スターリングラード Enemy at the Gates |
監督:ジャン・ジャック・アノー
出演:ジュ−ド・ロウ、レイチェル・ワイズ、ジョセフ・ファインズ、エド・ハリス、ボブ・ホスキンズ
1942年、9月。ウラル地方の羊飼いだった平凡な青年ヴァシリは、まるでナチスの強制収容所
に向かうかのような列車に乗せられ、激戦地であるスターリングラードへ降り立つ。装備に劣る
ソ連軍の兵士たちはバタバタと倒れ、ほぼ全滅状態かと思われたとき、ヴァシリはナチスドイツ
の兵士たちを百発百中の精度で撃ち倒す。それを目撃した若き将校ダニロフは、この天才スナ
イパーをプロパガンダに利用することにし、ソ連軍の戦意発揚にヴァシリは大いに貢献すること
になる。ヴァシリは美しくインテリでもあるレジスタンスの女兵士ターニャと恋に落ちるが、ターニ
ャを愛している男はもう一人いた。ヴァシリの親友となったダニロフである。一方、ドイツ軍も、戦
略上の重要な拠点であるスターリングラードを陥落させるため、手をこまねいているわけには行
かず、軍きっての狙撃の名手、貴族出身のケーニッヒ少佐が送り込まれてきた…。
冒頭の、ヴァシリがスターリングラードに到着したところの20分間の映像は凄い。鉛色の空。列
車を降りた若い兵士たちは、ヴォルガ河を渡る船に乗せられるが、雨あられのように砲撃が降っ
てくる。恐怖に駆られた兵士が川に飛び込んで逃げようとすると、上官が容赦なく射殺する。船
を降りたらそこは死の町、廃墟と化したスターリングラード。銃の数が足りなくて、2人に一人しか
支給されず、運悪く支給されなかった兵士は、武器も持たずに、単なる動く標的として叫びなが
ら敵に突っ込むしかない。前を走る銃を持つ者が倒れたときに、ようやく武器を手にすることがで
きるのだ。バタバタと倒れていく兵士たち。退却しようとした者は味方に撃ち殺されてしまう。そ
んな地獄絵図に、観る者は打ちのめされてしまう。これ以上迫力のある戦闘シーンが、この映画
の残りでは出会えなかったのが非常に残念だが。
羊飼いの祖父に仕込まれた射撃の才能を認められ、文字も読めない素朴な青年ヴァシリは一躍
ヒーローに仕立て上げられる。スナイパーとして彼が倒した敵の数が毎日共産党の機関紙に載り、
ファンレターも沢山舞い込んでくる。ターニャに字を学び、一通一通丁寧に返事を書く誠実なヴァシ
リだが、そんな彼が400人以上のドイツ軍兵士を倒したのであった。戦争というものは、どんな善
人でも、人殺しに変えてしまう。一人を殺したら殺人犯だが、400人殺したら国民的な英雄になっ
てしまうのである。
さて、かくのごとくハードに始まった映画だが、やがて、ヴァシリ、ターニャそしてダニロフの三角関
係の物語へと変容していく。ダニロフは、自分の書いたプロパガンダ記事によってヒーローとなった
が、決して驕ることなく自分を慕ってくるヴァシリに特別の親しみを感じていた。ヴァシリの存在が
軍の士気高揚に役立ったことで、ダニロフもまた出世ができたということもある。ダニロフは美しく
強く教養のあるターニャをひそかに愛し、自分の近くに置いておきたいため内勤に転属させる。し
かし、彼女の心をつかんでいたのは自分ではなくヴァシリだったのだ…。高い地位にあるエリート
の自分ではなく、国民的な英雄とはいえ田舎の羊飼いで、自分がその地位に引き上げたヴァシリ
をターニャが愛していたとは。嫉妬と、ヴァシリへの友情の谷間でダニロフは苦悩する。メガネをか
けた細身のジョセフ・ファインズは、『兵隊やくざ』の田村高広をどこか思わせ(するとジュ−ド・ロウ
は勝新太郎か?)、恋と友情の苦悩をそのまなざしにこめている演技が非常に真に迫っている。
そして、エリートゆえ、これまではすべてを頭で考えてきた彼は、ついに自滅してしまうのであった。
