ブレア・ウィッチ・プロジェクト The Blair Witch Project

監督・脚本 ダニエル・マイリック&エドゥアルド・サンチェス
出演:ヘザー・ドナヒュー、マイケル・C・ウィリアムズ、ジョシュア・レナード

1994年10月、ヘザー、マイケル、そしてジョシュという3人の映画学科の大学
生が、メリーランド州の森の中に入り、失踪した。彼らは、この地に伝わる「ブレア
・ウィッチ」伝説を取材するために、この森の中に撮影しに入ったのだった。そして
1年後、彼らの撮影したフィルムや録音機材だけが発見された。この映画は、発
見されたフィルムを元に作られたというふれこみになっている。

このプロジェクトのリーダーである、ヘザーという気の強い女子学生と男子学生が
2人。強引に撮影を進め、仲間の映像もずっとカメラに収め続ける彼女に、残りの
二人が反感を持つ。いろんな不気味な現象が起こるが、最初はヘザーは気にも
とめず、どんどん森の奥に進んでいく。しかしながら、そのうち道に迷い、夜にな
ると気味の悪い声が聞こえてくる。魔女伝説に出てくるような積み上げられた石
や人型に結ばれた枝が忽然と現れる。地図をなくす。仲間割れがひどくなる。食
糧が底をつく。そうして、3人をとりまく状況はどんどん悪化し、視界がどんどん狭
くなり彼らは追いつめられる。彼らを一種の狂気が支配していくというこのあたり
の状況は、「CUBE」にもちょっと似ている。

この映画はなぜ怖いのか。当たり前と言えばそうなのだが、人間は暗闇が怖い
し、得体の知れないものはもっと怖い。目に見えるものよりも、目に見えないもの
のほうが、想像力が働く分、余計怖いのだ。恐怖の頂点の場面は、真っ暗なとこ
ろで、不気味な鳴き声やわめき声が聞こえる場面。それと、学生たちが抱えてい
るカメラが揺れ、ぶれまくって何が映っているのかよくわからない場面が実に恐ろ
しいのだ。映っているもので怖いものは何一つないというのに。

予告編に使われている映像で、ヘザーが涙ながらにメッセージを訴える場面が
ある。「恐ろしすぎて、目を閉じることもできない」と。このセリフが、映画の本質を
あらわしている。目を開けて、廻りを見ることができるのなら、ある程度恐怖の正
体も想像できるけど、目を閉じてしまって、目から入ってくる全ての情報を遮断し
しまったら、すべて想像力で情報を補うしかないのだ。低予算で恐怖を生み出す
には、この暗闇の利用は実に効果的な方法である。加えて、俳優たちの演技が
非常にリアルなのだ。実際、俳優たちは十分な情報や食糧を与えられなかった
ので、これだけの迫真の演技をすることができたようだ。まるでテレビの「電波少
年」的な手法である。

ドキュメンタリーというふれこみであるのに、闇からの恐ろしいわめき声から逃げ
出した学生たちを追うカットがあったりして、「なんだ、やらせじゃん」というふうに
思えてしまうという欠点はある。ヘザーは最後の最後までカメラを廻し続けるけど
あそこまでの極限状況になって、果たして人はカメラを廻し続けられるものだろう
かという疑問もある。全編手持ちカメラのため、映像は揺れるしぶれる。このぐら
ぐらした映像に酔ってしまって、口を押さえて会場を出ていく人の姿も見られた。
万人受けする映画では決してない。また、インターネットなどで出回っている情報
を仕入れて見に行った方が楽しめるのは確かだ。前半はややだれるし、欠点の
多い映画ではある。どこから見ても低予算だ。でも、人によってはかなりはまって
しまうかもしれない内容ではある。

私自身はそれほどはまったわけでもないのだが、それでも、映画が終わった後は
一人で家に帰りたくない、どこか明るいところに寄り道して、友だちと喋ったりして
から帰りたいと思った。

ファイト・クラブ Fight Club

監督:デビッド・フィンチャー
出演:エドワード・ノートン、ブラッド・ピット、ヘレナ・ボナム・カーター、ミートローフ

主人公(ナレーターとクレジットされている)は自動車会社に勤務するビジネスマン。
瀟洒なアパートで北欧家具をコレクションし、デザイナーズブランドの服を愛用して
いる。が、不眠症に悩まされていて、その解決のため、末期ガンや難病の患者た
ちの自助グループに加わり、彼らと抱き合い涙を流すことで精神の均衡を保ってい
た。ある日、彼は飛行機で隣に乗り合わせたタイラーという石鹸のセールスマンと
意気投合する。が、家に着いたとき、彼の自慢の部屋は爆破され、タイラーの家に
転がり込むことになる。タイラーは、男同士で殴り合う秘密クラブを主催していた。

