SWAN LAKE Adventures in Motion Pictures マシュー・ボーン演出による「白鳥の湖」とジーザス・パスター(Jesus Pastor)

ヘススを追ってニューヨークまでパート2 アメリカン・バレエ・シアター メトロポリタン・オペラ・ハウス公演2004

ヘススを追ってニューヨークまで−アメリカン・バレエ・シアター シティセンター公演
へススを追ってマドリッドへ 〜 Jesus Pastor ヴィクトル・ウラテ ガラ鑑賞記 in Madrid

ジーザス・パスター(Jesus Pastor, ヘスス・パストル)のインタビュー記事翻訳へ

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AMP版《白鳥の湖》を愛する人に100の質問

Jesus Pastorの魅惑

Jesus Pastor 経歴

序章

バレエはもともと好きだった。小学生の頃ロンドンに住んでいて、親に連れられてロイヤルフェスティバル・ホールとか、ロイヤルアルバートホールでバレエを何回も観にいった。そして多分に漏れず、ロンドンでの子供時代はバレエを習っていた。だが、転勤族であったこともあって、バレエは全然ものにならず、そして小さな頃に観た本場のバレエの記憶は、自分の奥底深くにはあるものの、顕在化はしていなかった。

ただし、友人でバレエが好きな人がいて、懐かしさもあり一時期はよくバレエを観にいったものである。時間的に余裕があった、大きな会社でのOL時代だ。レニングラードの白鳥の湖とか、スコティッシュのコッペリア、ロイヤルバレエの真夏の世の夢、東京バレエ団のベジャールガラとかABTのロミオとジュリエット、そして世界バレエフェスティバルなどである。しかし仕事が忙しくなったり、一緒に観ていた友人が遠くに行ってしまったり、映画ばかり観ていたりで最近はなかなか観る機会がなかった。

今回、AMP版『白鳥の湖』を観ようと思ったのは、多くの皆さんと同じで映画『リトル・ダンサー』に魅せられてのことだ。踊りたいという熱い気持ちと怒りをぶつけるかのように「A Town Called Malice」に合わせて奔放に踊るビリー少年の姿には胸を打たれた。彼が成長した姿が、アダム・クーパーとなってスクリーンに登場するその一瞬、この人は一体誰?と雷に打たれたような衝撃を受けたのである。

『リトル・ダンサー』はその年の映画の中でも(年間200本ほど観る私でも)1,2位を争うくらい大好きな映画だったし、このアダム・クーパーが踊っているところを是非観たいと思っていたのだが、根性が足りず海外まで追いかけて観にいけばいいのを、怠ってしまっていた。今にしてみれば大後悔。


そんなとき、ついにAMPの『白鳥の湖』が来日するというではないか!というわけで、私はJCB会員向け優先予約で、友人の分と含めて3月8日ソワレ3枚のチケットを取り、「早くチケット来ないかな」と首を長くして待っていた。チケット予約の電話をかけたのは10月の始め。ところが、待てど暮らせどチケットは来ない。2月中旬に到着するまで、気が気でなかった。

「白鳥の湖」鑑賞記

3月8日(夜) 3月13日(昼) 3月14日(夜) 4月2日(夜) 4月6日(昼)

3月8日(土)ソワレ (ザ・スワン:ジーザス・パスター、王子:ベン・ライト)

さて、ついに待望の公演の日がきた。実は、私は前の日に会社を辞めたのだった。今回はいろいろと大変だった。精神的にカナーリやばい状態だったのだ。

今日は席は1階14列目。優先予約ですぐに電話がかかったので、比較的良い席。この頃は全然予備知識がないので、今日はアダム・クーパーじゃないんだ、なんて始まる前は友人たちと少しがっかりしていたりした。1幕目を見たときには、なんだ全然面白くないじゃん、なんて思ってしまっていた。SWANK BARのキッチュなところなどはなかなか面白いと思ったけど(だって、ダンス☆マンそっくりな人とか出て来るんだもん)、イギリスらしく皮肉っぽいわね、マシュー・ボーンは絶対女の人が嫌いなのね、こんなものかしら、なんて。ただし、王子を演じたベン・ライト、彼は素晴らしかった。誰にも愛されず認めてもらえないちっぽけな存在の痛々しさを、バーから追い出された後のダンスで情感たっぷりに踊っていたのだ。きれいな顔立ちをしているのに、むっちりした体が、いかにも気が弱く童貞っぽい感じ。これまでおもちゃの人形王子のように、自分の意志というものを持たなかった王子の初めての冒険が、このバーだったのに、バーでは誰にも相手に去れずにボコボコにされてしまって、なんて哀れなの。実年齢はわからないけれども、幼く無垢で、あまりにもvulnerableで傷つきやすい孤独な魂を抱えた姿を見ているだけでも、胸が痛む。

そして噂には聞いていたけど2幕。虚空を見つめる王子の背後ではばたく白鳥たちのシルエットがひそやかに浮かび上がる。公園では、下手のほうから横切るザ・スワンの後姿が…なんという背中の筋肉だろう!王子が湖に飛び込もうとするところでジーザス・パスター演じるスワンが彼を捉える。初めて見るジーザスは、写真でしか見ていなかったが雄雄しいイメージのアダム・クーパーとは対照的に、甘え上手の坊やのようなルックスをしている。王子を見つめる時の視線も、「ぼくの仲間になろうよ」なんて語りかけているように見えるのだ。からみつく視線はやがて熱いものに変わり、王子とスワンの心が通じ合うようになる。この二人のつながりと言うものが、今回の公演でこの回に一番強く感じられた。

それにしても、まったく予備知識がなかったのだが、ジーザス・パスターという若いダンサーの踊りのテクニックには驚いた。一番印象的だったのは、くるっと回転する時に軸がずれることもなければ、途中で止まることもなく実に滑らかに優雅にくるくる回るということ。そして動きそのものがとても官能的なのだ。2幕の段階ですでにジーザス演じるスワンは王子への誘惑者となりつつある。甘えるように、すねるように踊っている。こんなに色香を漂わしている彼って一体何者!?驚異的に柔らかくしなやかな白い肉体。人間の体がこんな風に動くことがあるなんて!

