監督:ジョナサン・デミ
出演:トーキング・ヘッズ
1983年、ハリウッドのパンテージズ・シアターで行われたトーキング・ヘッズのコンサートを、
のちに「羊たちの沈黙」で知られることとなったジョナサン・デミの監督によって、一本の映画に
作り上げられたのが、この作品。今回の上映に際し、サウンドトラックがデジタル・ドルビーで再
編集され、ニュープリントに改められた。
極めてストイックな一本の映画である。字幕、台詞は一切なし。ヴォーカルのデビッド・バーン
が片手に一本のラジカセ、もう片手にギターを持って「サイコ・キラー」を歌い始めるところから、
メンバーが一人一人登場し、パーカッションやダンサー兼バックヴォーカルとどんどんステージ
上に人が増えていき、ライブが最高潮になるところまで、カメラはひたすらステージの上での出
来事を追い続ける。ラスト近くまで観客席は一切映らず、メンバーのインタビューや舞台裏の素
顔も登場しない。あくまでもクールに、客観的に撮られた作品なのに、トーキング・ヘッズの本質
を完璧に表現しているのではないかと思わせる。
トーキング・ヘッズのライブパフォーマンスを映しただけという映画にもかかわらず、この映画は
映画の持つ興奮、胸の震えを起こさせ、違う世界に連れて行かれた感覚を伝えてくれる。たと
えトーキング・ヘッズの音楽についてまったく予備知識がなくても楽しめる作品だ。もちろん、彼
らの音楽性の高さというベースはある。デビッド・バーンの、独特の震えを感じさせる、呪術的な
声。アフリカ音楽の影響を感じさせる強力なリズムを支えるドラムスとベース、それに加えて黒
人系のミュージシャンによって演奏されるパーカッションの彩り。しかしなんといっても印象的な
のが、デビッド・バーンによるパフォーマンスだ。痙攣したり、ブルブル震えたり、走ったり、体を
クネクネさせたり反らしたり。まるで何者かに取り憑かれたような狂った体の動きの印象は、強
烈の一言。見る者までもが、思わず彼らの世界に取り憑かれ、同じように体が痙攣したり、震え
たりする感覚に襲われる。気分は高揚してクラクラするほどだ。音楽のコンサートを観るというよ
りは、一種パフォーミング・アートを観ているかのようだ。あの有名なビッグ・スーツ(だぶだぶの
スーツ)を着た彼の奇妙な姿も忘れがたい印象を残す。しかし、これはまぎれもなく、コンサート
なのだ。
舞台装置そのものは極めてシンプルなのだが、最初は何もなかったステージに、徐々に機材が
運び込まれていく様子もまた興味深い。そして、一曲ごとに変化する照明も面白い。不安をかき
立てるような逆光のライティングや、ステージの上のミュージシャンたちの影絵が浮かび上がる
といった趣向が凝らされている。意味を持たない単語が、色鮮やかなバックのスクリーンにスラ
イドで映し出されたりするのも、単純なのにとても効果的。何か重大なメッセージを自分の細胞の
中にインプットされる感覚に襲われる。
実は私はトーキング・ヘッズの「ストップ・メイキング・センス」というライブアルバムをリアルタイム
で聴いたことがあり、ほとんどのナンバーは耳に馴染みがあるものであった。しかしながら、LP
(この時代はまだCDではなかったのだ)で聴くのと、映画で観るのではまったく違う。もちろん、
良くできたライブアルバムではあるのだが、このライブが実はこれほどまでにインパクトの強いパ
フォーマンスだったとは!気分をハイにさせ、信じがたいほどの陶酔をもたらしながらも、あくまで
も斬新でクールなこの作品。一つの芸術の完成した形を見 る思いがした。
監督:ブライアン・ギブソン
出演:スティーブン・レイ、ビリー・コノリー、ジュリエット・オーブリー、ジミー・ネイル、ブルース・ロビンソン
「ユーライア・ヒープよりはちょっと人気があった」ロックバンド「ストレンジ・フルーツ」は伝説のロッ
ク・フェスティバル「ウィズベック」で燃え尽き、1977年に解散した。そして20年後。格好良かった
メンバーたちもすっかり中年のオヤジに。トニーはコンドームのセールスマン、ビーノはトレイラー住
まい、レスは屋根職人。唯一音楽業界に留まっていたヴォーカルのレスも、すっかり過去の人と
なっていた。そこへウィズベック20周年の記念コンサートのため、再結成しないかという話が舞い
込み、トニーと、バンドの裏方をしていたカレンの二人はちりぢりになっていたメンバーを集めてツア
ーに出発する。しかしかつてバンドが解散したのはは仲間割れが原因だったことから、メンバーたち
は相変わらずの遺恨を引きずっている。さらに、カリスマ性を誇ったブライアンは精神を病み、未だに
行方不明だった…。
10代がロックと共にあった私にはもうたまらない作品。特に、70年代のブリティッシュ・ロックとき
たもんだから、見る前から大いに期待していた。そして、その期待は裏切られることはなかった。もう
ロック好きにとっては、涙がちょちょぎれる場面のてんこ盛りなのである!
