監督:ソーレン・クラウ・ヤコブセン
出演:アナス・ベアデルセン、イーベン・ヤイレ、イエスパー・アスホルト
コペンハーゲンの会社に勤めるクリステンは、仕事で成功し、社長令嬢のクレアと結婚
式を挙げる。しかし、結婚式の夜、彼は父親が死んだという知らせを受け取り、急遽一
人で故郷に向かう。
クリステンの故郷は、辺境の荒れ果てた農場。父が亡くなった後、一人残されたのは知
恵遅れの兄ルード。ルードの存在を隠すために、彼は身寄りがいないと偽っていたのだ。
ルードが入れる施設を探す間、家を片づけルードの面倒を見るために、クリステンは家政
婦を募集する広告を出す。やってきたのは、リーバという若く美しい女。しかし、彼女は実
はコペンハーゲンで高級娼婦をしていたのだ。やがてクレアがこの農場に乗り込んできて
真相を知り、クリステンは妻と職を失うのだった。クリステンとルード、リーバとその弟ビア
ーケの4人は、この田舎の農場で奇妙な同居生活を始める。
長年別々に暮らしていた兄弟を結ぶもの、それが「ミフネ」だった。かつて、二人は「七人
の侍」に出てきた三船敏郎の真似をして遊んだものだった。「七人の侍」で三船が演じた
菊千代は、百姓の出自を隠して侍のフリをするが、それは、都会人を装っていたクリステ
ン、そして娼婦であることを隠していたリーバにも重ね合わせられている。
偽りの生活をしていた人間たちがそのことにより窮地に追い込まれるが、同じ立場の人間
と出会い、そして肉親との絆を確認することによって、新しい、希望に満ちた生活を始める
ことになるという物語だ。兄を見捨て、出世のために社長令嬢と結婚して愛のない結婚生
活を送ろうとしていたクリステン。不良の弟を学校に行かせるために、弟に軽蔑されながら
も体を売っていたリーバ。クリステンは妻に離婚され、失業。リーバは客が弟に体罰を加え
ている教師だと知って、思わずその家の敷物に小便してしまい仕事がしづらくなり、さらに
ストーカーからの不気味な電話に悩まされる。しかし、リーバとクリステンがルードを通して
出会うことにより、彼らだけでなく、その家族までもが幸せになっていく。
しかし、簡単に幸せはやってこない。リーバは娼婦であることがばれるのがこわくて怯え
ているし、リーバに対し下心を持っているクリステンは、妻がいるということをリーバに隠し
ている。お互い、疑心暗鬼になっている部分があって、接近しながらも簡単には気を許さ
ない。嘘にまみれた生活からは簡単には抜け出せないのだ。それを助けたのが、ルード
の存在。
ルードというキャラクターは非常にユニークで魅力的だ。彼はUFOの存在を信じていて、
すぐUFOがやってきたと怯える。長年彼を見捨てていた兄を慕っている。「トシロー・ミフネ
は強くて絶対あきらめない七人目のサムライだった。僕のヒーローで、それは僕の兄だ」
というルードのセリフには泣かされる。リーバが初めてこの家にやってきたとき、家に馴染
むきっかけを作ったのもルードだし、リーバの不良の弟ビアーケも、最初はルードをバカに
するが、やがて二人は仲良しになる。娼婦であるということがクリステンにばれるのを恐
れて出ていこうとするリーバを引き留めるのはビアーケだが、それは、ビアーケがルード
との生活が心底楽しいと感じているからだ。役に立たない、知恵遅れのお荷物だと思わ
れていたルードが、実はリーバ、ビアーケ、そしてクリステンの幸せをもたらす存在だった
のだ。
ルードの存在だけでなく、他の場面でもそこはかとないおかしさが漂っていて、楽しい。リ
ーバの娼婦仲間はみな仲間意識が強く、気がいい。彼女たちはリーバが悪い男にレイプ
されたと誤解してクリステンを襲撃する。わけのわからない日本語もどきをわめき、鍋を兜
