けて、間抜けな蛇がしょっちゅう轢かれて死んでいる鉄道線路を越えると、そこに辿り着く。昆虫などの生き物は滅多に見かけないが、蛇の抜け殻だけは、簡単に見つかる。足下の落ち葉をめくってみれば、たいてい、蛇の抜け殻がある。蛇がどこへいったのかは知らないし、蛇が脱皮している場面を目撃したこともない。近所には僕と同じ年代の子供が何人もいたが、そこへいけるのは、僕一人だった。春でも夏でも、秋でも冬でもそこは、落ち葉でいっぱいだった。僕は一〇歳くらいの年齢に戻った時に限って、ここに遊びに行く。大人になってからも、時々、子供に戻ることがある。そういう時の遊び場は、いつも決まって、この森だった。この森の中を走ったり歩いたりしているとき、僕も体も、ちょっと茶色っぽくなる。枯れ葉色だ。枯れ葉の季節だから、どんなに走り回っても、僕は汗をかかない。かといって寒くもない。でも、僕はいつも一人っきりで、この森で遊んでいる。たまに昆虫を見つける。枯れ葉そっくりの擬態をした虫たちだ。葉緑素の抜けた葉脈だけの柿の葉だと思って裏返してみたら、三つに分かれた体と真ん中から六本の脚が出ているのだった。つついても動かないので、生きているのか死んでいるのか、子供の僕にはわからない。木の皮にも虫はへばりついている。根元のほうには、キノコに似た形の虫。やはり裏っかえすと、六本の脚がある。広げると、羽があったりする。羽には大概、木の葉の模様がついているから、ますます昆虫のようには見えない。僕はその森を歩いたり走ったりして遊んでいる。一人で手繋ぎ鬼の予行練習をしたりしている。ただし森の奥には入ってはいかない。森の奥には、色んなものが埋まっていることを、僕は知っているからだ。でも、どうやって鉄道線路を越えて、もとへ戻ったのかは、いつも覚えていない。
■バス運転手
オフの時で、しかも日本に帰国している時は、しっかりと働いているのだという。オフなのに? と画面に映らないインタビュアーに尋ねられ、うん、普通の仕事、そう、路面バスの運転手をしているんだと、男は答えていた。その番組を見たあと、僕は街にいくために、アパートを出て、バス停に立った。僕がいつも利用しているバスは、吉祥寺から調布を結ぶ路線バスだ。そして僕はいつも吉祥寺に遊びに行く。ところがその日は予感がしたので、調布に向かうことにした。バス停もいつもと違って、一つ調布よりのところにした。最初にやってきたバスはまごまごししている振りをして乗りあぐねてみた。次に来たバスには強烈な予感がしたので、迷わず乗り込んだ。運転手は、顔を隠していた。運転手の制服を着ていないところが怪しかった。頭にかぶっているのも、毛糸の帽子だった。そしてマフラーをして口元を隠している。よくみると、鼻も目も、マフラーで隠されている。マフラーは、顔を隠すように、首から巻いているのではなく、顔の真ん前にクルリと、龍が一周だけとぐろを巻いているように、不自然な巻き方で、顔を隠している。それで運転手が前が見えるのかよくわからなかったが、運転に支障は来していないようだったし、立った客も多く、ほぼ満員に近い乗客達は、誰一人、運転手のことなど気にとめていなかった。僕は乗り込んで運転手の顔をみようと試みたのだが、顔つきを確認することは出来なかった。さっきテレビで見ていたのと同じ声のインタビュアーが僕のあとから乗り込んできて、運転席にいる矢沢永吉に質問を始めた。運転手がマフラーを外すと、やっぱり矢沢永吉だった。僕は矢沢の運転するバスで終点の調布までいった。いったん降りて、また乗って、自宅前のバス停まで戻ってきた。そのまま吉祥寺までのっていけばよかったと思ったが、バスはそのまま長距離旅行バスになる筈だったので、僕は降りたのだった。本当は乗ったままでいればよかったと思ってみても、あとの祭りだった。次に矢沢の運転するバスがいつやってくるのか、まったく不明だった。
■内臓破裂の道
とっても歩きにくい道だった。破裂した人達の内臓が道幅いっぱいに敷き詰められているからだ。道幅は、せいぜい2メートルしかないが、内臓は、二〇センチぐらいの高さに敷き詰められている。しかも道はこれ一本しかないから、これを歩いていくしか、いたしかたないのだ。道の両側は、青一色の色にしか見えない。空間的な広がりがあるのか、地面になっているのか、経験不足の僕には判断ができない。いくら目をこらしても、わからない。ともすると、この内臓破裂の道は、空に浮かんでいるのかもしれないという思いにもとらわれるのだが、内臓さえかき分けると、足下はがっちりと揺るぎなく、高所特有の吹く風にあおられることもない。仕方なく僕は、道の真ん中を足で内臓をかき分けながら前へと進む。内臓は人間にものなのだが、その日の僕には、気持ち悪くはないし、臭いもしない。道は少し、前勾配になっていて、歩き続けているうちに腿に疲れがたまってくるのがわかるが、引き返すことができない。終点どころか、この内臓破裂の道が続いている数メートル先しか、僕には見ることが出来ない。
■浜茶屋でゲテモノ料理
僕は浜茶屋にいた。その浜茶屋は、街からちょっと離れた郊外の国道沿いにあった。国道を挟んで反対側は、人気がないけれどちょっとした工場地帯で、でも工場のような建物は少なくて、倉庫のような大きな建物が並んでいる。反対のこちら側は、切り立った斜面になっていて、国道よりは三メートルほど高くなっている。緩やかな斜面になった駐車場に乗り入れてから、この浜茶屋にはやってくる。浜茶屋は国道の歩道に沿った石垣の上にある。道路側は、葦簀張りになっていて、西日が射さないようになっているが、時には美しい夕日を見ることが出来る。浜茶屋の客席の奥の調理場がどうなっているか、実は僕は知らないのだが、客席の真ん中には、天ぷらの屋台があり、ごま油が煮立っている。客は自分で串を持ち、思い思いに、そこで揚げ物をする。串は通常の二倍以上の長さがある。それを使って自分で揚げて、食べるのだ。揚げるときにはこつがある。手慣れた人は、ミミズをト音記号のようにきれいな形に仕上げることができる。ここはゲテモノ専門の浜茶屋だ。海からは遠いのだが、確かに浜茶屋だ。ゲテモノといってもミミズのような細長いもの専門だ。ミミズは良質なタンパク源として、識者の評価も高い。屋台の隣には、屋台と同じ栗の大きさの生け簀のような台があり、その中に、何万、何十万匹というミミズが、うごめいている。この店ではとりわけイキのいいミミズを揃えていることで評判が高い。ちょっと覗いてみると、ミミズ臭がむっと僕の顔に昇ってくる。店の主人が、片手でミミズを油に入れて、串の先で泳がせるようにかき回しながら、串にクルクルと、模様になるように巻き付けながら揚げている。揚がったミミズは、まるで針金細工の彫金のように、優雅な模様となって輝いている。それを僕は食べなければならない。同行者は、手慣れた様子でうまそうに食べている。店のオヤジが自ら揚げた串を僕に突き出す。同行者が羨ましそうに僕を見る。僕はそれを食べなければならない。逃げ道を探して葦簀の隙間に目をやっても、飛び降りるにはちょっと高さがある。どうしようか迷って、再び店のオヤジの方を振り返る僕。
最近は夢を見ない。ゆっくり見られるほどねむっていない…
見ても記憶に残らない!
