暗戦 デッドエンド Running Out of Time

監督:ジョニー・トゥ
出演:アンディ・ラウ、ラウ・チンワン、ヨーヨー・モン

余命4週間と診断された男が、コンサルティング会社の支配人を人質に、高層ビルに立て
こもる。彼は、交渉人に重犯罪課の刑事ホーを指名し、彼に「72時間ゲームを楽しむ」と
告げると逃亡。男はホーに接触してヒントを与え、高層ビルに侵入させた後、マフィアが持
っていたダイヤを奪う。いつしかホーと男は奇妙な友情で結ばれるようになった。72時間
の終わりが近づき、男は、ダイヤをめぐるマフィアとの取引場所をホーに知らせて、彼らを
逮捕させる手はずを整えさせる。そしてついにホーは男に手錠をかけるのだが…。

「ロンゲスト・ナイト」「ヒーロー・ネバーダイ」など同じくジョニー・トゥ、ラウ・チンワンのコンビ
で撮られた通称「ダーク・トリロジー」はダークでバイオレンスが炸裂するノワールな作品だ
った。しかし、今回はアンディ・ラウという二枚目大スターを主人公に据えているということも
あって、あの救いがたいほどの強烈はバイオレンスは息を潜めている。代わりに、よりエン
ターテインメント性を増し、一般の人にも受けるようなつくりになっている。「ダーク・トリロジー
」の作品群に出てくる濃厚な男気と情念は薄れているので、やや物足りなくはなっている
が。

私自身は映画のレビューを書くときに他の映画を引き合いにするのがあまり好きではない
のだけど、香港映画というのはそもそも他の映画の良いところを貪欲に取り入れていくもの
だと思うので敢えて言うと、前半は「交渉人」、後半は「ノッキン・オン・ヘブンス・ドア」にちょ
っと雰囲気が似ているような気がした。それに華やかなスターを配しているので、つまらない
作品になるはずはないのだ。

最初、アンディ・ラウが演じる男の正体というものが一切明らかにされない。なぜ彼がビル
に立てこもるのか。ダイヤを盗み出して金を得るのが目的だとしても、余命幾ばくもない彼
にはお金などほとんど意味を持たない。そして、なぜ彼が交渉人にホーを指名し、彼に情
報を与えるようになるのかも、当初は謎である。しかしながら、話が進んで行くに連れて、
次第にそれらの謎は解き明かされていく。時間との戦いであることから緊張感を保ちなが
らも、ホーとの友情や、バスの中で出会った女性との一瞬の恋など息抜きも用意されてい
て、楽しめる作品となっている。復讐と死しか考えていなかった男が、ホーと知り合い、淡
い恋も知ったことで、生への執着が生まれる。そして自分はこの世に何を残すことができる
のだろうか、と彼が考えた結果は、最後のオチにうまく生かされている。

この作品で金像奨(香港のアカデミー賞)を受賞したアンディ・ラウは、さすがスターの貫禄
がある。もともとウォン・カーウァイ作品などで血を流しながらナルシスティックに死んでいく
役柄が多い彼であるが、ここでも彼は期待を裏切らない。末期ガン患者であるという設定
から、血を吐きながら苦悩する姿はとても絵になる。さらに、老人に変身したり、女装したり、
サービス精神満点で見る者を楽しませてくれる。ファンにとってはたまらないし、ファンでな
くてもその格好良さにしびれること間違いないだろう。(女装にはちょっと笑ってしまったけど)

しかし決してアンディ・ラウがカッコイイだけの映画ではない。「受け」の立場であるラウ・チン
ワンだが、彼の演技のうまさは、受け身の時でも際だつのだ。犯罪者から直々に指名を受
けたときの戸惑い。男とのやり取りで四苦八苦しながらも、愚直までに職務を全うしようとす
る姿。そして職務規程ギリギリで奇妙な友情をはぐくんでいくときの戸惑い。ラストに見せる
男気、と実に素晴らしい。大傑作、というような作品ではないけど、エンターテインメント性は
満点だし、香港映画ファンには必見だ。

SHOW ME LOVE Fucking Amal

監督・脚本:ルーカス・ムーディソン
出演:アレクサンドラ・ダールストレム、レベッカ・リリエベリ
スウェーデンの田舎町オーモルに住む16歳のアグネスは、1年半前に転校してきた学校
に馴染むことができず、一人も友だちがいないことで自己嫌悪に陥っていた。一方、14歳
のエリンは可愛くてイケている女の子だけども、退屈な田舎町、知性の感じられない男の
子たちしかいない生活に飽き飽きしていた。アグネスの誕生日パーティに退屈しのぎに姉
と出かけたエリン。嫌われ者のアグネスの家には、他に誰も来ていなかった。しかし、二人
の少女たちの人生は、この夜、大きく変わるのであった。

