チャーリーズ・エンジェル Charlie's Angels

監督:Mc.G
出演:キャメロン・ディアス、ドリュー・バリモア、ルーシー・リュー、ビル・マーレー、サム・ロックウェル
    クリスピン・グローバー、ケリー・リンチ、トム・グリーン

美しさと頭脳、そしてタフさを兼ね備えた女エージェント3人。チャーリーの指令下、誘拐された
天才プログラマーを救い出し、持ち去られた音声認識ソフトを奪還するというのが今回の作戦。

などとあらすじを持ち出してきたが、ストーリーなんてあってなきが如し。この映画は美しいエン
ジェルたちの魅力を見せることだけが目的なのだから、別にストーリーなんてどうでもいいのだ。

しかし、それにしてももう少し何とかならなかったものか。観客の大部分はきれいなお姉ちゃん
のお色気を目当てで来ているだろうから、中身が無くてただ彼女たちのセクシーさが強調され
ているのはいいと思う。だけど、敏腕エージェントがこんなに低脳でいいのか?3人とも頭がカ
ラッポだけでなく、限りなくアーパーなのだ。ボスの命が懸かっているときに、ボーイフレンドか
らの電話に嬉々として出て話し込んだり、相手の素性を確かめもせずホイホイ男について行っ
てしまってパンティまで脱いでピンチを招くわ、配達人に下品なギャグをかますわ。さらに出て
くるギャグの一つ一つが寒すぎて引きまってしまった。何かといえばコスプレで登場するのもワ
ンパターンで飽きる。

別におバカな映画を否定するわけではない。私はバカ映画は大好きだ。だけど、「ここは可笑し
い場面だ、さあ笑え!」と言われてもクスリとも笑えない。「こんなバカなことやってみました」と
いうのがミエミエなのだ。「こんなにサービス精神発揮して、お色気と、ギャグと、アクションを盛
り込んでみたんだから楽しまないヤツはおかしい」なんて、映画の見方を押しつけられている気
がする。バカ映画とは「本人は一生懸命なのにそれが 空回りしてバカに見える状態が笑える」
というのであって、最初から 「見て見てぇ、これってバカでしょ〜」と狙いすぎているのは笑えない。

この作品のプロデューサーはドリュー・バリモアで、やたら「女の子のパワーを発揮しました」なん
て宣伝しているわけなんだけど、どこがぁ、である。確かに、エンジェルたちはアクションをやらせ
ると滅法強い。『グリーン・デスティニー』のミシェル・ヨーやチャン・ツィイーには遠く及ばないにし
てもまあ頑張っている。だけどテレビシリーズでは強くて賢くてセクシーだけどカッコイイエンジェ
ルたちだったのに、ここでは「男に媚び、脳味噌が足りなくてキャピキャピしているけど力は強い」
という、まさに男に都合のいいヒロイン像になっているわけだ。どうしたら男性に受けるか、という
ことを研究尽くしたという意味では、ドリューも頭が良かったんでしょうけど。

アクションについては確かにオヤっと目を見張るところもあるんだけど、一つ疑問に思った点。
銃器反対のメッセージを込めて、エンジェルたちには銃を使わせずカンフーさせるというアイディ
アはいいと思う。だけど、極悪非道な敵側もカンフー使いなのは一体なぜ?

独特の寒いギャグがいい味を出しているトム・グリーン、髪の毛フェチで変態っぽさがたまらない
「痩せた男」クリスピン・グローバー、そして毎度怪しいキャラが板について印象的なサム・ロッ
クウェルと男性陣はなかなかいい。だけど、『クレイドル・ウィル・ロック』ではあれだけ素晴らしい
演技を見せてくれるビル・マーレーに精彩がないのは至極残念。彼はかなりこの映画の出来に
不満らしい。エンジェルの中では、唯一少しは脳味噌がありそうなルーシー・リューが魅力的。
SM女教師ルックは、唯一エンジェルのコスプレでいいなあ、と思ったのであった。キャメロン・デ
ィアス?アホすぎて問題外。眉毛を薄めに描いたメイクで老けて見えるし、露出度は高いけど
魅力に欠ける。『メリーに首ったけ』の時の彼女の方が1000倍いい。

見終わったら10秒で中身を忘れるような作品である。

タイタス Titus

監督:ジュリー・テイモア
出演:アンソニー・ホプキンス、ジェシカ・ラング、アラン・カミング、ハリー・レニックス、ローラ・フレイザー

ローマ帝国の勇者タイタスはゴート族と戦い勝利を収めるが、20数人の息子たちの大半を失っ
てしまう。彼はゴート族の女王タモラを人質に凱旋し、彼女の長男を生け贄にする。息子を殺さ
れたタモラは復讐を誓い、新皇帝サターナイナスの妻となる。彼女の残された息子たちは母親
の差し金でタイタスの娘を犯しその両手と舌を切り取り、血を血で洗う復讐合戦の火蓋が切って
落とされた。

