† † † act.4 † † †

 

「あれ。アルファスの奴、踊れんじゃんかよ」
 出来たての恋人の言葉に踊りの輪に視線をやり、アンネは首を傾げた。
「本当。……でも相手のひと、あの怖いお客さんよ」
「あー、あのひと怖いよな、なんか」
 うん、と頷きアンネは微笑む。
「アルファスってすっごい綺麗だから、気に入られたのかもね」
「えー、そうかあ? ターシャとかのが綺麗じゃん」
「嘘、アルファスのほうが綺麗よ。あたし羨ましいもん」
 そうかなあ、と不服げに首を傾げ、メルは鼻の頭を掻いてアンネを見ずに早口で続けた。
「でもさ、お前のほうが可愛いし」
「え?」
 きょとんと見上げたアンネに、恋人は「本当だぞ」と赤い顔で念を押すように続けた。アンネは薔薇色に染めた緩む頬を抑えてくすくすと笑う。そんなそばかすの娘にメルは耳まで真っ赤にしたまま唇を尖らせた。
「うわ、何笑ってんだ信じらんねー。俺今凄ェ緊張したのに」
「あは、ごめん、でも……えへ、嬉しい」
 まだ拗ねているメルの肩に頭を乗せ、アンネは笑った。
「凄く嬉しい。ずっとこうなれればいいなって思ってたんだもん」
「そ、そうか?」
「うん」
 そっか、と頬を緩ませたメルは、再び踊りの輪に眼をやった。その顔は照れと歓喜で紅潮しているが、視線が誰を追っているのかを察してアンネはその相手を見た。
 メルの視線の先にいる娘は、炎の明かりのせいだけとは思えぬ程赤面したままぎこちなく客人に付いて踊っている。
「………ね、メル」
 近くに据えられていた盥に手を伸ばし、アンネは白いサン・マーベルを摘んだ。
「この曲が終わったらさ、アルファスと踊ってあげて」
「え?」
 メルのばつの悪そうな顔に胸が痛む。
 しかしアンネは目一杯微笑んでサン・マーベルを差し出した。
「ね、お願い。最初の踊りじゃないからいいでしょ?」
「でもさ」
「お願い! ……アルファスのこと、嫌い?」
「い、いや、そんなことはないけど……友達だし」
「じゃあいいでしょ?」
 メルはしばらく逡巡していたが、曲が終わりそうなのに気付くとふっと苦笑を浮かべて頷き、サン・マーベルを受け取った。
 身を翻してざわざわとした踊りの輪の中へと駆けて行く恋人の姿を見ながらアンネは複雑に微笑み、樽に腰掛けたまま足をぶらぶらと揺らした。胸の中の優越感と幸福感と好意とを一滴の不安が灰色に曇らせていて、先程わずかに飲んだだけの葡萄酒に悪酔いしそうだ。
 友情に嫉妬するなんて、とアンネは自分の頬をつねった。
(あたしってみっともない……)
 外見も、心も。
 傍らのメルの体温が消えてしまうと途端に不安になる。
 これからずっと、メルは自分を好きでいてくれるのだろうか。
 そんなアンネの心中を知らずか、踊りの輪の中で美しい親友がメルのサン・マーベルを受け取った。
 
 
 