もちろん、2幕の見せ場はザ・スワンだけではない。白鳥たちの群舞もまたこの舞台の大きな魅力だ。力強く駆け寄り踊る彼らを観て、いつまでもこの世界にいたいと思った。夢なら醒めたくないと。青い光に照らされ、白く浮かび上がり程よくついた筋肉に汗を光らせた白鳥たちは、この世界の生き物とは思えず、幽玄の世界の中で舞い飛翔し、最初はよそ者として威嚇しながらも、やがて生きる勇気を王子へと与えていく。この日の彼らは、ザ・スワンとはやはり"ともだち”という関係性であるように思えた。クラシックの「白鳥の湖」は何回も観たことがあるのに、こんなに力強い音楽だったのか!4羽の小さな白鳥がユーモラスに踊るシーンは、ただただ楽しい。そして、終わって欲しくないと思っていたところ、ついに2幕も終わる時がきた。王子の踊りも力強さを増し、そしてザ・スワンと舞台の奥まで踊り白鳥たちが去った時、右手を高々と上げた王子は、ちょっとフレディ・、マーキュリーを思わせた。バーから出てきたときと打って変わって、生きる歓びを全身で表現する王子を見て、こちらまで嬉しくなってしまった。

3幕では、いろんな国々からの賓客を招待しての、舞踏会が開かれる。王子の花嫁選びということで王女たちが招かれているのだが、王女と聞いて想像するような、お姫様のような愛らしくイノセントな雰囲気をもつ者はいなくて、とても不穏な雰囲気を漂わせている。みんな大柄で、黒とゴールドを基調にしたゴージャスでモダンかつデカタンな衣装を身につけている。中でも印象的なのは、片目を眼帯で覆っている、ちょっとサディスティックなハンガリーの王女。ドイツの王女は、映画『シカゴ』のキャサリン・ゼタ=ジョーンズのような黒髪断髪ボブだ。みんなギラギラとした下心みたいなのを漂わせて、かなり怖い。そんな人たちによる、魂のまるで入っていない、うわべだけを取り繕った舞踏の中に、ストレンジャーが現れた。

このとき観たジーザス・パスターのストレンジャーには、最初は違和感を覚えた。ジーザスはとても愛らしい、ややタレ目気味の顔立ちをしているため、邪悪な誘惑者であるストレンジャーにしてはやや可愛すぎるのである。「ぼくはこんなにイケメンだから、もうモテてモテて楽しいな〜」という感じだ。その代わり、甘くセクシーな部分は満点だ。特にゆるゆるの腰の動きと言ったらもうエロティックでな感じが犯罪的ですらある。こんな人が実際にいたら逮捕されたっておかしくないくらいだ。ラテンらしい、陽性の官能性を観ていると、白鳥の湖というより別のミュージカルでも見ている気がしてしまう。

その抗いがたい濃厚なセックスアピールで、舞踏会の参加者を一人一人虜にしていくストレンジャー。彼の中には、腹黒い執事の共犯たる陰謀の匂いは微塵もなく、ただただ誘惑者として楽しい時を過ごそうという単純な意図しか見て取れない。これを肯定するか否定するかは難しいところだろう。おそらくアダム・クーパーが演じたストレンジャーは、全く別物で、ダークな悪の魅力に溢れているはずだからだ。だが、アダムと全く同じストレンジャーを演じようとしても、そもそもタイプの全く異なる若くて少年の面影を残すジーザスには無理な話。よって自分本来の甘やかな魅力で勝負しようとしているわけだ。そしてそれがひどく魅力的だから、困ったものである。

ストレンジャーが女王をもその手中に収めた時、王子の心は乱れる。女王を引き離そうとして、皆の前で彼女に打たれる。挑発的な視線を送りながらも、決して自分を受け入れてはくれないストレンジャー。自分が主役のはずの宴なのに、他の参加者はパートナーを見つけ、ひとりぼっちなのは自分だけ。そのふがいなさは皆に嘲笑される。現実と妄想の区別がつかなくなった王子。ストレンジャーはいつしか、あの時優しく人生の意味を教えてくれたスワンに見えてきた。この、限りなく深い孤独、疎外感、自己嫌悪…。実はこのときの気持ちを、会社を辞めたばかりの私は他人事として観ることができなかったのであった。この時点でも、涙が溢れてきて仕方なかった。ストレンジャー=唯一の味方だったスワンでさえも、自分を嘲け笑う。どんなに求めても決して得られることはない愛。ついにキレてしまった王子は…。

というわけで、4幕では母親そっくりの怖い看護婦たちにあんなことやこんなことをされてしまい、真っ白い壁の牢屋のような部屋に閉じ込められる王子だった。母親や執事の巨大な影に小さくおびえる王子のなんという憐れな姿。王子にとって母親は、愛し慈しんでくれる相手ではなく、恐怖であり、自分を押しつぶすものでしかなくなってしまった。すっかり生気を吸い取られてベッドに横たわる王子。その寝台の下から現れた白鳥たちは恐ろしくも美しいが、逆行に顔を照らされた異様な姿で、死神のようである。彼等の死の舞踏のような不吉な舞が終わって姿を消した後も、妄想とあまりにもつらい記憶や自己嫌悪にさいなまれ気も狂わんばかりの王子。そんな彼のもとに現れたのが、血を流し弱々しくなりながらも、必死に彼を守ろうとするスワンだったのだ。そうだ、あの舞踏会のストレンジャーはスワンじゃなかったんだ!

