監督・脚本:橋本忍
出演:南條玲子、隆大介、長谷川初範、かたせ梨乃、星野知子、関根恵子、北大路欣也、仲谷昇
愛犬シロをたずさえ、琵琶湖湖畔を走るのが生き甲斐のソープ嬢道子。ある日、彼女の犬が
殺される。警察の協力と彼女の執念により犯人は人気作曲家の日夏と判明。彼女は復讐を
誓うが果たせない。琵琶湖を臨むシロの墓のそばで、彼女は笛を吹く男に会う。彼は、戦国
時代、浅井長政の妻お市の方の侍女みつと、侍の長尾吉康との悲恋について語る。その笛
は彼の先祖から代々伝えられた、吉康の遺品だったのだ。そして、ついに道子は復讐を為す
チャンスを手に入れる…。
「幻の湖」は底抜け大作として有名なカルト映画。東宝創立50周年記念映画であり、黒澤明
作品の脚本家として知られる橋本忍の監督・脚本作品だ。しかし、「ジョギング」「ソープ嬢」
「犬」「戦国時代」「謎の女スパイ」「スペースシャトル」という、なかなか結びつかないモチーフ
を用いている。それらを結びつけるため、かなり、どころか無茶苦茶強引な物語展開となって
しまっている作品だ。唐突に時代劇になったり、いきなりスペースシャトルが発射されたり、
ほとんど支離滅裂といって良い。
そして、何よりも凄いのがヒロインの行動。彼女はとにかく何よりも「走ること」と「犬」に取り憑
かれた女性なのである。外回りの銀行員からランニングシューズをプレゼントされ、銀行に2千
万円近い貯金の口座を開き、同僚のソープ嬢も勧誘してしまうくらい感激してしまう。愛犬シロ
を殺した犯人を突き止めるために警察に協力を求めるばかりか、東京まで上京して、犯人であ
る日夏(今でいうと小室哲哉か?)の会社に出刃包丁を持って押し掛ける。挙げ句の果てには、
日夏とマラソン合戦!また追いかけられる日夏もやたら走るフォームが様になっている。追い
かける彼女の独白が突拍子もない内容でただ驚愕するばかり。シロの復讐のためにはなんで
もやってのけ、サイコなストーカー女と化してしまうのだ。かと思ったら、「私は一年後に結婚し
てお店を辞めます、相手は決まっていないけど」と宣言するし、銀行員の倉田さんと結婚するの、
と妄想を働かしたりする。一体どこにそんな突拍子もない発想が出てくるのか皆目わからない
のが凄い。唯一わかるのは、孤独な彼女が唯一本当に心を許せると思った愛犬シロに、尋常
ならざる強い愛情を注いだ結果、物語は時空を超えてしまったということだ。
しかし、この映画、さすが東宝創立50周年記念作品だけあって、すごくお金がかかっている。
主演の南條玲子はオリンピック選手の宇佐見彰朗について6ヶ月もトレーニングをしたそうだ。
走るシーンは、まるでマラソン中継を観ているかのようなハイな気分にさせてくれるほど本格的
でドキドキさせられる。そしてカメラがとらえた琵琶湖の四季は絵はがきのように美しい。音楽は
芥川也寸志によるもので、リストの前奏曲をモチーフにしていてドラマティックで奥深く格調高い。
それだけ手の込んだ作品なのに、どうしてこんなとんでもないものができあがってしまったのか、
ただ不可解だ。
突然挿入される時代劇パートがまた凄い。出演が北大路欣也、関根(現高橋)恵子、大滝秀治、
宮口精二、星野知子と無意味なまでに豪華なキャスティング。お市の方役の関根恵子の着物
など、ため息が出るほど美しく華麗でさぞ値段も高いだろうと思わせる。合戦のシーンまで用意
されていて、まるでNHK大河ドラマのよう。しかし、そのシーンでも一つだけ底抜けのシーンが
ある。串刺しの刑に処せられた吉康の死体が、マンガそのものなのだ!このパートに象徴され
るように、この映画は一つ一つのパーツは格調高く精巧で美しいのに、必要なピースが足りな
いので完成しないパズルのようである。
一匹の犬をめぐる物語が戦国時代まで遡り、宇宙まで飛び出してしまうというものすごさ。これ
ほどとんでもない映画は未だかつてなかったと思うし、この強烈さを表現する言葉を、残念なが
ら私は持ち合わせていない。一生懸命、大まじめに、丁寧に作った作品だというのは本当に良く
わかるのだが…。しかし、偉大な失敗作だと思う。機会があれば、ぜひ観ることをおすすめする。
ただ、笑える箇所は非常に多い作品だが、笑うことを目当てでこの映画を観るのは、この映画に
心血を注いだであろう作り手に失礼なのでやめて欲しい。
監督:アトム・エゴヤン
出演:ボブ・ホスキンズ、エレーン・キャシディ
アイルランドに住む少女フェリシアは、住所も知らせずに行ってしまった恋人を捜すために、イギ
