マルコヴィッチの穴 Being John Marcovich

監督:スパイク・ジョーンズ
出演:ジョン・キューザック、キャメロン・ディアス、キャサリン・キーナー、ジョン・マルコヴィッチ

売れない人形遣いのクレイグは生活のために、ビルの7階半にオフィスがある会社に
就職することになる。そのオフィスに偶然見つけた穴。そこに入ると、なんとあの個性
派俳優ジョン・マルコヴィッチの頭の中に入り込んでしまい、15分間だけマルコヴィッ
チになれるのだった!クレイグは、同じフロアの会社に勤める魅力的な女性マキシン
と組んで「ジョン・マルコヴィッチ・ライド」という商売を始める。

別の人間の頭の中に入り込む。しかも、その人間は名の通った俳優であり、セレブレテ
ィである。誰にとっても、堪えられない経験であるに違いない。マルコヴィッチという他人
の目を通してこの世界を見るというのは、なんとも奇妙だけど楽しい。

クレイグは人形遣いとしての才能は抜群のものを持っていた。映画の冒頭の人形劇で
は、自身の苦悩を見事に表現。街頭に立っては「アベラールとエロイーズ」の物語を実
に繊細に、狂おしい熱情を発しながら上演するのだが、あまりにもエロティックな人形の
動きを見て動転した通行人に暴行されるという被害に遭う。彼は、就職先の7階半のオ
フィスに勤務するOLのマキシンに恋をするが、なかなか取り合ってもらえないため、マキ
シン人形を製作し、夜毎彼女との愛を演じてみせる。あふれる才能を持ちながらも、生
活のために7階半の奇妙なオフィスで働かなくてはならないクレイグ。

(以下、未見の方は読まない方が楽しめると思います)


クレイグの妻ロッテはマルコヴィッチの中に入ることで、自分の隠されていた願望を知る。
男の目で世界を見ることにより、まったく新しい自分を発見した彼女は、すっかりこの穴に
ハマってしまう。彼女はマルコヴィッチの中に入った自分を通して、愛情の醒めかけていた
クレイグではなく、マキシンを愛する。マルコビッチの体を通してマキシンと愛を交わすロッ
テのはしゃぎっぷりと言ったら!全く新しい世界に目覚めた彼女だったのだ。マキシンを挟
んで、夫婦二人が相対するという不思議な三角関係の誕生となる。

クレイグには、秘められた願望があった。自分が人形遣いとしての才能を世間に認められ
ること。そして、愛する女に振り向いてもらうこと。オフィスの中にあった、15分だけマルコ
ヴィッチになれる穴というのは、彼にとって格好のチャンスであった。偶然見つけられた穴
なのだが、そういう願望を持つ彼を待っていた、出会うべくして出会ったものだったのだ。

新しい世界を発見したロッテに対し、クレイグはマルコヴィッチの中に入ることによって、
自分がこれまでどんなに願っても手に入れることのできなかった願望を叶えようとする。
人形遣いの彼にとって、マルコヴィッチに入り込んで彼を操るというのはお手の物。マル
コヴィッチに入ってついに彼の中に居座ることに成功した彼は、自分自身の姿では実現
できなかった、マキシンと愛し合うということも実行し、さらに、マルコヴィッチを人形遣い
にしてしまった!彼の願望は叶えられたように見えたのだったが…。

「穴」をめぐる3人のキャラクターの姿勢の違いがとても面白い。自分の願望に固執して
実現させるためにマルコヴィッチに入り込むクレイグ、新しい欲望に目覚めるロッテ、そし
て自分自身は決して穴に入らず、でも穴を利用して欲しいものを手に入れるマキシン。し
かもこの3人は三角関係にあるのだ。しかも、決して美人ではないのに、この作品の中
で最も魅力的に描かれているマキシンは、見事にこの三角関係の頂点に君臨するので
あった。

というわけで、人間が他の人間の頭に入り込むとどういうことになるのか、ひいては、人
間の人格って何?願望を実現させるにはどうしたらいいのか?それから輪廻転生とは、
といった深遠なテーマまでもが隠されている作品となっている。あの穴は、どこか産道を
思わせるものがあって、それが後半の輪廻転生的なプロットにつながっていくのだ。

