ギフト The Gift

監督:サム・ライミ 脚本 ビリー・ボブ・ソーントン、トム・エッパーソン
出演:ケイト・ブランシェット、ジョバンニ・リビシー、キアヌ・リーヴス、ヒラリー・スワンク、
    グレッグ・キニア、ケイティ・ホームズ

アメリカ南部の田舎町。夫を事故で亡くしたシングルマザーのアニーは、カード占いで生計を
立てている。彼女の元には、暴力亭主に苦しめられるヴァレリーや、優しいが心の病んでいる
修理工バディなど、さまざまな人が相談にやってくる。アニーの息子の担任教師ウェインに、
彼女は好感を持っていたが、彼の婚約者ジェシカは行方不明になる。そして、アニーは恐ろし
い幻想に苦しめられるのであった。ジェシカの死体はヴァレリーの夫ドニー所有の池に落ちて
いるというものである…。

この映画には不幸な人たちがたくさん出てくる。ヒロインのアニーは予知能力を持っているの
だが、夫が事故に遭うのではないかという予感があったにもかかわらず彼を止めることがで
きなかったことで自分を責めつづけている。彼女の子供たちも、父親を失ったショックから立ち
直っていない。そして、残りの登場人物たちは、不幸な関係を持ちながらも、それを断ち切る
ことができずにかえって依存してしまう人々である。ヴァレリーは顔が痣だらけになるほどの
亭主の暴力と浮気に苦しみながら、別れることだけはどうしてもできない。バディは父親から
性的な虐待を受けてきたのに、そこから自立することができない。ウェインには町の名士の娘
で美しい婚約者ジェシカがいるが、彼女は男好きで、町じゅうの男たちと寝ていた。ウェインは
それを知りながらも、そしてアニーに惹かれながらも婚約解消をすることができない。彼らを苦
しめている者との関係を絶てば、不幸から解き放たれるだろうに、彼らはそれができないばか
りか、その関係に依存してしまうのであり、そのことにより、さらに不幸な結果を招くのである。
それでも、その関係に依存してしまう人間の弱さがよく描けている作品だ。

ジェシカはなぜ死んだのか、ジェシカを殺した犯人は誰なのか、という謎解きの部分は、犯人
が比較的簡単にわかってしまうので今一歩。だが、この作品においては、そんなことはどうで
もいいのだ。
それよりも、傷ついた人々の魂がいかに、最終的には救済をもたらしていくか、というエピロー
グのつけ方が見事で、思わず泣かされてしまったのである。「超能力モノ」であるので、その力
を持ったゆえ魔女狩りのような目に遭って狭い地域社会から疎外されるという話になるのかと
思ったが、そういう展開ではなかった。それでも、クローネンバーグの『デッド・ゾーン』に通じる
「特殊な能力を持つ人間の苦しみ」的な話ではあるが。

当然のことであるが、主演のケイト・ブランシェットは流石に上手い。オーストラリア人で、エリ
ザベス女王だった彼女が、ここでは超能力を持ったゆえ薄幸である南部女になりきっている。
恐ろしいシーンもいくつかあるのだが、彼女の演技は決してオーバーになることはなく、まなざ
し一つでその気持ちが伝わってくるものである。そしてもう一人すばらしい演技を見せてくれる
のが、心優しき精神障害者バディを演じたジョバンニ・リビシー。虐げられてきたものだけが持
つ独特の優しさと弱さを感じさせてくれるのだ。普段は温厚な彼が、虐待されてきた忌まわし
い記憶が甦らせ突如キレたりおびえたりするときの哀しさ。ドニーにサラの幼い息子が脅され
ているところを通りかかったバディが子供を助け、ドニーに向かって「俺を殺せ!」と叫ぶところ
の悲痛さ。狭い地域社会の中で、唯一彼を精神障害者だからといって差別せず親身になって
くれたアニーは、バディにとってかけがえのないたった一人の友達。それゆえ、彼もまた過剰
なまでに彼女に依存していた。ドニーの裁判で精神的に追い詰められ、ジェシカの幻影に苦し
められていた彼女は、バディの苦しみまで背負ってあげる余裕がなく、そしてバディは結局救
われなかった。だけど、そんなバディが、最後に思いがけなく贈り物をアニーに残す。それこそ
が、この映画のタイトルである「ギフト」(もちろん、本来はアニーの特殊な能力のことを指して
いるタイトルなのだが)なのだった。もうこの「ギフト」には滂沱の涙…。

