シャフト Shaft

監督:ジョン・シングルトン
出演:サミュエル・L・ジャクソン、クリスチャン・ベール、ジョフリー・ライト、トニ・コレット
    ヴァネッサ・ウィリアムズ

ニューヨークで人種差別主義者の大学生ウォルターが黒人青年を殺害する事件が起きる。
金持ちの彼は保釈され海外へと逃亡。その2年後、刑事シャフトは再びウォルターを逮捕す
るのだが、ウォルターは留置場で知り合った麻薬王ピープルズに、目撃者の女性を始末す
ることを依頼する。'70年代のブラックスプロイテーション・フィルム『黒いジャガー』のリメイク
作品。

アイザック・ヘイズの主題歌に乗ってサミュエル・L・ジャクソンが登場するオープニングが、
思わずしびれてしまうほどカッコイイ。こんなにクールでセクシーなオープニングの映画を観
たのは初めてといってもいいかもしれない。だけど、最近「オープニングは格好いいけど、映
画そのものはいまいち」という作品が何本か続いていた(『ロミオ・マスト・ダイ』『60セカンズ
』など)ので、ちょいと不安になっていた。冒頭の殺人が行われ、犯人が海外逃亡した先から
帰ってくるところまでは非常にテンポも良くキマっていたのだが…。

サミュエル・L・ジャクソンはアルマーニの革のロングコートにスキンヘッドでキメていて、やっ
ぱり終始クールでスマート。ただ、オリジナルのシャフトは女泣かせのセクシーな探偵だった
けど今回のリメイクでは、シャフトは刑事という権力の中側にいる人物ということもあって、か
なり堅物というか非常に真面目なのが物足りない気がする。オリジナル(『黒いジャガー』)
でシャフトを演じたリチャード・ラウンドツリーが、今回シャフトの伯父という役で登場する。彼
はもうかなりな年にも関わらず、非常にセクシーで現役バリバリのスケコマシという感じが魅
力的なので、それに較べるとちょっと印象が弱くなってしまう。ブラック・スプロイテーション映
画はやっぱりお色気が必須だと思うのに。せっかくヴァネッサ・ウィリアムズのような美人が
出ていても特にシャフトとそういう関係になるわけでもなく、しかもあまり魅力的に撮られてい
なくて何のために登場しているのかわからないのも残念。

今回、悪役は二人いて、一人が人種差別的なドラ息子、演じるはクリスチャン・ベール。彼
は『アメリカン・サイコ』でも殺人鬼を演じているが、今回も金に物をいわせて悪の限りを尽く
す嫌な奴にはまっている。しかし途中から出番がすっかり減ってしまって印象が薄れてしま
うのが残念。もう一人はジェフリー・ライト演じる中南米系の麻薬王。ラテン系であるにもか
かわらずレイシストのウォルターと組もうとして、「金は払うけどお前と友だちになりたくはな
い」と言われ傷ついた表情を見せ、でも悪党としては一枚上手でウォルターをうまく利用し
てしまうという複雑なキャラクターの持ち主。悪いヤツだが義理人情に厚く誇り高い彼はと
てもカリスマ性があって魅力的だ。ところが、最後シャフトと対決するシーンで急に情けなく
なってしまうのにはしらけてしまった。彼には最後まで雄々しく渡り合って欲しかったんだけ
どなあ。ジェフリー・ライトは非常に好演しているだけにもったいない。もったいないと言えば、
目撃者の女性として登場するトニ・コレットの使い方も、もう少し何とかならなかったのかと
思った。

そして、意外な形で、物語の決着が付いてしまう。非常に苦い終わり方だ。人種差別はそ
う簡単に根絶されないし、憎しみというのはかくのごとく激しいものであるというジョン・シン
グルトンのメッセージがそこに込められているんだろうけど、う〜ん。シャフトは法廷で証言
してもらうために必死で目撃者の女性を追っていたんだから、やっぱり堂々と法廷で決着を
つけるか、シャフトの手で事件を片づけて欲しかったところだ。アクションのシーンなどは非
常にタイトにできあがっていただけに、この終わり方とジェフリー・ライトの使い方が実にもっ
たいない作品。

クレイドル・ウィル・ロック Cradle Will Rock

監督・脚本:ティム・ロビンス
出演:ハンク・アザリア、エミリー・ワトソン、ルーベン・ブラデス、スーザン・サランドン、ビル・マーレー
   ジョーン・キューザック、ジョン・キューザック、ヴァネッサ・レッドグレイヴ、ジョン・タットゥーロ