ジミ・ヘンドリックスの歯が一番の宝物と言っているトニー、君はエライ!もはや覚えている人の方
が少ないであろう、サイケデリック・ファーズのツアーバスを払い下げてもらってツアーに出発すると
いうエピソードにもニヤリ。楽曲はすべてこの映画のために、フォリナーのミック・ジョーンズを中心に
ELOのジェフ・リンなども参加して書き下ろされたとのこと。さらに、元スパンダー・バレエのゲイリー
・ケンプもアドバイザーとして参加しているのだ。ウィズベック・フェスティバルのモデルは、ブリティッ
シュ・ロック好きならみんな知っているレディング・ロック・フェスティバルだし、青春の日々が思わず
甦ってきてしまう。(イギリスのバンドという設定だから、やっぱりブリティッシュのミュージシャンに作
曲して欲しかったという気もするけど、そこまで期待するのも酷かな)
一音楽ファンであった私がこれだけ興奮しているのだから、かつてステージでスポットライトを浴び
ていたおじさんたちは、さぞかしこの再結成に血湧き肉踊ったことだろう。しかしそこまでの道の険し
さは半端ではなかった。音楽を離れて20年。もう50歳近いロートルたちは、もはやあの頃のように
声も出ないしテクニックも衰えている。外見も、おじさんとしか言いようがない。ブライアンが抜けた穴
はいかんともし難いし、メンバー間の確執も未だに引きずっている。意気揚々とツアーに出かけたも
のの、廻るのは小さなライブハウスばかりだし、観客は若者ばかりで、ストレンジ・フルーツが活躍し
ていたなんてことも知らなければ、おじさんたちの音楽を理解することもできない。いきおい、みんな
若くて生きのいいバンドに目が向かってしまう。
それでも、やっぱり「音楽」は素晴らしいのだった!髪が薄くなったり、太ったりしてしまった中年〜初
老のかっこわるいおじさんたちが、ステージ上で見せる生き生きとした顔は魅力的で、なんだかとって
もかっこいい。良くも悪くも彼らは子供ぽさが抜けていない気もしてしまうが、いつまでもロックが大好き
な少年の心を忘れていないということで許してしまえる。40代になろうと、50代になろうと、人生はや
り直せるんだ、やりたいことをやるのが人生だ、と思わず私も元気が出てきてしまう。
そんな彼らを見守るのが、マネージャー役のカレン。メンバーではない女性が登場し、しかもこの再結
成に一番一生懸命だったのが彼女だというのが、この映画のスパイスになっている。ブライアンの元
恋人であり、今はシングルマザー。年頃となった娘もツアーに同行させ、バンドそのものの母親役も演
じている彼女はとても可愛らしくて、ロックしていて素敵。心にぽっかりと開いてしまった穴を埋めるため
に青春をやり直そうとする彼女には強い共感を抱いてしまう。カレンに不器用な恋心を抱くトニーもちょ
っとせつない存在だけど、いい感じ。
彼らに限らず、メンバーの一人一人のキャラクターが立っているのが、この作品の魅力となっている。
笑いのパートを受け持つ自意識過剰ナルシストのレス。オペラ座の怪人を思わせる怪奇メイクやら、古
城に住んでグルーピー上がりの夫人がいることやら、いちいちステロタイプなロックスターぶりで笑わせ
てくれる。そんな彼が、このバンドに加入する前にヴォーカリストだった今は亡きキースと、その兄であ
るブライアンには複雑な感情を抱いていた。のちほど登場するブライアンの素敵なことと言ったら…。壊
れてしまいそうな繊細さ、優しい瞳、カレンならずともメロメロになってしまいそう。
物語そのものは、結末がミエミエとなってしまっているけど、愛すべきオヤジたち(+カレン)の奮闘と、
熱く流れるロックのスピ リットが最高に素敵なので、私はもうこの作品は大好き、と言ってしまえる。ラ
ストのウィズベックでの復活のシーンには、思わずじーんと熱いものがこみ上げてきた。
監督:ルパート・ウェインライト
出演:パトリシア・アークエット、ガブリエル・バーン、ジョナサン・プライス
信心深い人間の体に、イエス・キリストが磔にされたときに負った傷と同じ傷が現れるという現象が
スティグマータ(聖痕)だ。実際にこの現象は世界中で起きているらしい。また、マリア像が血の涙
やインゲンの涙を流すという出来事も報告されている。
アメリカのピッツバーグに住む美容師のフランキーは、神も信じない普通の女性。しかし、母親から
ブラジルで買ったというロザリオを贈られてから、彼女の身に様々な怪現象が起こる。突然体の数カ
所から出血し、むち打たれたようにのたうち回るというショッキングな出来事が何回も起きたのだ。
そのことを新聞の記事で知ったバチカンは、科学者でもあるアンドリュー神父を彼女の元へ派遣し、