仲間の攻撃で傷つき瀕死の状態となっても、なおも残るわずかな力で抵抗するスワンの散り際の懸命な姿。同じく白鳥に攻撃され弱っていく王子を見て嘆き天を仰ぐスワン。「ぼくの大切な友達を傷つける者は、仲間だって容赦しないぞ」と王子を抱きかかえての死闘。だが、最後の力を振り絞ってベッドに上り詰めるも、最後に手を伸ばしても王子に届くことはなく、ベッドにスワンは沈められた。ジーザスのスワンは若く愛らしいだけに、その死にゆく姿は、前途洋洋の有望で力強い若者が痛めつけられ(チリの圧政下で力強かった若者が少しずつだがひどく拷問され死んでいった話を思い出させた)、散っていく様子を思わせて悲しい。王子も白鳥たちにとどめを刺されてベッドに横たわり息絶える。息のない王子を見て嘆き悲しむ女王、いまさら泣いても遅いんだよ。そして天窓には、幼少期の王子を抱きかかえているスワンの姿。この姿を見て泣かない者はいないだろう。現世では幸せをつかむことができなかった王子にとっての本当の安らぎ、救いが訪れたのだ。それが、死ということであっても、スワンに抱かれての死であったということが、彼のつらい人生の中での唯一の救済だった…。これは もう、号泣するしかない。今から思えばバカみたいだが、自分の境遇に王子の境遇を重ね合わせてしまい、感情移入しまくってしまったのだった。それだけ、ベン・ライトの演じる王子像の的確さ、ガラス玉のような澄んだ目の中の悲しみが伝わってきたのだ。


終演後、友人たちとDVDを買い(持ち合わせがなかった友人にはお金を貸したのだった)、お酒を飲んで大いに盛り上がる。このときには、素晴らしいもの、心から感動できるものを観たという熱い想いはあったものの、以後、とことんこの世界にはまるとは思っていなかったのだった。


ザ・スワン/ザ・ストレンジャー Jesus Pastor ジーザス・パスター
王子 Ben Wright ベン・ライト
女王 Emma Spears エマ・スピアーズ
執事 Richard Curto リチャード・クルト
ガールフレンド Fiona-Marie Chivers フィオナ=マリー・チヴァース
幼年の王子 Gav Persand ギャヴ・パーサンド


Swan スワン

ギャヴ・パーサンド, ジョン・チュウ, デイヴィット・リース, サイモン・カレイスコス
ティム・ブロウフィールド, ライアン・ジェンキンス, ゲイリー・クラーク
ニコラス・カフェツァキス, ヘンドリック・ジャニュアリー, マイケル・バッド
サイモン・ハンフリー, ルーパート・トゥーキー, レイン・ド・ライ・バレット, クリス・キーリー
サイモン・ウィリアムス

Ensemble アンサンブル

メリアム・ポーリアン, ピア・ドライヴァー, ルース・モス, ローリーン・ディルテイル
キャサリン・フラワーズ, オリアーダ, ヘザー・レジス・ダンカン, カースティ・シモンズ
ジョディ・ブレミングス, ジョン・チュウ, デイヴィット・リース, サイモン・カレイスコス
ティム・ブロウフィールド, ライアン・ジェンキンス, ゲイリー・クラーク
ニコラス・カフェツァキス, ヘンドリック・ジャニュアリー, マイケル・バッド
サイモン・ハンフリー, ルーパート・トゥーキー, レイン・ド・ライ・バレット, クリス・キーリーサイモン・ウィリアムス



3月13日(木)マチネ ザ・スワン:首藤康之、王子:トム・ワード

さて、8日に観終わったところ、どうしてももう一度スワンが観たくなってしまった。ジーザス(ヘスス)以外のスワンも観てみたいし。『リトル・ダンサー』から入ったミーハ−な私としては、アダムが観たかったのだが、10日より一時帰国しているとのこと。この際、アダム以外でもスワンが観たい!がチケットはソールドアウト。というわけで、困った時のヤフオク頼みとすることにした。しかし不慣れな私は、結局当初の予定より多い、2日分を買うことになった。失業者でお金の全くない身としては、1枚につき2万円近い値段はひえ〜である。but!これは後で考えてみるととてもラッキーだった。(というか、もっと買えばよかったよ!)

13日木曜マチネ。今日のスワンは首藤さんだった。東京バレエ団は観にいったことがあるのだが記憶にないし、先入観もほとんどなかった。2階席の3列目。センター寄りとはいえ、オーチャードホールの2回は相当遠い。いきおい、オペラグラスばかりを覗き込む結果となる。

今回の王子はトム・ワードだ。少年の面影を残すベン・ライトに比べて、ちょっとおっさんくさいルックスである。う〜むちょっと表情が硬いかな?