代わりにかぶってミフネの真似し、ルードを喜ばせるクリステンも笑える。もちろん、ルー
ドがUFOの物まねをしているところやウサギちゃんの帽子をかぶっているところも最高に
おかしい。
セット、人工照明、効果音の禁止、カメラは手持ちなど、10箇条の「純潔の誓い」に基づく
「ドグマ」作品であることで、なんだかわけのわからない芸術映画、というふうに先入観で
見られたらもったいない、笑えて、ほろりとさせられる娯楽映画だ。もちろん、人工照明を
使っていないことで、北欧の美しい自然の光が実感できるし、白夜のため時間の経過が
わからないということが独特の効果を上げているとは思う。でも、「ドグマ」に基づかなくて
も作ることのできた作品だという気はする。
何より、我らが三船敏郎が、遠く離れたデンマークでもヒーローとして記憶されているという
事実がとても嬉しい。三船云々を抜きにしても十分面白くて感動できる作品だが、何となく
自分がサムライの末裔であることが嬉しくなってしまう。
監督:フランク・ダラポン
出演:トム・ハンクス、マイケル・クラーク・ダンカン、デビッド・モーズ、ジェイムズ・クロムウェル
ハリー・ディーン・スタントン
ポールは死刑囚を収容する刑務所E棟の主任看守。この刑務所に、少女二人を殺したか
どで死刑判決を受けた巨体の黒人コーフィが収監される。暗闇を怖がり涙を流す彼を見て、
ポールはとても殺人犯には見えないと考える。コーフィは尿道炎を患っていたポールの腕
をつかみ、その病を治すという奇跡を起こす。ポールと看守たちは、コーフィの不思議な力
を利用して、ある計画を実行に移す。
コーフィは巨体だが、少し頭の回転が遅い善良な人間に見える。果たして、彼は、二人の
可愛らしい少女たちを惨殺した凶悪犯なのだろうか。彼は、この刑務所の中でいくつかの
奇跡を起こす。彼には、奇跡を起こす力だけでなく、世界で起こっている色んな出来事や、
人の心を読むことすらできる、一種の超能力者だ。しかし、このようなずば抜けた力を持っ
ていることが彼にとって幸せなのだろうか。いや、決してそんなことはない。全てのことを
見通すことができると言うことは、世の中の悲惨な出来事を全て知ってしまうということに
ほかならない。それだけ、この世の中は汚れきっていると言うことだ。また、彼は、人々の
苦しみや悲しみを、自分のことのように感じてしまう。それゆえ、彼はもはやこのような世
界に生きていることすら望まない。彼が本当に安らぎを得られるのは、死んだときである。
彼は、そのイニシャル「J.C.」が示すように、キリストの生まれ変わりなのかもしれない。
グリーン・マイルとは、死刑囚が収容される刑務所の緑色の廊下のこと。死刑囚ばかり
集まったここでは、様々な出来事が起きる。刑務所に住み着いているネズミに「ミスター
ジングルス」という名前を付け、死刑囚のドラクロワは様々な芸を仕込み、看守たちや囚
人の心を和ませる。しかし、ネズミが苦手な新入り看守のポーターはそれを快く思わない。
彼は強力なコネを使って刑務所に就職した人間であり、臆病なくせに残忍な性格の持ち
主である。そして、彼はドラクロワが電気椅子にかけられるとき、ある仕掛けを行い、結果
的にドラクロワは普通の死刑囚よりもかなり悲惨な最期を遂げなくてはならなかった。この
描写はかなり長く、しかも残酷で思わず目をそむけてしまうほどであった。死刑の執行が
かくも残酷なものであるということを示すことで、死刑制度にこの作品は反対という姿勢を
示しているのだが、ドラクロワという好感が持てるキャラクターがあのようなひどい目に遭
わされるところを見てしまって辟易し、もう2度とこの映画は観たくないと思ってしまったの
