鬼が来た!   鬼子來了(DEVILS ON THE DOORSTEP)

監督:姜文 脚本:姜文/尤風偉
出演:姜文、香川照之、姜鴻波、哀丁、叢志軍、澤田謙也、呉大維

第2次大戦末期、1945年の旧正月直前。中国・華北の寒村。青年マー・ター
サンのもとに男がやって来て、拳銃を突きつけ、麻袋を二つ押しつける。麻袋
の一つには日本兵が、もう一つには通訳の中国人が入っていた。男は、それ
を晦日まで預かるよう脅し去っていく。村人たちは寄り集まり、殺すか日本軍
に引き渡すか話し合い、晦日まで二人を隠すことに。日本兵の花屋は囚われ
の身になったことを恥じ、一刻も早く殺せとわめき立てるが、命が惜しい通訳
のトン・ハンチェンは機転をきかせ、花屋の言葉を「お兄さん、お姉さん、新年
おめでとう!」と訳す。晦日になっても男は姿を見せず、食糧も底をつき始める
が、村人たちは二人を始末する役を押しつけあって埒があかず…。カンヌ国際
映画祭グランプリ作品。

戦争という異常な事態の中での人間を描いた、とてつもない作品。麻袋の中
に入っていた日本兵は、捕虜としての辱めを受けるくらいだったら、殺せとわ
めく。しかし、自分の身を守るために、中国人である通訳はそれを「命だけは
助けてくれ」と訳すのだ。「殺せ殺せ」とわめいている日本兵と、それを「助け
てくれ」と訳している中国人が並んでいるという姿は、死ぬほど可笑しい。だ
が、それは「敵に捕まるくらいなら死ぬべし」という徹底的な思想改造を受け
た日本軍をカリカチュアした描写なのである。

偶然にも『クレヨンしんちゃんアッパレ戦国大合戦』の中でも触れた作品だが、
鈴木清順の『春婦伝』で、日本軍の実態を伝えるエピソードがある。前線で
気を失って取り残された日本兵と慰安婦が、八路軍に助けられて捕虜にな
ることを勧められる。捕虜となって生きることを主張する女に対し、兵士は「
捕虜の辱めを受けず」で日本軍に帰ったところ、処刑される運命になるとい
う話だ。生きることより、死ぬことを尊いとするという、狂った思想が、戦争の
中では支配的になるものなのだ。

最初のうちはマーが差し出す食事も口にせず、日本軍と接触を図ったり、脱
出するために子供に日本語を教え込ませようとしたりする花屋だが、やがて
自分たちの食糧を削ってでも食事を提供し世話をしてくれる善良な村人達に
対して、親近感や感謝の念を持つようになる。しまいには、村人達と話し合い
の末、小麦粉と引き換えに花屋を日本軍に戻すという話になる。だが、日本
軍は、「捕虜になるくらいなら死ぬべきだ」という徹底的な思想を仕込んでい
るとんでもないところだ。半年の間村人たちの間で生活してきて人間性を取
り戻してきた花屋だが、日本軍の非人間性にすぐに引きずり込まれる。「お
前はもう死んだという電報を家に送ったぞ」「今頃どの面下げて戻ってきたの
か」「捕虜になる前になぜ死ななかったのか」と隊長に徹底的に罵られ、殴
られるのだった。そうして、終盤のカタストロフィになだれ込むのである。

前半のユーモアあふれる演出は、圧倒的な力を持ちながらも、黒いユーモア
が炸裂していて最高だ。大の男二人が麻袋に入れられて転がされ、猿ぐつわ
を外された瞬間大声でわめきだすというインパクトも凄い。言葉が通じないこと
から生じるズレも、ものすごく笑える。「中国語で罵る言葉を教えろ」と通訳に
教えてもらった言葉が「お兄さん、お姉さん新年おめでとう!あなたは私のお
じいさん、私はあなたの息子」なんだもの。それを怒った口調で大声でわめく
んだから、可笑しくないわけがない。この表現には、日本人も中国人も、父と
息子と言ってもいいくらい、実は近い存在だったのではないかという意味もこ
められているはずだ。そして、花屋たちをどうするかをめぐる村人たちのやり
取りもすごく滑稽だ。自分たちの手では殺すことができないからと、凄腕の剣
の達人を雇ったのに、見事に失敗してしまうというエピソードも、本当はこんな
物騒なことで笑ってはいけないのに思わずぷぷっと笑っちゃう。とにかく、万
事が、登場人物たちの思惑通りには進まないどころか、全く逆の方向に行っ
てしまうという悲惨な事態なのだけど、それがブラックな笑いを誘うのだ。

それだけに、後半の急展開には、思わず身が固まってしまうほどの衝撃を
受ける羽目になる。花屋に鉄拳制裁を加えながらも、大変なマッチョマンの
隊長酒塚猪吉は花屋が村人に小麦を与える約束をしたと聞いて、なぜか
花屋を罰せず小麦を運んで軍と村人達で宴を催すという。すでに「村人達と
日本軍で宴というのは、怪しい、これは多分とんでもないことになるだろう」
と観ている側は嫌な予感がするのだが、人の良い村人達は、純粋に大喜び。
軍艦マーチが鳴り響く宴会は、嫌な予感通りやがては日本軍による一大殺
戮の地獄絵図に一変するのであった…。そしてその口火を切ったのは、ほ
かならぬ花屋。さすがに小さな子供を殺してしまうところは、そのものズバリ
は見せていないけど相当嫌な感じだった。結局、人間はわかり合えないっ
てこと?少なくとも、57年前にこのようなことが数多く中国で起きたのは事
実であり、その歴史的な事実は消せないものである。

でも、この映画の重要なポイントは、このカタストロフィにあるわけではない。
この事件が起きたのは、実は終戦の日ですでに日本は戦争に負けていて、
自棄になった兵士達が起こした事件ともいえるのだが。戦争が終わって、
隊長も、花屋も連合軍の捕虜として生き長らえていて、同じ村にいる。国民
党が幅を利かせており、日本軍に協力した裏切り者として通訳のトンが衆
人環視の前で国民党の命令で処刑される。そしてマーも…。しかし、この
国民党と日本軍というのは、実は簡単に入れ替えることが可能であるとい
うことをはっきり示しているのが、この映画の凄いところだ。これは一方的に
日本軍の残虐行為を告発する映画ではない。人間というのは、戦争という
狂気の中で、簡単にとんでもない行為に出てしまうものである。それは、日
本だろうが、中国だろうが同じだ。花屋だって善良な男だったはずなのに、
上官に殴られ罵られているうちに、自分自身を失い、親切な村人達に対し
ての大虐殺に手を貸してしまう。自分が花屋の立場にいたら、同じことをし
てしないとは言い切れない。それが戦争の真実なのだ。

ユーモアをふんだんに含み、知的なアプローチで戦争に迫り、最後の答え
は観客に考えさせるという寓意に満ちた作品。そして、この映画の冒頭に
登場する「私」とは中国共産党なのだそうだ。しかし、この「私」の持つ意味
を、私は今も考えつづけている。

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