2回目の鑑賞となると、ストーリーもわかっているし、どこに注目すればいいのかがわかってくるので、別の面白さがある。今回は、1幕目のロイヤルボックスのシーンで、王子のガールフレンドがいろいろとおふざけをするところが目に入ってきて、それを観ているのも楽しかった。前回は気がつかなかったのだが、プログラムでトロルを殴ったり、お菓子を食べたりいろんな事をしているじゃん。このガールフレンド、最初は執事の陰謀の片天秤を担いでいるわけだが、やがては王子に同情し最後には自分の命までもなげうってしまう健気な女性だ。とてもお行儀は悪いけど演じているフィオナ=マリー・チヴァースはとても綺麗だし、踊りもうまい。唯一、この舞台の中で皇帝的に描かれている女性なのである。もう一つ注目は、このシーンできこり(Nobleman)を演じるギャヴ・パーサンドだ。後半のピルエットの部分など、おーっと思うほど美しく軽やかに回転しているのである。

で、2幕に登場の首藤スワン。前回観たジーザスの可愛らしくやや中世的なスワンと異なり、スワンの段階からすでにストレンジャー(3幕のストレンジャーとは違った意味)なのである。マスキュリンなスワンといえるが、この男らしさというのも独特で、決してマッチョな男らしさではなく、凛として孤高感を漂わせているのだ。そして美しい。首藤はインタビューなどで日本人であることのハンディ−西洋人のダンサーに比べて頭が大きく手足が短い−を多く語っているが、そのハンディをカバーしようと、人一倍努力して自分の肉体を美しく見せようとしているのがよくわかる。指の先まで神経が行き届き、動きの一つ一つが繊細なのである。ピンと張り詰めた緊張感は他の白鳥たちを圧倒しており、群れの中でも際立っている。(正直、8日のジーザスはまだ、時折他のスワンの中に紛れてしまうこともあったが、首藤はそのようなことは決してない) ただし、不調が伝えられ、今回もまだ2回目の出演というわけで、技術的には8日のジーザススワンとは見劣りするところは感じられてしまった。わずかながらもぐらついたりすることがあったのである。

2幕の首藤スワンとトム王子の交流は、いわばはぐれ者同士が、お互いを唯一無二の存在として感じ、スワンのほうも王子を欲しているかのように見えた。ほかの白鳥たちには決して心を開かない、群れから離れた孤独な美しい異邦の鳥が、傷つき果てて心を閉ざそうとしていた王子の中に自分を見出し、一定の距離を保ちつつも共に寄り添っていこうとする痛々しい想いを感じさせた。スワンは感情をあからさまには見せなくて、想いを強く抑えつけているが、時折抑えきれない感情が噴出してくると、それが禁欲的な中にもエロスをほのかに匂わせていく。ちょっといけないものを見てしまった、と一番感じさせてしまう妖しいスワンである。言ってみれば、三島由紀夫的な世界というか。ベジャールの「M」に出演していた首藤だから、そのような発想はあたりまえなのかもしれないけど。

3幕では、ストレンジャーとして首藤は登場する。日本男児にこのエロティックなストレンジャーの役は非常に難しいんじゃないかと思う。ストレンジャーは誘惑者が服を着て歩いているようなキャラクターで、男も女も魅了してしかも王子を狂わす悪魔なのだ。その悪魔的な部分が一番難しい。首藤は非常にルックスは良いし特に目が大きく美しいので、外見的にはストレンジャーの役に無理がない。が、エロスを十分発揮できていない気がしたのは少し残念。スワンの時の首藤は禁欲的な様子が非常に妖しく魅惑的なのだが、彼のこの特質がストレンジャー役ではややマイナスに出てしまった気がしなくもない。ただし、首藤ストレンジャーは、決して他のダンサーには真似のできない魅力がある。誇り高く、簡単に手に入れることのできない高嶺の花のような存在感だ。王女たちを誘惑して回ってもあくまでもクール。自分は何もしていないのに、その美しさゆえに勝手に女どもが集まってきてちやほやしてくれる。でも、自分は誰にも関心はない。ただただ、執事のゲームにちょっと付き合ってやっているといった気配が濃厚だ。動きも、ジーザスの柔らかくしなやかな動きとは対照的に、直線的で刀の ように切れ味が鋭いものである。が、やはり残念なのは、ストレンジャーが額に黒い線を引き、スワンのように見えてくるところの「どうだ!」という悪魔的な笑みが、ワル的に見えないことだろうか?ただこういった澄ましたストレンジャーも「あり」だと思う。

ところが、4幕の首藤は一転して本当に素晴らしい。傷ついた様子でベッドの中から飛び出すとき、観ているこちらも身を切られるような思いがするほど痛々しいのだ。一つ一つの筋肉のつき方が美しい上半身についた傷跡すら妖しいのだが、ベッドの上に立って苦しむ姿は、無数の矢に体を射られたセバスチャンを思わせる。頭に荊の冠をかぶっていてもおかしくない。彼は最初から白鳥の群れのよそ者であり、王子と情を交わしたからではなく、徹底的な排除の論理によってリンチを受けたように見える。痛めつけられる姿も、ジーザスのスワンよりもはるかに痛々しい。異形の者をリンチしているかのように見えるからか? スワンが王子に寄り添うところは、王子がスワンを欲している以上に、スワンこそが王子を必要としているように感じられる。皇子を救えるのはスワンだけだが、同時にスワンを安らぎへと導くことができるのも王子だけなのである。スワンと心を通い合わせることができる唯一の存在が王子であり、王子が死んでしまったら、もはやスワンもこの世に存在している意味はなくなってしまう。そのためにもスワンは王子を守ろうとするのだが…。恐ろしくも美しいフィナーレ。そし てスワンがベッドの中に吸い込まれ王子が絶命し、天窓に幼年の王子を抱き変えたスワンが現れた時、前回よりもさらに号泣した。なぜだろう、死して二人が結ばれることがこんなにも幸いなことになると思えるのは。ジーザススワンの時には、王子に全面的に感情移入し、王子がようやく安らぎを見つけたことに安堵したのだが、今回は、王子だけでなくスワンもまた、あの世でようやく安住の地を見つけて幸せになれたと思わせたからだろうか。首藤スワンは思いのほか、あとをひくスワンであった。


