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1976年
この頃のブライアンの 体重は100kgを越え、大量のドラッグ、タバコ、アルコールのため、声は別人のようにしわがれてしまい
不健康きわまりない状態を続けていた。
そんななか、セラピスト・ユージンランディの管理下の元、厳しくつらい24時間の治療プログラムが開始された。
他のメンバーは、ブライアンが早く音楽界に復帰し、新しい曲を書くよう切望していたが、ランディは、健全な人間にさせることが
必要であるという事を理由に、ブライアンを厳しく管理し、ビーチボーイズの他のメンバーとの接触を拒否してしまう。
これが今後のランディとビーチボーイズとの長い闘争の幕開けだった。
ブライアンはこの頃、治療の一環として、ランディと何曲か曲作りをおこなっている。
ブライアンは完全にランディにコントロールされていたが、ドラッグもアルコールも絶ち、完璧とまではいかなかったが、
次第になんとかプロデュースができるまでに回復した。
〜 BRIAN’S BACK! 〜
春 ここ数年、新しいアルバムを出していないビーチボーイズに対して、ワーナーは新曲の入った新しいアルバムを出すようプレッシャーをかけてきた。
グループは、”BRIAN’S BACK”というキャンペーンを考え、結成15周年に合わせて”ブライアンウィルソン・プロデュース”アルバムを出そうとしていた。
アルバムのプロモーションの一環として、スペシャル番組”ビーチボーイズ〜It's OK”の制作も企画していた。これは、当のブライアンの心の内とは裏腹に、
ブライアン完全復帰をねらったキャンペーンだったが、当のブライアンは健康状態も精神状態も決して回復したわけではなかった。
5月 先行シングル「Rock And Roll Music」発売。チャートは久々のトップ10入りを果たし、5位を記録。
7月 久々のアルバム『15 BIG ONES』リリース。ブライアン・ウィルソンの久々のプロデュース作品。
アルバムジャケットのブライアンの変貌ぶり、そしてブライアンの唄声の変貌ぶりでわかるように、ブライアンは明らかに回復してはいなかった。
中身も15曲中半分がオールディーズのカバーというブライアンの復帰とは程遠いものだった。
しかし、キャンペーンが功を奏してか、アルバムチャート8位を記録。久々のアルバムヒットとなる。
ブライアンはカリフォルニア・アナハイムのライブでビーチボーイズに合流。実に12年ぶりにライブ復帰した。
8月 アルバムから「It's OK」がシングルカット。29位止まり。
11月 TV番組「サタデイナイトライブ」にブライアンがゲスト出演し、ソロ・パフォーマンスをおこなう。砂場におかれたピアノで「Good Vibrations」を弾き、
酷評を浴びた。
ライブアルバム『LIVE IN LONDON』リリース。
1977年
ランディは、不当な治療費を要求することやブライアンのありとあらゆることを管理することなどを理由にメンバーとの間のいざこざが絶えず、ついには解雇されてしまう。
ランディからのコントロールに解かれ、一時的にブライアンはほっとするが、次第に自分をコントロールできなくなり、また元の下降線を辿っていくことになる。
4月 アルバム『LOVE YOU』リリース。ランディの管理下での共同作品で、常にいい状態で作られたブライアンによる久々の意欲作。
ブライアンの全曲プロデュース、全曲作曲によるファン待望のアルバムだった。しかしチャートは53位止まり。
その後、ビーチボーイズは次のレコード会社CBS傘下のカリブーと契約を結ぶ。
9月 デニス・ウィルソン初のソロアルバム『PACIFIC OCEAN BLUE』リリース。
1978年
この頃のビーチボーイズは、分裂状態でいつ解散してもおかしくない状態だった。
ブライアンは、極度の麻薬中毒がすすみ、曲作りどころではなかったし、メンバーの対立もあったり、昨年発売されていたデニスのソロアルバムが、
さらにメンバーの不和に追い打ちをかけてしまう。