 
 柔らかなブーツの足先だけが堅い革で覆われているようだ。
 何度か踏んでそう気付きながら、アルファスは冷汗を掻いた。
「ご、ごめんなさい…」
 呪術師は何も言わずにアルファスを引き寄せ近くで大きく回った踊り手から庇った。
 思ったよりも身体が密着するものなのだ、と気付かされたアルファスは先程から顔を上げてヴェーダを見ることが出来ずにいる。耳まで真っ赤に染めて俯き堅くなって必死にステップを踏もうとしている娘に何も言わず、けれど添えた手だけは優しいヴェーダの顔にも笑顔はない。
 ぎこちない長身のカップルを観客たちは苦笑を浮かべて眺めている。
 早く曲が終わらないだろうか、と逆上せたような頭で思いながら必死にヴェーダの足運びにだけ集中していたアルファスは、ふと額の上で呟かれた言葉を聞き逃して瞬きをした。
「え?」
 呪術師の黒と灰の眼が見下ろしている。
「剣を使うのか、と聞いたんだ」
「あ、は、はい……ちょ、ちょっとだけですけど…」
 でもどうして、と頬を紅潮させたまま問い返したアルファスにヴェーダは僅かに握った手に力を込めた。
「剣を握る手だ」
 アルファスは瞬く。
「解るんですか?」
「僕も僅かだが剣を使うから解る」
 アルファスはもう一度瞬いた。ステップは既に疎かでヴェーダと周囲の動きに合わせてふらふらと揺れるだけだが、ヴェーダは何も言わずに続くアルファスの言葉を待っている。
「剣を使うひとには見えないけど……」
 握った呪術師の掌は肉が薄く、指を添えた腕はそれだけで解るほどに痩せている。素人が思うよりは遥かに重量のある剣を振り回す体格には思えない。
 しかしヴェーダはそれには答えず、ちらりと観客へと視線を向けた。
「さっきの老人が師匠か?」
「は、はい。……あの、でも、もう辞めるところなんですけど」
 怪訝そうに細められた青灰色の右目にアルファスはどこか照れたような笑みを浮かべた。
「これでも女ですし……その、いつまでも剣なんか振り回してちゃ、父さんも心配するだろうから」
「剣が嫌いか」
「いいえ!」
 即答してアルファスはいやその、と再び赤面した。
「す、好きですけど……その、他のことよりは向いてるかなとも思うし。でも、ええと……仕方がないです」
「では、僕が教えてやろう」
 ぽかんと見上げた娘を一貫して熱のこもらない眼で見下ろし、ヴェーダは嫌か、と訊いた。
「嫌……とかじゃなくて、えっと……」
「先程ドレルグが言っていただろう。僕はしばらくの間この街にいることになる」
 そう言えばそうだった、とアルファスは困惑げに首を傾げた。
「あの、彼女……レリィナとですか?」
「何故? 彼女は関係がない」
「え、でも、恋人なんじゃ」
「先程まではそう言えたかもしれないな」
 アルファスの足が止まる。それを促すことはせずに踊りを止めたヴェーダの眼は変わらずに冷たい。しかしアルファスはその眼に怯えることを忘れて見返した。
「別れた、ってことですか?」
「ああ」
 淡白な反応に戸惑い、アルファスは言葉を探す。
「……だって、彼女、あなたの事がとても好きなようだったのに」
「そのようだ。だが僕は誰も愛してはいない」
「───そんな」
 ふと、呪術師は白濁した右目をどこか痛むように細めた。しかしアルファスが怪訝に思うよりも早く元の無表情に戻る。
「呪術師とはそういうものだ。レリィナもそれは承知していた」
 言葉に詰まり僅かに唇を噛んで睨んだアルファスを怯むことなく見つめていたヴェーダが、ふいにその肩を押しやり手を離した。いつの間にか曲が止んでいる。
「ヴェーダ、どこへ」
 そのまま踵を返した呪術師を追おうとしたアルファスの肩をぽんと誰かが叩く。アルファスははっと振り向いて眼前に差し出された白い花に眼を丸くした。
「よう、アルファス。お前今年も踊れないなんて言って、踊ってんじゃんか」
「メ、メル?」
 ん、とどこか照れたように頷いて、親友は再びずいと白のサン・マーベルを差し出した。思わず受け取り、アルファスはどぎまぎと周囲を見渡す。
「あ、あの、でも、アンネと踊ってたんじゃ」
「アンネが踊ってやれって言ったんだよ」
「アンネが?」
 慌てて振り向き、アルファスは笑顔で手を振ったアンネを見つけて眉尻を下げた。
 ああ、彼女はなんてお人好しなのだろう。
 多分、アンネはアルファスがメルを好きだったことを知っている。
「嫌か?」
「嫌じゃないけど……」
「じゃあ───お、おい、アルファス!?」
 言いさしてくるりと身を翻し駆け出したアルファスに慌てたメルが叫ぶ。アルファスは肩越しに満面の笑みを投げた。
「ごめん、メル! 君は後で!」
「は!?」
 呆気に取られているメルを置いてアンネを目指したアルファスは、ぽかんと見上げた親友に微笑み掛けた。
「え、あれ? メルと踊らないの?」
「メルは後だ」
 アルファスは貰ったばかりの白のサン・マーベルを差し出した。
「わたしと踊ってくれ、アンネ」
「え、……え!?」
 慌てるアンネの両手を取り、アルファスは楽しげに笑った。
「君と踊りたいんだ。ほら、曲が始まってしまう」
「え、だ、だって、アルファス!」
 ぐいと手を引かれて樽から降り、引っ張られるままに駆け出しながらアンネが戸惑った声で名を呼ぶ。しかし楽しげなアルファスにつられたのかすぐに笑顔を浮かべたアンネはスカートをつまみ、踊りの輪へと飛び込んだ。
 輪の向こう側で四十路に差し掛かった大柄な粉屋の奥方に捕まったメルが、嫌々ながらの愛想笑いを浮かべて踊っているのが見える。
 それがおかしくて、少女二人は声を上げて笑いながら飛び跳ねるようにして踊った。
 秋が深まれば姿を消す金茶色の蛾がカンテラにぶつかり微かな音を立てる。
 音楽の合間を縫って何故か耳に届いたその音を聞きながら、アルファスは幸せだ、と思った。
 友人が、父親が、師匠が、この町の人々が、皆好きだ。
 好きなひとたちに囲まれて生きて行くことができる。
 これ以上の幸せは、ない。
(もういい)
 恋は実らなくても、剣を振れなくても、娘として当然の幸せを手に入れることができなくても。
 これだけ幸せなら、それで。
 アンネの小さく柔らかな手を握りながら、水に浮かぶサン・マーベルの強い香にアルファスはしばし酔った。
 