(つづく)


ザ・スワン/ザ・ストレンジャー Yasuyuki Shuto 首藤康之
王子 Tom Ward トム・ワード
女王 Emma Spears エマ・スピアーズ
執事 Steve Kirkham スティーヴ・カークハム
ガールフレンド Fiona-Marie Chiversフィオナ=マリー・チヴァース
幼年の王子 Simon Kraiskos サイモン・カレイスコス

Swan スワン

ギャヴ・パーサンド, ジョン・チュウ, キム・アムンドセン, サイモン・カレイスコス
ティム・ブロウフィールド, ケヴィン・マスカット, ボブ・J・ハームス
ヘンドリック・ジャニュアリー, ゲイリー・クラーク, マイケル・バッド
レイン・ド・ライ・バレット, クリス・キーリー, ダミエン・スティーク, サイモン・ウィリアムス

Ensemble アンサンブル

トレイシー・ブラッドリー, ピア・ドライヴァー, メリアム・ポーリアン
ヘザー・レジス・ダンカン, キャサリン・フラワーズ, オリアーダ, カースティ・シモンズ
ルース・モス, ギャヴ・パーサンド, ジョン・チュウ, キム・アムンドセン, デイヴィット・リースティム・ブロウフィールド, ケヴィン・マスカット, ボブ・J・ハームス
ヘンドリック・ジャニュアリー, ゲイリー・クラーク, マイケル・バッド
レイン・ド・ライ・バレット, クリス・キーリー, ダミエン・スティーク, サイモン・ウィリアムス


3月14日(金)ソワレ ザ・スワン:ジーザス・パスター、王子:トム・ワード

今回は非常にラッキーな回だった。というのは、ヤフーオークションで入札したチケットなのだが、前から4列目という良い席だったので値段が高くなり、一旦落札をあきらめた。が、落札者がキャンセルしてしまいタナボタ形式で思ったより安い値段で入手できたのだ。チケットを譲ってくださった方もとても良い人で、隣の席で一緒に鑑賞。

かなり前のほうの席なので、見切れしてしまうところもあるかな、と思ったが全然その心配はなし。段差はないけど4列目はさほど気にならず、ただしこんなに前のほうの席なのに上演中も私語をやめない人がいたのにはあきれた。そういう人は観ないでよろし。あと、実は1幕目、ロイヤルボックスのシーンに移る時に、ちょっとしたアクシデントがあった。場面転換のために緞帳が下りた後、バリバリっという音がして装置が壊れたらしい。10分ほど舞台が中断した。

それにしてもこの前方の席というのはドキドキする。細かい表情まで見えるので、観ている側の心臓までもが止まりそうになるのだ。2回目のジーザス・パスター(ヘスス・パストール)は、先週土曜日より成長しているのがよくわかる。前回は自分の精神状態やベン・ライトの演技力もあり、あまりにも王子のほうに感情移入してしまったため、今回のほうがよりスワン=ジーザスの踊りを集中して見ることができた。跳躍はより高く、ピルエットは安定感があり滑らかで、腰の動きのエロティックさは増している。間近に見える表情は幼さと愛嬌、やんちゃな部分を残しながらも、前回よりも大人びており、ふとしたところに驚くほどの官能が宿る。上半身を折り曲げ、翼を大きく後ろに広げて王子を見つめるる瞳の中に宿る誘惑の視線には、観る者すべての腰を砕けさせるほどのつややかさが。去り際に足を高く後方に掲げアラベスクのポーズをとり、一瞬の見得というかタメの後に、流し目のような目線を送ると、時が止まる。妖しのようなこの曲線の美しさは、たしかに人間とは思えない。白鳥でもない。性別を超越し、神に近い存在だ。

そんな爛熟した魅力を持ちながらも、同時にジーザスののびのびとした、若さに溢れ怖いもの知らずという動きは、踊ることの歓びを華やかに体現している。驚くほど高いジュテや、安定した回転だけでなく、メリハリのある動き、静と動の対比の見事さ。ヘススのスワンは、卵から生まれ出た幼い鳥が、野生を獲得しオスの部分を目覚めさせている。が、同時に、アンドロギュヌスな部分、それもローティーンの美少女が見せるかのようなおませだが、己の魅力に無自覚ないけない魅力をも放っているのだ。

ぼくがきみを新しい、希望に満ちた世界に連れて行ってあげるよ、王室のしがらみから離れたこの世界は、こんなにも美しく、生命力に満ちているんだ。きみはぼくの友達さ。一緒に手を携えて生きていこうよ。そう、知らなかったかもしれないけど、世界はこんなにも美しいんだ。だから、目を開いて、その体をぼくにゆだねて。何も怖いことはないんだよ。恐怖を捨てて、がんじがらめになった心をほぐして、人間とかスワンとか男とか女とかそんなことは忘れて、一緒に楽しもうよ。