もちろん、サム・ライミ監督作品なので、恐怖を掻き立てる演出は健在。アニーが夜中に何者
かに首を締められるような描写や時計のクローズアップ、出るぞ出るぞ〜といった雰囲気の盛
り上げ方は職人的だ。そして同時に、南部のどんよりとして濃厚な雰囲気も十分出ている。ジ
ェシカが眠っていた、もやの立ち込める池の描写なども見事。このような濃いコミュニティの重
苦しさ、閉塞感は、いかにも南部のホワイトトラッシュな女性という感じのヒラリー・スワンク演
じるヴァレリーが象徴的に表現している。(でも、キアヌ・リーヴスが女を殴るのが日常だという
レッドネックな男には見えないけど)

あと、一つ。全米のアイドルであるはずのケイティ・ホームズ、こんな「淫乱でしかも半分腐って
目が潰れている状態で化けて出てくるような役」でいいのか。しかも無駄に脱いでいるし。これ
はサービスと解釈していいのかしら?

非・バランス

監督:冨樫 森 脚本:風間志織
出演:派谷恵美、小日向文世、中村桃花、はたのゆう、土屋久美子、柏原収史、原田美枝子

13歳のチアキは、中学に入るときに二つルールを決めた。ひとつ、クールに生きていく、そし
てふたつ、友達は作らない、と。小学校のときにいじめに遭っていたチアキは、学校生活をサ
バイバルするために、このルールを作り学校でも一人ぼっち。でも、今でもいじめっ子のユカリ
の家に無言電話をかけつづけたり、万引きをしたりしている。そんなチアキが知り合ったのは、
オカマの菊ちゃん。菊ちゃんにだけは、心を開けるチアキであった。だけど菊ちゃんは元の恋
人の借金の連帯保証人になっていて、サラ金からの取立てがやってきていた…。


ハードボイルドに生きていくチアキの気持ちというのは、痛いほどよくわかる。私なんて、今の
職場では必要最低限の人間関係しか築かないつもりでいるから、ほとんど無駄話もしなけれ
ば食事を一緒にすることもない。余計な人間関係というのは面倒くさいし、学校や職場での人
間関係がこじれることほど大変なことはないと思っているからだ。大学時代の友人とは今でも
親しく付き合っているけれども、小学校や中学から続いている友達も皆無である。大学生くら
いになれば自我も確立されていて、本当に親しくやっていける人間を探すことができるけど、
中学生くらいでは難しいのだ。おまけにチアキにはいじめられた経験があるから、なおさらそう
だ。私も帰国子女だったこともあっていじめられていたので、彼女の傷ついた気持ち、余計な
人間関係を作りたくない気持ちは痛いほどよく理解できる。

でも、チアキの場合、すごく無理しているというか頑張り過ぎている雰囲気が漂ってきて痛々
しい。いつもホラービデオを借りるビデオ店の店員の誘いに乗って危機一髪、という状況にな
ったりする。(心が健全でないことを説明するためにホラービデオを使うというのは、あまりにも
ステロタイプ的な表現で良くないと思うけど) そんなチアキが出会ったオカマの菊ちゃんとい
うキャラクターがとっても魅力的!とにかく自由奔放で、開けっぴろげで、本音で生きていて、
しかも傷ついたことがあるものだけが持っている優しさにあふれているのだ。菊ちゃんの出て
いる場面は、画面もパッと華やぎ楽しい雰囲気でいっぱい。