それが果たして奇跡なのか、それとも違う現象なのかの調査を命じる。アンドリューは、無神論者の
彼女に、このような現象が起きることはあり得ないと一度は判断する。が、やがて、彼女の生命その
ものが危機に瀕していることを悟り、彼女を救おうとするが…。
人間を救うために存在しているはずの宗教が、あるときには人間の命を奪おうとするものになってし
まう、その恐ろしさがこの作品のテーマの一つである。フランキーは、あるとき何者かに取り憑かれ
て、古代ギリシアの言葉「アラム語」を自室の壁に一心不乱に書く。この文章は、キリストが磔にさ
れる直前に弟子に遺した福音書の文章であるが、バチカンはこの福音書の存在を認めていない。こ
の福音書は、偶像や教会の存在を否定し、神は人間の中に存在するものだとしているからだ。この
福音書の言葉を伝えるフランキーはバチカンにとって邪魔な存在となる。聖痕による傷から苦しんで
いる上、無神論者であるのにバチカンから迫害されるフランキーを守ろうとするのが、アンドリュー神
父。カトリックの神父である彼は、当然女性と関わり合いを持つことは禁じられている。だけど、苦し
む彼女を黙って見ていることができなくて、彼女を助けようとするアンドリュー。聖職者のタブーを超
えた恋愛感情が、ここにはある。
フランキーはとても現代的な女性。神様なんて信じていないし、夜な夜なクラブで踊り、ボーイフレン
ドはいるけれども、でも本当に愛しているかどうかなんてわからない。どちらかというと刹那的な生活
をしていると言ってもいい。しかし、そんな彼女に、聖痕という、禍としか思えないような怪現象が起
こってしまうのだった。4回も傷を負った彼女。キリストは、5回目の傷が致命傷となった。あと一回
傷を負えば、彼女も命を失うかも知れない。そして、初めて彼女に、「生き抜かなければならない」と
いう強い意志が生まれたのであった。試練を乗り越えた彼女は、強く美しい女性に生まれ変わった
ように見えた。そしてアンドリューもまた、これまでとは違った人生を送るのではないかと思わせた。
この映画にはいくつかの欠点がある。たとえば、フランキーに贈られたロザリオは、亡くなった神父
から持ち去られたものであり、それを手にしたことが原因でフランキーにこの禍がやってきたという
ことが冒頭でわかってしまう。しかしながら、このロザリオを手にしたというだけで彼女にあれだけ
の苦しみ、試練が起きてしまうのはなぜか、その謎は最後まで解かれない。「聖痕」そのものは、た
とえ苦しみではあっても、神による恩寵であるのだそうで、結果的にはその現象が起きた人物に救
済をもたらすものらしいのだが、キリスト教に詳しくない人間には、ちょっとわかりづらい。最終的に
彼女のこれからの人生がどうなったのか明示されていないところにも、ちょっと不満が残る。
しかし、ストーリーはさておき、不思議な魅力を持った作品ではある。まず、役者は素晴らしい。主演
のパトリシア・アークエットの役は23歳という設定だそうだけど、いくらなんでもそこまで若くは見えな
いけど、不安に苛まれる若くて刹那的な女性をリアリティを持って演じていた。聖痕を受けたときの、
血塗れになってのたうち廻る動きや、何者かに取り憑かれたときの鬼気迫る演技はすごい迫力。そ
して、アンドリュー役のガブリエル・バーン!「エンド・オブ・デイズ」では悪魔を演じた彼だが、今回は
神父。彼のように魅力的な俳優が禁欲的な神父を演じると、とってもセクシーに見えるから不思議だ。
フランキーならずとも、恋してしまうだろう。あんなに素敵な男性が、禁欲生活を送っているなんて…。
聖職を失う覚悟でフランキーを救おうとする彼を見ると、もう腰が砕けそうになってしまう。いやぁいい
男だ。
監督はMTV出身とのことで、映像は大変洗練されている。常に逆光気味の光線が、不気味な印象
を与えるがスタイリッシュだ。怪現象にフランキーが襲われたところのフラッシュバック効果も効いて
いる。そして、クライマックス、まるで天啓を受けたかのように、光に包まれ、十字架にかけられたキ
リストのように両手を広げたフランキーが宙に浮くシーンは鳥肌が立つほど美しい。映像の美しさに
大きな価値を見出す人は、この映画を観て損はないと思う。宗教ホラーには珍しく?音楽もマッシブ・
アタックやビヨーク、デヴィッド・ボウイ、スマッシング・パンプキンズなど現代的でかっこよくきまって
いる。
俳優の魅力と映像の美しさ、スタイルを楽しむための映画だという気がする。内容について深く考え
るよりも映像に酔うという楽しみ方が向いている作品だ。