そんななかブライアンの娘カーニーとウエンディも交えて録音した未発表クリスマスアルバム『MERRY CHRISTMAS FROM THE BEACH BOYS』をはさみ
アルがリーダーシップをとり、次のアルバムの制作を開始した。

9月 ワーナーとの契約上最後のアルバム『M.I.U. ALBUM』をリリース。
TM思想の師マハリシ・ヨギがつくったM.I.U.(マハリシ国際大学)にてレコーディング。メンバーは常に瞑そう状態でいなければ
ならなかったそうだ。チャートは151位と最悪だったが、ビーチボーイズらしい明るいメージの作品に仕上がっている。
1979年
ブライアンウィルソンの精神状態がさらに悪化、ついにマリリンウィルソンと離婚。
その後、精神病院に入院、完全看護が強いられてしまう。また、この頃デニスウィルソンのドラッグ、アルコール過多も深刻な問題だった。
3月 カリブからの第1弾アルバム『L.A.(LIGHT ALBUM)』リリース。このアルバムからブルース・ジョンストンがメンバーに復帰。プロデュースを手がける。
'67年のアルバム『WILD HONEY』の曲「Here Comes The Night」のディスコバージョンがあり、アルバム的には不評だった。チャートは100位。
8月 江ノ島で開かれた”ジャパンジャム”のイベントに参加。サザンやハートなどのアーティストと競演。
1980年
3月 アルバム『KEEPIN' SUMMER ALIVE』リリース。ジャケットも中身もかなり夏を意識したアルバム。チャートは75位と失敗作となってしまう。
これ以降、ビーチボーイズはさらにバラバラ状態となってしまう。ブライアン、デニスはドラッグが原因でライブにまともに出席せず、カールは自分のソロアルバム
でビーチボーイズの活動を一時辞めてしまい、ビーチボーイズはウィルソン3兄弟が揃わないという最悪の自体をむかえてしまうのである。
このアルバムを期に1985年にニューアルバムが出るまで、ビーチボーイズの主立った活動はなくなってしまう。
7月 アメリカの独立記念を祝して、ワシントンD.C.にてコンサートをおこなう。
1981年
3月 カール・ウィルソンのソロアルバム『CARL WILSON』発売。
10月 マイク・ラブのソロアルバム『LOOKING BACK WITH LOVE』発売。
1983年
この時期、ブライアンはまさに廃人寸前の状態だった。印税を使い果たし、財政的にも危ない事を理由に、メンバーから解雇通知を受けてしまう。
1月 ブライアンは、精神的にも肉体的にも最悪の状態。体重はゆうに150kgを越えており、かなり危ない状態だった。そこで解雇されていたセラピスト
ユージン・ランディを呼び戻し、再び治療が再開される。
12月 ビーチボーイズのドラマー・デニスウィルソンが、酒に酔って水死。享年39歳。海を愛したデニスにふさわしく水葬が執り行われた。
1984年
7月 フォー・シーズンズと共演し、シングル「East Meets West」リリース。
1985年
デニスの死によってビーチボーイズの結束が高まり、さらにランディの治療によりブライアンは次第にプロデュースできるようになるまで
回復した。この頃ブライアンの150kgもあった体重は80kgくらいまで減っていた。
5月 5年ぶりのアルバム『THE BEACH BOYS』リリース。初のデジタルレコーディングで録音されたアルバム。商業的には振るわず
52位止まり。アルバムと並行してシングル「Getcha Back」リリース。
6月 傑作ヒストリービデオ『AN AMERICAN BAND』発売。
7月 LIVE AIDに参加し、「Wouldn't It Be Nice」、「Good Vibrations」、「Surfin' U.S.A.」を演奏。
1986年
7月 25周年記念のベストアルバム『MADE IN U.S.A.』リリース。
9月 アルバムから「California Dreamin'」がシングルカット。
この頃、ブライアンは、ユージン・ランディと共同でソロアルバムのためのレコーディングをおこなっている。またかつて共作したゲイリー・アッシャーと再開し、
一時期3人で制作作業を進めるようになる。
1987年
