ブラックホーク・ダウン Black Hawk Down

監督:リドリー・スコット
出演:ジョシュ・ハートネット、ユアン・マクレガー、トム・サイズモア、エリック・バーナ
   サム・シェパード、ユエン・ブレンナー、ウィリアム・フィクナー、オーランド・ブルーム
   ジェイソン・アイザックス

1993年10月3日。アイディード゙将軍による略奪と虐殺が続くソマリア。首都モガディシオ
で米軍の司令官であるガリソン少将は、ババルギディル族の幹部集会が行われるビル
の周囲に空から降下し、アイディードの副官2名を捕らえる作戦を決行。作戦に参加する
一人、マッド・エヴァースマン軍曹は初めて班の指揮をとることに。12機のブラックホーク
・ヘリは目的地に到着し、隊員たちは降下するが、新兵ブラックバーンが落下して重傷
を負う。作戦は順調に見えたのだが、民兵に攻撃されたブラックホークが墜落。勢いづ
いた民兵の攻撃は激化し、負傷者を多く含む兵士たちが市内に取り残された…。15時
間にも及んだ凄まじい戦闘を、言葉を失うほど衝撃的でリアルな映像で綴った戦争の
真実。


この映画の立っているポジションって、すっごく微妙なところにあるんじゃないかと思う。
基本的には、反戦作品と言っていい。なぜかというと、戦争に行くとこんなにもヒドイ目
に遭ってしまうよ、ということを訴えているからだ。この映画を見て、戦争に行きたいなん
て思う人はよほどのアホか、自殺志願者だけだと思う。1時間でちょろっと作戦は終了す
るはずだから、こんなの楽勝、楽勝と思っていたらとんでもない。あまりにも悲惨すぎる、
残酷な死が待ち構えているのだ。報道写真でもおなじみだけど、虫の集団みたいにうじ
ゃうじゃ沸いて出て来る野蛮なソマリア人たちに裸に剥かれて、市中引き回しの上バラ
バラにされてしまったくらいなんだから、もう。誰だってそんな風に死ぬのはイヤだ。たと
え、英雄として祀られても、それが一体なんになるのかとこの映画では訴えようとしてい
る。

だけど、皮肉なのは、それでも結果的には、この映画は、絶望的な戦いに参加して、民
主主義を守ろうとした兵士達を、無駄死にだったにせよ、英雄扱いしてしまっているって
ことだ。(だって、亡くなった兵士達の名前をエンドクレジットに入れているってことは、英
雄視しているってことでしょう?)
そして、そんな無駄死にをもたらしていながらも、今もアメリカは、国際紛争に首を突っ込
んでは、さらに空しい死を自国民にもたらしているから、やっぱりアホだよね。


一応、アメリカのリベラリズムに対する批判的な映画である。「悪い独裁者に抑圧され
ている可哀想なソマリアの人たちを、正義の味方、世界の保安官たるアメリカが助けて
あげましょう」という大いなるお節介が、とんでもない事態を招いたわけだ。結果的に、ア
メリカ側に死者が出ただけでなく、ソマリア人が1000人以上も死んだわけだから、バカ
なことをしたもんだとことになっている。「一般市民=良い人、アイディード派や民兵=悪
い人」という単純な図式を、おめでたくも信じていた米軍が乗り込んだら、実際には一般
の人民の中にも、民兵はたくさん居るし、それどころか子供を抱いた母親とか、親子がい
きなり銃を向けてきたりするし、見分けることが著しく困難になっていたのだ。ホ〜ントに
リベラリストのみなさんはおバカさんでしたね、って伝えている。リドリー・スコットはイギリ
ス人の癖に、意外とタカ派で、グローバニズムとブッシュのアメリカを全面的に支持してい
るらしい。

戦争の悲惨さを伝えることには、とりあえずは成功している作品だ。戦争を体感させること
をメーンの目的にしている映画だからだ。戦場の中にいれば、ミサイルはびゅんびゅん飛
んでくるし、市民だと思ったのがいきなり襲ってくるし、ヘリコプターから飛び降りようとした
ら足がすくんで落ちてしまうし、気がつけば隣の奴の下半身がなくなっていたりする。怪我
をした戦友は、この世のものとは思えない苦痛に満ちた叫び声を上げているのに、助けは
一向にやってこないし、敵に完全に包囲されていて逃げ出すことも出来ない。戦場の恐ろ
しさや臨場感、カオス的な描写は確かに凄い。血と泥と埃にまみれ、何がなんだかもはや
判らない、ただ死の恐怖と阿鼻叫喚、究極の暴力を味わさせられるのだから、もうぐったり
と疲れてしまう。たしかに、震えが止まらなくなるほどの凄まじさだ。