この作品のテーマは、表面的には物質文明の否定というものだ。マテリアル・ワー
ルドの申し子ともいうべき主人公の自慢の部屋は爆破される。彼は、タイラーに殴
られたときに初めて、生きているという実感を感じ、タイラーの家に転がり込む。有
能なビジネスマンだったはずなのに、仕事をしている間は魂の抜け殻のようになっ
ていて、週末、男たちと殴り合うときだけ生き生きとするようになるのだ。殴られて
意識が朦朧としている瞬間に、彼はこの上ないエクスタシーを感じる。
タイラーはまさに主人公が「こうなりたい自分」の体現的な人物である。鍛え上げら
れた肉体を持ち、圧倒的なカリスマ性がある。主人公が自助グループで出会った
自殺願望の強い女性マーラと激しいセックスにふけっている。そしてある産業廃棄
物を原料に石鹸を製造し、高級品としてデパートで高値で売っている。「ファイト・ク
ラブ」はやがて軍隊にも似た強固で戒律に縛られた組織となり、テロ活動にも手を
染めるようになる。この組織「スペース・モンキーズ」は全米各地に支部ができるほ
どのものとなる。

でも、これはあくまでも表面的なテーマであるように見える。実際のところは、物質
文明そのものを批判しているわけではない。それよりも、物質文明によって去勢され
てしまった「男性性」の復権を謳う作品なのだ。「ファイト・クラブ」は女性の加入を拒
んでいる。それどころか、タイラーはマーラに主人公が自分のことを話すことさえ忌
み嫌う。スペース・モンキーズの軍隊的な雰囲気には思わず笑ってしまう。みんな
軍服みたいなものを来て、頭は丸坊主。まるで「フルメタル・ジャケット」のようにどこ
を切っても金太郎的な頭の中身にさせられてしまっている。鍛え上げられた肉体を
持つ者のみが参加できる世界。逆に、ここまでしなければ、物質文明のくびきを解く
ことが出来ないのかと思うと、この映画に出てくる人たちはとても滑稽で哀れだ。
この組織は、まるでカルト宗教団体のような様相も呈しているので、さらにブラックだ。

自助グループで涙を流すことによってのみ、心の安定を図ることができる主人公、
そこで知り合った、睾丸ガンの治療のために胸が大きくなってしまった元ボディビル
ダー。主人公と同じで病気でもないのに自助グループに入り浸るマーラ。映写技師
として家族向け映画の中に一コマだけ猥褻な画像を入れ込んだりホテルのレストラ
ンでスープに悪戯をするタイラー。そして、タイラーの製造する石鹸。登場人物はとて
もユニークだし、テーマも刺激的で面白い。ブラックユーモアも効いている。
映画そのものとしても、非常に面白い作品なのだ。しかしながら、作品としては成功
していると言い難いのも事実。これだけ面白いディテールやキャラクター、テーマを
そろえているのに、底が浅い作品となってしまっている。その理由は何だろうか。

一つは、物質文明への批判という体裁を取っているのに、実際はそれは単に口実
でしかないということ。軍隊的な組織を作って大きなことをしでかしみんなを驚かそ
う、という目的が先にあって、大義名分は後付けでしかないように見えるからなのだ。
また、男たちばかりの、暴力に彩られた秘密組織で、しかも男性性の復活を図ると
いう目的があるはずなのに、意外と色っぽくないのがつまらない。男だけの組織の
物語というと、最近だと大島渚監督の「御法度」があったが、こちらのほうが数十倍
妖しくて色っぽいのだ。そして、結局、主人公はこの一連の出来事を通して、一体
何が変わったのかも明確になっていない。「お坊ちゃまの冒険」で終わっているのだ。

もちろん、この作品の試みは非常に大胆だし面白い。意外なオチにも愕然とする
はずである。しかし、ちょっと拍子抜けしてしまうラストには不満も残ってしまう。もっ
ともっと面白い作品にすることができた気がしてとてももったいない。もしかしたら、
これはわざとそういう映画に仕上げて、作品のテーマに目を奪われている観客を笑
いものにするために作った、皮肉で意地の悪い作品なのかもしれないけど。(そうい
う意図があるのなら、それはそれですごい作品だとはいえる)

カランとアルジュン Karan Arujun

監督:ラーケーシュ・ローシャン
出演:サルマーン・カーン、シャー・ルク・カーン、アムリーシュ・プリー、カージョル

インド映画フリークの間では凄い、凄いという評判が立っていただけに、是非とも観
なければならないと思っていた作品。噂に違わず、これはものすごい傑作である。
インド映画の底力を見る思いがする。上映時間の長さも全く気にならない、大河ロマ
ンの要素をちりばめた疾風怒濤の強烈な娯楽作だ。