3月 ブライアン、ランディ、アッシャー共作の「Let's GoTo Heaven In My Car」がシングルカット。映画『ポリスアカデミー4』に提供。
1988年
7月 ブライアンウィルソンの初のソロアルバム『BRIAN WILSON』がリリース。ランディの協力を得て作り出したポップな作品で、久々に活気のあるブライアン
ウィルソンに会ったような気がした。
同時期 ソロアルバムから「Love And Mercy」がシングルカット。
ブライアンのソロシングル発売と同じ日に、ビーチボーイズがシングル「Kokomo」をリリース。
1966年のNo1シングル「Good
Vibrations」以来久々の全米No1を獲得し、皮肉にもビーチボーイズのリーダー・ブライアンは、ビーチボーイズに敗れてしまう。
1989年
8月 アルバム『STILL CRUISIN'』リリース。往年のビーチボーイズのヒット曲3曲を含む映画のサントラ中心の寄せ集め的なアルバムだったが、
ゴールドディスクを獲得した。
1990年
5月 ビーチボーイズのアルバム2枚一組にした2in1シリーズCDが続々発売。
ブライアンのかつての共作者、ゲイリー・アッシャー死去。
7月 ブライアンの娘、カーニーとウェンディのグループ”ウィルソンフィリップス”の曲「Hold On」がNo1ヒットを獲得。
また、この頃ブライアンとランディはブライアンの未発表ソロアルバム『SWEET INSANITY』の曲作りを開始する。
1991年
10月 エルトンジョンのトリビュートアルバム『TWO ROOMS』にビーチボーイズの唄う「Crocodile Rock」を収録。
11月 日本来日公演(日本武道館、名古屋、神戸)。ブライアンは不在。
この頃、マイクラブはじめとするビーチボーイズのメンバーは、ユージンランディがその地位を利用し、ブライアンをメンバーから引き離し、
金づるとして利用していたとして、訴えを起こす。その結果ビーチボーイズ側が勝訴し、ブライアンをランディから引き離す事に成功した。
1992年 
7月 マイクラブが、ビーチボーイズの初期の頃の曲を自分が共作したにもかかわらずクレジットがないことを理由に、ブライアンを起訴。
その後、マイク側が勝訴し、その作品に関してはクレジットがつくようになった。また、”ブライアン自叙伝”に対しても内容に関して、
名誉毀損で訴えを起こしている。
8月 アルバム『SUMMER IN PARADISE』リリース。
また、ブライアンのセカンドソロアルバム『SWEET INSANITY』に関しては、レコーディングがおこなわれていたにも関わらず、
サイアー側が拒否したため、現在も未発表のまま。
この頃のブライアンの体調に関しては、ドラッグも絶ち、精神的にもだいぶ回復の兆しを見せているとのこと。
1993年
11月 5枚組のボックスセット『GOOD VIBRATIONS BOX』発売。
1995年
4月 ブライアンウィルソンは、元モデルのメリンダと再婚。現在2人の子供を授かっている。
8月 ブライアンは、セルフカバーアルバム『I JUST WASN'T MADE FOR THESE TIMES』発売。
SMILE時代の共作者ヴァンダイクパークスとブライアンのコラボレーションアルバム『ORANGE CRATE ART』リリース。
1996年
9月 ブライアンとジョー・トーマスプロデュースのビーチボーイズ名義のアルバム『STARS AND STRIPES VOL.1』リリース。
ナッシュビルでのカントリーシンガーによるビーチボーイズのカバー集。
1997年
11月 傑作アルバム『PET SOUNDS』セッションの全貌を収めた『PET SOUNDS SESSIONS』が発売。
セッションはもちろんのこと、トゥルーステレオミックスやボーカルオンリーミックスを収めたボックスセット。
暮れ ウィルソン兄弟の母親、オードリーウィルソン死去。
1998年
2月 カールウィルソン、肺ガンによる合併症のため死去。
5月 アメリカのカー・レースNascar50周年を記念して作った記念盤『SALUTE NASCAR』販売。
