監督:トマス・ヴィンターペア
出演:ウルリク・トムセン、ヘニング・モリツェン、トマス・ボー・ラーセン
パプリカ・ステーン、ピアテ・ノイマン
この映画は、トマス・ヴィンターペアをはじめ、「奇跡の海」のラース・フォン・トリ
アーなど4人の監督が作った集団「ドグマ95」の「10の純潔の誓い」に基づい
て作られている。人工的な照明は用いず、カメラは手持ちカメラを使う。音楽は
劇中で演奏されるもののみで、アクションや武器は使わない。セットの使用は
禁止、など制約を多く設けて映画の本来の部分に立ち返ろうとするムーブメント
である。照明を使わないため夜になって行くに従って画像は粗くなる。手持ちカ
メラの使用は、この映画にドキュメンタリーのタッチを加えている。ほとんどすべ
てが、屋敷の中という閉ざされた空間の中で展開する。そして、物語はリアル
タイムに近い形で進行していき、独特の緊張感を与えていく。まるで、観る者
までもがこの祝宴に参加しているような気分にさせられる。しかし、ドキュメンタ
リーぽい手法を取りながらも、緻密に組み立てられた、非常に「映画的」な映
画である。
この狭い空間で飛び交う感情の奔流に身を流されそうになりながらも、ずっし
りとした手応えと臨場感に身を任すことができた。見終わったときにはクタクタ
になったが、映画を観たという快感を強く感じた
デンマークの鉄鋼王が所有する壮麗な屋敷。この屋敷の主ヘルゲが60歳と
なったことを祝う祝宴のため、人々が集っていく。ヘルゲの成人した子供たちも
やってくる。長女ヘレーネ、長男クリスチャン、そして次男ミケルとその妻や子
供たち。ただひとり来なかったのが、次女のリンダ。なぜならば、リンダは数ヶ
月前、この屋敷の自室で自殺したからだった。
盛大な宴が催され、ヘルゲには祝辞がいくつも寄せられる。しかし、クリスチャ
ンのスピーチは、恐るべき家族の秘密を告白するものだった。クリスチャンと、
その双子の妹リンダが父親ヘルゲによってレイプされ、リンダはそれを苦に自
殺したというものだった。
何事もなかったかのように宴は続く。しかし、クリスチャンの幼なじみでもある
料理長のキムは、この家族の動乱を最後まで成就させようと、使用人たちに
命じて来客たちの車のキーを隠してしまう。かくして、宴は朝まで続けられる。
一見幸せに見える家族は、実は内面から崩壊していた。その萌芽はあちこち
に見受けられる。父親の血を受け継ぎ、傲慢で男性原理的なのは次男ミケル。
久しぶりに再会する兄を見ると、妻子を車から降ろし歩かせて兄を車に乗せた
り、祝宴用の靴を忘れたと言って妻に取りに帰らせようとする。かと思ったら
不倫相手の女中を殴ったり、告白をした兄を非難して木に縛り付けるなんて
ことまでしでかす。ヘレーネの恋人は黒人のため、このパーティーでは歓迎
されず、ミケルを中心に人種差別的な歌が歌われたりする。クリスチャンも
父との体験や、亡き妹への愛が障害となって、女性との安定した関係を保つ
ことができず、パーティの席でも父に、精神病院への入院歴を暴かれたりす
る。母親は、ヘルゲが子供たちにしたことを知りながらも、誰にも言うこともで
きずヘルゲに行為を止めさせることもできなかった。
こうしてバラバラになっていた家族をつなげようとして、父性を保とうとしてヘ
ルゲがしたことこそが、この近親相姦行為だったのかもしれない。そうやって
かろうじて保たれていた家族という形態が、この祝宴とクリスチャンの告白で
一気に崩壊へと進んでいく。この父性支配のくびきを解き、自分の性を解き
放とうとクリスチャンは告白を行ったのである。
夜が明け、壮麗な客間のテーブルに再び食器が並べられる。朝のまばゆい
光の中、朝食が始まる。しかし、この席に集まった人たちは昨日の夕刻に
集まったときと全く違った心境で食事をしている。ヘルゲは、「もう二度とこの
ようにみなさんは集まってくれないだろう」と悲しそうにつぶやきながら、謝罪
する。深夜、クリスチャンが蝋燭の火のもと見た亡きリンダの姿が、この重大
な家族の危機を救おうとしたのだろうか。
この作品は、98年のカンヌ映画祭で審査員賞を受賞している。
監督:諏訪敦彦
出演:三浦友和、渡辺真起子、高橋隆大
哲郎とアキは、ちょっと年は離れているけど、自由な関係を保ってきたカップ
ル。数年前から哲郎の広い家で同居している。哲郎はレストランを経営し、
アキはデザイン会社に勤めていた。
ある日、哲郎の前妻が交通事故に遭い入院する羽目になった。哲郎と前妻
の間の息子、8歳の俊介を預かる人がいなくて、前妻が退院するまで急遽
哲郎が彼を預かることになる。アキは、自分に何の相談もなく俊介がこの家
に来ることになったことに不満を感じる。でも、可愛い盛りの男の子だし、料
理をしたり家事に取り組んだり、彼の面倒を見たりして母の代わりを務めよ
うとする。しかし、なかなかなつかない俊介の面倒を、忙しい仕事を犠牲に
してまで見なくてはならないことに、アキの苛立ちは強まっていく。そして、
哲郎との関係にもすきま風が吹いてくるようになったのだった。やがて母親
が退院し、俊介は母の元へ帰っていくのだが、俊介とアキの関係は元には
戻らないことが明白になってくる。
この映画は独特のアプローチで作られている。話の大枠だけが決められて
いて脚本は存在せず、台詞は出演者たちが作り上げていくのだ。カメラは