も事実だ。
いよいよコーフィも電気椅子にかけられる時がやってくる。看守たちと、コーフィはいつしか
友情という絆で結ばれるようになった。コーフィの最後の願いを聞き、刑務所内で映画「オ
ペラ・ハット」を彼のために上映する。「I'm in Heaven」の歌詞が思わず涙を誘ってしまう。
自分を救ってくれた、美しい魂を持ったコーフィの命を、自らの手で断ち切らなくてはならな
くなったポールや看守たちの苦悩。この処刑シーンはまるで殉教する聖人の姿を見ている
かのように荘厳だ。そして、ポールは、自分に与えられた生の意味を、残りの人生の間ず
っと考えるのであった。グリーン・マイルというのは、すべての人間に与えられた運命なの
であった。
3時間8分という上映時間だが、長いと感じることもなく、ずっとドキドキしながら見ている
ことができる作品。生の意味を考えさせられる深い作品だ。ポール役のトム・ハンクス、
コーフィ役のマイケル・クラーク・ダンカンの演技はいうまでもなく素晴らしい。しかしなが
ら、ドラクロワの残酷な処刑のシーンのインパクトが強すぎて、なんだか嫌な後味が残っ
てしまった。
監督:アナンド・タッカー
出演:エミリー・ワトソン、レイチェル・グリフィス、ジェイムズ・フレイン
100年に一度の天才と謳われ、エルガーのチェロ協奏曲では未だに彼女以上の演奏を
したことがないというチェロ奏者ジャクリーヌ・デュ・プレ。20歳でデビューした彼女は瞬く
間に名声をものにするが、多発化硬化症のため28歳でステージを降り、42歳で亡くなっ
た。同じく音楽の才能に恵まれながらも、常に天才である妹と比較されたために音楽の
道を諦め、平凡な人生を送った姉ヒラリーとの姉妹愛と確執を通して、ジャクリーヌの人生
を描いた作品。
音楽好きの母に育てられたヒラリーとジャッキー。ヒラリーは早くからフルートの才能を発
揮して賞に輝くが、負けず嫌いのジャッキーは必死にチェロを練習する。出場したコンクー
ルでは、二人とも優勝するが、ジャッキーに送られた拍手は熱狂的なもので、早くもヒラリ
ーは才能の違いを思い知らされる。ともに音楽アカデミーに進学するが、いつでも妹と比較
されていたヒラリーは、音楽の道を諦め、指揮者のキーファと結婚することにする。「彼は私
を特別な女だと感じさせてくれるの」と求婚されたことを報告したヒラリーに対し、ジャッキー
は「あなたは特別な人間ではない」と言う。ヒラリーは「平凡な人間であることは、特別な人
間であることと同じくらい難しいことなのよ」「あなたからチェロを取ったら何が残るというの」
と言い放つ。ジャッキーは、一生この言葉に悩まされることになる。
ジャッキーは、天才ならではの孤独を感じることになる。名声をつかんだ彼女をちやほやす
る人は多いが、それはチェロ奏者としての彼女であって、一人のジャクリーヌ・デュ・プレと
いう人間を見ているわけではないことを、彼女は身にしみて感じていた。姉に対抗するよう
に、気鋭のピアニスト、ダニエル・バレンホイムと結婚するが、その夫ですら、一人の女とし
て彼女を見ることはなかった。その上、休むことなく一人ぼっちで見知らぬ土地へ旅をし、
言葉も通じないところで演奏をする毎日。演奏会へ出かけた先から実家へ洗濯物を送りつ
け、代わりに新しい服を届けてもらい、懐かしい故郷の匂いを感じて安堵する彼女はこの上
なく痛切な孤独感を感じさせる。
夫が一人の女として自分を見てくれないことに逆上したジャッキーは、演奏会のスケジュー
ルを放り出し、田舎で穏やかに暮らすヒラリーを訪ねる。そして、あなたの夫と寝たい、と言
いだした。姉だけは、自分を一人の人間として愛してくれる。姉だったらどんな願いでも叶え