■あのときのマンション
マンションだった。住んでいるのは私と奥さんの二人で、マンションは大きく広い。奥さんは知らない人で、背が高く背中が大きく開いた黒いドレスをきていて、なぜか顔は見えない。部屋は建物の最上階にあり、コンドミニアム風に2層構造になっている。2階部分は寝室と広大なベランダになっている。私はエレベーターや階段を使わずに、どういうわけか、機械室を通路に使っている。今日は奥さんと一緒に出かける日で、迎えの友人もすでに玄関に来ていた。私は半ズボンにアロハシャツ。役所勤めの友人はワイシャツにネクタイ姿。奥さんは着替え中だった。なんとなく手持ち無沙汰なのでゴミを拾い出す私と友人。実はマンションがあまりに広いため、ゴミ捨てなどしないで、そこいら中に起きっぱなしにしていたのだ。短時間でかなりの量のゴミが集まる。玄関ホールに人の高さくらいになった。そこへ奥さんがやってくる。奥さんは私より50センチは背が高い。ゴミの山を見た奥さんは友人に「うちの主人は建築家なんです」と言い訳ををするので、私があわて建築家らしく振る舞わねばならないと心に決める。でも相変わらず奥さんの顔は見えない。どんな人か見ようとするのだが最後まで見えない。仕方なくそのまま外に出ると、そこは仙台市、一番町の片平よりの通りだった。青葉通りを越えれば金巷堂があってその向こうには丸善があったことを思い出し、時間に余裕があるのならちょっと丸善に寄りたいなと、奥さんに相談しようと思って振り返ると、今出てきたはずのマンションも、奥さんも友人も見あたらない。ああ、あのときのマンションだったのだなと、私は納得する。
■しつこいブロック塀
顔の両側にブロック塀が貼りついている。ちょうどこめかみの辺りにぴたりと貼りついているから、顔の前方に斜めに続いている。塀の先はだからぶつかっているはずなのだが、目を凝らしても見えない。塀の高さは私の頭頂よりは低いので、ちょっと努力すれば夕焼けで綺麗にピンクになった空の広がりに身を任せることが出来るのだが、閉塞体質なのでそんなことはできない。塀の下はどこまで続いているのか定かではなく、私の足は実は宙に浮いている。コンクリートのブロック塀は最近になって塗ったのか、灰色をしており、油性ペンキの匂いがきつかった。
■ミサイルで困った
その日の僕の部屋は尖ったビルのてっぺんにあった。そのビルはワンフロアの面積が8畳くらいなのだが、塔のように高かった。僕の部屋の三方は全面が強化ガラスの窓になっていたので、僕はそこにとっても遠くまで照らすことの出来る直径一メートルくらいの電球とパラボランテナの内側にアルミホイルを貼り付けて転用した笠を持ち込んでおいた。新規に灯台稼業を始めようという算段だった。ところが海はどんなに晴れていても見えないくらい遠くにあったし、その日はあいにくの大雨だった。雨といっても太陽も出ている。外の景色を眺めながら、さえないなあと、床に座って今後の計画を練っていると、空から何かキラキラ輝くものが降ってきた。先っぽの尖ったミサイルだった。ミサイルはうまいことに南側のガラス窓に命中し、床に突き刺さって止まった。どうみても爆発しそうにないから良かったものの、ガラスは割れるし床に斜めに突き刺さったままだから、とっても困ってしまった。長さが3メートルくらいのミサイルだった。頑張って外して窓の外に落っことしてもいいのだが、下で爆発されても困るし、僕はどこに電話をかけたら適切なのかわからず、困ってしまった。
■道の向こうに夕日
夕方みたいだった。周囲はセピア色よりはちょっとコガネっぽくて、でも眩しくはなかった。私は金属製で時として銀色に発光する竹馬に乗ってまっすぐな道を歩いていた。高い竹馬だったから私の視線は普段より1メートルも上にあった。時代は昭和三十年代半ばなので周囲に高い建物もなく、道路は舗装されていなかった。割烹着を着た主婦が赤ん坊をあやしていたりするのを横斜め下に見ながらすれ違ったりして、私は進んでいった。すると前方からまたしても銀色に輝く金属のリングが転がってくるのだった。見ると父親に手を引かれた子供が転がしているのだ。リングは直径10pくらい。軸もないのに二個、倒れもしないで平行に転がってくる。私の二本の竹馬の間を通過したとき、ああ、この竹馬と同じ材質で出来てるのだなとわかって、顔を上げると、前方の子供がにっと笑った。その顔はでも子供ではなくて、大人の老けた顔だった。横にいる父親に見えた大きな男は、住宅地散歩専門のお供のロボットだった。その向こうに真っ赤で大きな夕日が見えた。道は夕日に向かってどこまでもまっすぐに続いていた。
■ワッカがひゅんひゅん
午前中、仮眠をとっているときに見た夢。
目の前が白かった。目を凝らすと、その白は和紙のような模様がある。音がうるさかった。ひゅんひゅんと右から左の耳へと音が通り抜けている。そのたびに目の前にも黒のワッカが通り過ぎていく。ワッカが通り過ぎていくたびに、ひゅんひゅんという音がするようだ。ワッカは、白地の和紙にたっぷりの墨をつけて筆で描いたもののようだった。ああ、うるさい、五月蠅い、ひゅんひゅんとそれは五月蠅いのであった。あんまりひゅんひゅん五月蠅いので、目をつぶって見た。それでもひゅんひゅん、音は移動する。やっぱり我慢出来なくなって目を開けると、目の前の白い色は、和紙から固くて艶のある琺瑯に変わっていた。ひゅんひゅん移動するワッカも、黒光りする光沢のあるワッカになっていた。なんだか詐欺に遭っているような気分になって、うるさいし、もう嫌だなと僕は思っていたら、電話が鳴る音で目が覚めた。
受話器を取るとき、ひゅんひゅん音がするかもしれないと、ちょっとびびった。
■母のような人と鮭茶漬け
赤茶けた土の大地。見渡す限りこれから工事現場になります、その前の整地した土地だよ、といった様相の、赤土がむき出しの土地が広がっている。見渡す限り広がっていて、空は曇っている。前後左右地平線に近づくほど、真っ黒の曇り空になっている。どうしてだか真上は見ることができない。平地の広がりだが、砂漠とか高原といった大自然の感じは微塵もない。風は、時々ゆっくりと吹いている。気が付くと視界の左端に螺旋階段が降りている。上部は見えない。誰かが降りてきたと思ったら、僕だった。自分の姿なんて見慣れていないでの自分だとわかるまでちょっと時間がかかってしまった。うっかりしたなあと思ったりしているうちに、急に僕の姿は見えなくなって、僕の視線は螺旋階段から下りてきた僕と一致する。階段を下りきって地面に立つと、土埃が舞う。僕は寝起きだったので裸足だった。ああ、いやだなと思ってひょいと前を見ると、流し台の貼りついた壁があった。台所の内側の壁が一面だけ、広場に立っている感じ。その手前にテーブルがあり、60代か70代の女性が一人座ってご飯を食べている。見たことのない人だったが、僕の母だった。僕が向かいの席に腰を下ろすと、アンタも早くご飯を食べてしまいなさいと、茶碗とよこす。茶碗の中には冷や飯が入っている。テーブルの上には横30p立て40p深さ5センチのパッドがありその中には紅鮭の切り身を焼いたものが、大量に積んであった。埃よけに新聞が乗っけてある。新聞を一枚めくると、白身の魚をほぐしたものが、ちょうどお茶碗一杯分くらい、新聞紙の間に置いてある。はいと見知らぬ母がお茶の入った急須を渡してくれる。朝からお茶漬けだった。周りはだだっ広い平地で台所の壁は一面しかなくって、空は曇っているのに、流し台の上の窓ガラスからは、柔らかくて暖かい日の光が差し込んでいて、僕とそこにいた母は二人でお茶漬けを食べるのだった。