自由で美しく愛に溢れたスワンがはばたいている様子を見た王子が、初めて本当に目を覚ましたという感じで、その動きについていこうと必死に自分も動いているというのがよくわかる。これまで自分の意志をもったことがなかった、ダメダメな王子の、遅すぎる自我の目覚めは痛々しい。おずおずと、自分が殻を少しずつ破って、このエロティックなグルに恋してしまう王子の変化。地味な感じのトムも、案外実力派なのだとこのとき思った。ただ、この冴えない王子に、魅惑的なスワンがなぜ惹かれてしまう理由はちょっとわかりにくい。ザ・スワンほどの魅力を備えていたらどんな人も白鳥も彼に惹かれずにはいられないのに、どうして王子?それがこの「白鳥の湖」の(妄想に近い)まぼろし的な部分と言うことか。それでも、スワンが首を傾げながら、最初は遠慮がちにおずおずと、やがて堂々とスリスリ王子の胸に頬を寄せていくところの官能的な陶酔感は一体なんだ。王子とスワンのパ・ド・ドゥで、二人がユニゾンで踊っていると、王子とスワンの間をつなぐ糸というか見えない絆のようなものが見えてくる。二人の気持ちがしっかり通い合い、高まっていくコーダの高揚感はまさに至福の時だ 。

3回目ともなると、多少はアンサンブルを見る余裕が出てくる。2幕の出だしの流れるような麗しい舞が、まずは夢幻の世界に誘ってくれる。AMPのアンサンブルは、クラシックバレエのアンサンブルと比べると確かに統一感がないが、でも群れの中の白鳥がまったく同じ動きをしているわけがないので、これが正しいのだ。“美は乱調にあり"という言葉を思い出させる。白鳥という名前の優雅な印象とは異なった、獰猛な獣のような白鳥たちの力強いはばたきは、野生に生きる者の厳しさ激しさが持ち得る誇り高さを感じさせる。今回注目したのは、4羽の小さな白鳥の一人を演じた、金髪でやや髪が薄く、バレエダンサーにしてはちょっと脂が乗りすぎた感じがするダンサーだ。後で調べてみたらジョディ・ブレミングスという名前。他のダンサーよりも跳躍力もあり、体は重そうでお腹の脂肪が白鳥の衣装のウェストにちょこんと載っていて踊るたびにプルプル揺れるが、柔らかな動きと独特の表現力は特筆すべきものがある。小柄でキュートなキム・アムンドセンは、体が小さい分、動きにパワーがあって観ていて楽しいダンサーの一人。スペインの踊りの時のぴょーんという瞬発力は本当に可愛い。

3幕目については、ヘススのストレンジャーは着実に成長しているのが見て取れる。1回目に観た時のストレンジャーは、まだ幼く、少年の面影を残していて一生懸命背伸びしていていい男に見せかけようと頑張ってしまっている感じがあった。どうしてもあの甘すぎる顔立ちが邪魔をしちゃうのである。さすがに顔を変えることはできないけど、踊りそのものはどんどん大人の男の色気を身につけつつあった。ヘススの特徴は、体の驚異的な柔らかさと甘え顔を活かした、「おねえさん、ぼくに愛し方をカラダで教えて」とスリスリ擦り寄ったり、「ぼくの腰ってこんなに回るんだよ〜」って感じにふりふり振り回したり、という印象が強かったのだが、そういうわかりやすいエロスだけではないものがにじみ出てきたのである。ちょっとこの人、リフトが苦手なんじゃないの?と思わせてしまうところはまだあるので、これは今後がんばりましょう。

さて、ヘススとトムのコンビは、前回のベンとのコンビとまた少し違った印象を与える。ベン王子は、本当に純粋培養でガラスケースに入れて育てられたかのようなガラス細工のような王子なのだが、トムはというと、大事に育てられたのではなく、どんくさいため、愛を全然与えられずにネグレクトされて育ってしまった、もっとかわいそうな王子のように見える。少しは母親の愛を知っていたベン王子と、全く愛を知らないトム王子。いずれにしてもとても切ないわけだが、そんな愛とはどんなものかも知らない存在の前に、エロスの化身のようなスワン/ストレンジャーが現れたら、たしかに雷に打たれたかのような気持ちにはなってしまうだろう。一見表情が乏しいように見える、トム演じる王子のほうが、実はもっと悲しみが深いのではないかと、この日の舞台を見て思った。

そしてもっとも切なく、胸を締め付けられる4幕。1回目に観た時の、まだ元気で力強い若者が痛めつけられてついに命の火を消してしまうという部分も残っているものの、より“傷ついた”という部分が伝わってくる。ベッドの中から這い出てくるスワンの苦しそうで息も絶え絶えの表情。間近に観ると、その白くて若く美しい肉体には、無残な引っ掻き傷がいくつも走っている。ヘススは可愛らしいだけに、その幼さの残る顔に苦悶が浮かぶとあまりにも痛ましく感じられてしまう。彼のスワンは、まだ幼い鳥であり周囲に愛されて育ってきたため、痛めつけられたりひどい目にあったりするという経験もなく、自分に向けられた仕打ちに対しては、理不尽さを感じるばかり。「どうして?どうしてこのぼくが仲間であり、昨日までは仲良しだったスワンたちに痛めつけられなければならないの?」という戸惑いがあり、同時に、苦しいこと、痛いことに対しての耐性が低い。そんな苦しみの中でも、王子を守らなければならないという強い意志だけは感じられる。王子に情をかけることが、仲間を裏切ることであるという意識をもっていなかったザ・スワンだったが、それがようやく理解できた今となっても まだ王子を守ろうとするのは何故か?幼い頃からプレッシャーに耐え、王室の一員として、いずれは王となるべき者として厳しく育てられ、愛されたという記憶もなければ自分の感情を表に出すこともなかった王子。対照的に、みんなに愛され、自由で力強く生きているザ・スワン。二人の共通項はほとんどないように思える。