菊ちゃんは中年で特に美しいというわけでもない、ただのおじさんオカマだ。「夜の蝶」というバ
ーを経営していて、オカマ仲間と楽しく毎日を過ごし、切ない恋の歌を聞かせてくれる。世の中
の固定概念とは全く自由に生きている菊ちゃんと、いじめによって学校生活から疎外されてい
るチアキという二人のアウトサイダーが出会い、シンパシーを感じる。菊ちゃんは、チアキの中
に自分と同じ匂いを嗅ぎ取ったのだった。チアキは、もっと自由に、自分の信じたままに生きて
いいんだということを菊ちゃんから教わる。菊ちゃんは母親のように優しく、ときには厳しくチア
キに接する。初めて、「友達」というものができて、人間関係というものが結べるようになったチ
アキ。

だけど、菊ちゃんにも弱点はあった。かつて恋人であった男の借金を背負わされて、サラ金に
負われていたのである。恋は盲目とはよく言ったもので、どう考えても理不尽な話だ。その男
は、菊ちゃんの純情を利用して借金を押し付け、自分は女の人と結婚して家庭を築いている卑
怯なやつ。彼を信じてはいけないということはわかっているのに、それでも惚れた弱みでつけ込
まれている菊ちゃんなのである。

チアキは、菊ちゃんとすごすうちに、自分の殻を破ろうと決意する。彼女の心を堅く閉ざす原因と
なっていたいじめの経験。決着をつけるために、いじめっ子のユカリと対決し、ついにユカリに勝
つ。ユカリに対して反撃したチアキの姿は本当に痛々しくて涙が出てきそうだが、この儀式を通
じて、チアキはいじめの呪縛から免れることができたのだ。いじめ経験者の私にはここはずしん
と来た。そして、菊ちゃんを元気付けるためにチアキはある計画を実行して、恩返しをしようとす
るというのも、素敵だ。

だけど、物足りないところもある映画である。一つは、一人でハードボイルドに生きていたチアキ
が、同じくいじめられていて自殺未遂をしたミズエと仲良くなる。同じように心の傷を持つもの同
士が、お互いの辛い気持ちを理解し合い、より優しくなれるというのはいいことだ。だけど、友達
がいることがいいことだ、という結論に持っていこうとするところに違和感を覚えた。別に一人で
ハードボイルドに生きていてもいいじゃない、と私などは思うのだ。なんかチアキとミズエの関係
って、単に似たもの同士が都合よく仲良くしているだけという甘えた印象が強すぎるし、ここに深
みはなく、ペラペラの関係なのだ。
あと、いじめっ子のユカリの描き方があまりにも表面的で、なぜ彼女がチアキをいじめたのか、
逆になぜチアキはいじめられたのか全然わからない。だから、いじめという事実のリアリティが
希薄なのだ。その辺がもう少しちゃんと描かれていれば、終盤のチアキのリベンジにも、もっと
彼女の心の痛みが伝わってきて良かったんだけど。

でも何しろ菊ちゃんが素敵だったからいい。私も菊ちゃんのような友達が欲しいもの。甘すぎる
というか、ちょっと安易な終わらせ方なのが惜しいが、それでもチアキの痛みを描こうとする意
思は感じられて(それが成功しているとは思えないけど)、心の琴線にビシビシ伝わってくる映
画である。

ハリー、見知らぬ友人 HARRY un ami qui vous veut du bien

監督:ドミニク・モル
出演:セルジ・ロペス、ローラン・リュカ、マティルド・セニエ、ソフィー・ギルマン

フランス語講師のミシェルは、妻と三人の娘を連れ、エアコンのない車で別荘でのバカンスに
向かっていた。暑さで幼い娘たちはぐったり。ふと立ち寄ったドライブインで、高校時代の同級
生と名乗るハリーという男に出会う。ミシェルはその男の子とを全く覚えていなかったが、むず
がる子供たちを冷房の効いた高級車に乗せてくれる親切な男を邪険にする理由はなかった。
ミシェルはハリーとその恋人プリュンヌを別荘に招待する。ハリーは、高校時代に文集に詩を
載せていたミシェルの文才を褒め称え、ミシェルは作家になるべきだと主張するが…。そして
悪夢が始まった。