この映画でもっとも切ないキャラクターである。
ところが、肝心のジュ−ド・ロウ、レイチェル・ワイズという美男美女のカップルの恋のほうは、さほ
ど盛り上がらずとってもありがちな展開で進むのが面白くない。唯一どきりとしたのは、塹壕の中
での、ラブシーンである。他の兵士に感づかれないよう、息を潜めて愛し合う二人だが、思わず漏
れ出す吐息の官能的なこと。そして(吹き替えかもしれないけど)戦闘服の中から覗くレイチェル・
ワイズの白いお尻は、ダークな画面の中でまぶしい光を放っていた。この濡れ場だけは身震いす
るほど魅力的であったのだけど、恋愛というのは、勝者よりも敗者の物語のほうについ感情移入
してしまうということがあって、こちらの勝者の恋愛にはさほど感情を動かされなかった。それに戦
争映画で、明日死ぬかもしれないのに恋なんて…と思ってしまうということもあった。戦争映画とい
うと、いうまでもなく、国と国との戦いであるはずなのに、数少ない登場人物の視点に矮小化され
てしまっているのである。
もうひとつの話の軸は、ヴァシリに対抗してナチス・ドイツが用意したもう一人の名スナイパー、ケ
ーニッヒ少佐とのスナイパー対決である。エド・ハリスは、バイエルンの貴族出身のこの男にふさ
わしい品格のある役者だ。ケーニッヒは、息子を戦争で亡くしていて遺品の鉄十字章(『戦争のは
らわた』にも登場した勲章)を身に付けている。彼のように高い地位にいる男が、こんな激戦の地
に、一スナイパーとしてやってくること自体、非常に異例のことなのだけど、それだけドイツがこの
戦いに気合を入れているという証明だ。そして、ケーニッヒは非常にプロ意識の高い人物であるこ
とも示している。
ところが、こちらのほうの対決も、期待したほど力のあるエピソードではなく、意外な形であっさりと
決着はついてしまう。どうして、最後にケーニッヒはふらふらと塹壕の中から出てきてしまったのだ
ろうか?また、ヴァシリと親しくしていた靴磨きの少年サーシャがスパイとして活動するエピソード
がとても残酷な終わり方をしてしまうので、後味が悪い。
この映画は、一つ一つのエピソードは非常に丁寧に作られているし、俳優もとてもいい演技をして
いる。赤の広場のオープンセットや、終始曇り空のどんよりとした空気などの雰囲気も素晴らしい。
だけど、とにかくバランスが悪いのだ。
前半の圧倒的な戦闘シーンで一気にテンションが上がったのに、戦場であるにもかかわらず戦い
よりも、うじうじとした三角関係が話の中心になってしまい、テンションは急速に下がってしまう。恋
愛部分とスナイパー対決の部分が重なり合うのが、本当に一瞬だけなのが、散漫な印象を与えて
しまっているのだ。スナイパー対決のときの、ヴァシリとケーニッヒ、さらにはサーシャの位置関係が
わかりにくいというのも、戦争映画としては大きな欠点になってしまっている。ソ連軍、ドイツ軍が両
方とも英語を喋っているというのも違和感がありすぎる。
でも、それぞれの俳優は魅力を最大限に発揮している。ジュ−ド・ロウは泥まみれになっても、あの
瞳の力が圧倒的に強くて、ますますその美しさを際立たせている。「I am a stone」という台詞をつぶ
やく彼には、思わず凍りつくほどのインパクトを与えられた。エド・ハリスの渋さ、ジョセフ・ファインズ
の切なさ、レイチェル・ワイズの情熱と、一流の俳優がそれぞれの持ち味に合ったキャラクターを与え
られ、持てる力を出し切っている。普通は「個」の部分を押し殺す戦争にあってスナイパーという、「個
」の部分を際立たせる役割を担い、出世とは無縁のヴァシリと、組織の中の人間(管理職)として生き
ているダニロフの対比の仕方もうまかった。戦争映画としてはバランスは悪いが、いいところもたくさ
んあるのだ。それだけに、メロドラマ的な展開が本当に惜しい。