大恐慌が勃発した1930年代。若きオーソン・ウェルズはマーク・ブリッツスタイン作のミュ
ージカルを「フェデラル・シアター・プロジェクト」にて演出する。
ところが、労働者の権利を主張したこの作品を、上演初日に政府は上演禁止処分に。若
き日のオーソン・ウェルズ、画家のディエゴ・リヴェラなど、表現の自由を求めて戦う芸術
家たちを描いた群像劇。オーソン・ウェルズを始め新聞王のハースト、大富豪ロックフェラ
ー、フリーダ・カーロなど実在の有名人物も多く登場。

イマドキ珍しいほどのストレートな政治的主張が込められた作品である。赤狩りの嵐が吹
き抜ける時代に、労働者の権利を主張する作品が上演中止に追い込まれることに対して
立ち上がった芸術家たちを描いた作品なのである。ロックフェラーがファシストと癒着し、
ディエゴ・リヴェラが描いた壁画(レーニンが登場したり、労働者が立ち上がる様子が描
かれている)を破壊する描写なんてのものある。ティム・ロビンスの振り上げた拳が見え
てくるのにはちょっとだけげんなりしてしまった。

この作品にはこれという主人公はおらず、この時代に生きた人々の群像劇となっている。
しかも、出演者を見ると、一人一人が主役を張れるようなスター俳優ばかりである。一人
一人の演技は素晴らしいし、それぞれのキャラクターも丹念に描かれている。だけど全員
素晴らしいためにやや散漫な印象を受けてしまうのが難。一応軸となっているのが、戯曲
『クレイドル・ウィル・ロック』の作者マーク・ブリッツスタインなのだが、彼のキャラクターが
陰々滅々うじうじしている上、性格の描写も一番おざなりであるために共感できなかったと
いうのもマイナス点。

このような群像劇では、映画の中心となるべきなのは言うまでもなくミュージカル『クレイ
ドル・ウィル・ロック』であろう。ところが、ミュージカルのシーンは断片的にしか登場せず、
一体どんな作品なのかが良くわからないのが最大の問題だと思う。クライマックスでは、
この作品が上演禁止となり、別の劇場で上演されたこの作品に出演したことがわかれ
ば俳優たちは組合から除名され職を失うことになる。しかし、俳優たちは職を失う危険性
をおして、客席から台詞を喋り、踊り歌う。表現の自由を妨げようとする権力に逆らい、自
分たちの芸術を守り抜こうとする彼らの姿勢が感動を呼ぶところである。なるほど、この
シーンは盛り上がるし、舞台芸術の神髄が伝わってきて素晴らしい。だけど、ミュージカ
ル『クレイドル・ウィル・ロック』がどんな作品なのか、リハーサルのシーンなどももっと入っ
ていたらもっと感動できたのではないかと思ってしまうのだ。一人一人の登場人物をとて
も丁寧に描いているのはいいのだが、そこに終始してしまって全体のバランスが崩れて
しまったのではないかと思う。

反面、本当に素晴らしい名演が観られる作品ではある。「フェデラル・シアター・プロジェク
ト」を率いるエリート女性ハリー・フラナガンを演じるチェリー・ジョーンズの知性が特に光っ
ている。ダイナス委員会に喚問された彼女の堂々とした受け答えには強さと信念、説得力
がある。
また落ち目の腹話術師を演じるビル・マーレーの哀愁、彼が密かに恋する反響主義者の
受付嬢ジョーン・キューザックの複雑なキャラクターも見事な表現としかいいようがない。

この作品、ちょっとしたキャスティングに洒落が効いているのはなかなか面白いと思った。
共産党シンパで知られるヴァネッサ・レッドグレイヴがブルジョアの貴婦人を演じていたり、
ティム・ロビンスのパートナーであるスーザン・サランドンがムッソリーニの元愛人だったり、
さらには演技派で知られるエミリー・ワトソンが、演技の全くできない元娼婦の女優だった
り。ちょっとニヤリとさせられる。

この映画の中の話のかなりの部分が実話であり、人々は自分たちの芸術や表現の自由
のためにここまで権力と戦ったという事実には間違いなく感動できる。ティム・ロビンスは
実に真面目に、丁寧にこの作品を作ったというのが伺えるし、その姿勢は見事としかいい
ようがない。そして出演者の一人一人が、彼に共感してこの映画に出ていて素晴らしアン
サンブルを見せたという事実も、彼らの、表現することへの真摯な姿勢を表しているもので
あるのだ。この作品は、表現の自由を、芸術家たちが自分たちの手で勝ち取ったという勝
利宣言でもあり、現代に生きる芸術家であるこの作品の出演者やスタッフたちも、あの時
代に戦った人々と同じ思いであろう。