 
 
 
 りりり、と草むらで鳴く虫は、柔らかなブーツの足音ではその恋の歌を止めることをしない。
 夜も深け空気がひんやりと湿気を含み始める頃になっても町のざわめきは納まらず、独り古い道を行く呪術師の背後の空気まで揺れているようだ。
 祭りの熱気を嫌ったわけではないが、ヴェーダはオルトから聞き出した以前呪術師が使っていたという小屋を目指していた。外套を羽織らない肩にしんと降りる夜気がまだ秋の浅い時期だというのに冷ややかだ。
 季節のせいだけではないな、とヴェーダはその色違いの眼で周囲を探った。四辻に差し掛かる。
 ヴェーダは腰を屈め、足下の手入れのなされていない石畳が被る砂を摘んだ。わずかに血の臭いがする。使役する悪霊たちの嗅覚を通して感じる、この世のものならぬ血臭だ。
 ここが前任者の墓か、と納得し、ヴェーダは身を起こして再び歩き始めた。肩に積もっていた冷気が引く。
 四辻には『善くないもの』が溜まりやすい。それをこの世ではない場所へ還してやる役割を、触媒となった呪術師の死体が果たしている。
 いつまでそれに効果があるかは解らないが、恐らくそう長く持ちはしないだろう、とヴェーダは見当を付けた。効果が薄れれば悪霊どもの餌となるだけで、反って危険だ。早々に掘り起こして祓ってしまったほうがよさそうだ。
 雑草の生える石畳の道の終りに、やがて崩れかけた小屋が見えて来た。瓦は落ち、蔦が酷く絡まり一見しただけでは入り口がどこかも解らない。軽く蔦を掻き分けて見つけた扉の小窓には奇跡的に割れていない磨り硝子が嵌っていたが、それを見たヴェーダは白濁した片目を細めて窓を探した。
 小屋の西側にある窓には鎧戸が降ろされている。ヴェーダはからからに乾燥した薪を拾い、それを叩き割った。がしゃん、と酷い音がして鎧戸は容易く外れるが、その下の窓硝子はひび一つないままだ。
 ヴェーダはしばしそれを眺め、おもむろに腰から下げた小袋の一つに手をやった。中の灰をつまみ出し、小屋の周囲を歩きながらぱらぱらと落す。
「解錠」
 ぐるりと一周し、扉の前まで戻った黒づくめの呪術師は詠唱も印もなくそう呟いた。一拍置いてぎ、ぎ、と軋んだ扉はひとりでに開く。同時に扉に嵌っていた磨り硝子と西の窓ががしゃがしゃとすっきりしない音を立てて砕け落ちた。どうやらこの家の前の主は、死に際して封印を施していたようだ。己の死体が失せ、中が無人になれば発動するように仕掛けてあったのだろう───確保してある呪術の触媒が漏れ出ぬように。
 ヴェーダは不自然に曲げた右手を額の前へと翳し、左手を何かを掴むように扉の向こうの暗がりへと差し出した。鋭い瞳が細められる。
 ぐ、と握った左手にざらざらとした、汚れた薄絹のような感触があった。引き寄せる。ずるずると引きずり出されたのは暗闇をわずかに白くする霞みのようなものだ。
 その実体のないものを、ヴェーダは無造作に懐へと入れた。恐らく前任者を喰ったという悪霊の一部だろう。他の悪霊より力が劣ったせいで食いはぐれ、呪術師の呪縛から逃れ損ねていたのだ。
 大したことには使えなさそうだが、とヴェーダは悪霊を仕舞い込んだ懐を撫でた。
(他の餌には出来るか)
 呪術師の使役する悪霊や悪魔や精霊は得てして貪欲で、常に空腹だ。餌を与えなくてもヴェーダ自身はどうということはないが、他の者が不用意に触れてしまったりすればその者が食われてしまう危険がある。
 さて、と小屋を眺め、扉に掛けようとしていた手をヴェーダは引いた。
「……僕に何か用か」
 習い性なのだろう、意識して足音を抑えていたわけではないだろうが猫よりも気配のないその男はぴたりと足を止めた。ふっと息を吐いた気配がする。笑ったのだ。
「ちょっとね。レリィナやマクスがいないとこであんたと話したかったんだ」
