監督:パク・チャヌク
出演:ソン・ガンホ、イ・ビョンホン、イ・ヨンエ
南北朝鮮の分断を象徴する板門店、共同警備区域(JSA)。北朝鮮の歩哨所で2人の
北朝鮮兵が射殺された。南の若い兵士イ・スヒョクがこの事件にかかわったとして取調
べを受ける。そして、スイスとスウェーデンからなる中立監督委員に、事件の解明がゆ
だねられることになり、スイス軍の女性将校で、スイスと韓国のハーフであるソフィが捜
査することになった。スヒョクと、北朝鮮側の生き残りであるギョンビルの陳述は食い違
い、やがて意外な真相が明るみに出るが…。
この映画は3部構成を取っていて、第一部では事件の提示、第二部では主にスヒョクと
ギョンビルの回想による南北の4人の兵士たちの交流が語られる。そして、第三部で事
件の全貌が解き明かされ、カタストロフィへと流れ込むのだ。食い違う証言が出てくると
ころは、まるで「藪の中」のようなミステリーである。
この映画の白眉は、なんといっても、北と南、いまだ休戦状態であり、戦時体制化にあ
る敵同士、北と南の兵士たちの間に結ばれる友情の輝き。彼らが友情を育んでいくプ
ロセスが実に丁寧に、きめ細かく描かれているのだ。誤って国境線を越えてしまったス
ヒョクが地雷を踏んでしまった。そこへ駆け寄っていく一匹の子犬。子犬を追って近くま
でやってきた二人の北朝鮮兵士に、スヒョクは助けられ、本来声をかけることを禁じられ
ている南北の兵士たちが、軽口を叩くのである。雪の演習場で二つの国の小隊が偶然
出会ったとき、タバコをくゆらせ余裕の表情を浮かべるギョンビル。やがて、スヒョクとギ
ョンビル、さらにはもう一人の北朝鮮兵士であるウジンは国境越しに手紙を投げあい文
通し、ついにスヒョクは分断国家を隔てる「帰らざる橋」を渡り北の歩哨所を訪れるので
あった。やがてスヒョクの弟分であるソンシクも…。もちろん、北と南の兵士が交流する
ことは重罪に値する行為である。
今は敵同士として板門店にてにらみ合う兵士たちも、元をたどれば同じ国の人間。一本
の橋で隔てられているだけで、彼らの間に大きな違いはないのだ。彼らは酒を酌み交わ
し、悪ふざけをして遊び、恋人の写真を見せ、そしてチョコパイを分け合う。ごく普通の友
達のように。こんな他愛もない交流が、いかにかけがえのないものだったのか。この友情
にいつか終わりが来るだろうと感じていただけに、余計に大切なことだったのだろう。スヒ
ョクの除隊の日が近づいたとき、彼らは記念写真を撮り、いつまでも別れがたく思ってい
たのであったが…。
「俺たちが、銃を向け合う日はいつか来るのだろうか」という言葉が胸に刺さる。かけがえ
のない友情をつむいだ4人。彼らは同じ民族であり、同じ感情を共有している。家族であっ
ても、朝鮮戦争のときの混乱で南北に引き裂かれてしまった人だっているのだ。4人がシ
ンパシーを持っていたことの証となるのが、彼らが歩哨所のラジカセで聞いていたキム・グ
ァンソクという夭折した歌手の歌「二等兵の手紙」。徴兵で板門店に送られ、故郷や家族を
懐かしみながらも任地での友情を歌った歌だ。その気持ちは、彼らに共通のものだったの
だ。だけど分断国家であり、同じ民族同士で戦っているという悲劇は、その友情すらも引き
裂いてしまうのだ。友情を守り抜くことができなかった悔恨に、ついに耐え切れなくなったソ
ンシク、そしてスヒョクの選んだ道はあまりにも哀しい。私たち日本人には、彼らの本当の
気持ちはきっとわからない。だけど、この映画を観ることで、彼らの悲しみが真実味をもって
胸に響いてくる。ラストにあの写真を持ってくるなんて、うますぎる。ここでもう涙が止まらな
くなる。彼らの悲劇は、朝鮮民族の悲劇なのであることを、ここで見事に象徴させている。
さて、この事件の調査にあたるソフィは、スイス軍の将校である。韓国人の血が流れてい
るとはいえ、彼女には、彼らの気持ちを知る由もなかった。彼女はただ、任務を忠実に遂
行して事件の真相を解明すればいいのである。しかし取り調べに動揺したソンシクが飛び