アグネスは内向的でクラく見える女の子だが、他の少女たちと同じような生き方をしていな
くて、「違う」存在だった。この若さで、彼女は自分を確立しようとしていた。彼女は、レズビ
アンであることを自覚していて、エリンに恋していたのだ。その一方で、友だちの一人もいな
い、誕生日パーティに誰も来てくれないような自分はダメな、みじめな人間だと悩み、揺らい
でいた。

エリンは一見チャラチャラしているけれども、でも、こんなつまらない町で人生を終えるのは
嫌だと思っていた。大きくなったら、ここを出て都会に行ってモデルか心理学者になりたい。
「つまんない男と結婚して、子供を産んで、つまんない主婦になって、あげくの果てにダンナ
は若い女の元に走り、あたしは子供を抱えて苦労するの。そんな人生、まっぴら!」っていつ
も思っている。でも、まわりの子たちは、男の子にモテることしか考えていない。自分も男の
子には不自由はしないけど、でも言い寄ってくるような男の子たちもみんな退屈。こんな日常
はもうイヤ!と思っていたのだ。

このように閉塞した生活を送っていいた二人の少女。アグネスの部屋に半ば押し掛けるよう
にやってきたエリンは、アグネスがレズビアンであることを知り、からかい半分、だけど「他の
女の子たちとは違う」彼女に興味を持ってキスをする。意気投合した二人は、ヒッチハイクで
大都会ストックホルムを目指そうとするのだが、失敗。
そしてやっぱり「普通の女の子」であることを捨てきれないエリン。次の日、わざとアグネス
に冷たくしたり。挙げ句の果てには、前から自分に言い寄っていた男の子と付き合うように
なって初体験をしてしまう。もしかしたら自分はレズビアンなのかも、と考えることから必死に
逃げようとしていたのだ。

女の子同士の恋愛を扱った作品であるが、同性愛がメーンテーマというわけではない。思
春期の少女が、いかに自分らしく生きていくかということを模索することをみずみずしく、そ
してリアルに描いている。好きな相手にわざとつれなくしたり、電話をしようと思ったら家族
が近くにいて思わず切ってしまったり。他の相手に気のあるふりをしたり、と誰でも身に覚え
のあるエピソードが積み重ねられている。つまんない男の子なんかより、自分をちゃんと持っ
ている彼女の方が好き。でも、彼女はまわりからは浮いている存在だし、それにレズビアン
だなんてわかってしまったら、みんなにはなんて言われるんだろうか?!そんなコト絶対に
言えない!

でも、ついに二人は勇気を出して、扉を開けるのだ。エリンがついに決意し、二人で堂々と
手を組んで、「私たち愛し合っているの」と言いながら歩いていくシーンの、なんて爽やかな
ことよ。

彼女たちの心の揺らぎが実に絶妙に描かれている。もしかして、脚本を書いた人は、実際
に14歳や16歳の女の子になったことがあるのかもしれない、というくらい台詞の一つ一つ
が良くできているのだ。アグネスの物わかりの良い父は言う「同窓会で25年ぶりに同級生
たちに会ったら、昔は全然大したことなかった人が人生で成功してたりするんだよ。お前も
今は友だちがいなくたって」と。でも、アグネスは「25年後に幸せになったって意味がない
の。あたしは今すぐ幸せになりたい」って答える。そう、若い女の子は誰でもそう思っている
だろう!二人とも、どういうキャラクターなのものすごく良くわかるし、実際に存在しているん
じゃないかと思ってしまうほどリアル。
ヒロインの二人だけでなく、彼氏のことばかり考えている軽薄なエリンの姉や、いいヤツな
んだけど優柔不断でエリンには物足りないヨハン、ちょっと意地悪なエリンの友だちや、ア
グネスが仕方なく仲良くしている車椅子の女の子など、脇のキャラクターもしっかりと描けて
いる。北欧らしく、雰囲気がダサ可愛くてお洒落なのも良いし、エリン役が可愛くて色っぽい
だけでなく、冴えない女の子という設定のアグネスも、知性的な魅力が光る美人だ。