エレベーターを無理矢理こじ開けて7階半で降り、屈んで立たなければならない7階半の
オフィスといい、胡散臭い「7階半の成り立ち」のビデオ、言語学の修士なのに言葉を聞
き間違える秘書といい、前半のヘンさは相当笑える。15分間マルコヴィッチの中に入った
後、ポーンとニュージャージーの高速道路脇に放り出されるのも、まるでアトラクションか
ら降ろされるみたいで楽しい。こんな突飛で楽しい映画を作りだしてしまった人の想像力
はすごいなあ、と思った。

他にも、マルコヴィッチが自分自身の頭の中に入ってしまったときの強烈な世界や、ロッ
テの飼うチンパンジーのトラウマが描き出されるという、斬新でインパクトの強いシーンが
あって、これは強烈、座布団二枚だ、と声をあげそうになった。

だけど、後半、すっかりクレイグがマルコビッチの中に住み着いた後、「器」という概念が
登場しだしたところから急に話が難解になり、説明も端折っており、楽しさがなくなって作
品のパワーが失速してしまった感がある。そして、ちょっと哀しくて不条理なエンディング
へ。エンディングそのものは良くできている。だけどやや説明不足ということもあって、オ
チだけでなく、話の流れそのものもわかりにくい。前半というか3分の2はとても楽しかっ
たのに非常に残念だ。

なんといっても素晴らしいのはジョン・マルコヴィッチ。かなり自分を茶化したような場面も
多いのに、名優の風格を、余裕の演技で発揮。実際のジョン・マルコヴィッチとはおそらく
ちょっとずれているであろう「人々が「ジョン・マルコヴィッチってこういう人だ」と想像しそう
なマルコヴィッチ像、ロッテが入っているマルコヴィッチ、クレイグに操られているマルコヴ
ィッチをそれぞれ演じわけているのが凄い。クレイグに操られて、人形遣いの人形のごと
く奇妙な振りで踊る姿などは抱腹絶倒である。これを見ると、やはり「ジョン・マルコヴィッ
チという俳優の中に入り込む」というプロットでなければならなかったんだな、と実感。

後半の演出にかなり難があるものの、やはりこの斬新さは特筆もの。前半のシュールで
かつノリノリな楽しさで突っ走ってくれて、かつあのような結論が導き出されたら最高に
凄い作品となったんだろうに。あまりにも惜しい。

ボーイズ・ドント・クライ Boys Don't Cry

監督:キンバリー・ピアース
出演:ヒラリー・スワンク、クロエ・セヴィニー、ピーター・サーズガード、ブランドン・セクストンIII

実際に起こった「ブランドン・ティーナ事件」に基づた作品。ブランドンは南部ネブラスカ
州のフォールズ・シティに流れてきた魅力的な若者。しかし実は彼は性同一性障害の
女性だった。ブランドンはラナという女性と愛し合うようになるが、あることがきっかけで、
実は女性であることが明らかになる。そのことを知った仲間たちは、彼女を許さなかっ
た…。

ブランドン・ティーナという青年は恐ろしいまでの魅力を秘めている。しかも、女性が彼
を演じているのに、仕草といい、一生懸命粋がる様子といい、どうみても男の子そのも
の。青臭くて、大胆で向こう見ずで、若い男の子特有の色気を持っているのだ。彼が
モテるのも無理ないと思う。実際には女性であった彼は、女性にとっての理想の男性
を演じているのだから、たしかにひどく魅力的に見えたということもあるだろう。

しかし、どんなに男の子の格好をしたとしても、生物学的には彼は女性。膨らんだ胸を
サラシを巻いて隠し、月に一回月経も来るので男の格好をしていながら生理用品を買
いに行かなければならないという屈辱。服を脱いだときの、細くて華奢な腰。それでも、
彼はやっぱり「男」なのだった。自分の中の「男」らしい部分を試すために、彼はアメリカ
の中でもマッチョな流れ者の男たちが集まるネブラスカのフォールズという街へやってく
る。