だけど、臨場感のある映像を垂れ流せば、立派な戦争映画になるかというと、それは違う
と思うのである。よく、この映画を「プライベート・ライアンの冒頭30分の戦闘シーンが、2時
間くらい繰り広げられている作品」と形容している文章を見かけるが、シネマトグラフィ的に
も、演出的にも、「プライベート・ライアンの冒頭30分を目指したけれども失敗してしまった」
というほかはない。スワヴォミール・イジャックの、砂漠特有のギラギラした光線を表現した
撮影も悪くは無いが、(そして、12機のブラックホーク・ヘリが目的地に向けて飛び立ってい
く姿は、しびれるほどの美しさがあるのだが)やっぱりヤヌス・カミングスキの「プライベート・
ライアン」での奇跡的なまでに凄まじいキャメラワークにはまったく追いついていないのだ。
アフリカの美しい空や海、アフリカ人の肌の色の表現には驚くべきスタイリッシュさと美学が
反映されているのに、そのグラマラスさが戦闘シーンに生かされていないんだよね。

そして、演出。一つには、意図的に兵士に感情移入させることを避けようとしていて、まるで
記録映画のように演出をしようとしているのがよくわかる。泥や血で汚れた兵士たちの顔を
識別することはきわめて困難だし、兵士の心情面はなるべく省くことで、実際の戦闘のカオ
スを感じさせようとしているのだ。それはそれで、きわめて潔い判断だと思う。だけど、兵士
のキャラクターを描くのを極力避けたとしても、撃たれた瞬間の苦痛や、血や臓物の匂いが
伝わってこないようじゃ、イカンだろう。さらに、刺激的で暴力の極北である戦闘行為が延々
と繰り広げられているのはいいにしても、クライマックスとそうでないところの緩急の差もつけ
られていないから、いくら凄いシーンの連続でも、途中で飽きてきてしまう。非常に散漫に感
じられてしまう。

反面、実は感情移入を極力排除させようとした作品であるにもかかわらず、意外とセンチ
メンタルな面があるのも、バランスが悪い。一つの例としては、足に大怪我をした若い兵士
に、医療には全くの素人の別の兵士が動脈の手術を試みようとするというあまりにも痛そう
な場面があるのだが、この若い兵士の死というのが、あまりにも情緒的に、ベタベタに描か
れていて、あれれ?と思ってしまったのだ。ほかの戦争映画でもいかにもありそうなシーン
なのである。最後の、ジョシュ・ハートネットの独白も、非常に情緒的だ。それで、感情を極
力排したといえるのか?

それともっと大きな欠陥としては、兵士たちの位置関係が極めてわかりにくいところ。一機
目のブラックホーク・ヘリが撃墜されたのはどこで、アイディード将軍派が会談していたのは
どこで、そして傷ついた兵士達が包囲されて取り残されたのはどこか、という位置関係が全
然わからない。戦場において「誰が、どこで、何をしているか」がはっきりわからないようで
は、なんだか痒いところに手が届いていないみたいで、気持ち悪い。基地に残った兵士達
が、取り残された連中を救出しに向かうときなどは、位置関係がはっきりしていないと、ど
うやって向かっているのかもわらかなくなってしまう。たとえ、実際に混乱を極めていて、
兵士達が自分たちの位置関係がわからなくなっていたとしても、ある程度ガイドしてくれな
いと不親切なんじゃないかな。

この映画に対する批判としては、事実を冷静に描いているかのように見えても、客観的で
はなく、一生懸命中立を装うとしているが、やっぱりアメリカ側のワンサイド的な描写にな
っているんじゃないかというのが聞こえる。たしかに、最終判断は観客の目に委ねられて
いるのだが、一方的な事実を突きつけられても公平な判断は出来ないと思うのだ。
2機目の墜落したヘリを襲う、ソマリア人野蛮人軍団が「スターシップ・トゥルーパーズ」の
虫どもに見えてきてしまう描写がある。実際に、生き残った兵士の証言でもそう感じたの
だから間違った描写ではない。でも、やっぱりどっちか一方の証言を元にしている以上は、
多少の偏見が入ってしまうのは致し方ないということを、作り手は認めなくてはならないの
ではないかと思う。ソマリア人にしてみれば、「アメリカ人は俺たちのことを野蛮で凶暴な
未開民族としか見ていない」と思うだろうし。だったら、「これはアメリカ側から見て作った
映画です」と認めて、時折挟まれる下手なソマリア側の言い訳など排除したほうが良かっ
たんじゃないのかな。そうすれば、逆に公平な作品になったのかもしれない。

延々と批判的なことを書いてきたが、でも、商業性に背を向けてまで、独特のスタイルを
持った演出で戦争の真実を描こうとしたという、リドリー・スコットの実験精神は、賞賛に
値するものであると思う。そもそも、ソマリアでの軍事作戦そのものを知っている人はあ
まり居ないわけだから、「アメリカは、こんな馬鹿な失敗をしました。軍事作戦の失敗は
このように発生して、こんな感じで雪だるま式に最悪の事態になりました」というのが世
間の人に判ったというだけでも、意義深い映画であるとはいえる。この作品を教訓として、
アメリカもグローバニズムを押しつけたり、国際紛争に首を突っ込むのをやめてくれれば
いいんだけどさ。