なんだか最近は夢日記というか忘夢録みたいになってきたな…
■ホワイトアルバム
あんまり憶えていない。延々と夢が続く。そろそろ疲れてきたなと思っている頃(何に疲れたのか、夢を見ていることに疲れたのか、何かの作業に疲れたのかは自分では判別がつかない…)、私は食卓についていた。木製の正方形のテーブル。正方形のお皿が二枚、左右に置いてある。一辺が25p程度の手びねりの陶器のお皿。その両端にナイフとフォーク。そこへ料理が運ばれてくる。右のお皿には大根おろしが、薄く均一の厚さに平らに盛られる。左のお皿には、油で揚げたホワイトアルバム。ビートルズのレコードだ。ジャケットごと上げて、正方形の四等分に切ってある。ちょっとずらしながら、四枚がお皿に盛られる。油でてかてかと光って、湯気も立っている。切断面に見えるレコードの黒い色が、とろりと溶け出して、あんこかチョコレートのように見える。これを食べるのか…と見上げると、料理持ってきた若いウェイトレスが、ニッコリと笑った。あまりにも決まったその姿に、あんたコスプレーヤーか?とつっこむと、さらに嬉しそうに笑うのだった。
■O君の下宿と南十字星
久しぶりに知っている場所と、知っている人が二人も夢に出てきた。何か月、いや何年ぶりかもしれない…
井の頭公園駅の北側が小高い斜面になっている。その斜面にへばりつくように、古い木造住宅が建っていた。私と妻(知っている人その1)は斜面を滑り落ちないように、幅30センチほどの小径をその建物に向かって歩いていた。季節は夏の雨上がりで、足下はちょっとぬかるんでいて、私たちは慎重に歩かねばならなかった。建物は遠くから見ると平屋だったが、土手の内部に地下室のように部屋が続いていおり、近づくと二階建て以上であることことがわかった。木は腐りかけ、屋根瓦にはこけがむしていた。線路から直角の通路を入っていくと、右側に鉄の赤さび多階段があった。階段の下には洗濯機があり、その奥には共同のシャワー室があるのが見えた。階段を上ると、左右に六畳間が一つずつ。左側の部屋には、妙にアニメチックな女の子が住んでいた。ピンクのカーテン、ピンクのセーター。ピンクの絨毯。髪の毛にはピンクのリボン。私はとっととおいとましようとしたのだが、妻が優しく接してあげなくては駄目だと私を諭すのだった。やっとその部屋を抜け出しもとの外の通路に戻って、今度は斜面と平行に歩いて、最初に出会った階段を登ったら、六畳間と四畳半と八畳間と六畳間と廊下が、全然正方形や長方形じゃなくつながった階が開けて見えた。そこはこの建物の男子が住むスペースだった。しかし内部には誰もいなかった。人間が住んでいる痕跡がむさ苦しいほどあって、やっぱり鬱陶しくって、早く帰ろうと言うと妻がもう少しで帰ってくるから待ちましょうと、またしても私を諭すのだった。しばらく待っていると廊下の方からO君(知っている人その2)がやってきた。O君に私は金を貸していたのだが、彼も私も忘れたふりをして、再会を喜びあった。喜び合っているうちに、そこは実は井の頭公園駅の近くなんかじゃなくって、東北本線の在来線しか止まらない無人駅の近くてあることが判明してきた。O君と何かを語らっていると、それまで押入だと思っていたふすまが開いて、そこからら20人ほどの人間が出てきた。ここの下宿人達だった。いつの間にか秋も深まっていたので、住人達はトレンチコートやダッフルコートを着ていた。私と妻はそろそろおいとまをすることにして、立ち上がると、O君も立ち上がって部屋から出ていって、廊下から私たちにさよならを言うおだった。他のみんなが秋の格好をしているのに、O君は、ランニングシャツで半ズボンという夏姿だった。僕たちは外に出て列車に乗った。その列車は二両編成で屋根がなかった。椅子も無く、車内はタイル張りだった。なんだか銭湯の大きなお風呂に入れられて僕たちは運ばれているような気持ちになった。妻は風がとっても気持ちいいと言う。私は風をひきそうなのをやせ我慢して、そうだねといった。私たちの他に6人の乗客がいた。線路はいつの間にか高架になっており、その下を住宅が流れていくのを僕がみていると、O君の以前の家が、改築されているのが見えた。今度はイタリア風のアパートメントになるのだと、見ていてわかった。するとまた、O君のその前の部屋のあった建物も見えてきた。ブルーのビニールシートに囲われて、ああ、おとついに火事はここだったんだなと、乗客たちでうなずき合った。寒くてくしゃみをしているうちに夕方になった。妻がめざとく空に星を見つけた。妻はどの星が何というのか、夜空を見上げながら、僕に教えてくれた。列車の進行方向に向かって左側の地平線の上にひときわ大きく輝く星があった。何千年に一回だけ、北半球で見ることのできる南十字星だと妻が言った。僕はほんとうなのと疑いながら星を見ていたら、三時間があっという間にたって、僕たちは吉祥寺についていた。改札を抜けると、パルコの地下一階だった。そこに吉祥寺ロンロンの書店が引っ越して来ていた。これは便利になったねと妻と言い合っていたら、本棚に展示してある本の半分はレンコンの天ぷらだった。これで売れるのかなあと口々に疑問を発しながら、僕たちは心配するのだった。
そこで目が覚めたのだった。
■オセロばっかり
目の前に正方形のテーブルがあった。一辺は2メートルくらい。でもそれはテーブルじゃなくって、碁盤と同じ色をしていて、碁盤のように目がきってあって、白と黒の上から見ると丸く、横から見ると平べったい碁石みたいなものが、たくさん置いてあった。僕はこっちに座っていて、僕は自分の上1メートル、50センチくらい後方に意識というか視線が浮かんでいて、そっから自分を見下ろしている。自分の後頭部や背中越しに、巨大碁盤を覗いているのだった。でも肉体の感覚は碁盤の前に座っている僕にあって、なんとも疲れることに、僕はオセロをやっているのだった。でも普通のオセロの60〜80倍くらい面積があるので、石の数も多くて、オセロをするにはとっても疲れるのだった。手を考えるのも実際に裏返すのもとんでもなく時間がかかった。もうやめようと僕が言うのだが、向かいには誰もいなくって、僕は一人でオセロを続けるのだった。