フォールズでの生活は楽しかった。定職も持たず、昼間から酒を飲んで仲間とたむろす
るホワイト・トラッシュ(クズ白人)たちは、彼を仲間と認めた。魅力的な彼は、仲間の女
性たちにも人気を得た。その中のラナという女性と恋に落ちる。幸せな日々がしばし過
ぎていったが、やがて彼の正体が仲間たちにばれてしまう。

ブランドンを女性だと知った仲間たちは、彼を許さなかった。なぜか。彼らの住んでいた
ネブラスカのフォールズ・シティはバイブル・ベルトと言われる保守的な地域で、ブランド
ンのゲイの従兄も「フォールズ・シティの連中はオカマを殺す」と彼に警告したほどだ。

だけど、それだけが理由ではない。ブランドンは、そこらへんの男性よりもよほど、若い
男の子の色気、イノセントさ、ピュアさを持っていて、非常に魅力的な若者だった。しか
も彼は信念を持って、「生物学的な性ではなく、自分の心が命じる性」を生きている人
間だったのだ。自分らしく生きるために、数々の障害を克服して、心の欲するままに生
きているその姿。田舎町にくすぶり、定職もなく、クズとしかいいようのない生活を送っ
ているジョンをはじめとするフォールズの連中からすると、うらやましくて仕方なかった
のだろう。彼らは、ブランドンが否定したくて仕方のなかった、彼の中の「女性性」を思
い知らされるために彼をレイプする。そのときのブランドンの激しい悲しみ、苦しみと言
ったら…。

ブランドンを愛したラナは、ブランドンが自分の生きたいように生きている姿を見て彼を
愛したのではないかと思った。彼女も、この保守的で希望も未来もない地の果てのよ
うな田舎町での、行き止まりのような生活、単調な仕事に飽き飽きしていたところだっ
た。そこへ、男として生活できるようになったことでキラキラ輝いている、ブランドンとい
う存在がやってきた。眩しくて仕方なかったのだと思う。だから、ブランドンが実は女性
であると言うことがわかっても、「それがどうしたの」と彼を愛し続ける。ジョンたちがブ
ランドンの服を脱がせて、肉体的には女性であることを彼女の目の前に突きつけても、
「彼は男よ」と言い続ける。生物学的な性ではなく、心がどっちであるか、ということが
彼女には大切だったのだ。この二人の愛には、思わず胸を締め付けられてしまうほど
の美しさ、悲しさがある。

この役でオスカーを得たヒラリー・スワンクの演技が秀逸。冒頭に述べたように、本当に
男の子にしか見えない。文字通り体当たりで、おそらく傷だらけになってまで挑んだ、
まさに一世一代の名演技と言える。ブランドン・ティーナは、ただ自分の信念のために
殉じた聖者というわけではなく、彼に住まいを提供してくれたキャンディスの小切手を
使い込んだり、交通違反の審判に出頭しなくて留置所に入れられるような、ちょっと半
端なワルだったりするのが、またリアルでいい。

この物語そのものには、救いはない。ブランドンはジョンたちに犯され、乱暴され、そし
てついに最愛の恋人ラナの目の前で殺されてしまう。強姦シーンや殺人シーンもドキ
ュメンタリー・タッチで、吐き気を催すほどリアルである。ブランドンが二人の男たちに
代わる代わる犯されているところなど、見ている側ですら男たちに対して猛烈な殺意、
憎しみが起きてしまうほどだ。

毎日のようにヘイト・クライムが起きているというのが、アメリカの現実。だけど、ブラン
ドンのように、勇気を持って、身の危険まで冒しても信念に基づいて生きてきた人間が
いたということは、尊いことだし、彼の物語はずっと語り継がれるだろう。重い、限りな
く重い物語だが、心にずしんと響いて離れない。単なる憎しみから、罪もない人々が殺
されていく。憎しみは誰も幸せにはしない。この現実から、目をそらしてはいけないのだ
と、心から思った。