メイプルソープ  MAPPLETHORPE A BIOGRAPHY

パトリシア・モリゾー著  田中樹里 訳    新潮社


ロバート・メイプルソープの写真に初めて触れたのは、1992年、東京都庭園美術館での
回顧展からである。それからしばらく私はすっかり彼の世界に耽溺し、ロンドンのヘイワー
ド・ギャラリーでの展覧会にも足を運んだ。実はメイプルソープについては、日本でも写真
集輸入にあたり裁判が起きている。わいせつ図書と言うことで、輸入禁制品に指定されて
いるとのことだ。ヘイワード・ギャラリーでの展覧会においては、日本には到底持ち込めな
いような、かなりポルノグラフィックな写真が多かったことに、衝撃を受けたのであった。私
が持っているカタログも、おそらく税関に見つかったら、没収されたであろう。しかしながら、
ペニスがモロに写っている写真においても、わいせつな感じが全くしないのが、メイプルソ
ープなのだ。人の肉体を徹底的にモノとして扱っている視点が感じられるからだろう。なぜ、
彼はそのような写真を撮ったのか、その答えが本著にある。

メイプルソープはカトリックの非常に厳格な家庭に育ち、常に「罪」という概念を意識して育
ってきた。父親は彼が男らしくあることを求め、父親に愛されたかった彼は、軍隊栄誉学生
団体にまで加入し、父親の母校であるプラット・インスティテュートに入学する。しかし、結
局父親の愛を得ることが出来なかった彼は、やがてアーティストになり、パティ・スミスと出
会い、そしてホモセクシュアルに目覚める。

メイプルソープは、夜な夜なクラブで男性を漁り、セックスの後で写真を撮影し、そして翌朝
には一転して冷たい態度を取るという毎日を送った。彼の嗜好はどんどん過激になり、SM
に走るようにもなる。しかし、最後まで、自分はホモセクシュアルであるということは両親に
知られたくなかった。典型的小市民である両親に理解されていないという現実から、目をそ
らそうとしていたのである。絶望的に親の愛を求めていた様子には、思わず胸をかきむしら
れるような哀しさがある。

一方、彼は徹底的に上昇志向の高い人間で、無名時代、チェルシーホテルに暮らし無一
文だった頃からコネづくりに励んだ。自分の名を高めてくれそうなパトロンを求め、恋愛も計
算ずくで行っていたのだ。才能においても、恋愛においても、自分の地位を脅かす可能性
のありそうな人間には激しく嫉妬し、自分の地位を彼らが奪わないように別の人間と付き
合うように差し向けたのである。また、ある時期から彼は黒人の美しい肉体の虜となるが、
恋人とした黒人男性たちには、愛情をもって接しながらも見下し、結局は彼らをズタズタに
してしまったのだ。この本を読むと、彼は相当嫌な人間であったことがわかるが、それにも
かかわらず、同時に人にこよなく愛される独特の魅力を持ち合わせていたことも理解できる。

やがて、サム・ワグスタッフという大金持ちで才能のあるパトロンと恋人関係になったメイプ
ルソープは、自らの売り出しに成功し、セレブレティとなるが、「成功を見届けるまでは死ね
ない」と言ったにもかかわらず、エイズに罹る。皮肉にも、彼の名をさらに高めたのがエイズ
であった。ワグスタッフをはじめ、恋人、友人、関係を持った人間がバタバタと倒れていき、
そして「自分だけは絶対にエイズにならない」と信じ、生きようとする強い意志があったにも
かかわらず、彼は42歳で命を落とした。

この伝記が非常に面白いのには、わけがある。著者のパトリシア・モリゾーは生前の本人
をはじめ、200人近い関係者にインタビューしたため、一つ一つのエピソードが生き生きと、
深みのあるものになっているのだ。彼が60年代のカウンターカルチャーの洗礼を受け、そし
てアンディ・ウォホールに憧れてマンハッタンにやってきたこと。同棲生活を送ったのが、後
にパンクの女王となる詩人のパティ・スミスだったこと。貧しい頃の彼らが、身を寄せ合って
都会の片隅で生きていく様子は、青春映画を見ているかのようにみずみずしい。若かりし
頃のメイプルソープの写真は、少女漫画にでも出てきそうな、はっとするような美少年ぶり
だ。住処を独特の美学で飾り立てた様子も目に浮かぶよう。そして、その頃勃興しつつあ
ったゲイカルチャー、ストリートカルチャー。時代の熱い息吹が感じられる。

彼は写真家になったのはほとんど偶然のようなものであり、そして、写真家としてより、芸
術家として認められたがった。彼が登場した頃は、写真という芸術はさほど確立されてお
らず、作品も非常に安い値段でしか売れなかった。写真がファイン・アートの一種として認
められるに至ったのは、彼の功績が大きい。ついには念願のセレブレティの地位を手に入
れ、多くの名士のポートレイトを撮影したが、それもまた、親に認められたいという気持ちの
現れだった。一流のギャラリーにて写真を展示して、親が足を運んでも、なおも理解されな
いという哀しさ。作品そのものも、常に賛否両論が付きまとい、彼は過剰なまでに批評を気
にした。

彼の作品には、独特の対立概念が存在するのが非常に面白い。厳格な家庭で育ちなが
ら、罪の意識を抱えつつもセックスに取り憑かれ、恋人がいても毎晩とっかえひっかえ。
黒人の美しい肉体を称えながらも、人種差別的である。非常に優しいところもあるのに、同
時に冷酷で多くの人の人生をめちゃくちゃにした。その矛盾、せめぎあいが、優れた芸術を
生んだのだ。被写体の人格を感じさせない、徹底した冷たさ、傍観者的な部分が、なぜか
人に深い感動を与える。自らのワイルドな生活ぶりが、古典的な美しさに命を吹き込んでい
て、彼でしか出来ない究極の世界が生まれたということが、この本を読んでよくわかった。

メイプルソープの作品を知らない人でも、60年代〜80年代のアメリカン・ポップカルチャーに
関心があれば、間違いなく夢中になって読みふけってしまうこと請け合いの本だ。彼の写
真作品の一部は非常に過激なので、好き嫌いは出ると思うが、この本を読めば必ず観たく
なるはず。

ロバート・メイプルソープ財団(作品を観ることが出来ます)