監督:ジョアン・チェン
出演:ルールー、ロプサン
1975年、文化大革命の下放政策により都会の少年少女たちは辺境で農
作業に従事することになる。成都に住む仕立屋の娘シュウシュウも、チベッ
トへと送られる。最初の一年は同じような境遇の少年少女たちと過ごすが、
今度はラオジンというチベット人中年男の元で放牧を学ぶことになる。
厳しい自然の中、ボロボロのテントでラオジンと二人きりでいるという生活に
シュウシュウは望郷の念を募らせる。が、次第に彼の優しさに触れ、心が
通い合うように見えた。そして、いよいよ家に帰れるはずの日に、シュウシュ
ウの迎えは来なかった。文化大革命は終焉が近づき、混乱の中、彼女の
存在は忘れ去られてしまっていたのだ。
かわいそうで仕方のない物語だ。一人の美しくて純情な少女が政治の荒波に
もまれて親兄弟や友人と離れ、寂しい辺境へと追いやられる。帰りたくても、
許可証がなければ帰ることも許されない。どうしても帰りたくなったシュウシ
ュウは、許可証をくれるという男性に身を任せてしまう。やがて彼女の評判は
伝わり、様々な男たちが許可証の発行をちらつかせて彼女の元にやってくる。
男たちに陵辱されるシュウシュウを黙って見ているしかないのが、ラオジン。
彼は若い頃の喧嘩が元で去勢されてしまった。中国人社会からも、チベット
人社会からも疎外され、長い間ひとりぼっちで生きていた。彼はシュウシュ
ウに無償の愛情を注ぐが、不能ゆえ、また権力を持っているわけではないゆ
え、どうすることもできない。彼はただ、男たちに抱かれたシュウシュウの体
を拭くための水を汲んでくるために、馬を遠くまで走らせることしかできない。
そして、純情な少女だったシュウシュウが、憂いと哀しみを知った大人の女
へと変わっていく。そして、あまりにもひどく、むごたらしく傷ついてしまうの
だった。
チベットの平原と変わりゆく季節がこの上もなく美しい。咲き乱れる花々、緑
の野原と満天の星空。青空の下水を浴びるシュウシュウは無邪気でかわい
らしい。風に吹かれ、故郷でボーイフレンドにプレゼントされた万華鏡を覗き
こむその姿は、彼女の少女時代の終わりを告げていた。そんな彼女の心の
揺らぎを象徴するのが、テントの中で揺れるカーテン。このカーテンはラオジ
ンとシュウシュウを隔てる薄い壁となっている。シュウシュウはこのカーテン
の向こうで着替え、体を拭き、そして男たちと交わる。男としての能力のない
ラオジンはこのカーテンの向こうに行くことができない。その裏から漏れ聞こ
える吐息や叫び声が耳にはいり、シュウシュウの美しい肉体がわずかに透
けて見えるだけ。彼は息を潜めて彼女の身を案じるばかりだ。
この物語は、一方では多くの少年少女の青春を奪った文化大革命を批判し、
またコネや金を持った者だけが報われる中国社会を告発したものだ。(それ
ゆえ中国では撮影許可が下りなかった) しかしながら、それがメーンのテー
マとなっているわけではない。何よりも印象的なのが、ラオジンの切ない恋
だ。社会的な弱者であり、また不能でもあるラオジンだが、彼は決して卑屈
になることはなく、誇り高く生きている。シュウシュウに対して愛していると言
うこともないし抱きしめることもできない。しかしながらこの上なく深い愛情を
シュウシュウに持っていた彼の高潔さには打たれる。そして、最後に彼の愛
が報われるときが来たのだった。とても悲しいけれども、どこか救いのある
幕切れが用意されていたのだ。
シュウシュウの運命はあまりにも残酷だったが、彼女の、必死にその運命を
乗り越えようとする強さ、そしてラオジンの一途な愛情が深い感動を呼ぶ。
少女の微妙な情感を表現した16歳のルールー、深みがあるロプサンの演
技も素晴らしい。心を揺り動かされる作品である。
監督・脚本:青山真治
出演:浅野忠信、光石研、辻香緒里、伊佐山ひろ子、永澤俊矢
高校生の健次の9月のある一日を1時間ずつ刻み、切り取った作品。健次