しかし、二人は共に、自由と愛を求める強い気持ちを持っていた。スワンは、愛を与えられず自由もない王子に対して憐れみの気持ちや同情心を持っていたわけではない。王室でがんじがらめにされていた王子が、スワンによって自由と愛のかけがえのなさを初めて知った今、どんなことがあってもそれを手に入れようと強い意志をもつようになった。彼は、それがない世界は闇であるということを確信したのである。スワンは、王子にとって自由と愛、そして希望の象徴であった。そしてスワンも、「初めて知った自由と愛の幸福さに打ち震え、誰よりもそれをかけがえのないものであると感じ、全身でその歓びを表現していた」王子を愛する自由を奪われることには耐えられそうもなかった。この「自由への強い意思」が二人を結ぶ絆となったのである。それを奪い取ろうとするものに対しては、例えそれが仲間であっても、命をかけてでも戦う。そんな悲壮な決意を浮かべ、最後の力を振り絞ってふらふらになり、仲間に威嚇され、襲われ、痛めつけられても王子を守ろうとするスワンの姿の凄絶さは、なんという鮮烈なものだろう。命を捨ててでも守りたかったもの、そ れは王子という一人の人間でもあるのだが、同時に、愛と自由、そしてそれを選び取ることができる尊厳なのであった。それがない生だったら、意味はない。エロスのない人生は、無である。結果的に、彼らは自分たちのエロスが奪い取られようとしていた生に別れを告げたのであった…。皮肉なことに、生=エロスが最も光り輝くのは、死=タナトゥスと隣り合わせになっている時だ。命の火が消えようとしている王子を見て立ち上がり、嘆き悲しみ、渾身の力で絶叫するスワン=ヘススの瞳からは黒い涙が流れ落ちる。その一滴一滴には彼の命=エロスがこめられており、その生の最後の輝きを観る者すべてに刻み付けた。彼の肉体に刻まれた深紅の傷跡のように。


ヘススの公演の時にはいつも思うのだが、カーテンコールの時の彼の笑顔は本当に素晴らしい。全身全霊を傾けたパフォーマンスに酔いしれた満足感と共に、温かい笑顔には、観客への優しい気持ちや感謝の気持ちが満ち溢れているのだ。スワンは自由と愛を奪おうとする者に戦いを挑んだが、ヘススの愛と自由を奪うことができるものがあるなんて、この笑顔を見る限りでは絶対にありえないと思う。ストレンジャーの時の大胆さとは違って、少しシャイな印象も与える彼には、まだスターのオーラはない。でも、これを一つの通過点としてますますはばたいていくであろうことは、確信できる。こんなにも美しく、力強く、高く踊ることができる歓び、その才能が授けられたことに対する感謝の気持ちを体中から放っているのだから。

ザ・スワン/ザ・ストレンジャー Jesus Pastor ジーザス・パスター
王子 Tom Ward トム・ワード
女王 Emma Spears エマ・スピアーズ
執事 Steve Kirkham スティーヴ・カークハム
ガールフレンド Fiona-Marie Chivers フィオナ=マリー・チヴァース
幼年の王子 Simon Kraiskos サイモン・カレイスコス


Swan スワン

ジョディ・ブレミングス, ギャヴィン・カワード, キム・アムンドセン, デイヴィット・リース
ティム・ブロウフィールド, ライアン・ジェンキンス, ボブ・J・ハームス
ニコラス・カフェツァキス, マイケル・バッド, サイモン・ハンフリー
レイン・ド・ライ・バレット, クリス・キーリー, ルーパート・トゥーキー, サイモン・ウィリアムス

Ensemble アンサンブル

メリアム・ポーリアン, ルース・モス, ピア・ドライヴァー, ローリーン・ディルテイル
キャサリン・フラワーズ, オリアーダ, ヘザー・レジス・ダンカン, カースティ・シモンズ
ジョディ・ブレミングス, ギャヴィン・カワード, キム・アムンドセン, デイヴィット・リース
ティム・ブロウフィールド, ライアン・ジェンキンス, ボブ・J・ハームス
ニコラス・カフェツァキス, マイケル・バッド, サイモン・ハンフリー
レイン・ド・ライ・バレット, クリス・キーリー, ルーパート・トゥーキー, サイモン・ウィリアムス

4月2日(水)ソワレ ザ・スワン:アダム・クーパー、王子:アンドリュー・コルベット

本当は追加公演も行きたかったのだが、再追加公演で3枚チケットを取ったのと、就職活動で忙しかったこともあって、2週間のブランクの後に観にいくことになった。まだまだハマり方が甘かったってことか。結局就職活動は玉砕してしまったし…。

さて、本日は初のアダム・スワンである。席も、右端寄りとはいえ、10列目とまずまず。やはり一度は本家本元であるアダムスワンは見ておきたかったし、楽しみだった。先入観を植え付けないように、購入しておいたDVDも未見。ただ、問題なのは、すでに二人のダンサーによるザ・スワンを見てしまっていたことだ。やっぱりどうしても他のスワンと比べてしまうことは致し方ない。そういう意味では、今回AMPの白鳥の湖を観るのは初めてという同伴した友人が少し羨ましい気がした。そして、本日は再追加公演の初日でもある。