■顔の見えない女
周囲がどうなっているのか、さっぱりわからない。僕は側溝の中に立っていた。幅は50センチくらい。深さもそのぐらいのコンクリート製だ。側溝には水が流れていない。その代わりコンクリートが流し込んであり、僕の両足は固定されている。僕は身動きが出来ない。僕はほとんど裸で、風が吹くと寒い。僕の右側には女の人がいた。女の人はしゃがんでいる。女の人もほとんど裸だ。しかし体の大半は側溝の中に隠れているから、僕のように直接風にさらされることがない。しゃがんでいる方が寒くないよね、と僕が何度聞いても女は返事をしない。君も足がコンクリートに埋まっているの、と質問しても答えない。一体、君は誰なの、と訊ねても無視される。それなら腕ずくで女の人の顔を見てやろうと手を伸ばすと、凄い力で払いのけられる。女は顔を見せてくれないし、声を聴かせてもくれないで、しゃがみこんでいる。広っぱの向こうにある町並みの、そのすぐ上の空が大きく黒い。雨が降り出しそうだった。
■ガソリンスタンド捨て場
四角い大広間で宴会をしていた。参加者は数十人はいるだろうか。私の席は上座に近いのだが、部屋の隅に半畳分だけはみ出した、なんだか床の間のスペースのようなところだ。上座にはいろいろ有名人がいる。一番近くにいるのは女優の飯島直子で、その隣には友人のM崎が座っていて、二人とも日本酒を飲んでとってもいい雰囲気だ。みんな盛り上がっていて、料理もあらかた食べ尽くされていてる。私はちょと前から目眩がしていて、目やこめかみを揉んでいる。みんなには悪いけど、先に帰ろうと抜け出そうとすると、和服を着た仲居さん達が4人、私の前に立ち並んで通してくれない。仕方がないので、私は両目をつむったまま、片手で壁を触りながら、廊下だと思える方向へ歩き出したら、やっと廊下へ抜け出すことが出来た。振り返ると4人の仲居さん達も、私のほうを見ている。でも彼女達は廊下には出てこられないようだった。でも、よく見ると、さっきは和服だったのに、廊下から見るとエプロン姿だった。私は狐色のトレンチコートを着て、外に出た。外は夜で真っ暗。街灯もなかった。駐車場の真ん中を歩いている時に、RちゃんとN上とすれ違う。二人はもう15年くらい前に結婚しているのだが、宴会のあったこの時は、また結婚前の若い姿で、彼らはこれから結婚をするのだった。きっと二人で盛り上がって、大広間を抜け出していたのだ。N上が私に向かって声をかけてくれたのだが、返事をしようと思った瞬間にすうーっと私は体から意識が抜け出してしまって、そっから先は第三者の目で自分の姿を見ることになる。私はそれまで着たことのない、見たこともないきつね色のトレンチコートを着ていて、腰でベルトをぎゅーっと結んでいて、足は裸足で焦げ茶色の健康サンダルを履いていた。足下がそんなだから、N上に答えるのは恥ずかしくて、下を向いて私は通り過ぎたのだった。駐車場を抜けて大通りに出るとそこは片側4車線の幹線道路だった。歩道を歩いているうちに、いつもの新古書店に行こうと思い立った。新古書店は駐車場完備の大型店舗で、お店の面積も300坪くらいはある。くだらない本ばっかりだが、希に掘り出し物が見つかることもあり、結構な暇つぶしにはなる。店の前に来ると、外灯の下で大学生のアルバイトが20人くらい休憩していた。フェンスに寄りかかったり、アスファルトの地べたに座ったりしている。私もそこに混じって、地べたに座っていると、一人に1本缶コーヒーが手渡され、私ももらって飲んだ。でも、Gパン、Tシャツに揃いのエプロン姿のバイト達の間にトレンチコートを着た私はかなり場違いだった。そのうち休憩時間が終わって、バイト達は店の中に入っていった。私も入ろうとしたら、いつもと様子が違う。看板は取り外されて、店の入り口前には大きなトラックが横付けされていた。閉店のために、在庫をみんな段ボールに積めて運び出していたのだ。バイトはいわば引っ越し作業をしていたのだ。これじゃ暇がつぶせないと困った私は立ちすくんでいると、いつの間にか朝になってもやが立ちこめている。周りを見渡すと、コンクリートの駐車場の周囲に、閉店したガソリンスタンドの廃墟ばかりが並んでいる。遠くでサイレンが鳴って、許可なくガソリンスタンドを捨てないでくださいという女性の声のアナウンスが風に乗って聞こえてくる。ガソリンスタンドの廃墟に囲まれてトレンチコート姿で立っている間抜けな私が遠くに見えた。
■毎年恒例の、多分クラス会
毎年恒例のホテルだった。何が毎年なのか、何が恒例なのか、わからないけれど、いつものようにそこに私は参加していた。部屋は八畳間くらいに小さなのがいくつも並んでいる。大広間を探すがなかなか見つからない。そのうち何人かの仲間が移動しているので、それにくっついていく。先頭にバスガイドの格好をして幟を持った添乗員のような人がいる。彼女につらられて私たちは一個の部屋に入ると、そこは病室で、女の子が寝ていた。女の子は、私たちの同級生ということだったが、中学生くらいだった。私たちはもういい大人だった。若く見えるのだが女の子はもう何十年もベッドで生活しているのだった。女の子は、ベッドの上でセーラー服姿で点滴をしていて、喋ることができないくらい衰えていた。私たちはベッドの周りを一周して、別れを告げて、別の間に移動した。私の前を歩いていたとっても背の高い女が振り返って、明日は宮本君の歓迎会だけど、アンタには連絡が行っていないでしょう。明日なのよ、明日、と言う。私を見下ろしながら、不適な笑顔をたたきつけてきた。私にはそんな連絡は来ていなかったし、宮本君という同級生もいなかっった。背の高い女にはなんとなく見覚えがあったのが、どうしても思い出せない。言葉が出ないでまごまごしていると、背の高い女に左肩をガツンと叩かれた。いてーなと思って周囲をみると、看護婦さんがたくさん歩いている。病院から抜け出して早く温泉に行こうと思った。
なんで夢に出てくる人は、知らない人ばっかりなんだろうか…
■ぼくは予備校生
何人か、知っている人が出てくる夢をみた。
夢に出てきた街は、以前に夢で見たことのある街だった。