が兄のように慕う安男がその日4年ぶりに刑務所から仮出所してくる。組長
の死と組の解散を信じられない安男は、組長の死を告げる人々を突発的に
撃ち殺し、妹のユリとバッグを健次に預け、組長を捜しに行く。そしてその日、
健次の父親が死んだ。その日、何かが健次の中で変わったのだった。
印象的なのは、突発的に起きる暴力。組長の死を告げた人間を片っ端から
こともなげに殺していく安男。銃声が大きく響くわけでもなく、簡単に人は死
んでいく。彼の唯一と言ってもいい心の支えであった組と、「おやじ」と呼ん
でいた組長がすでにいないということを信じたくない彼は暴走する。彼の暴
走が、やがて健次を巻き込んでいくのだ。そして、普通の高校生であった
健次も、一種理不尽なまでの暴力性を発揮していく。たった一瞬のことで、
人間はいとも簡単にポッカリとバイオレンスの落とし穴に落ちていくのだ。
安男の妹ユリはちょっと知恵遅れの娘だ。目の前で地獄絵図のようなバイ
オレンスが展開し、人が殺されようと平気な顔をしている。彼女にとって大切
なのは、いつもかごに入れて連れ歩いている飼い猫だけ。しかし、一連の
騒動の中で猫は行方不明になる。組を失った安男、父を失った健次、そして
猫を失ったユリ。愛する者を喪失してしまった彼らはもはや今までの自分で
はない。これまでの自分を捨てて、新しい自分を捜す旅に出なくてはならな
いのだ。
ユリと喫茶店でコーヒーを飲んでいただけの健次が、ふとしたことで引き起
こされた喫茶店主の行動が引き金となって火がついたようにその衝動的な
暴力性を発揮して行くところが圧巻だ。普通の少年が狂気に取り憑かれ、
突如バイオレンスそのものとなっていくところを、浅野忠信はごくごく自然に
演じている。こんなに自然に演じられる役者はそうそういないのではないだ
ろうか。
一時間刻みで順を追って話が進んでいく様や、突発的な暴力は「レザボア・
ドッグス」あたりのタランティーノを彷彿されるものだ。喫茶店の中でのシーク
エンスは特にタランティーノ的であるが、それまでタルく進んでいた物語が
突如転がり始める場面で、こともなげに日常生活から逸脱しているところに
は驚かされた。どうもユリの知恵遅れの設定が生きていないような気もしな
いでもないのだが・・・。日常生活からいかに人は落とし穴に落ちるかという
ところは非常にリアリティをもって描かれていると思う。
監督:レオス・カラックス
出演:ギョーム・ドパルデュー、カテリーナ・ゴルベワ、カトリーヌ・ドヌーヴ、デルフィーヌ・シュイユ
ノルマンディー地方の壮麗な城に美しい母親マリーと住むピエール。彼は覆
面作家として成功し、美しい婚約者リュシーとの結婚を控えていた。しかし
彼の夢には、長い黒髪の顔が繰り返し現れていた。そして、ある日、夢に
登場していた長い黒髪の、姉と名乗る女性が現れたのだ。東欧に赴任して
いた外交官だったピエールの父が現地の女性に生ませた娘だったと彼女は
言う。そして彼女は戦火を逃れてフランスへやってきたのだ。
ピエールはリュシーに別れを告げ、城を出てイザベルとともにパリへ流れ着
く。書きかけの小説のフロッピーの他は何もかも捨て、安ホテル、そして謎の
武装グループのアジトで小説を書き殴る毎日だった・・・。
前半、ノルマンディーでの生活は光あふれるものだった。ピエール、マリー
そしてリュシーは皆光り輝くような金髪で、白い服を着て城の広い敷地で戯
れる毎日。しかし、暗い森で黒髪、くすんだボロボロの服でまるでブラックホ
ールのようなイザベルと出会い流れ着いた先のパリでは、光は失われてい
た。曇った空、ピエールも黒いコートを着込み、彼の金髪も暗い空の下では
輝かない。室内のシーンは照明も暗く、ピエールとイザベルの背徳的なベッ
ドシーンも暗闇の中肉体がうごめいているのがわずかに伺える程度だ。
階段を下りていくモチーフが盛んに使われている。城の階段、パリで最初に
