作者Jとは
 愛知県三河地方の町で2人兄弟の次男として生まれる。昭和44年生まれの酉年。

 
 何歳くらいだろう?
  当時住んでいた家の前の橋の上で

 出身の町は剣道が盛んな町で、小学、中学と剣道部に所属する。小学校では今では考えられないようなスパルタ指導で、朝7時の練習開始時間に遅刻すると冬だろうと裸足で外で素振りなどをさせられ、両足の指にはいつもしもやけができていたことを覚えている。

 
 小学校4年かな?
  4年生の頃が黄金時代で、よく優勝とかした
  左から2番目が作者J
 
 中学時代
  2年の後半くらいから再び強くなって、個人戦では時々壇上にあがった
  団体戦では補欠(=5、6番手の選手)だったな

 高校は家から近くの進学校へ進み、そこでも熱血指導で全国的に名の知られた剣道部の先生に入部の勧誘を受けたが、5厘の丸坊主がいや(現在坊主頭なのが不思議)で、当時瀬古利彦にあこがれていたので陸上部に入る。ところが、兄の友人の先輩に薦められ棒高跳びの選手として3年間を過ごす。あまり人をまとめたりするのは好きではなかったけれど、なぜか部長までやってしまった。

 高校〜大学にかけては麻雀とバス釣りに凝っていて、よく徹マンをしていた。ケッタで1時間近くかかる岡崎の友人宅に入り浸り、平日に朝3時頃帰るという無茶もしていた。
 バス釣りのほうは中学高校の頃は毎週のように行っていたけれど、バスフィッシングブームと言われるようになり、あまり釣れなくなったのでやめてしまった。今は、主婦Yと海釣りにたまに行くくらい。

 
 生涯最大の51cm
  1991/06/19に奥矢作ダムにて
  ゲーリーヤマモトツインテールグラブ(ウォーターメロン)

 大学入学と同時に中型免許を取って、CBR400RRというレーサーレプリカを親のスネをかじって買う。このバイクには1年間乗って、1年後19歳の時に限定解除の試験に2回で合格して、CBRを売ったお金とK君に借りたお金でCB750FC(当時で車体のみで52万円だった)を買う。その当時愛知県では、中免は18歳からしか取れず、また大型(限定解除)も中免取得後1年を経過しないと受けられないので、10代で限定解除したことは少し自慢。

 CB750FCでは潮岬、北海道、月山、高山などいろいろなところに行った。が、最近は実家の片隅に放置されていて風化しつつある。いつか家でも建てたらレストア(今でも一応動くはず)してまた乗るつもり。

 
 最初の単車CBR400RR
  浜名バイパスにて最高速トライアル
 
 2台目の単車CB750FC
  潮岬で大学の同級生たちと

 大学院時代に平成元年式のゴルフ2を買う。3年落ちの4万キロくらいで買って、現在21万キロ強。以前はよく洗車に整備にと気にかけていたけれど、最近はあまりいじっていない。出先で不動にならないことを祈る毎日。でも買い替えの予定はなく、完全不動になってしまってもエンジン乗せ替えで延命したい。

 
 ゴルフとCBと
  '93年に大学で
  CBのマフラーは定番のモリワキ手曲げ

 大学卒業後、1994年04月に名古屋に本社のある製造メーカーに就職し、研究開発職に就く。入社5年目くらいまではワーカホリックよろしく働いていたけれど、最近はそれほどでもない。

 「もらっているサラリーに見合う働きをしていればよい」という思いと「全身全霊をかけて職務を全うする」という思いの間でその時々の状況に応じて揺れ動いている。

 1994/04 入社(研究開発 三好町)
 2000/04 異動(新商品開発 名古屋)
 2005/10 異動(製造子会社の技術部 名古屋)

と異動を2回経験し、現在は現場のおっちゃんおばちゃんとおもしろおかしく不良撲滅に取り組んでいる。

 平成10年10月10日に結婚し、平成16年01月に家を建て、主婦Y(妻)と庭作りとスキーにいそしむ。

 
 八方尾根で
  2006/12/31
  雪山に癒される日々