カランとアルジュンは仲の良い兄弟で、母ドゥルガーと平和に暮らしていた。しかし
彼らは実は資産家の孫で、死の床にある祖父が、全財産を二人に相続させようと
する。が、親族ドゥルジャンがこのことを快く思わず、祖父を殺した上、カランとアル
ジュンも残虐にも母の目の前で殺してしまう。母は一心にカーリー女神に祈り、そ
してその執念が通じたのかカランとアルジュンは生まれ変わり、ドゥルジャンへの
復讐を誓う。

華麗な踊り、ラブロマンス、血をたぎらせるアクションと、この映画にはインド映画の
全てがある。全てがあるばかりでなく、これが過剰なまでにちりばめられているの
だ。しかし、基本的には、カランとアルジュンの復讐憚である。そして、彼らの輪廻
転生を実現させた、母の凄まじいまでの執念。額から血が流れ出るほど額を頭に
打ち付け、20年もの間復讐の女神カーリー神に祈り続けたのだ。生まれ変わった
ときには兄弟ではなく、ましてや過去生の記憶もない二人だったが、運命が彼らを
結びつけたのである。乗馬教室に通う金持ちの娘ソニアに恋するアルジュン。ソニ
アの家の用心棒に雇われたカラン。そしてソニアの婚約者は、彼ら兄弟を殺した
極悪非道なドゥルジャンの息子だったのだ!なんという運命のめぐり合わせだろう
か。そして二人に少しずつ過去の記憶が甦り、母に再会し、そして血を血で洗う復
讐は行われるのだった。

冒頭、カランとアルジュンが無惨にもドゥルジャンによって殺される場面は凄まじい。
また、踊りの場面も華やかで素晴らしく美しい。ラブシーンも、インド映画には珍しい
くらい色っぽい。アクションも、香港映画を思わせる強力でタメのあるスタイリッシュな
ものだ。
が、やはり最大の見せ場は、クライマックスだ。まるで西部劇を思わせる村。悪徳
地主ドゥルジャンに苦しめられてきた村人たちも加勢する。そして、まるで「七人の
侍」を思わせるように、ドゥルジャンたちは村に攻め入るのだった。それに対抗する
カランとアルジュンの格好良さといったら!そして、死神のように、ドゥルジャンたち
を見下ろす母の立ち姿!しびれるような構図である。ことあるたびにドゥルジャンた
ちに小突かれ、血を流し続けてきた彼女の執念が実るところとあって、感涙ものだ。

親子の愛、執念、濃い情念が燃えさかる一大娯楽ムービー。過剰なまでの暴力描
写が気にならない人には、インド映画でこの一本と言ったら迷わず選んでしまう傑作。
出演者も、極悪人を楽しそうに演じる国際派悪役スターのアムリーシュ・プリー、鍛
え上げられた筋肉が素晴らしいサルマーン・カーンなど、これ以上を望めないほど。

愛と憎しみのデカン高原 Preminchukundam Ra!

監督:ジャヤント
出演:ヴェンカテーシュ、アンジャラ・ジャベーリ

ギリはハイダラバードで大学に通う青年。大学で暴力団とつながりのある男と喧嘩
してしまっため、報復を恐れ、姉の嫁ぎ先の町に一時避難する。そこで、姉の家の
隣に住む女子大生カーヴェリに一目惚れ。一生懸命愛の告白をするうちに、めでた
く彼女のハートをつかむ。しかし、実は彼女の父親は人を殺すことも何とも思わない
極悪非道の暴力団ボスだったのだ!

ファンタスティック映画祭で上映された「バブーをさがせ!」に続くテルグ語ムービ
ー。ヒンディー語の映画に比べれば泥臭い面もあるが、踊りのシーンは負けず劣ら
ず非常に華やかで魅力的。西洋のディスコ系音楽の影響を感じさせる。そして、セ
リフなどにしても、非常に率直、ストレートな表現が多い。話の筋もとてもわかりや
すいのがいい。そして、「バブーをさがせ!」もそうだったが、クライマックスのシー
ンはとことん派手にしてしまっているのがちょっと贅沢な感じがする。追っ手に追わ
れるギリとカーヴェリが走る草原は炎に包まれるし、彼らが脱出したジープは派手
に富んで爆発したりするのだ。また、「愛と憎しみ」がテーマであるにもかかわらず、
とってもベタなギャグがたくさん盛り込まれているのも楽しい。愛の告白に、ハート
型のクッキーを使ったりするのも微笑ましい。