もしかしたらエリンは再び男の子と付き合うようになるかもしれない。知的なアグネスは、
エリンが物足りなくなるかもしれない。だけど、二人とも、この出会いと愛を通じて、かけが
えのないものを手に入れたのだ。「みんなと一緒」という呪縛を逃れ、堂々と自分らしく生き
る」ということを。思春期の女の子にはぜひ観て欲しい作品だと思うし、それ以外にも、自分
らしく生きることを模索しているすべての人に必見の映画だ。

白い花びら  Juha

監督:アキ・カウリスマキ
出演:サカリ・クオスマネン、カティ・オウティネン、アンドレ・ウィルムス

田舎町に住むユハとマルヤの仲むつまじい夫婦。二人はキャベツを育てて生活し、幸せに
暮らしていた。ある日、彼らの住む村に、オープンカーに乗った身なりの良い男がやってく
る。ユハに車の故障を直して貰った彼は、マルヤに「君のように美しい女性はあんな男に
はもったいない」と囁く。そして数週間後この男シェイメイッカに連れられ、マルヤは都会へ
と逃れる。しかし都会に着いたとたん、シェイメイッカの態度は豹変し…。ついにユハは、
妻を取り返すべくある行動に出る。

20世紀最後のサイレント映画と称するこの作品は、モノクロームの画像で、台詞はなく、
字幕で表現される。しかし完全にサイレントというわけではなく、音楽や効果音は鳴ってい
るというパートトーキーの形式だ。音楽は終始朗々と鳴り続け、台詞がない分映像表現や
俳優の表情に注目してしまうため、実に雄弁な作品となっている。

もともとこの物語「ユハ」は、フィンランドの国民的作家ユハニ・アホ(笑ってはいけない)に
よるもので、すでに2回も映画化されている有名な作品なのである。もともとは16世紀か
ら18世紀頃を舞台にした話で、どちらかというと通俗的で陳腐とすら言えるようなストーリ
ー。しかし、この映画は、まずどの時代が舞台となっていているかはっきりせず、時制も曖
昧にしていることから、ありがちな物語と相俟って、一種の普遍性を帯びさせている。

冒頭、野菜が市場でたくさん売れ、お金が沢山入って大喜びする二人。「二人は子供のよ
うに幸せでした」という字幕が入り、無邪気で本当に幸せそうな二人の姿を見ることができ
る。ここでの彼らの幸せな姿が印象的なだけに、物語が悲劇に転じていく様が悲しく切ない。
シェイメイッカはいかにも胡散臭そうな(ミッキー・ロークが50代になったらこんな感じになり
そう)雰囲気をプンプンさせているのに、甘い言葉やプレゼントで簡単に引っかかってしまう
マルヤ。妻を奪われてしまうとはつゆ知らず、シェイメイッカに親切に接する純朴なユハ。マ
ルヤは強い陽射しの中でうたた寝するシェイメイッカのために木を折り木陰を作ってあげるの
に、そんな彼女の気遣いにも気がつかず蝶を踏みつぶしてしまうシェイメイッカ。マルヤやユ
ハの美しい心と、シェイメイッカの品位の無さが、物語が進むにつれて際だってくる。そして
一気に畳みかけるラストを通じて、人間の気高い心の尊さを描いた作品になっている。

しかし決して悲しいだけの作品ではなく、悲惨な話なのにそこはかとないユーモアが漂って
くるのがいかにもカウリスマキらしいというべきか。シェイメイッカの車の修理しようとしてうま
くいかないユハは工具を抱えたまま寝てしまうし、シェイメイッカに恋してしまったマルヤは、
畑で採れたばかりのキャベツを彼の顔に見立ててため息をつく。「こんな年の離れた男と結
婚するなんて」とシェイメイッカは言うが、ユハのほうがシェイメイッカよりも10歳以上若いの
も何となくヘンだ。

それにしても、台詞がないのにこれだけ雄弁な物語を作ってしまうというのはすごい。いかに
普段私たちが台詞に気を取られて、俳優の細かい表情や感情表現を見逃しているかという
ことを実感させられてしまう。それだけ、この作品の画面作りや演出、演技が高度であると
いうことなのだが。中でも、マルヤの見開いた悲しげな瞳は忘れられない。

モノクロの映像、そして台詞のない作品ということで、昔のサイレント作品を思わせる部分も
あるのだが、20世紀の終わりに、このような一見古くさい物語をこのような手法で作ってし
まい、しかも普遍性を帯びさせてしまう。音楽は終始大きくてクリアな音で鳴っているし、ど
こか最新のテクノロジーで作られたという雰囲気を感じさせることもあって、やはりこれはと
ても斬新な作品なのではないかと思った。