アメリカの有力なガソリン・スタンド・チェーン「76」でガソリンを入れた人だけに販売した限定盤で、マイクとブルース、デビッド・マークス名義で販売された。
6月 ブライアンウィルソンのソロアルバム『IMAGINATION』リリース。同時期「Your Imagination」もシングルカット。
ビーチボーイズのヒストリー映画のサントラ『ENDLESS HARMONY』リリース。未発表曲がたくさんつまったファン必聴盤。
同名映画のビデオも発売された。
8月 『ULTIMATE CHRISTMAS』リリース。『THE BEACH BOYS' CHRISTMAS ALBUM』と、’77年に録音していながらボツになってしまったクリスマスアルバム
『MERRY CHRISTMAS FROM
THE
BEACH BOYS』の収録予定曲をカップリングしたアルバム。
1999年
7月 ブライアン・ウィルソン20年ぶりの来日公演(7/9大阪、7/12〜7/14東京国際フォーラム)開催!(ライブの詳細は、ライブレビュー参照)
10月 ブライアン、ブリッジスクール・ベネフィットコンサートに出演。
2000年
※ 2000年〜2001年にかけて、ビーチボーイズのベスト盤『GREATEST HITS Vol1〜3』がリリースされた。
4月 ロスのライヴハウス”ザ・ロキシー”でのブライアンのソロパフォーマンスの模様が2枚組ライヴアルバム『LIVE AT THE ROXY THEATRE』として発売。
ネット通販による限定発売。
アルバム『PET SOUNDS』がゴールドディスクに認定された。
4月 『LIVE AT THE ROXY THEATRE』の宣伝を兼ねて、ブライアンはショッピング番組QVCにてパフォーマンスをおこなった。
8月 ビーチボーイズのレコーディング・エンジニアだったチャック・ブリッツが脳腫瘍により死去。
9月 ブライアン、ハリウッドボウルにてヴァン・ダイク・パークス指揮するオーケストラとの共演で、ペットサウンズを再現する”ペットサウンズ・シンフォニックツアー”
をおこなった。
※今まで廃盤となっていたBROTHER-REPRISE時代のアルバムが、アメリカでは2in1で、日本では単品で相次いで再発された。
2001年
この頃アルジャーディンがカーニー、ウェンディ等を率いて結成したグループ”ビーチボーイズ・ファミリー&フレンズ”に対し、
ブラザーレコードは”ビーチボーイズ”という呼称の使用禁止を求め、訴訟をおこす。
後に”アルジャーディン・ファミリー&フレンズ・ビーチバンド”と改名。ラスベガス公演CD『LIVE IN LAS VEGAS』が
ネット配信される。
3月 ポール・サイモン、ビリージョエル等がNYのラジオシティ・ミュージックホールにて行ったブライアンウィルソンのトリビュートライブ開催。
ブライアンも参加。
5月 さまざまな未発表音源が収められたファン待望のレアトラックス集『HAWTHORNE CA.』リリース。
7月 沖縄米軍嘉手納基地にてビーチ・ボーイズがライブをおこなった。メンバーはマイクとブルース、その他バック・ミュージシャン。
沖縄市民のみのためのライブだったとか。
デニスの3人目の妻として知られる女優のカレン・ラム・ウィルソンが、多発性疾患のため、死去。
9月 ブライアン2回目の来日ソロパフォーマンスがテロの影響で翌年の2月に延期となった。
2002年
2月 ブライアン2回目の来日ソロパフォーマンス「ペットサウンズツアー」開催!(東京、名古屋、福岡、大阪。ライブの詳細は、ライブレビュー参照)
6月 バッキンガム宮殿で行われたクイーン・エリザベス二世即位50周年記念コンサートにブライアンが出席。「California Girls」、「God Only Knows」、
「Good Vibrations」などを披露した。
9月 ブライアンは”地雷撲滅キャンペーン”の一環であるベネフィットコンサートに出演。ポール・マッカートニーと「Let It Be」、「God Only Knows」を共演する。
ビーチボーイズ40周年を記念し、ブライアン選曲によるベストアルバム『CALIFORNIA FEELIN'』や、企画盤が一挙再発!