降り自殺を図ったことで、冷静で感情を見せなかった彼女は明らかに変化していく。事な
かれ主義を貫き、事実をうまく隠蔽すれば南北の関係にも大きな影響はないだろう。だけ
ど自らのルーツを知らされた彼女は、どうしても真実を知りたかった。そして、誰にも言わ
ないことを条件に、スヒョクの口から、あの日、いったい何が起きたのかを聞き出すのだが
…。
氷のように冷静なソフィがソンシクやスヒョクを見て少し人間的になり、彼らのためにも真実
を知りたいと思ったこと。良かれと思い真実を究明したことが、さらに悲劇を加速させてしま
うとは、なんて皮肉なことだろう。中立の立場に立って事件の捜査にあたった彼女が、自ら
のルーツを知ったことで、アイデンティティ・クライシスを起こしてしまったことも、また最後の
悲劇の引き金となってしまった。
3部構成の組み立ての見事さ。リアルに伝わってくる痛切な悲しみ。真相の行方が引っ張
る緊張感。ギョンビルを演じるソン・ガンホのカリスマ性と人間臭さを併せ持った魅力(北の
人間という得体の知れない不気味さを、彼がその豪放磊落なキャラクターで打ち消してい
る)。そして、何よりも友情がつむがれるプロセスの丁寧な描写。いよいよ韓国映画が成熟
してきたことの証拠である。そして、いつの日か、「帰らざる橋」を自由に行き来ができ、南
と北が一つになる日が来ることを願わずにはいられない。
監督:スティーブン・ブリル
出演:アダム・サンドラー、ハーヴェイ・カイテル、パトリシア・アークエット、リス・エヴァンス、
リース・ウィザースプーン、クエンティン・タランティーノ、オジー・オズボーン
地獄の魔王の三男坊であるニッキ−はヘヴィメタルに夢中で、地獄の統治には全く関心が
なく、お気楽な毎日を送っていたが、彼の二人の兄であるエイドリアンとカシアスは虎視眈
々と次期魔王の座を狙っていた。魔王は、息子たちに魔王の座を渡すのは時期尚早、とあ
と10万年の統治を続けることを宣言。それを不満に感じたエイドリアンとカシアスは人間界
に自分たちの地獄を作ろうと地上へと逃れる。地獄の門が氷で閉ざされ、新しい魂を受け
入れることができなくなった。そのため、魔王は自分の体が維持できなくなり、少しずつ体
が崩れて行く。ニッキ−は、父親である魔王の命を救うため、兄たちを連れ戻すという使命
を負うのだが、引きこもりである彼は、自分の部屋すら出たことがなかったのだ…。
バカ映画というのは数あれど、これだけ「くだらないけどお金をかけている」バカ映画はそうそ
うないと思う。キャストだって、ごらんの通りかなり豪華だ。ハーヴェイ・カイテルが下半身から
体が溶けていき、最後は口だけになってしまう地獄の魔王だったり、パトリシア・アークエット
がものすごく地味でださい(けど性格はいい)画学生。極めつけは、本人の役で登場してコウ
モリを噛んでしまうオジー・オズボーンだろう。オジー自身は実際にコウモリを噛んだとき破傷
風に感染しそうになったとかで、もう二度とコウモリは噛まないと言っていたのに…。よくもま
あ、みんなこんな役を引き受けたものだ!タランティーノの狂った神父とか、リース・ウィザー
スプーンの果てしなく軽いキャピキャピ天使なども見ただけで大笑い。
まず地獄の描写がグー。やたらお金がかかっていそうなのに、チープでキッチュ、まるで石
井輝男の世界のようだ。地獄の門番は魔王の怒りに触れて頭をオッパイにされてしまうだ
けでなく、ブラでそれを覆い、倒錯プレイにはまる。地獄に落ちたヒットラーはメイドの格好を
させられて毎日お尻の穴にパイナップルを突っ込まれる。いやはや下品だ。
そして思わずにやりとさせられるのがヘヴィ・メタルと悪魔を結びつけたギャグの数々。ニッ
キーが本物の悪魔の息子であることを発見したメタル・マニア二人組は彼を崇拝しちゃう。
オジー・オズボーンのレコードを逆回転したら悪魔のメッセージが聞こえる、という都市伝説
はとっても懐かしい。ところが、実はオジーではなくシカゴのアルバムでなくてはならなかっ
たというオチもついている。こういうギャグは、わかっている人にはとっても面白いんだけど、
