「片想い」

...............東野圭吾
...............文春文庫762円+税
...............ISBN4-16-711009-1


 血液型性格判断を信じている人は多い。その人たちによれば、人間はA、B、O、ABの四種類に分類できるということなのだろう。しかしそういう人たちでも、日常生活で血液型によって相手を差別するということは殆どない。
 確かにそのとおりだ。血液型で差別とか、区別なんてしない。ところが男と女、性染色体でいうとXYとXXでは、差別も区別もある。それがあって当たり前という人もいる。それはいけないけど現実問題としてはしかたないという人もいる。また、頑なにそれに立ち向かっている人もいる。

 「片想い」という題名に、胸がキュンとなるような恋愛小説を期待して買ったような気がする。確かちょうど「世界の中心で愛をさけぶ」を読み終わった頃で、恋愛ものをまた読みたいと思ったのかもしれない。ところがそうではなかった。「性同一性障害」という少し理解しにくいテーマが描かれている。題名は、自分の肉体的な性別とは反対の心を持ってしまった人たちのこの世の中が変わるまでずっと続くだろう「片想い」を表していた。

 「性同一性障害」。それは、「体は女なのに心は男」あるいは「体は男なのに心は女」という人達の持つ個性である。最近はいろんなことをカミングアウトする勇気ある人たちが出てきて、裁判や何かのニュースでその言葉を聞くこともある。それでもその大半の人たちは誰にもその悩みを打ち明けられずに、独り、あるいは、表に出ることのない小さなコミュニティーで、生きにくい人生を歩んでいるのだろう。ストーリーの出だしはこうだ。

 ・・・10数年振りに再会したアメフト部のマネージャーだった日浦から「殺人」と「性同一性障害」を告白される。大学のアメフト部で苦楽をともにした仲間達でもその反応はさまざまだった。主人公夫婦で、エースクォーターバックだった哲郎と、日浦と同じくマネージャーだった妻理沙子は日浦をかくまうことを提案する。一方、普通の幸せな家庭を持っている須貝は自首を奨め、関わりを避けた。大学時代日浦と付き合っていた中尾はかくまうことに賛成した。
 一方で、哲郎と理沙子の夫婦関係はうまくいっていなかった。中尾の母は性同一性障害だった。そう、普通の幸せをつかめない者だけが犯罪者をかくまうという選択をしたのだ。・・・

 人は誰しも心に痛みを抱えている。どっかで聞いたようなセリフだけど、実際そうだと思う。それはこの生きにくいと言われる現代に始まったことではなく、昔からあっただろう。ただし、情報の流通により「普通」のものさしが変わったという部分はあるだろう。そんな苦しみに耐えて自分を殺して生きていくのが美徳とされた時代と、いろんなものを捨てても自由に生きていくという選択ができる時代。どちらが幸せかは当人にしかわからない。

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