ことの終わり The End of The Affair

監督:ニール・ジョーダン
出演:レイフ・ファインズ、ジュリアン・ムーア、スティーブン・レイ、イアン・ハート

第二次世界大戦中のイギリス。小説家のモーリスは、人妻のサラと人目を忍びながら
愛し合っていたが、空襲の夜、「愛は終わらない」という謎の言葉を残し彼女は姿を消
す。2年後、偶然サラの夫であるヘンリーに出会ったモーリスはサラが浮気しているら
しいとヘンリーから聞く。相手の男は誰なのか、そして彼女がモーリスの元を去った理
由を探すため、モーリスは探偵を雇ったのであったが…。

ロマンティックな狂気の演技では天下一品のレイフ・ファインズ。今回、彼はかつての
恋人が夫ではなく第三の男と浮気をしていると聞き、激しい嫉妬に苛まれる。サラの夫
と偽って彼女を探偵に尾行させるのだ。嫉妬のあまり理性を失い、彼女が神父の部屋
に入っていったときも、神父が彼女の愛人ではないかと疑ったほどだ。常識で考えれば
そんなことあり得るはずもないのに。恋とはかくも人の理性を失わせるものなのだ。

物語の大きな転換点は、空襲の晩の出来事。愛を交わした後、サラとモーリスが密会
していたホテルの近くで爆撃があり、モーリスは意識を失う。サラは神に祈り、しばらく
してモーリスが意識を回復したその後サラは別れを告げるのだが、この場面はモーリス
の視点と、サラの視点という二つの目でそれぞれ描かれる。最初のモーリスの視点で
は、なぜサラが別れを決意したのか全くわからないのだけど、二度目でその理由がわ
かるという仕掛けになっているのが非常にうまい。一回目の時、本当にモーリスは死ん
だんじゃないかと思ったほどだったのだが、そう思わせたことが、実は物語の謎を解く
大きな鍵になっているのだ。(ネタバレになるのでこれ以上の解説は控える)

探偵の捜査により、モーリスは少しずつ真相に近づく。そして、心変わりをしたように思
えたサラが、実は彼を深く愛していたがゆえに彼の元を去ったのだということが明らか
になる。その時点から、サラという女性がただの不倫人妻から、聖女とも思える大きな
愛の持ち主だったということが判明し、光り輝くばかりの神々しい美しさを漂わせるの
だ。ようやくわかりあえたモーリスとサラが光あふれる海辺の街で散歩するシーンも、
前半の陰鬱さとうって変わって輝かしい。

そして余命幾ばくもないことが判明したサラを看取るのは、モーリスとヘンリーの二人。
彼女の心が再び自分のところに戻ることはないと知りつつ看病する二人の心情は切な
いことこの上なし。特に、一度は自分の元を去ろうとした妻を見守るヘンリーの思いが
けない優しさにはグッと来る。

キリスト教と馴染みの薄い日本人には、サラの心情は非常にわかりづらい。「神」がこ
の物語で大きな役割を果たしているからだ。だけど、サラの心情というのは、モーリス
にも、夫のヘンリーにも理解しがたいものだったのだと思う。常人には理解できないけ
れども、でもこの上なく美しい「愛」の象徴が、サラにとっての「神」だったのであろう。
モーリスが死んでいるかもしれないと思えたのと同様、サラも2年後の再会の後は生
きている人間とは思えないような、霊のような存在になっている感じがした。それも、「
神」の存在に支えられて彼女が生きているということから、説明がつく。

イギリス特有の陰影に富んで湿り気のある映像が実に美しい。二人の情事のシーン
がかなり濃厚なのに、官能的ではあるが決していやらしく見えないのは、この湿り気
と陰影にあふれた空気のせいだ。しっとりとした色香のジュリアン・ムーア(いわゆる
「美人」を演じるのは初めてかもしれないが、人妻の上品な官能を感じさせてくれる)、
前述の通りロマンティックな狂気を漂わせてナルシスティックなレイフ・ファインズの二
人は絵になる。そして感情を抑えようとしながらも、やはり嫉妬心を隠しきれず、もは
や見返りを求めない愛をサラに不器用に捧げる高級官僚ヘンリー。彼を演じたスティ
ーブン・レイもうまい。ただの不倫ドラマではなく、サスペンス的な要素もあり、さらに、
人間にとって「神」とは何か、「奇跡」って本当にあるのか、欲望を超越した愛というの
は存在するのかというのを問いかける作品であり、しっとりと心に残る。