転がり込んだ安ホテル、そしてアジトと。ピエールがどんどん堕ちていくさまを
象徴している。しかし、ピエールは、どこまでも深く深い底まで堕ちていきた
かったのだ。自分は壮麗な屋敷で幸せな生活を送っているのに、同じ父の
子であるイザベルは命がけでユーゴスラビアの戦火を免れ、貧しい生活をし
ている。彼の贖罪の気持ちが、このようにイザベルと共に堕ちていくことを選
択させたようだ。ふたりは幻想の中で、血の河の中で溺れていくほどである。
イザベルは痛ましいまでに傷ついた魂を持っていた。戦争、そして父に捨て
られたということに。初めてピエールをカフェで見かけたときには走り去り、暗
い森の中で再び出会ったときもひどく怯えていた。たどたどしく、戦火をいかに
逃れてきたか語り、そして「私を信じて」と何度も言う。この場面は観る者をひ
どく苛つかせる場面でもある。しかし、「信じる」ということは、この映画のとて
も大切な要素を構成している。本当にイザベルはピエールの姉なのかどうか
は確証する術はない。それでもピエールは彼女の言葉を信じて全てを捨てる。
パリにやってきた後も、イザベルは何度も「私を信じて」と言い、そして「私の
弟よ」と語りかける。
終盤、リュシーもピエールを追ってパリにやってきて、3人は奇妙な同居生活
を始める。しかし、リュシーのことをピエールはイザベルに「従姉妹だ」と嘘を
つき、その嘘がばれたときに、物語はカタストロフィに向かって走り出す。
また、「血の繋がり」も重要な要素だ。ピエールは美しい母マリーを「姉さん」と
呼んでいる。二人がベッドの上で煙草を吸いながら父の思い出について語る
シーンは、親子とは思えない親密さとエロスを感じさせる。ピエールが家を出
ていくときも、入浴中で乳房も露わなマリーのところまで彼はやってくる。そし
て「姉」と名乗るイザベルへの背徳的な愛。最後には、「ヴァロンブルーズ家の
血を絶やすため」従兄弟のティボーに銃口を向けるのであった。幻想の中の、
ピエールとイザベルが溺れる血の河もまた、この血のつながりを象徴するもの
である。
しかし、ピエールの行動そのものは、観る者に理解できるものではない。とい
うより、理解されることそのものを拒んでいるような節さえ伺える。ユーゴ紛争
など現代的なテーマを盛り込みながらも、いかに人の魂は傷つき、癒されるこ
となく絶望に突き進んで堕ちていくかを描いたものであるように思える。
この映画の素晴らしさは、物語そのものや、意味や、登場人物へのシンパシ
ーではない。多分カラックスにしか描けない、エモーションあふれる場面の美
しさは見事だ。セーターで顔を覆ったリュシーとのキス。ピエールに去られ、
裸の胸を震わせながら泣くリュシー。涙で化粧を流れさせながらバイクを走ら
せるマリー。ラジオで地下鉄事故のニュースを聞き、ピエールの安否を気遣っ
て駈けていくイザベル。花嫁衣装の仮縫いをしてもらっているリュシー。顔の
美しさに反して老いを感じさせる裸体を風呂に浮かべるマリー。意味は良くわ
からないが、前衛的なロックを大音響で奏でながら軍事訓練をするテロリスト
たちでさえ、美しい。考えるのではなく、濃密な感情を体で感じる映画だと思う。
監督:マイク・ハーマン
出演:ジェーン・ホロックス、ユアン・マクレガー、ブレンダ・ブレッシン、マイケル・ケイン
リトル・ヴォイスは小さな街に母親と住んでいる引っ込み思案の娘。外に出る
こともなければ、声を出すこともない。亡き父親が遺したレコードを部屋で聴き、
そしてレコードに合わせて歌うことが唯一の楽しみだった。ある日、派手で遊
び好きの母親が家に引っ張り込んだプロモーターのレイ・セイがリトル・ヴォイ
スの歌を聴き、その素晴らしさに惚れ込む。彼は、彼女を売り出そうと金をか
け、一度だけという約束でコンサートを開くことにする。人前で歌ったことのない
リトル・ヴォイスは歌うことができるのだろうか?