タイタスは品格があり高潔な人柄の武将。しかしながら、たった二つの判断ミスを犯したことか
ら、これ以上酷いことはないというほどの悲劇に遭ってしまう。そのミスとは、新皇帝に、娘ラヴ
ィニアの婚約者であるバシアナスや、自分自身ではなく、バシアナスの兄で先代皇帝の長男で
あるサターナイナスを選んだこと。そして、人質としたタモラの長男を、彼女の懇願にも関わらず
しきたりに従って生け贄にしたことである。これらの判断は、タイタスの「公平で信仰深い」性質
によって下されたものだった。

タモラによってなされた復讐は凄絶なものであった。色仕掛けで新皇帝サターナイナスを籠絡す
ると、愚かで残忍なサターナイナスを意のままに操り、タイタスを失脚させる。バシアナスを息子
たちに殺させ、その嫌疑をタイタスの2人の息子たちにかけて処刑。タモラの愛人である腹黒い
ムーア人アーロンはさらに奸計を図りタイタスの片手まで奪う。そしてかわいそうなラヴィニア…。

いかに高潔で品行方正なタイタスといえども、ここまで酷い目に遭わされてしまうと、タモラと同じ
く復讐の鬼と化せざるを得ない。どんなに立派な人でも、鬼になってしまうというのがこの作品の
テーマの一つになっている。彼は見事な形で復讐を全うするのだ。大切なラヴィニアを壊したタモ
ラの二人のどら息子を、人肉パイに仕立て上げてタモラに食べさせてしまうのである!復讐心は、
人をとてつもない残虐な行動に駆り立てるのである。

そもそも「マクベス夫人」的なタモラにしても、最初に人質として捕らえられたときには、必死で息
子の命乞いをする哀れな母親だったのに、無慈悲にも長男を殺されたことで恐ろしい女に変貌し
ていく。もともと卑劣で残忍、無能なサターナイナスに出会ってお互いその恐ろしさに磨きをかけ、
さらに悪の化身ともいうべき愛人アーロンに入れ知恵され、相乗効果でますます冷酷になってい
くのだ。彼女の残された二人の息子たちは、母親のような悪知恵はないが、同じく残忍な性質を
受け継いで彼女の手足となる。母と二人の息子は、三つ巴の悪鬼となる。人間というのは、一つ
の事件でかのように変貌してしまうものなのだ。

彼らによる残虐行為の見せ方がとにかく美しくかつ強烈なのだ。タイタスの二人の息子たちの生
首とタイタスの片手は、カーニヴァルの見世物のようなディスプレイでタイタスの元に返される。そ
して悪夢のように忘れがたいのがラヴィニア。沼地に一本の枯れ木のようにうち捨てられた彼女
は、切断された両手の先に枯れ枝を刺され、舌を切り取られた口からは血を噴き出す。見るも無
惨な姿なのだが、それでも見る者の心に突き刺さるような凄惨な、鮮烈な美しさなのだ。

全編が独特の毒気のある美しさで彩られている。タモラやサターナイナス、息子たちの狂乱の宴
は「地獄に堕ちた勇者ども」のナチスSSパーティに、フェリーニの「81/2」をミックスしたようなデカ
ダンスあふれるもの。毒々しい化粧を施したサターナイナス、メデューサのような髪型と刺青のタ
モラ。二人の息子たちは中世的な鎧と、現代のクラブキッズかグラムロッカーのようなグラマラス
さを兼ね備えている。ラスト近くのタモラと二人の息子たちが復讐の女神や死に扮して登場する
ところはいくらなんでもやりすぎという感じもするが。甲冑に身を包んだ兵士たちと戦車やバイクが
違和感なく並び、ムッソリーニが建てたモダンな建物が宮殿となっている。時空を超えた雰囲気
が、この物語の普遍性を伝えている。

演技面でいうと、底なし沼のような悪意の塊であるアーロンの印象が一番強い。いくら悪事を重ね
ても決して自責の念に囚われることはなく、ますます悪への欲求を強めていく悪魔のような男。そ
の彼が生き方を変えることはなくとも、子供の父親となったことで微妙にその心理を変えていき、
元は善人だったはずのタモラよりも人間性があったことを示すのが面白い。タモラを演じるジェシカ
・ラングの一本調子で過剰な演技はいささか鼻につく。アンソニー・ホプキンスは実は悪い人なん
じゃないかと思わせておいて、ただの哀れな老人だったりするということでちょっとイメージを裏切
る。サターナイナスのアラン・カミングはいつもながらの毒気のあるキャラクターにぴったり。

これらの人物が集結しての最後の晩餐は、さながら「コックと泥棒、その妻と愛人」を思わせる悪
意あるユーモアに包まれていて、とてつもない悲劇なのに笑えてしまう。アンソニー・ホプキンスの
コック姿というのは悪い冗談としか思えないのだが、こういうブラック・ユーモアは、全体的に過剰
感が漂うこの作品にはよく似合っている。