姉のいた夏、いない夏 Invisible Circus

監督/脚本:アダム・ブルックス
出演:キャメロン・ディアス、ジョーダナ・ブリュースター、クリストファー・エクルトン、ブライス・ダナー

1976年、サンフランシスコ。18歳になったフィービーは、7年前にヨーロッパへ出か
けたきり帰ってこなかった姉フェイスの足跡をたどる旅に出かける。画家志望だった
父の影響を受けて自由な精神の持ち主だった美しいフェイスは、1969年という熱狂
の時代に呑み込まれ、ポルトガルで自らの命を絶ったということだった。フィービーは
アムステルダム、パリと姉に導かれるように旅し、姉の恋人だったウルフを訪ねる。
今では平穏な生活を送るウルフはフェイスと過ごした日々を話してくれたが、肝心の
死の真相については黙ったまま。姉の遺体が発見されたポルトガルのエスピシェル
岬までひとりで向かおうとするフィービーに、ついていくことを申し出るウルフだったが…。

フィービーの思い出の中の姉は、光り輝くばかりに美しい。自由奔放で大胆な彼女
は、画家を目指しながらも平凡なサラリーマンとして人生を終えた父に愛されて育ち、
ラヴ&ピースの時代だった1960年代の熱気に浮かれていた。旅先のヨーロッパから
届く手紙には、新しい世界を知った驚きや歓びが綴られていて、そんな彼女が自ら死
を選ぶとは、フィービーはとても信じられなかっただろう。ウルフが語るフィービーの思
い出もまた、きらきら輝いている。フェイスを演じているキャメロン・ディアスがまた、肌
の荒れが目立つ最近の作品の彼女とうって変わって、本当に夢のように美しく撮れ
ている。ヨーロッパの光の中で髪を輝かせ花が開いたように微笑む彼女は、印象派
の絵画の中に出てきそうな、時が止まったかのような美しさを見せている。

思い出は美化される。それが、この世にはもういない人間の思い出だと、なおさらだ。
旅の途中で、政治運動に身を投じるフェイスだが、ベルボトムのジーンズを穿いて、
長い金髪を無造作になびかせ、汚れた格好になろうとも全然汚らしくならずにお洒落
で綺麗なのだ。それはリアリティとはかけ離れた、幻想の中の姿である。フェイスは
思い出の中にしか存在しないため、本当の姿ではなく、他の人たちの目を通しての
み描かれている。それゆえ、本当の人間というよりは幻のようにしか見えない。果た
して本当にフェイスという女の子がこの世に生きていたのか、と思ってしまうほどだ。

やがて、ウルフの口から、フェイスの死の真相が漏れる。フェイスが夢見ていた革命
の理想とはかけ離れた残酷な現実によって、彼女の夢は無残にも打ち砕かれ、彼女
は死を選ぶことになるのだ。ところが、この映画の欠点としては、その「残酷な現実」
のつらさが十分描かれていないため、最後まで砂糖菓子のようなふわふわと甘い夢
を見たままで終わっていて、60年代の熱狂の正体、時代の本当の姿や狂気、フェイ
スが死を選ぶに至ったほどの苦悩は伝わってこない。志敗れて散っていった若者た
ちへの鎮魂歌になっていれば、作品にもっと重みが出たと思われるのだが、甘く美
化された記憶だけの映画になってしまった。

さて、この作品の実質的なヒロインは、妹のフィービー。演じるジョーダナ・ブリュース
ターは前作の「パラサイト」ではデミ・ムーア似のビッチな学園の女王だったのに、こ
こでは内気で真面目そうな、だけどつぼみを開くとナイスバディな少女を演じている。
明るく華やかな姉とは対照的な彼女は、姉にコンプレックスを抱き、いつでも姉に憧
れていた。控えめに目立たぬように生きてきた彼女が、自分の殻を破るべく、姉のた
どった道を自分も歩いてみようと思ったのは一大決心に違いない。姉の幻影に導か
れるようにヨーロッパへと渡った彼女は、姉と同じ人に恋をする。だが、フィービーは
あくまでもフィービーであって、フェイスにはなり得ない。彼女は旅の終わりに、その
ことに気がつくのだった。幻だけ、記憶だけ、思い出の中にだけ生きているフェイス
ではなくて、今生きていて、花開こうとしているリアルな自分自身にならなくてはなら
ないこと。姉の幻を追うのではなく、自分らしく生きていかなければならないこと。そ
のことこそが、少女から大人の女へと脱皮していくことなのだ。