果たしてそんなギャグが理解できる人がいるかどうかは???だ。オジー・オズボーンとコ
ウモリの関係も、知る人ぞ知るネタだしね。(私はオジーのコンサートも行ったことがあるくら
いだから、すっごくウケたけど)
ギャグが一つ一つ、とっても凝っていて楽しい。ボンクラなニッキーのお目付け役は、ビーフィ
というブルドッグなのだけど、このキャラがまた悪態をついてばかりの上、風俗やストリップが
大好きという下品なもの。引きこもり君なニッキーも、無数の小型クモに変身して走り回ったり、
(これにはお腹が痛くなるくらい笑った)エクソシストばりに顔を180度回転させたりと芸が細か
い。だけど、彼の魔力は全然たいしたことはなくて、せいぜいコカコーラをぺプシに変えること
くらいしかできない。おまけに、兄に殴られたせいで終始顔が歪んでいるのだ。ずっとあの表
情を維持するのは、さすがのアダム・サンドラーも相当きつかったのではないか?そんな彼の
父親が魔王のハーヴェイ・カイテルで、母親が天使のリース・ウィザースプーンで、天国と地獄
との合コンの結果生まれたいう設定も可笑しいではないか!
地上では無敵の力を誇るエイドリアンの悪さも相当なもの。彼は人々をマインドコントロールさ
せて、徹底的にモラルを崩壊させることで地上を地獄そのものに変えようとするのだ。このエ
イドリアンを演じるのがブリティッシュ変態役者リス・エヴァンスで、悪魔の扮装がやたらかっ
こよくきまっている。セントラル・パークでの兄弟対決は、最後は枕での叩きあいガチンコ勝負
というのもとってもあほくさいのだけど、似つかわしい。
いかにもアダム・サンドラーらしい、ボンクラだけど優しいキャラクターの主人公。下品なんだけ
どどこかほのぼのとした雰囲気。笑えるキャスティング、そしてマニアックなギャグと、個人的
なツボにははまりまくりで本当に楽しかった。しかもこんな内容のくせにバカみたいにお金が
かかっているのがよくわかるし。ラジー賞3部門ノミネートは自慢していい。しかし、これらの
ギャグを全部理解できる人が日本にはどれくらいいるのだろうか?(私も全部はわからない
けど)案の定、日本ではヒットしなかったみたいだけど、私はこういう馬鹿馬鹿しい映画が大
好き。
監督:ドナルド・ピートリー
出演:サンドラ・ブロック、ベンジャミン・ブラット、マイケル・ケイン、キャンディス・バーゲン、
へザー・バーンズ、ウィリアム・シャトナー
連続爆破事件の犯人から、FBIに次の犯行の予告が届いた。標的は、ミス・アメリカコンテス
ト。FBIは出場者の中に覆面捜査官を送り込むことになり、白羽の矢があたったのはグレイシ
ー・ハート。腕っ節は強く仕事一筋だが、ガサツで色気のかけらもない女性捜査官だ。彼女を
ミスコンの出場者にふさわしく磨き上げるために、美容コンサルタントのビクターが呼ばれ、コ
ンテストの理事長キャシー・モーニングサイドの協力が取り付けられた。果たして、グレイシー
はコンテストにふさわしい美女に変身できるのか、そして爆破事件の犯人はいったい誰か…。
サンドラ・ブロックのFBI捜査官姿がなかなか凄い。髪の毛は毛玉ができそうなほどボサボサ、
もちろんスッピンで眉毛もボーボー、分厚いメガネをかけている。おまけにブヒブヒ鼻は鳴らす
し、礼儀作法もまるでなっていない。よくもまあ、こんな強烈な格好をする気になったものだ。と
はいっても、やっぱりハリウッドのトップ女優ということもあって、そんな特殊メイク?状態でも
十分魅力的だ。たしかにおしゃれとは程遠いし女性らしさのかけらもないように見えるのだけ
ど、キックはカッコよく決まっているし、ひそかに憧れている上司エリック・マシューズとレスリ
ングのガチンコ勝負をしても負けない。もちろん、仕事は人一倍一生懸命やっている。外見を
飾っていなくても、それはそれで素敵なのだ。
そんな彼女が、仕事上仕方なく、美女に変身させられる。まるで美女製造工場のような場所に
送り込まれ、寄ってたかって改造させられるところがSFチックで可笑しい。欲を言えば、もっと