てくれると感じて頼んだのだった。それと共に、姉が手に入れたものはすべて欲しくなるとい
う心理も働いていた。最初その申し出をヒラリーが拒絶したら、服を脱ぎ捨て、全裸になって
「誰も私を愛してくれない!男が欲しいの!」と泣きわめくジャッキー。エミリー・ワトソンの狐
憑き的な凄まじい演技が、追い込まれた彼女の精神状態を示している。ついに夫を説得して
彼女と寝てもらうことにするヒラリーは、複雑な表情で、二人が愛し合う気配を感じることにな
る。
そしてジャッキーは、キャリアの頂点で多発化硬化症を発症。「チェロを取ったら何も残らない
」と言われた彼女から、チェロが奪われるという残酷な運命。不自由な身となっても、夫はパ
リに赴任し、彼女は豪奢な屋敷でひとりぼっち。しかし、著名人の友人がたくさんいると虚勢
を張って姉を遠ざける。チェロを失い、死ぬまでの14年間のジャッキーの苦しみは、察するに
もあまりあるものだっただろう。最後、音すら奪われ、苦しみにのたうち回る彼女を、優しく抱
きかかえるのはヒラリー。二人は、仲良く遊んだ幼い日へと戻っていったのであった。
天才とは、皮肉なものである。人は天才になるのではなく、天才に生まれる。ジャッキーは、
天才となることを自ら望んだ訳ではなく、チェロの才能が早くに発見されてしまい、その天才
ぶりを周囲に騒がれてしまう。外国へ演奏しに出かけた時にも、「私は本当はチェロが好き
ではない、辞めたい」と言って周囲を困らせるが、これほどの才能を周囲は放っておかない。
彼女は平凡な幸せをつかんだ姉のことが何よりもうらやましかった。そんなジャッキーはどこ
までも「女」である。常に女として愛されたいと感じていた。彼女がチェロを弾く様子は、独特
だ。子供の頃から、動きが多いと指摘されてきた。長い金髪を振り乱して弾く様は、そのエ
キセントリックな性格を象徴するものである。チェロという楽器は、開いた両脚の間に楽器を
挟んで弾くものである。その両脚を開いた姿勢そのものが、大変エロティックである。彼女の
演奏は、脚の間からダラダラ血を流しているかのような痛みを感じさせる、情念のこもった音
楽であり、それゆえ、人の心を強く惹きつけるものなのではないかと思う。
この映画は、同じ時の流れを「ヒラリー」、そして「ジャッキー」という、それぞれの視点から見
たふたつの章で構成されている。こうすることによって、二人がお互いに持った、才能と愛に
関する複雑な感情を描くことに成功している。ジャッキーの天才に生まれたがゆえの試練と
孤独を描くと同時に、天才の妹と常に比較される立場のヒラリーの嫉妬や羨望の気持ちも
非常にリアルに描写している。ジャッキーを特別な人間たらしめていたチェロが奪われ、そし
て最期の時にヒラリーに抱きしめられ、初めて彼女は本当の意味での愛を感じることができ
たのかもしれない。この純粋な愛は、生涯苦しみ抜いた彼女へ与えられた、最後の贈り物
だったのだ。
ジャッキーを演じたエミリー・ワトソン、ヒラリー役のレイチェル・グリフィス、二人ともアカデミー
賞にノミネートされたことが納得できる素晴らしい演技を魅せている。ジャッキーの燃えたぎ
る情念と苦悩、ヒラリーの静かに燃える複雑な心情という「静」と「動」の対比が実に効果的
だ。ダニエル・バレンボイムなど現在も活躍する人物も登場するため、この映画はクラシック
界に大きな波紋を投げかけ、非難もされたようだ。が、ヒラリーとその弟ピエールによって書
かれた原作に基づいているため、ジャッキーという不器用な生き方しかできなかった天才へ
の愛情あふれる作品となっている。そして、原題の「Hilary And Jackie」こそがふさわしいタ
イトルであろう。