ぼくは予備校の教室で講習を受けていた。周囲にはびっしり予備校生が充満していた。休み時間になって、どういうわけか、一人の色白で、白いTシャツで白のスラックスを履いたの女の子と、休憩スペースのようなところで、二人きりで机に向かっていた。女の子は白いサンバイザーも頭に被っている。そして彼女に予備校から支給されたテキストの使い方と効率の良いノートの取り方を僕は教わっていた。どの教科のどの先生が人気があるか、どの授業が必要かなどを教わった。なかなか彼女はベテランなのだった。他の予備校生よりは大人に見えるので何浪もしているのだろかと思ったが、訊いては失礼だと思って、訊かなかった。そうこうしているうちに、休み時間が終わって、また授業が始まった。今度は受験予備校なのに、音楽の時間だった。教室は廊下を真ん中に挟んで、二つに分かれていた。大きい方の教室には予備校生が大勢いて、みんな椅子や地べたに座って、窮屈そうだった。ぼくは小さい方の教室へ向かった。振り向くと、白い彼女はうまく椅子を確保することが出来たので、大きい方の教室に残っていた。椅子に座っている彼女は、ぱっと、男になった。そうすると、何人かの女の子が寄ってくるのだった。人気があるのだ。僕は、へえ、すごいなあと、彼?を見ながら、廊下を渡って、小さい方の教室へ入っていった。中にはツッパリばかりがいて、授業といっても、ラップの自作実践の時間だった。背の低い角刈りっぽいタンクトップの一重まぶたで鼻の下にやっと薄い髭が生えたばっかりの男の子がラップを歌い始めて、僕は僕の隣にいる黒いタンクトップに黒いカーディガンを羽織って黒いロングスカートをはいた茶髪の女の子に、受験生も大変なんだなとか話しかけた。女の子の父親の年齢を聞いたら、僕より年下だった。この年で予備校に通うのは本当に大変だなと思った。予備校が終わって、僕は町中を歩いて帰った。町中は、「O君の下宿と南十字星」と時と同じ街だった。知った街だから僕は抜け道などを通って、随分と早く、効率よく家に帰ることが出来た。僕が帰った家は、外観がなく、いきなり長い廊下があって、その奥に僕の部屋があった。部屋の前に父親が立っていた。父親は僕の本当の父親で、しかし、僕よりも若くて、ランニングシャツを着ていた。部屋に入ると、結構、薄暗くて、窓を開けたら、目の前が土手だった。家は土手と土手の間の谷間に建っているのだった。僕がK君の家に電話をして、マンガ「ワイルド7」を今でも持っているか、というような話をしていたら、キャッチホンでN君から電話が入って、N君がやってきた。K君とは小学校の同級生だったが、N君は仕事をするようになってからの知り合いだ。N君は、僕の家に初めてやってきたのだが、実は土手の向こうに家があって、直線距離にすると、100メートルもないことがわかり、それならもっと前から行き来するれば良かったなと笑いあった。笑いながら僕は予備校であった白い女の子が男に変わる瞬間を何度も思い出しながら、最近の若い子には、凄い奴がいるもんだなと感心していた。ふと目を離したすきに、N君は、F君になっていて、僕はなんだからかいやがってと思って、無視することにした。
そこで一回目を覚まして、また別の夢に突入したが、そっちは憶えていない。
■法事だった
その日は法事で、僕は黒の礼服を着て参加していた。まだ始まらないのか、控え室にみんなで待っていた。控え室は非常に広く、真ん中にコンクリート打ちっ放しの廊下があり、その左右に40センチくらい上がって畳の部屋になっていた。一つが二〇畳間くらいと広く、奥には大きなソファが並んだ応接セットもあり、真ん中のテーブルの上には、鉄器で出来た煙草入れとライターと灰皿のセットが据えられている。老人達はここでお茶を飲みながら待っている。手前には大きなストーブがあり、赤い炎が燃えているのが見えるから、石炭か薪ストーブだろう。火傷しないように、周囲には針金で柵がつくって囲ってある。廊下を挟んで反対側は、一〇畳くらいの広さで、座布団が何枚も置いてある。むき出しの天井が斜めになっていて、大きな天窓から陽光が差し込んでいて、とても暖かな感じがする。僕はこちらのほうで胡座をかいて座っていたら、暇をもてあました子供達がみんな集まってきてしまった。親戚の子供なのか、知り合いの子供なのかわからない。向こうを見ても、知っている人が一人もいないので、どうしようかと考えるのだった。そもそも自分が何でここにいるのか、思い出せなくて、いいや流れに任せようと決心したところだった。それでも心細くなってきたので、子供の相手をすることにした。みんな幼稚園児くらいから下の大きさで、一〇人くらいはいる。中にはまだミルクくさいのもいる。子供達の髪の毛をいじったり、柔らかいほっぺたをいじったりしていたのだが、しまいに子供達が興奮してきて、僕の背中に登りだした。一人二人ならいいのだが、四人、五人となると結構重い。とんでもなく重い。にこにこ笑顔でよだれも垂らしやがる。このままでは体が持たないと思った瞬間、扉が開いて、司会進行の人が、何とかの間にお移りくださいと告げた。靴も履かずにみんなそのままコンクリの廊下に降りて歩いて行く。やだな、冷たいなと思っていたら、扉の向こうは、夏の砂地だった。目の前が真っ黄色になった。
■懐中電灯とルノワール
久しぶりに夢をみた。
僕は懐中電灯を持って歩いていた。ビルの中だった。夜なのか昼なのかわからないが、あたりはぼんやりと明るく、懐中電灯がなくても歩けそうだった。小さな部屋がいっぱいあった。廊下がない構造なので、一つ一つ、入って通り抜けなければならなかった。小部屋の中は床も天井も壁もコンクリートの打ちっ放しで、窓はなかった。天井の照明も無かったので、だから自分は懐中電灯を持っているのだと納得した。でも、薄ぼんやりと明るいので、本当は懐中電灯など必要がなかったのだ。そうやっていくつもの小部屋を時間をかけて通り抜けると、やっと広い空間に出た。人もいっぱいいる。見覚えのある席が空いていたので、そこに腰を下ろした。よく見るとそこは喫茶店ルノワールのどっかの店だった。僕はコーヒーを注文した。向いの席に知り合いの女の子がいた。僕には気がついているはずなのだが、忙しいので話しかけないでとうつむいた額が告げていた。トイレに行こうと歩いていくと、別の席ではその知り合いの女の子の旦那さんが誰かと商談をしていた。なんか換気扇の輸入についてとか話している。旦那さんがいるんだから、彼女ももう30歳をとっくに過ぎていたんだっけと気がつき、振り返ると、僕が、まだ一口しか飲んでいないコーヒーを持ち去ろうとしているウェイトレスと目が合ってしまった。ウェイトレスは、自分の正当性を主張するかのように、一瞬、激昂した様なすさまじい表情になって、そのままコーヒーを下げてしまった。僕は仕方がなく、また小部屋のたくさんあるビルの中に入っていった。今度は前より暗くなっていた。懐中電灯をルノワールに忘れてきたことにきがついた。
