監督:ヨンユット・トンコントーン
出演:チャイチャーン・ニムプーンサワット、サハ−パーブ・ウィラーカーミン、ジョージョー・マイオークチィ
ゴッゴーン・ベンジャーティグーン、ジェッダーポーン・ポンディ、シリタナー・ホンソーポン
オカマであることを理由に、バレーボールの選抜チームに落とされたモンと、彼の親友で
やはりゲイのジュン。そんなとき、ランバーン県の代表チームにおなべの監督が就任し、
選抜をやり直すという。ジュンとモンは実力を発揮してチーム入りを果たすが、他のストレ
ートの選手たちは、ハンサムなチャイ以外の全員がチームから脱退してしまった。仕方な
く同じゲイの友人たちをチームに勧誘するジュン。チャイ以外の選手が全員オカマというチ
ーム「サトリ−レック」が誕生した。彼女たち?のチームは連戦連勝、本大会に進出した。
が、オカマチームの躍進を快く思わない大会委員会は、なんとかして彼らの優勝を阻止し
ようとする。
なんと、タイで実際にあった話の映画化ということだ。一人一人の登場人物にモデルが存
在し、おなべの監督などは、本当にそっくりだ。お化粧していて、見るからにオカマという
感じのノンが軍人だったりして、タイってオカマに寛容な国なのかも、と思ってしまった。
もちろん、彼らがゲイゆえに差別されるエピソードはいくつか出てくる。唯一ニューハーフで
美しいピアには恋人がいたが、結局彼は女性の恋人に乗り換えてしまう。ウィットは親に
ゲイであることを隠していて、女性とお見合いさせられるし、大会委員長はなんとしてでも
彼らの優勝を阻止しようと姑息な手を使う。でも、暗さは微塵も感じない映画だ。美しくは
ないけど明るくて元気でかわいいジュンがとにかくポジティブなのが、この映画の魅力の
多くを作っている。そんな彼のありのままを受け入れ、応援する両親もほほえましい。差
別や失恋などいろんな悲しいことを乗り越え、悔しさはコートの上で蹴散らす彼ら(彼女た
ち?)の姿はとても爽快だ。
ユーモラスな場面がふんだんにあるのも楽しい。唯一のストレートであるチャイは、一生懸
命ゲイ差別をしないようにはしているのだけど、やっぱり自分以外全員オカマだという事実
に時々切れそうになる。負けが込んできたとき、彼は「化粧禁止令」を出す。ところが、化
粧を禁じたところ、急にチームが弱くなってしまうというのがおかしい。髪の毛を切られたサ
ムソンのようなものだ。仕方なく、「化粧してもいい」となったとたん、また彼らは強くなるの
だ。美しくあることが彼らの力となり、強くなることによってさらに輝き美しくなるのである!
監督の誕生日に、チームのメンバーが「プリシラ」よろしくハデハデに仮装して歌い踊るとこ
ろも最高に幸福感にあふれた楽しいシーンだ。
前述したように、主人公的立場のジュンちゃんの魅力といったら、もう光り輝いている。な
んてかわいいんだろう!「水牛のよう」といわれるいかつい顔立ちなのに、とっても女の子
な軍人のノンとか、母親のように彼らを見守る監督とか、一人一人がとても素敵なキャラ
クターとなっている。
基本的にはスポ根モノというわけなんだけど、試合のシーンが比較的少なめなのに不満を
感じる人はいるかもしれない。ラストに、実際の「サトリ−レック」の試合の映像が流れるの
だが、さすが本物の選手だけあって、映画の中とは比べ物にならないくらい本格的で強い
のがわかってしまい、映画の中で俳優が演じるベレーボールはへなへなだというのがわか
ってしまうのがちょっと損。結末も、お約束どおりといえばその通りなのであるが、そのベタ
さ加減は、安心して見ていられるものだ。。
でも、この映画には底抜けの明るさと、「細かいことは気にしないで前向きに行こうよ」と
いう気分があふれていて、楽しい。彼ら(彼女ら?)が自分たちがゲイである以上、人一倍
がんばって努力して強くなり、偏見をはねのけなければならないという強い意志が感じられ
るが、決して深刻にはならないのがいい。この映画からは、自分もがんばらなくっちゃ、とい
う勇気を与えられた気がする。こんなすがすがしい作品に突っ込みを入れるのは野暮。楽
しまなくっちゃ損だ。
監督:ヴィルジニー・デパント、コラリー・トラン・ティ
出演:カレン・バック、ラファエラ・アンダーソン
ポルノビデオに出演歴のあるマニュはレイプされ、その仕返しをしようとした兄を、彼女は
もみ合いの末殺してしまう。一方、娼婦のナディーヌは上品ぶったルームメイトと口論の
末やはり絞め殺してしまった。そんな二人が偶然知り合い、意気投合してあてのない旅
に出る。旅の途中に出会う人たちを片っ端から殺しながら…。
マニュとナディーヌは数え切れないほどの人たちを殺していく。それも、大きな憎しみを抱
いた相手というわけではない。男を誘惑してセックスを楽しんだ挙句殺していく快楽殺人。
金目的に女性を襲っての強盗殺人。乱交クラブに集う人たちも片っ端から殺していく。果
たして、彼女たちがこんな行動に出た理由は何だったのだろうか?