まんじりともせず出演者たちを追いかけ、人工的な照明もほとんどなし、B
GMも場面の切り替えのときにヴァイオリンの不協和音が響くだけ。淡々と
物語は進んで行くが、それだけに、出演者の生の感情がストレートに伝わ
っていく。カサヴェテスの映画のように生々しい感情が、時として奔流のよう
に流れてくる。すごくリアリティがあって、たとえばテレビドラマで見るような
物語はすべてうそっぱちで空々しいものであることを実感させられる。アキと
いう人間も、哲郎も、虚構の世界の住人ではなくそのへんに本当にいそうな、
ごく普通の、等身大の人間なのだ。)
これまで、男と女のふたりだけで、自由に、お互いを束縛しない関係で生き
てきたカップル。そこへ、第三者が加わる。しかも、この男の子は、男にとっ
ては息子だけど、女にとっては他人だ。これまで一度も会ったことのない他
人と一緒に暮らすということそのものが大きなストレスな上、父親の恋人と
いう微妙な立場。それなのに、面倒を見てあげて、食事を作り洗濯や掃除を
して母親の役割を演じる。でも子供は食事を食べてくれなかったりする。男
は「黙って子供を連れて来た自分が悪い」と常に先回りしてわびるものだか
ら、女は愚痴を言うこともできない。それは、男の優しさのように見えて、ず
るさだったりするのだ。家事の負担が一方的に女性にのしかかってきて、
仕事にも影響が出てきてしまうのに、男は「仕事なんて辞めちゃえば」とこ
ともなげに言う。「この人は、本当は全然私のことなんてわかってくれなか
ったんだ」という悲しさも、瞬間的に噴き出るけれども結局胸の中に澱のよう
にたまっていくだけだ。
第三者の出現により、分かり合えていたつもりのカップルが、実は全然分か
り合えていなかったという事実が白日の下にさらされてしまう。第三者が去
った後、お互いのことをまったくわかっていなかったという事実だけが残った
のだった。
「Mother」と「Other」を掛詞にしたタイトルはなるほどこの物語のテーマを語
っている。他者との関わりを通して、本当の自分を発見し、社会的な役割か
らお互いを解放するということの必要性、それを痛いほど感じさせられた。
現実的でありながら、ひりひりするような痛みを感じ、身につまされる。上映
時間が長くてつらいところもあるけど、片時も目を離せないすごさを持っている。
監督:ケン・ローチ
出演:ピーター・ミュラン、ルイーズ・グッドール
ジョーはアル中だったが、断酒会に通ってようやく立ち直ることのできた
中年男。失業者だが、街で一番弱いサッカーチームの監督を務めていて
それなりに楽しく生活をしている。ふとしたきっかけで甥のリアムの家族の
もとに通うケースワーカーのセーラと知り合い、やがて愛し合うようになる。
しかし幸せな日々は長く続かなかった。リアムの妻サビーナが麻薬中毒に
なりヤクザからの借金が膨れ上がった。彼らの借金を帳消しにするため、
ジョーは一肌脱ぐのだったが・・。
底辺から這い上がろうとしながらも、なかなか上がってこられない人間に
対する視線が温かく感じられる作品。ジョーはアルコール中毒になったり、
愛する女性に対する接し方も十分わかっていないし、世間知らずなところも
ある不器用な男だが、しかしとても魅力的な男性だ。それが結果的に恋人
を失ってしまうことに繋がってしまうことに薄々気づいていながらも、リアム
の危機を救うために、危ない仕事に手を出してしまう。そんな彼の男気、
義理人情に厚い面が、カンヌ映画祭で主演男優賞を受賞したピーター・ミュ
ランによって見事に演じられている。抑えた演技の中に、熱い気持ちがふつ
ふつとたぎっているようだ。ジョーがいい人なだけに、後半の展開がやりき
れなく、悲しい。
はじめはとてもうまくいっていた、もう若くないジョーとセーラのカップルだっ
た。ふたりの関係は本当にいい感じで、ジョーの一生懸命な愛し方がとて
もいとおしい。が、そのうち、ふたりの境遇の差が現れてくる。安定した仕
事を持ち、自分の家や車を持っているセーラ。それに対して、ジョーには、
ジョーという名前があるだけ。
社会の底辺に生まれてしまったからには、そこから這い上がってくるのは
大変なことだ。仕事もないここでの生活では、多くの者がアル中や麻薬中
毒になったり、犯罪に手を染めたりする。しかし、セーラにとっては、そんな
ことをするようになってしまうのは、ひとえに本人の責任ということになる。
だから、甥リアムのためとはいえ、危ない仕事をしたジョーを許すことができ
なかった。観ている者からすると、困っている人を一生懸命救おうとしたジョ
ーに味方して欲しかったのに、本当にやりきれない。
ここでは、暗に、社会福祉を切り捨て、弱肉強食の社会にしてしまった現
在のイギリスの社会制度を批判している。セーラは、この社会制度の象
徴的な存在なのだ。
ストーリーはどんどん救いのない方向へ進んでいく。あれほど素敵なラブ
シーンが繰り広げられていた前半を見せられた後だと、たまらない気持ち
になる。悲劇的な結末が待ち受けていて、ジョーは再び酒に溺れ始める
様子を見せる。しかし、救いは用意されていた。リアムの葬儀の後、墓地
を歩き始めた後、ジョーに寄り添うように近づいてきたのはセーラ。これか
らふたりはやり直せるのかどうかはわからないけれど、でも、かすかな
希望を感じさせる、余韻の残るラストシーンだった。