『PET SOUNDS LIVE 2002』リリース。
10月 『トリビュート・トゥ・ブライアン・ウィルソン』DVDリリース。
『ザ・ビーチボーイズ・ライブ・アット・ネブワース1980』CDリリース
12月 『AN AMERICAN BAND』DVDとして再発。
2003年
4月 『ザ・ビーチボーイズ・ライブ・アット・ネブワース1980』DVDリリース
『ブライアンウィルソン・オンツアー』DVDリリース
9月 ベスト盤『SOUNDS OF SUMMER』、『SIGHTS AND SOUNDS OF SUMMER』リリース
10月 『ペットサウンズ・ライブイン・ロンドン』DVDリリース
本家ビーチボーイズバンド、マイクラブの腰痛の影響で来日公演ならず。
2004年
ヨーロッパを中心にスマイルツアー開催。
6月 ブライアンウィルソン 『GETTIN' IN OVER MY HEAD』リリース
9月 ブライアンウィルソンpresents『SMiLE』リリース(国内盤は10月リリース)
11月 大ヒット「Kokomo」の共作者として知られるプロデューサー、テリー・メルチャー死去
2005年
1月 NBC TV TSUNAMI AID コンサートにブライアンが出演。チャリティアルバム『GRIEF NEVER GROWS OLD』がリリース。
1月〜2月 ブライアンウィルソン、SMILEジャパンツアー開催。(東京、名古屋、大阪。ライブの詳細は、ライブレビュー参照)
2/13におこなわれた「第47回 グラミー賞〜Best Rock Instrumental Performance部門〜」でMrs. O'Leary's Cow
が受賞!また「Person of the Year」も受賞
5月 『SMiLE DVD』リリース。(国内盤は6月リリース)
ウィルソン家跡地(3701 W. 119TH STREET, HAWTHORNE, CALIFORNIA)に史跡としてモニュメントが建設され、
除幕式がおこなわれた。ブライアン、アル、デビッド・マークスらが参加し、「Surfer Girl」、「In My Room」、「Sloop John B.」を
唄った。
6月 ブライアンウィルソンがLIVE8に参加し、ベルリンのステージで演奏。
7月 マイク&ブルース率いるビーチボーイズが”フジロック・フェスティバル”に出演。1時間で約20曲を演奏した。
(ライブの詳細は、ライブレビュー参照)
9月 ブライアンは、ハリケーン・カトリーナ被災者チャリティ・コンサート番組"ReAct Now"に出演し、「Walikn' Down The Path Of Life」、
「Love And Mercy」を演奏。
11月 ブライアンは、クリスマス・シングル「Walikn' Down The Path Of Life/Love And Mercy」をリリース。
クリスマスアルバム『WHAT I REALLY WANT FOR CHRISTMAS』をリリース。
12月 クリスマスアルバムから「What I Really Want For Christmas/We Wish You A Merry Christmas」がシングルカット。
2006年
3月 『Brian Wilson presents SMiLE DVD』 The second annual Music
DVD Awards受賞。
Dr.ユージン・ランディ、肺がんのため死去。
5月 14年ぶりの新譜『SONGS FROM HERE & BACK』リリース。
6月 ベスト盤『SOUNDS OF SUMMER』の2百万枚記念イベント。キャピトルの屋上でブライアン、マイク、アル、デビッドマークスが再会する。
グッドバイブレーション40周年記念シングル「Good Vibrations 40th.Anniversary」リリース。
8月 ペットサウンズ40周年記念CD&DVD『PET SOUNDS 40th. ANNIVERSARY CD/DVD』リリース。