マニュにしても、ナディーヌにしても、『ナチュラル・ボーン・キラーズ』の殺人カップルのよ
うな凶暴人間ではなかったはずだ。マニュは男に輪姦されて泣き、好きだった兄を殺して
しまって動揺する普通の若い女の子だった。そんな彼女たちがなんで残酷な殺人を続け
られたのだろうか。ひとつは、男社会に対する嫌悪と閉塞感だろう。女が男によって暴力
をふるわれレイプされる性であるという世の中に憎しみを抱いたということ。だから、彼女
たちは逃亡先で男を誘惑し、自分たち主導でセックスを楽しみ、そして最後には殺すの
だ。欲望の赴くままセックスし殺すという行為は、彼女たちがその人生の中で初めて、自
分の思い通りにできたことなのだった。一人ではできなかったことも、もう一人似たような
境遇の仲間に出会ったことで、背中を押され、どんどんエスカレートするのである。
だけど、そうやって人を殺しつづけ逃避行することは、当然のことながら彼女たちの心に
暗い影を落とし、物理的にも、精神的にも彼女たちを追い詰めていく。だって彼女たちは
生まれついての殺人鬼ではないのだから。殺せば殺すほど無防備になっていくマニュの
おびえた子供のような表情がとても印象的だ。そして彼女たちは、こんなことがいつまで
も続くわけはない、終わりが近づいているということを感じ取り、終わりにおびえながらも
やはり背中を押されないとその一歩を踏み出すことができない。こんな凶悪な彼女たち
だけど、弱い人間なのだ。出会った当初は、「二人なら無敵」だと思う彼女たちだったが、
それは嘘であるということに気づいてしまイ、追い詰められる。
この作品は、フランスで上映禁止となった映画だということだが、それはなんとなくわかる
気がする。冒頭に書いたように「なぜ、彼女たちはこのような大量無差別殺人を行ったの
か」という「なぜ」の部分が弱いからである。男にレイプされた、希望が持てない、といった
ことは描かれている。が、そのあたりが中途半端で、なまじ彼女たちの感情が描かれて
いる割には、自分をレイプした男を殺すのならまだしも、単に金を奪うために寂しそうな女
性を襲って殺したりすることまでは同情できないと思われたから、反倫理的だと思われた
のだろう。(原作では彼女たちは子供までも殺したということだが、逆にそんなことまでも
平気でやってしまうんだったら、逆に「ナチュラル・ボーン・キラーズ的モンスターとして受
け止められ、作品としてはかえって受け入れられやすかったかもしれない)
そういう「理由」の部分が十分には描かれていない割に、彼女たちの犯罪行為の一部始
終、非常に残酷なシーンまで収められているということも、上映禁止の理由だと思われる。
銃を構えて男を射殺する彼女たちの仕草はとても決まっているけど、でもやっぱり傷つい
た見返りにこんな風に人を殺しまくるのは、かえって悲しいというかカッコ悪いことである。
こんなのに影響されるような人はいないと思うから、別に上映禁止にする必要はないと思
うのだけど。
かくのように未熟な面が目立ち、残酷性のある映画だけど、だからといってまったく価値が
ないとはいえないと思う。男二人組やカップルの殺人紀行映画というのは腐るほどあるが、
女性二人が快楽殺人を重ねるというプロット自体珍しい。それに、彼女たちの悲しみ、どう
しようもない閉塞感、おびえ、社会への嫌悪と訣別、それゆえ血よりも濃くなっていく二人
の結びつきが「わかる」わけではないけれども、どこか胸に引っかかるものがあるからだ。
そして、この作品に勢いだけはあるということは認めざるをえない。