ドラマチックにとんでもない美女になっていればもっと良かったのだけど、それは仕方ないだろ
う。サンドラ・ブロックはどちらかといえば隣の元気なお姉ちゃんというイメージを売り物にしてい
るのであって、絶世の美女ではないのだから。それはさておき、これまで全然格好に構わなか
った彼女が、美女作りのスペシャリストであるビクターの手にかかって、まあミス・アメリカコンテ
ストの出場者の中にあっても違和感がない程度には綺麗になる。でも、この映画の面白いとこ
ろは、外見は美しく飾っても、実際にグレイシーの中身は全然変わっていないということ。相変
わらず立ち居振舞いはガサツだし、ハイヒールに慣れなくてしょっちゅうコケている。食いしん坊
でドレスの中にドーナツを隠し持っていていちいちばれたりするのもご愛嬌。
ミスコンに出場するなんてバカみたい、出場者のミスたちも頭がカラッポなんでしょ、と端からバ
カにしていたグレイシーだが、ミスたちと合宿生活を送るうちに、仲良くなる。中でも、同室となっ
たミス・ロードアイランドはとても性格がよくて可愛らしい。ただ、この映画で物足りないのは、グ
レイシーと他のミスたちとの心の交流が今ひとつ十分には描かれていないことだろうか。ミス・ロ
ードアイランド以外のミスたちの性格も描き分けられていないので、最後にグレイシーが「ミス・
好感度(原題の意味)に選ばれた根拠が希薄に感じられてしまう。結局、それぞれのミスたちだ
って馬鹿じゃない、彼女たちは彼女たちなりに一生懸命やっている、という共感がグレイシーに
芽生えたかというとそうじゃないんじゃないか、という気がしてしまうのだ。
その些細な欠点を除けば、なんとも楽しい映画である。親しみやすくちょっと下品で元気のいい
グレイシーのキャラクターは、サンドラ・ブロックには最高にはまっている。彼女の最大の当たり
役となるに違いない。事件が解決し、FBIに帰っていくグレイシーは、元の髪がボサボサ、ガサ
ツで色気がない状態に戻っているというオチが振るっているではないか!普通の映画だったら、
ヒロインは美しさに目覚めてだろうに。
オカマっぽい「ヒギンス教授」ことビクターを演じるマイケル・ケインも、プロ意識とプライドを持って
きてこの仕事に取り組んできたのに干されてしまった悲哀と、胡散臭さ、お洒落さがミックスされ
ていて非常に魅力的。もっともっと出番を多くして欲しかったキャラクターである。元ミス・アメリカ、
元絶世の美女で今もミスの呪縛から逃れられない、キャシー役のキャンディス・バーゲンも異常に
うまい。グレイシーがけなげにも片思いをしている上司エリック役のベンジャミン・ブラットも、プレ
イボーイぽい軽薄さと切れ者ぶり、そしてグレイシーを温かく見守る気持ちが両立していて素敵。
そんな片思いの相手を、ミスコンの審査の場で蹴飛ばしたり殴り倒したりするグレイシーは実に
天晴れだ。
ミス・コンテストの胡散臭さ、悪趣味さ(「ミスアメリカの歌」の合唱なんて極めつけの大時代的な
ダサさだ)と馬鹿馬鹿しいまでの大袈裟さを、「私が美しくなった100の秘密」のようにブラックに
笑い飛ばすのではなく、きわめて正攻法に、だけどちょっとだけ皮肉に描いているという視点が、
この映画に普遍的なエンターテインメント性を与えている。グレイシーの「チャーリーズ・エンジェル
」ばりのチロリアン・コスプレなんていかにもミスコン的だ。(サンドラ・ブロックも36歳にもなってあ
んな格好をさせられるとは思わなかっただろう)。ミス・ロードアイランドの火のついたバトン・トワ
リングもまた然りだ。クライマックスのミスアメリカの発表会場での爆発シーンの描き方も、派手
派手しくて、最後っ屁のようで職人的にうまい。
元通りの、外見に構わないダサダサのFBI捜査官に戻りながらも、魅力と自信を増して輝くグレ
イシーを見ると、女性にとっての美とはいったいなんだろうか、考えさせられる。外見ももちろん大
事なのだけど、中身が素敵だったら飾らなくてもおのずと外見も美しくなるってことだな。