最近は夢を見ても憶えていないことが多くなってきたし自然と記憶に残るほど印象の強い夢を見ていないような気もするしましてわざわざ文章に起こす気持ちにもならないからますます記憶には残らなくなっていると思ったらもう随分夢の追加もなくなっている
■ジーコの息子
Nちゃんが電話をかけてきて相談事があるというから話を聞いていたらなんと最近はジーコの息子とつき合っていると言うのだがジーコと言うのはサッカー日本代表チームの監督でサッカーの神様と言われる人だから息子もそうとうな人なんだろうがNちゃんによると日本語のしゃべれない我が儘な奴でこれからどうやってつき合っていこうかと悩んでいると言っているうちにいつの間にか電話がテレビ電話になって受話器を持ったNちゃんの顔が見えてきてその顔は半分泣き顔で本当に悩んでいるようなので面倒だったけどむげにも出来なくてしかしNちゃんと電話で話すのは数年ぶりでそういえば最後に会ったのはFさんの結婚式の会場だったなと思いだし僕はサッカーファンだからジーコには興味があるからそのご子息なのだからゆるやかでよろしげなつき合いをしていくようにと可もなく不可もないアドバイスをしてお茶を濁して電話を切ったあとに自己嫌悪に陥ったのだった。
■引率されて
地下鉄の通路のような所から階段を上って僕たちは20人ぐらいの人数で地上に抜け出したのだった。地上は晴れていて太陽が照っていて時間はお昼過ぎのような気がしたのだが雨上がりの夕方だったのかもしれないし、季節だって冬だったのかもしれず、その証拠に誰もがコートやオーバーを着ていたのだが自分がどんな服装をしているのかはわからなかったし、僕の身長は1メートルそこそこで、いくら一生懸命足を運んでも手を繋いでいる女性の歩く速さにはなかなか追いつかなかったのだから、今思うと私はきっと子供だったのだ。僕たちはまるで何かに追われているかのように一列になって道路を急いで移動していたが、道路の幅は広く広くとっても広く、両側に建っているのはビルではなくどんなに高くても二階建て程度で、町並みはまるで映画の西部劇に出てくるようなゴーストタウンで、通行人は一人もいず、町の人達はとっくに避難した後だった。でも足下からは地下鉄の空気圧が上に吹き出していて、一体全体どこを歩いているのか、どこに向かおうとしているのかわからないのだったが、とにかく僕らは手を引っ張られて、小走りに移動していた。僕の手を引っ張っているのは、背が高く痩せた若い女の人で、転びかけて支えられたときに盗み見たその顔は、テレビコマーシャルに頻繁に出ている女優さんの顔だった。しかしドラマも映画も観たことはないので実は名前も知らない女優さんなのだが、いつかみたバラエティ番組では関西弁を使っており、趣味は乗馬だと言っていた。昔は肥っていて、ダイエットをして痩せたということも披露していた。いつものように、僕はああ、そうかこの女優さんのことを僕は好きだったのだなと思いながら、もう一度顔を見ようとすると、女優さんは極道の妻の一人みたいな和服姿になっていて、これから刀やピストルが出てきて修羅場と化すのだということがわかって、僕はとても寂しくなった。僕の悪い予感を証明するように、前を走っていた子供達が、一人一人、スローモーションで銃弾に倒れていくのだった。
■連行される一家
同居人の友人に会いにいったのだった。駅について列車を降りるとそこはホームではなく畳敷きの居間になっていた。まもなく突き当たりの襖が開き電動車椅子にのった同居人の友人が現れたのだ。以前の記憶では手足に障害があって顎で車椅子を操作していたのだが、今回は体も大きくなって、自力で立ち上がることも出来るようになっていた。私は素直に感動した。私の同居人は淡々とすべきことをしていた。同居人の友人の部屋は和室で八畳くらいだった。私たちは座布団に座って四方山話などをしていたのだと思うが、そのあたりは定かではない。トイレはその和室の隣にあるのだが、そこへいくには廊下をぐるりと回らなければたどり着けなかった。そこの建物は、中心に襖や障子で仕切られた和室が6つくらいあって、その周囲を廊下が巡っており、廊下の外側に、同居人の友人の部屋とその向こうにホームにもなる和室と、トイレがあり、しかし廊下は同居人の友人の部屋の前で仕切られているので、隣にトイレがあったとしても、ぐるりと廊下を歩かなければならないのだ。私はトイレに向かったのだが、廊下に囲まれた内部にある和室は、E先生一家が住んでいたのだ。私はE先生一家には、申し訳がなく会わす顔がないので、見つからないようにトイレに向かった。話し声から、E先生のご夫婦とやはり社会科の教師をやっている息子さん夫婦と、小学生になるその息子が来ているようだった。私たちは時間になったので帰ることにした。帰りは電車に乗らずに行こうということで、今度は廊下の先にある玄関へ向かった。玄関は30畳くらいの広さがあり、近所の子供達が大勢詰めかけていた。壁に大型スクリーンが設置され、サッカーの試合が写し出され、講師にサッカー選手の小野伸二が来ていた。少年サッカー教室が行われていたのだ。ふーん、見ていこうかなどと同居人と喋ったあと、ふと脇を見ると、玄関だった筈のそこは、いつの間にか体育館になっており、学生服を着た中学生達が折りたたみのパイプ椅子にきちんと腰掛け、その向こうのステージの上には校長先生が立ち、なにやら語っており、私たち二人は同窓生の席に座らされていたのだった。やばいと思った時には既に遅く、同窓生の一人が文集を持ち出し、私が中学生の時に書いた作文を読み上げようとしているのだ。なぜか同窓生の席にいる小野伸二が楽しそうに笑っているのを横目で見ながら、私は同居人を置き去りにして、体育館を抜け出したのだった。夕方の筈だった外は、まだお昼前で、さんさんと太陽が輝き、積もっていた雪はどんどん溶けて流れ出していた。アスファルトの斜面は、水浸しで川のように流れていた。それはまるで春の雪解けなのだった。明るい陽光に目眩を感じながら、雪解けの水の匂いを鼻の奥にしっかりと受け止めながら、そろそろほとぼりも冷めた頃だろうと体育館に戻ると、同居人が、あんな作文を書いていたんだと面白そうに笑っていた。今度こそ本当に帰るぞ、と言うと、横にE先生一家もやってきて、一緒に行こうという。私たちは、誰にも見つからないように慎重に建物を出ることにした。なぜなら誰かに見つかったら、大事になるからだった。E先生の話によると、角を曲がると迎えのバンが来ている筈だという。そこまで一人一人、それぞれが無関係を装って出ようということになった。通りには、奴らが大勢詰めかけて一列に並んでいる。子供連れから大人まで、中には自転車で乗り付けたものまでいる。道行く人達を検問して拘束しようという自警団なのだ。まず先にE先生一家がひとりひとり、道にくりだしていった。私は最後から二番目で、同居人が最後尾という順番だ。