もともとはミュージカルだったということもあり、なんと言っても、リトル・ヴォイス
を演じるジェーン・ホロックスの歌声が素晴らしい。マリリン・モンロー、マレーネ
・ディートリッヒ、ジュディ・ガーランドを本物そっくりに歌いこなしてしまうのであ
る。内気で陰気な少女が、花開いたように歌うコンサートのシーンは見事だ。
思わず涙が出てしまうほどの名シーンである。
前半は非常に楽しい映画である。伝書鳩を愛する電話工事の青年ビリーとリト
ル・ヴォイスの交流も微笑ましい。歌うことに自身がなかったリトル・ヴォイスが、
亡き父の姿を見ることによって歌うことができるようになるのも感動的。そして、
派手でやかましく、リトル・ヴォイスの音楽について全く関心がなかった母が、
彼女が金の卵であることを知って豹変するさま。リトル・ヴォイスの才能を発見
し、彼女を売り出すことによって、芸能界でもう一花咲かせようとする胡散臭い
プロモーターのレイ・セイ。これらのキャラクターがとても立っていて魅力的。レ
イ・セイががリトル・ヴォイスのコンサートを開くために、彼のアイデンティティを
構成していたはずの派手なオープンカーや貴金属を売り払う場面は、哀愁と
彼の上昇志向が感じられて面白い。
そして、クライマックスのコンサートのシーンは前述したように素晴らしいもので
ある。しかしながら、ここから物語は暗転するのであった。コンサートは大成功
だったが、リトル・ヴォイスは2度と歌いたくないと言い出す。彼女がほとんど
喋らず自分の世界に閉じこもっていた理由=母親の無関心によって大好きな
父親が死んでしまったことがここで明かされるのだが、母親に対する罵倒があ
まりにも強烈で痛かった。確かに亡き父やLVを疎んじていたりしているひどい
母親だとは思うのだが、あれではあまりにも救いがない。そして、全てを失って
しまったレイ・セイやミスター・ブーもその後どうなってしまったのか描かれてい
ないのだ。せめて、愛すべき人間である彼らが粘りを発揮して、立ち直ってい
くさまが描かれていたらもう少し後味は良かったのだと思う。
それと、あれほどの素晴らしい歌声を持っているのに、その後彼女が歌ってい
る場面も登場しなければ、今後も歌い続けるという暗喩もない。彼女の歌をほ
とんど聞いたことのないビリーのところで鳩を飼う生活になるのだろうか?たし
かに、彼女は母親の呪縛を離れ、大きな声で話せるようになった。自分を解き
放つことはできたのだった。しかし、結局歌は彼女にとっては何だったのかは
十分描けていないような気がする。コンサートのシーンがあまりにも素晴らしか
っただけに、非常にもったいない。しかし、あの場面を観て、ジェーン・ホロック
スの歌を聴くだけでも、映画館に足を運ぶ価値のある映画である。