この頃から、アルジャーディンがブライアンのツアーにゲストとして参加。
12月 マイクのソロシングル「Santa's Going to Kokomo」発売。
2007年
2月 ブライアンとバートバカラックの共作「What Love Can Do」、新録「God Only Knows」を収録したオムニバス『NEW SONGS FROM AN OLD FRIENDS』
がリリース。米国のネット通販のみ。
6月 『SOUNDS OF SUMMER』の続編となるベスト盤『THE WARMTH OF THE SUN』がリリース。ベスト盤とはいえ初のステレオ化や未発表バージョン満載
のマストアイテム。
9月 ブライアン、ツアーで新作『THAT LUCKY OLD SUN』(組曲)を初披露。
2008年
3月 ”ビーチボーイズ”という呼称の使用をめぐるブラザーレコードとアル、マイク間での訴訟は、和解が成立。
5月 ブライアン・ウィルソン・バンドがメンバーチェンジ。ドラマーのジム・ハインズ、ベーシストのボブ・リジックが抜け、マイク・ダミーコとブレット・サイモンズが加入。
6〜8月 ブラザー時代のアルバム『SUNFLOWER』〜『THE BEACH BOYS』が紙ジャケ化で再発。
6月 ビーチボーイズのCDシングル16枚BOXセット『US SINGLES COLLECTION THE CAPITOL YEARS (1962-1965)』が発売(国内盤は8月))
8月 ブライアンの新作ソロアルバム『THAT LUCKY OLD SUN』が古巣キャピトルにて発売。(国内盤は9月。EMIミュージックジャパンにて)
9月 カリフォルニア市議会が、9月12日を”ブライアン・ウィルソンの日”に制定。
2009年
1月 『THAT LUCKY OLD SUN』 DVD発売。
2010年
1月 マイクラブとブルースジョンストン率いるビーチボーイズが、ビルボード大阪/東京にて、5日間(計10ステージ)のライブをおこなう。
6月 アルの単独ソロアルバム『A POSTCARD FROM CALIFORNIA』がネット配信で販売。
8月 ディズニーレコードより、ブライアンの唄うジョージ・ガーシュイン作品集『BRIAN WILSON REIMAGINES GERSHWIN』リリース。
2011年
2月 アルジャーディンがビルボード大阪・東京にて単独ソロ公演をおこなう。
4月 BEACH BOYS名義で日本復興チャリティ・アナログシングル「Don't Fight the Sea/Friends (a cappel;la mix)」をリリース。
10月 ブライアンがディズニー挿入曲アルバム『IN THE KEY OF DISNEY』をリリース。
11月 『SMiLE SESSIONS』BOX SETをリリース。
通常盤、DELUX EDITION、COLLECTORS BOX等、3種類の媒体がリリースされる。
2011年
2月 デビッド・マークスを迎えた新生ビーチボーイズの再集結が決定。
54回グラミー賞授賞式に出演し、「Good Vibrations」を演奏。
3月 50周年再集結ライブで、日本公演が決定。
現在ビーチボーイズは、デニスウィルソン、カールウィルソンが亡くなりそしてブライアン不在だが、今なおライブ活動を続けている。
二人の弟が逝ってしまった現在、淡い期待ではあるが一日も早く、ブライアンが戻ったビーチボーイズの最新作が待ち遠しい今日この 頃である。
おわりに
ほとんど’90年代に入ってからは、急展開で書いてしまいました。...というのも私自身、この頃のビーチボーイズの情報については
あまりよく知らないからなのです。もしも”この情報が抜けているよ”とか”ここが間違ってるよ”なんていうことがありましたら
メールをお願いいたします。
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