私が奴らの前を通った時、E先生一家は全員、呼び止められて路上で立ち往生していた。彼等はわたしのことを知らんぷりしてくれている。私も無視して通り過ぎる。私は誰何されず無事角を曲がることを出来た。あんた達には責任を取って中国に行ってもらうからと、自転車てきたオヤジがE先生一家に向かって告げているのが聞こえてきた。彼はそれが自民党の方針なのだという。私は自民党と中国の組み合わせに少なからず驚いた。心臓がどきどきして吐き気がしそうだった。バンの影に隠れていると、同居人がやってきた。泣きそうだ。みんな連れて行かれたという。私たちは後ろを振り向かず、足早にそこを離れたのだった。市街地へ戻る方法は二つあった。幹線道路沿いに徒歩で山越えするか、次の駅までいって電車に乗るかだ。どちらにするか決められないまま、私たちは歩きずつけた。とにかく自民党に掛け合ってどうにかしなければ、と思うのだが、雲を掴むような話で、しかも自分の足下も雲の上のようにおぼつかないのだった。その先がどうなったのか、記憶にない。この夢を最近、何回も見る。見るたびに細部が異なっている。体育館が木造だったり鉄筋コンクリート造りだったり、その部分があったりなかったり、何人かが登場しなかったりだ。同居人の友人で電動車椅子に乗っている女性は、その都度、体の大きさが違っていた。小さい時は手足がなく60センチ四方ぐらい。大きい時は畳み3枚くらいに巨大化していた。
■荷台に紐を巻く
急がなければならないことはわかっていたのだが、寒気に悴んだ手許がいうことをきかず、作業が進まない。私は自転車の荷台に紐を巻き付けていた。荷物をくくりつけるための、中心にゴムが入った長い紐だ。あまり引っ張り過ぎると、ゴムが伸びきってしまい、弾力を失い、肝心の時に用をなさなくなる。だから私は軽く、しかも均等に力がかかるように、荷台に巻こうとしていた。しかし、頭でわかっていても、実際にはそうはうまくいかない。何度も繰り返しているうちに、あっという間に時間が経ってしまった。既に出発しなければならない時刻は過ぎている。寒風吹きすさぶ中、それでも私は紐を巻いているのだった。何度も何度も、どうやったって失敗して、あと少しのところで失敗して、そのうちにまるで自分の体が金縛りにあって動かせるのは指先のみという状態になってしまって、それでもなんとか紐を巻き付けようと試みているのだった。しかしおそらく私の体は自転車の荷台から遠く、右手を伸ばしてやっと手が届くところにあるのだった、それも背中を向けて。ともすると背中から地面に倒れ込みそうなのだが、荷台に手を添えることで体を支えてもいるのだから、紐を巻き付けるものすこぶる難儀だったのだ。
■韓国でサッカーを見る
サッカーの試合を見に韓国へいったのだが、人の列についていったら地下のトイレに並ぶ人達で手すりのない幅の狭い階段で段の間隔もまばらで非常に怖かった。その後、誘導されていった先は小学校のグラウンドのようなところで、いつの間にか真夜中に成っていて、我々日本人はゴール裏へ座らせられたのだが、それは予行練習で、本番の試合はちゃんとしたスタジアムで行われることになっていると知らされ、またみんなで移動を始めた。歩き出すと外は真昼の太陽が照っていて、瑞々しい景色が展開していて、この地方に特有だという、巨石や遺跡がたくさんあって、それはみんな真っ白の岩や石が巨大な鍾乳石のように緑の木々の間から顔を出している圧巻の光景だったのだが、あれっと思っている間に、足下にどこからともなく洪水が起きており、水位が30センチくらいになって、その水がまるで湧泉のように澄んだ青い美しい水で、太陽を反射してキラキラと美しく、しかし道がさっぱり解らなくなっていたので、その辺を歩いている半ズボンの爺さんに尋ねると教えてやるからこっちを来いと言われついていったら、そこはその爺さんが経営している会社で、木の引き戸で中には木の机があり中年の男が一人事務仕事をしていて、まるで昭和30〜40年代の日本の商店のようなところだった。
■台車でGO!
私は韓国でサッカーを見るの夢の最後に出てきた商店の二階に、部屋をあてがわれて寝起きしていたのがだが、窓際にベッドを置いてその足方向の壁にある床の間のような作りの下にある引き出し部分が既に崩壊しつつあり、なんとか修理したいものだと思っていたら、隙間から得たいの知れない虫でも出てきそうな感じで鳥肌ばかり立つのだった。部屋を見渡すと、中国なのか韓国なのか、さっぱりわからない家の造りなのだった。仕方なく私は反対側の壁に作りつけてあった本棚の一段に、ベッドの布団を畳んで押し込んでみていると、家の人達がやってきて、何をやってるんだと私のことを馬鹿にするのだった。廊下を挟んでその部屋の反対側には畳の日本間があって、そこには私の慣れ親しんだ親戚達が寝起きしているのだった。なぜかいたたまれなくなくなった私は、外へ飛び出した。すると道は、こんな時代には珍しくサイクリング道路になっており、私は商店の軒先にあった荷物運び用の台車をスケボーのようにして走り出したのだった。サイクリング道路は、1960年代の日本の岩手大学へ繋がっていて、私は通称豚山の真ん中を突っ切って進んだのだった。ところが道はそこまでで、そこから先は草むらになっており、草むらには、ホームレスをやっている学生が何人か住んでいて、短冊に詩なんか書いて、地面に突き刺していた。私はそれらを蹴散らして進んでいたのだが、馬鹿馬鹿しくなって、一人のホームレス学生に台車を進呈してところ、大いに感謝された。その後、家に帰ろうと歩き出した私には、女の子二人の同行者がいた。二人とも背が低く、真っ黄色の超ミニのワンピースを着ていて、まるでトヨタ製のロボットみたいだった。この二人を従えて、学生寮の脇の小径を通って、工藤さんの家の裏の私道に入りかけると、その小径の斜面に頭を下に仰向けに寝っ転がっている小学生達が、7〜8人ほど、一列になっている。口の減らないそいつらを、踏みつけないように注意して進んだ。後からついてくる女の子二人は、平気で踏みつけていたので相当顰蹙を買っているようだったが、スカートの中を覗かれているので致し方ない面もあるのだった。その道を抜けて広い通りに出るとあともう少しで私の生家だった。途中、アスファルトの路上で子供達が縄跳びなどをして遊んでいる。角の家は、一階の通りに面した部分がガレージになっていて、普段はシャッターが降りているのだが、今日は開いており、実はそこには車が置かれてはおらず、この家の女主人のベッドが置かれているのだった。もう70代の主人の姿が見えなかったので、女の子達が勝手に入っていって、物珍しそうにしていると、そこの家の閉じこもりの男の子である高校生がやってきて、我々の姿をみて、シャッター脇のモップ置き場の中に入って出てこなくなった。やばいと思って我々は速やかに退散した。