リスのバーミンガムへと渡った。恋人は芝刈り機工場に働きに行ったらしいとしかわからないた
め、なかなか見つからず途方に暮れるフェリシア。そんな彼女に声をかけた親切なおじさんが、
ヒルディッチ氏。彼は工場の食堂の支配人を務める男性。きちんと整えられた広い邸に一人で
住み、テレビの古い料理番組に従って豪奢な食事を料理し、たった一人で食べている。人の良
さそうな彼には、裏の顔があった。ひとりぼっちの彼は、少女を待っていた。
50年代風の立派な邸で、たった一人、テレビの料理番組を見ながら食事を作るヒルディッチ氏。
テレビに映るのは、フランス語訛の美しい女性料理研究家。彼女が調理器を取り出すと、ヒルデ
ィッチも倉庫から、この女性の写真が入った箱に入っている調理器をごそごそと取り出す。倉庫
の中には、調理器の箱と、ビデオテープが山積みされている。彼女の隣に映るの太っちょの少
年はヒルディッチそっくりだ。そう、実はこの女性は彼の母親だったのだ。ヒルディッチの、クマの
プーさんと思わせる風貌は親しみやすいが、それだけに、母親の出演するテレビ番組を見なが
ら食事を作る光景は異様に映る。そして、この素晴らしい料理を食べる人は彼一人だけ。
ヒルディッチは、母親に愛されたという記憶がほとんどない。母親の都合のいいときに、小道具
として利用されるだけ。テレビに映る少年時代の彼は、いつも悲しそうな、さみしそうな表情を
浮かべている。テレビの画面の中で、「体にいいから」とトリの肝臓を無理矢理食べさせられて
いる彼の泣きそうな顔。そんな幼い日の悲しみから、ヒルディッチ氏という人間が形成された。
彼は今でも、心はあの震えている少年のままなのだ。だから、彼の邸の中では時が止まったよ
うにアンティークな調度品があつらえられ、古めかしいラブソングが流れている。
一方、フェリシアは今の時代にあって珍しいほどの純朴な少女。たった一度の恋に一途にのめり
込んでしまう。しかし、彼女の愛した青年ジョニーはアイルランドを去る。フェリシアの父の話では
ジョニーはイギリス軍に入ったらしい。アイルランド人の国民感情からすると、イギリス軍に入るよ
うな男は売国奴だし、そんな男を愛するなんてとんでもないことなのだ。そして、彼の子供を妊娠
してしまったフェリシアは、父親に「売女」と罵られる。祖母のお金を持ち出し、誰も知っている人が
いないし、彼の居所も分からないのにイギリスへと渡る。狼の手に掛かった赤ずきんちゃんのよう
だ。
母親の愛情を感じることができなくて、でも母に屈折した思いを抱いているヒルディッチ。父親に
罵られ、恋人にも去られたひとりぼっちのフェリシア。ヒルディッチは、フェリシアに自分の姿を重
ねている。母親に与えられなかった愛情を一方的に、彼女に注ぎ込もうとする。これまでに彼が
出会った少女たちと同様に。彼は、家出してきた少女たちに近づき、親切なおじさんを装って愛
情を手向けてきた。やがて彼の本性を知った少女たちは、恐怖の表情を浮かべる。愛の不在を
確信した彼の手にかかった少女たちのその後については、誰も知らない。
しかし、フェリシアは、ヒルディッチがこれまで出会ってきた少女たちと違っていた。恋人が自分
を捨ててイギリスに去ってしまったことは自明の事実なのに、それでも諦めきれずに彼を信じ、
捜し続けるフェリシア。彼女は愛を信じていた。そんな彼女を見て、ヒルディッチの中の何かが
変わり始める。
クライマックス、睡眠薬をココアに混ぜてフェリシアに与えるヒルディッチ。マグカップを持って画
面を凝視する彼の、穏やかだがこの上なく恐ろしい表情には思わず戦慄してしまう。これまで
殺した少女たちの名前を一つ一つつぶやくヒルディッチ。このときまでは、彼はフェリシアも結局
ほかの少女たちと同じなのではないかと思っている。しかしここで一つの奇跡が起こるのだった。
最後の最後になって、彼は愛情というものを感じることができ、そして彼の魂は癒されるのであ
った。
寂れた工業都市。青い服を着たフェリシアのリンゴのような頬。冷たく澄んだ空気を感じさせる
画面。古い映画のシーンを思わせるような、料理番組のシーン。最初から最後まで緊張感にあ
ふれた映像。息もつかせぬ展開でフェリシアを追いつめながらも、急展開で、あっと息を呑まさ
れるラストへ持っていく手腕は実に鮮やかだ。終盤の「淋しいんだよ!」というヒルディッチの心
の叫びが胸に突き刺さる。孤独と愛の不在は人を狂わせるが、狂わせられた人間も、求めれば
救われるのだった。