フィービーの成長ぶりが十分描かれているかどうかと聞かれたら、否と思ってしまう。
性的に目覚めることだけが成長、とはいわないのだから。(ポルトガルではフィービー
はウルフとセックスばかりしている)だけどサンフランシスコの家に元気良く「ただいま
!」と帰ってきた彼女の姿を見て、姉の幻影からは解き放たれ、自分自身になれたの
ではないかと感じた。

チェブラーシカ  CHEBURASHKA

監督:ロマン・カチャーノフ

アフリカで暮らしていた小動物チェブラーシカは、お腹が減ったのでオレンジを食べて
いて居眠りをしてしまい、オレンジの木箱の中に詰められてロシアに送られてしまう。
オレンジの箱を開けた果物屋がチェブラーシカを発見し、「ばったり倒れ屋さん」という
意味の「チェブラーシカ」という名前を付ける。そして動物園に連れて行かれるが、正
体不明の動物であるため預かってもらえず、電話ボックスの中で暮らすことになる。し
かしチェブラーシカは、友達を募集していたわにのゲーナと仲良くなったのだった…。

謎の小動物チェブラーシカの可愛らしさが、もう悶絶モノ!二頭身の体に不釣合いな
大きな耳。黒目がちの大きな目を上目遣いにされたりしたら、誰だってイヤとは言え
ない。首をかしげたりするさまも、死ぬほどキュート。彼(?)は自分でもその正体が
何者なのかわからないし、気がついたらロシアという見知らぬ国に送られてきてしま
っているので、時折さみしそうな表情を見せるのがたまらない。正体不明のせいで動
物園にいれてもらえなかったときに見せたしょんぼり、なんてときのしょげてしまった
様子の哀しそうなところなんて、かわいそうでかわいそうでジーンとしてしまった。そ
んな哀愁の動物チェブだが、それでもいつでも前向きで、人の役に立ちたいと思って
いて、頑張りやさんなのがいい。

3話のオムニバスになっているのだが、一話目では、ひとりで寂しい人たちのために、
友達になりたい人同士が集まって「友達の家」を建てる。ようやく完成したときのチェ
ブラーシカの挨拶「ぼくたち、みんなでがんばって、がんばって完成しました。ウラー!
!」の声のまた可愛らしいこと!鼻血が出そう、だ。

二話目「ピオネールに入りたい」では、共産主義少年団「ピオネール」の少年たちと
のお話。三話目の「チェブラーシカと怪盗おばあさん」は、怪盗で元スパイのシャパ
クリャクが、チェブラーシカとゲーナのバカンスの邪魔をするお話で、河川が工場の
排水によって汚されるのを、チェブラーシカがやめさせる。1969年〜74年にかけて製
作された作品なので、当然その頃のソ連の共産主義思想が反映されている物語に
なっているのが、気になる人もいるかもしれない。でも、あまりのチェブラーシカの可
愛らしさにそのことをすっかり忘れてしまう。

もうひとり魅力的なキャラクターが、ワニのゲーナだ。ゲーナは職業としてワニをやっ
ていて、昼間は動物園で働き、夜になると家に帰る。一話目の最初では友達がいな
くてひとりぼっちだったゲーナは、部屋でひとりチェスをプレイするけど、その姿には
哀愁が漂っていて、うら寂しい。いつもネクタイを締めたきちんとした格好をしていて、
常に紳士的なゲーナは、アコーディオンが得意だ。彼の弾くアコーディオンと歌がこ
れまた素晴らしい。哀愁のメロディは思わず胸を鷲掴み。三話目で、すっかり歩き疲
れたチェブラーシカを抱きかかえるため、こっそり自分の荷物を捨ててしまうゲーナの
さりげない優しさは、胸に染みる。

遠い国からやってきた謎の動物チェブラーシカといい、物悲しい旋律を奏でるゲーナ
のアコーディオンといい、友達が欲しくて仕方ないこの二人といい、全編に漂うそこは
かとないもの寂しさ、哀しさが、この可愛らしい人形アニメを子供向けのものにとどま
らない懐かしくて魅力的な作品にしている。少しずつチェブラーシカの顔立ちが違って
いるのもご愛嬌。素朴でアナログな手触りが生む豊かな表情の変化に魅せられる。

映画が終わったら、観客がみんなグッズ売り場に殺到したのも納得できる、素朴で
キュートな作品。私ももちろん、チェブラーシカぬいぐるみと本を購入。ゲーナの素敵
な歌が入っているCDも発売されないかな、と切に思う。