■足がちっちゃくなった……
歩いていると靴が脱げるようになった。気をつけているのが、ますます脱げる。なんだか靴が大きくなってぶかぶかなのだ。おかしなことがあるものだと思ったら、僕の足がちっちゃくなっていた。左足をひょいと上げてみると、くるぶしから下がすんごくちっちゃい。手の平におさまるくらいにちっちゃい。ギュッと握ってみると、妙に冷たい。だからギュギュッと何回か握って、血行をよくしておいた。でもこれでは困るなと思ったら、横にいたどっかのおばさんが、あら、かわいいじゃないと言う。でも、ちっちゃくて、と僕が言うと、かわいいじゃないとまた言う。そうか、かわいいのならいいのか、と僕は諦めた。
アロマな人いきれ
そこに詰め込まれた人達は、みんなアロマなお茶を飲んでいるので吐気もアロマなものになっているので、どんなに詰め込まれてもストレスが緩和される仕組みになっている、ということになっている。疑問を感じているのは僕だけで、みんなぎゅうぎゅう詰めにも一言も文句を言わないでむしろ気持ちよさそうな顔をしているから気持ち悪い。これでは全員屠殺されても仕方ないなあと思いながら、僕は自分だけはごめんだなと思うのだった。僕はストレスのあまり、意識がちょっとだけ上の三メートルくらいの中空に浮かんでしまって、みんなの顔を見下ろしていたら、どいつもこいつも匂いを吸い込んでとろけたような顔をしているのをまるで離人カーテンの囚人のように眺めている。まるで満員電車、まるで家畜運搬の貨車なのだが、その中にいる僕にも自分がどこにいるのか、実はよくわかっていなかったが、押しくらまんじゅうのような状態だけは勘弁してもらいたかった。
原色の下宿屋
間口が二軒くらいの広い引き戸を開けて入り口を入ると玄関のたたきは30センチもなく閉鎖された番台のようなカウンターが迫っていてその後ろは左右に別れた狭い部屋になっていた。それぞれ天井が斜めに傾斜していて、腐っているのかベニヤ板が浮いて垂れ下がっていて日が差さないからすえた臭いに満ちていた。学生が住んでいるらしいが、番台の裏は共同の炊事場になっている。学生でも住んでいるのだろうか、と僕はなんか学生にこだわっている自分の笑ってしまう。今時こんなアパートがあるかのと思って神妙に眺めていると押入かと思っていた襖から住人が出てきて奥に案内してくれた。茶髪で下側にだけ縁のあるメガネをかけたそんなに背の高くないお兄ちゃんで、苦学生の雰囲気は微塵もない。なんだか簡易旅館のような下宿屋らしかった。奥の間には割烹着を着た大家さんらしき肥ったおばちゃんと事務服を着た不動産屋のお姉さんがいた。大家が僕に言った。あなたは十畳の部屋でしたね。そこで事務服を着た不動産屋のお姉さんに連れられて、さらに奥に僕は連れて行かれた。なんだか斜面に作られた離れに連れて行かれるような感じだったのだが、数段しかない階段を下りると周囲にドアが並んでいて、部屋の間隔が妙に狭いので各部屋の大きさは3畳程度であることが知れたのだった。壁には全体にビニールの壁紙が貼ってあり、その色は基本が光る銀色でありその上に赤が格子縞のように乗っているので、非常に派手で落ち着きがない。ミラーボールを平面かしたような壁紙で、どこかパチンコ屋かゲームセンターのようだった。茶色のポスターカラーで塗ったようなまるでボール紙で出来たような安っぽいドアを開くと、そこが十畳間だった。部屋の奥に大きなベッドが置いてある。もしここを借りたらここで眠らなければならないのかと思うと僕は憂鬱になるのだった。今度はなぜか壁は砂壁でかなりはがれ落ちて壁際にかすが積もっていて、嫌だなあと思ってみていたら、ここは以前パチンコ屋だったところを改装したんですと不動産屋の女が言う。いつの間にか不動産屋の女子事務員が3人に増えている。なんでここを借りたいと思ったのか、あなたの動機を聞かせてくれという。帳面を開きながら、三人がうなずきながら僕を見ているので、僕はほとんど審査されているみたいだった。そう言いながら、三人がここがいかに有利な場所か褒め合っているから、僕はこんなところ借りたくないなあと思っているのだけれど、どんどん借りなければならない方向に流れが進んでいくようで気が気でなかった。三人の女達はスカートなのにいつの間にか床に片膝立ちになって、蓮っ葉な感じに豹変してしまった。年長の、といっても二十代後半くらいで三人の中ではリーダー格の女は、頭にはめた赤いカチューシャを直しながら、それで固定電話の番号はどうするのと言い出した。ここを商売の拠点にするのなら、ゴロのいい番号にしようと私に向かって言うのだった。二番格の痩せて化粧気のない女が、タバコを吸いながら、こんなのはどうからしらと何か番号を私には聞き取れない小さな声で言う。私はまだここを借りるかも決めていないので、このままではやばいと焦ってしまうのだが、三番目の一番若いふっくらとした体型の女がベッドの上に登って、スプリングを確かめるかのように、ジャンプしたり腰を下ろしたりしながら、不気味な笑顔を私に向けるのだ。実は私は女の子が三人もいるのだから色っぽい展開になるのかもしれないと密かに考えていたのだが、三番目の女の笑顔を見て、全身が総毛立ち、これから起こることにホラーっぽい展開を確信したのだった。あとはどうやってここを脱出するかなのだが、窓のない部屋だったし、廊下は建て増しした旅館のようでまるで迷路だったし、ドアの方を見ながら、ああ、ああ、どうしようと思ってもう一度女達の様子を確かめようと振り返ったら、事務服を着た不動産屋の女達の身長が3メートルくらいになっていて、三人とも揃って笑いながら僕のことを見下ろしているいのだった。
脳震盪の味
20年くらい前に、私は、自分が車に衝突して激しい脳震盪に見舞われる瞬間、という夢をよく見ていた。あの、吐き気を伴った脳震盪の感覚が瞬間的にマックスになって、目の前が真っ黒になって目が覚めるという、いやーな夢だ。
その時々によって、あ、あばらが折れたとか、足が折れたとか、頭蓋骨に響いてくる骨折の音とその感覚が後追いしてくるヴァージョンもあった。どん、と車にはねられて、空中に投げ出されている間に、ぶつかった痛みと脳味噌が取り返しのつかない揺れでブレている、という恐い感覚を感知しながら、アスファルトが顔に迫ってきて、ごつん、で目が覚めるというヴァージョンが一番多かった。
目が覚めても30分くらい金縛りっぽくなってしまうので、とても始末の悪い夢だった。
あ、やな感じが口の中に湧いてきた……。
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