ハリーという男はいったい何者なのだろうか。彼は、しがない講師のミシェルと違って、成功し
たイメージのある魅力的な男だ。ピカピカのメルセデスを乗り回し、セクシーな恋人を連れてい
る。ミシェルたちにポンと新車をプレゼントしてしまうほど気前がいい。そして自信がみなぎって
いる。そんな彼が、ミシェルが書いていたことも忘れていたような、高校時代の詩や小説を絶
賛するのである。なんだか不気味なんだけど、才能を誉められて悪い気がする人間はいない。
ミッシェルはいつしか、すっかりその気になって、小説の続編を書き始めるのである。だけど、
ハリーの親切はあまりにも度を越していた。ミシェルの才能を疑ったり、邪魔をする人間は許
さないのである…。

ハリーとは、まさにミシェルが「こうありたい」と思っていた人間を具現化した存在なのである。
もしかしたら、ハリーという人間は実在せず、ミシェルの願望が作り上げた幻なのではないか
と思ってしまうキャラクターなのだ。ミシェルが初めてハリーの存在に気づくのは、ドライブイン
での鏡越しで。ミシェルが鏡に映った自分の顔を見ていると、同じ鏡にハリーが映っている。
つまり、ハリーはミシェルの鏡像なのだ。

そして、ハリーというキャラクターは、非常に親切で紳士的なのだが、同時にとっても怖い人で
ある。彼の存在は、ミシェルとその家族に、じわじわと精神的にプレッシャーを与え、彼らはい
つのかにか得体の知れない恐怖のどん底にまで突き落とされるのだ。表面的には、ハリーは
何も恐ろしいことをするわけでない。ただ、ミシェルの才能を褒め称え、作家になるべきだと扇
動するのみ。そして、常識では考えられないほどの親切を与えるだけである。なのになんでこ
んなに怖いんだろう!そして、その恐怖が頂点に立ったとき、彼は止めようのない凶暴性を発
揮するのだ。しかし、その凶暴性すらも、ハリーにしてみれば、それはミシェルに対する親切心
から出たものであり、彼には悪意のかけらもないというところがますます恐ろしい。なぜ、彼は
過剰なまでにミシェルに親切なのか、全く説明されていないというのが、不気味さを増幅する。

ハリーの得体の知れない不気味さと、奇妙で悪魔的な魅力をたたえたセルジ・ロペスが強烈
な印象を残す。基本的に彼には愛嬌がある。いつも微笑を浮かべているが、彼が怪しい行動
を取り始めると、その愛嬌がとても気持ち悪く思えてくるのだ。この俳優を前に見たのが『ポル
ノグラフィックな関係』で、彼はナタリー・バイとセックスだけの関係を結ぶ男性として登場して
いる。そこでは、ハンサムではないが、好感の持てる人物として描かれているのだが,、この映
画でも、その印象を上手く利用しているのだ。親しみの持てる風貌に、肉々しくて毛深い肉体
が妙にエッチ臭い。そしてハリーは『倦怠』でも豊満な裸体を見せていたソフィー・ギルマンを
恋人として連れ歩いているように、精力的な男でもある。彼がセックスをする前に行う、生卵を
丸呑みするという奇妙な儀式もなかなか強烈だ。ハリーに憧れるミシェルは、この儀式さえも
真似をする。そして、その性欲の象徴である卵のアップが、同じようにきめ細やかなブリュンヌ
の豊かな乳房にすり替わる演出が鮮やかだ。「卵」は、ミシェルの溜め込んだ情念として、彼
がついに書き上げた小説のタイトルにもなる。ミシェルはいかにもハリーに振り回されそうな、
現状に不満を抱いていながらも、なかなか新しい一歩を踏み出せない男として描かれている。
その心の隙に上手く付け入ったのがハリーなのであったのか、それとも、その隙間を利用して
ミシェルが無意識に作り上げた幻の存在なのか。

善良そうだけど不気味な男ハリーが、いつその悪魔の尻尾を出すのか、ずっとドキドキしなが
ら見ていた。思わぬ方向に話は転がりだす。そして、悪意の感じられる静かなエンディングへ。
とてもシュールで、怖くて、奇妙でサスペンスフルな映画。英語以外の映画がなかなか受け入
れられないアメリカで、意外なヒットを記録したというのもうなずける気がする。