 振り向くと端正な甘い顔立ちに微笑を浮かべた青年が僅かに首を傾げて立っている。その腰には小振りの魔剣が下げられていた。先程は持っていなかったから、わざわざ宿へ戻って取って来たのだろう。
「どうかしたか。……お前が引き止めに来るとは思わなかったが」
「え、まさか」
 ロッツはいやいやと手を振った。まだ年若い青年のその立ち姿は一見隙だらけだが、彼が年齢に反してそれなりの手練であることをヴェーダは知っている。ここ三年ほど行動を共にした三人のうちでもっとも歳の若いロッツだが、総合的な『冒険者』としての能力は彼が一番高く、また一番見込みがある、とヴェーダは思っていた。
「引き止めたって仕方ないでしょ。最初からそういう約束だったんだし、ま、レリィナも今はちょっと興奮してるけど、そのうち落ち着くよ。彼女、そんなに感情的な女じゃないからさ。マクスは怒ってるけど、そっちは俺が言いくるめとくし」
 それよりさ、と言って剣の柄へと手を掛けたロッツに表面上は微動だにせずに、ヴェーダはただ胸の内だけで詠唱を始めた。しかしロッツは抜くことはせずに、剣帯から魔剣を外すとヴェーダに差し出す。
「これ、返そうと思ってね。借りっ放しだったし」
 詠唱を取り消し、ざわりとざわめいた精霊を瞬き一つで追いやってヴェーダは首を振る。
「いい、持って行け。どうせ僕はここに残る。それはお前たちにこそ必要だ」
「そういうわけには行かないよ、こんな高価なもの。俺は自分の剣あるし、マクスも魔剣持ってるしさ」
「………剣ではなくナイフだ、あれは」
「まあそうなんだけどね」
 はは、と屈託のない笑みを見せてロッツは強引にヴェーダの手に魔剣を押し付けた。
「持っててよ。こんなに軽くて魔力の高い魔剣なんてそうそうないし、これならあんたでも振れるだろ。あんた技術はあるんだからやっぱり剣は持ってたほうがいいって」
 それに、と笑みを消したロッツは続けた。
「あんたが何の目的でここに残るのかは知らないけどさ、どうせそのうちまた旅立つつもりなんだろ? ───あの子連れて」
 ヴェーダはただ右の眼を細めた。ロッツは笑みのないまま緑の瞳をヴェーダに向けている。年長者から見ればまだ充分に幼さを残すその顔には聡明さが宿る。ヴェーダはロッツのこの聡さが嫌いではない。
「……何故そう思う」
 ロッツは肩を竦めた。
「この町に来たのって偶然だし、あんたが残るって言い出すまで同じ人間を見て同じもの食って同じとこにいたけど、あの子以外にあんたが特別反応したものってないだろ。何年かしたらここ出るってのも、あの子がちゃんと親元離れる歳になったらってことだろうと思ってさ」
 理由は知らないけど、と繰り返してロッツはようやく瞳から力を抜いた。
「まあ、中央に来ることがあったら斡旋所覗いてよ。俺たち、多分ずっとあそこ拠点にして動くと思うからさ」
 ヴェーダは久々に手にする自らの魔剣を握る。若い頃に遺跡から発掘したものに少しずつ呪術を施し、より魔力を高め自分に合わせて調整した小剣だ。手に馴染む。
「……解った。忘れなければ寄ろう」
「あんたが忘れるわけないだろ。無視することはあってもね」
 くっくっと喉で笑い、ロッツはヴェーダの背後の小屋を見た。
「……これから掃除?」
「それは明日からにする。様子を見に来ただけだ」
「中になんかいるの?」
 いや、と呪術師はかぶりを振った。
「先程まではいたが、今は何も」
 そっか、とにやりと口の端を歪めて笑い、ロッツはぽきぽきと指を鳴らした。
「やっぱ鍵掛かってるもんとか多そうだよな。手伝おうか?」
 ふん、と鼻を鳴らして踵を返し、答えずに小屋へと入った呪術師によし、と手を打ち盗賊は軽い足取りで後を追った。

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