ストーリー的には、ちょっとだけ「DDLJ」に似ている部分もある。チャランポランな学
生が、恋におちるにしたがって成長していき、いろんな障害をものともせず恋人を
守り抜こうとするところ、そして彼を支える家族の絆や愛といったところはいかにも
インド映画らしい。ただ、他の地域の映画と違うのは、身分の差で結婚できない
という話や、組合活動などをしている場面が出てきたり、ちょっと政治的な色合いも
感じられるところだろうか。対立する暴力団同士の抗争では、子供までもが深い
憎しみを心に秘めているところまで描かれていたりするのだ。まさに愛と憎しみが
デカン高原で炸裂している!映画だ。

しかしやっぱりマサラ映画。とことんエンターテインメントとして作られている作品だ。
ヒロインもとてもきれいだし、ジプシーっぽい踊りや、インド映画得意の?スイスっ
ぽい雪山での踊りも観られたりして、観ている間はとっても楽しい作品に仕上がっ
ている。

奇人たちの晩餐会 Le Diner de Cons

監督・脚本:フランシス・ヴェベール
出演:ジャック・ヴィルレ、ティエリー・レルミット、フランシス・ユステール、ダニエル・プレヴォスト

毎週水曜日、ブルジョア紳士たちが集まり「奇人たちを集めた晩餐会」というものを
開催していた。参加者は一人、これぞというバカを連れてきて、笑いものにするとい
う会なのだ。編集者のピエールは、これこそバカの中のバカという人を見つけてもら
い有頂天になっていた。その人とは、税務署に勤めるピニョン。マッチ棒でエッフェ
ル塔など大きな建造物の模型を作ることを趣味にしていて、いつも作品の写真を
持ち歩き、話し出したら止まらない。ピニョンは晩餐会が自分をバカにするための
会であるとはつゆ知らず、ピエールの家に喜び勇んでやってきた。しかし、ピエール
は昼間、ゴルフで腰を痛め、妻は腰を痛めたくせに悪趣味な晩餐会に行きたがる
彼に呆れて家を出てしまった。ピエールは腰の痛みに耐えかねてピニョンに抱えて
もらうが二人とも転び彼は再び腰を痛める。ピニョンは医者に電話をしようとするが
間違ってピエールの愛人に電話をしてしまう。そして、それは大いなる災難のほん
の序章だった・・・。

わずか80分あまりという小品であるが、映画館内には笑いが絶える時間もないと
いうほどの抱腹絶倒の傑作コメディ。ピニョンは単に30数万本のマッチで模型を作
るだけでなく、とんでもないバカなのだ。頼まれたことはすぐ忘れる。すぐばれるよう
なうそをつく。彼の登場によって、ピエールはとんでもない災難に見舞われる。ピニ
ョンは家に戻ってきた妻と愛人を取り違えて追い返したりするし、愛人にはピエール
が彼女のことを色情女だと言っていたとばらすし、ヴィンテージもののワインには酢
を入れるし、友人には妻に逃げられたことがばれるし、税務査察官には踏み込まれ
る。しかしながら、ピニョンは実に善良な男であり、親切心からこれだけの災難を引
き起こしてしまうため、憎めないのだ。好奇心がありすぎ、お節介なことがこれだけ
の大事に発展してしまう。憎めない人であるだけに、邪険にすることもできず、さら
なる災難を呼んでしまうのだ。

それにしても、ピエールは、自分がとことんバカにしていた男によって、逆にひどい
目に遭わされて自身がピニョン以上のバカであるということが露呈してしまうのが
この映画のうまいところだ。そして、彼の狼狽ぶりにはもう大爆笑。中でも面白い
のが、妻の愛人と目していた、元の親友シュヴァルのところにも妻はおらず、第2
の愛人候補の居場所を突き止めるためにピニョンの友人であるサッカー好きの税
務査察官を呼び出すくだり。ライバルであったはずの男たちが固唾を呑んでピニョ
ンに振り回される場面は本当におかしいし、ピニョンと査察官の電話での会話も
爆笑もの。

この映画はもともとは舞台劇だったそうだが、ほとんど場面の変化もない室内劇と
なっている。そして、電話の使い方が実に巧み。そう、悲劇の大部分は、電話という
道具を使ったからもたらされたのであった!そして、ピニョンを演じたジャック・ヴィル
レのキャラクターは見事にはまっている。チビ・デブ・ハゲの三拍子揃っていて、いか
にも使えない木っ端役人らしいけど、憎めない愛嬌があるのだ。
サッカー観戦など下賤な人間のやることだとバカにして、インテリぶったブルジョア
であるピエールやシュヴァルが、彼らがバカにしていた小役人たちにやっつけられ
るという図式になっているのだが、決して嫌味になっておらず、誰が観ても面白い
映画になっている。