王子役はアンドリュー・コルベット。ベン・ライトやトム・ワードがやや小柄でしかもむっちりとした体型、イケていない王子を演じていたのに対し、アンドリューはすらりと背が高く、顔立ちも賢そうで端整かつ大人っぽいハンサム。王子といえばドン臭く、弱弱しくてダメダメなマザコンキャラクターと思っていた私には、かなり新鮮な王子像であった。こんなに美しく聡明に生まれ育ったのにも関わらず、やはり自分に自信を持てず、愛されているという実感もなく成長してしまった。孤独がその繊細な要望に色濃く陰影を落としている。王子の寝室には鏡があり、観劇から帰った王子はそれを見つめるのだが自分の本当の姿はそこには映っていないようだ。本来王子に注がれなくてはならない女王の愛情は、他の若い男たちへと振り向けられてしまい、王子の、自分自身を見る目は曇ってしまっている。翼が折れてしまった美しい白鳥、それがアンドリュー王子なのではないかと思った。

2幕。アダム・クーパーのザ・スワンは力強く、雄雄しい。背が高く、がっしりとした体つきは男らしくて父親のように頼りがいがある。父親不在で育ってきた王子にとって、“なりたい自分=理想の父親”の姿をしているのが、このアダムスワンである。アンドリュー演じる王子は、姿かたちは美しいが、どんなに求めても愛情に恵まれず自己否定を続けてきたので、中身は空洞の悲しい存在になってしまった。その空白の中身を埋めて満たしてくれるもの、それがこのスワン。言い換えれば、アンドリュー王子とスワンの差というのは、精神的な豊かさなのである。

ところが、アダムと王子のパ・ド・ドゥがどうもかみ合わない印象がしてしまったのだ。アンドリューとガールフレンド役フィオナ=マリー・チヴァースの1幕のパ・ド・ドゥを観た時にも感じだのだが、アンドリューはソロの時にはいかにもクラシック・バレエ出身者らしく、非常に美しくきりりと踊る人である。でも、この日は、リフトが十分上がらないという欠点が見えてしまっていた。しかも、アダムがアンドリューの不調にやや引きずられている感じがしなくもなかったのだった。アダムは体が大きいこともあって、全体的に踊りが重たい印象がある。アダムは大柄だが、アンドリューも長身の持ち主。リフトするのはなかなか大変だろう。

その代わり、アダムはカリスマ性という意味では誰よりも強いものをもっている。少々ごついがギリシャ神話の神を思わせる整った顔立ちと鍛えぬかれた肉体。容姿が人一倍恵まれているし、肉体の存在感も強いので、スワンの群れの中でもひときわ目立ち、リーダーの貫禄がある。“友達”のような親しみやすいヘスス、“孤高の美しさ”の首藤に対して、“ボス”のアダムというべきか。2幕の始め、ソロで踊った後ポーズを決めるところや、片足で立つところなどは、まさに彫刻のようなマチズモな美を感じさせ、理想的な男性の姿かたちそのものだ。踊りもエネルギッシュでパワフルでキレがある。王子に対して、「我こそがそなたへの道しるべであり、我についていけばそなたも我のような光り輝く存在になることが出来るのだ」と呼びかけているようだ。
2幕のコーダでは、「Follow Me!」と王子に呼びかけているように見えた。ヘススが妖精、首藤が物の怪、あやかしとしたら、アダムはアポロのような太陽神である。蒼白い月明かりの中でも、太陽のように光り輝く存在だ。


そして、アダムが本領を発揮するのは、3幕のストレンジャーの場面。ストレンジャーにしては甘くキュート過ぎるヘスス、あまりにもストイックで冷静な首藤に対して、悪徳の薫りをふりまき、男らしい色香を放つアダムは完璧なまでのcharm(魔力)があり、ストレートの男も惚れ込むであろう。(事実、この日同行した男性の友人はアダムのワルの魅力にノックアウトされたようだった) 背が高く男らしい体つきに彫刻のような顔立ち、黒い革のパンツや長い丈のコートといったジゴロっぽい衣装が憎たらしいほど似合う。クールで、誰もを誘惑しながらも決して誰にも心を開かず、すべての者の魂を虜にして心の自由を奪い、すべてを奪い去っていく禍の死神というべき存在だ。着飾った高貴な人物たちの中にあって、鞭を振り回す、舌なめずりをするといった粗野な振る舞いに出ているにもかかわらず、下卑た印象は全くなく堂々としている様子は、立派な体躯と雄雄しい顔立ち、美しい立ち姿のなせる技である。ストレンジャーの身分は明かされていない(一応執事の息子という設定となっているが)が、周囲の視線を一身に集め、すべての羨望と嫉妬を浴びる彼は、この場にいる誰よりも強いオー ラを放っていた。彼の腕の中を各国の王女たちがかわるがわる踊っていくところも、彼女たちの「こんなにワルでセクシーでいけている男ににリードされてしまって、もう濡れてしまいそうだわ」という恍惚の思いが伝わってくる。最初は挑発的に見えたドイツやハンガリーの王女も、途中からはすっかりトロトロにとろけそうな甘い表情を浮かべている。ストレンジャー特有の腰のくねくねした動きは、ジーザスのようなラテンっぽいエロスはないが、それでも男らしくセクシーだし、一つ一つの動きがダイナミックなため、とにかくキマっている。特に後半の男女別にダンス合戦を繰り広げる、ミュージカルっぽいダンスは、彼のキメがあってメリハリのついたダンスが映えてカッコいい。バレエだけでなく、ミュージカルでも活躍しているアダムの本領が発揮されている。

王子の狂気と妄想のシーン−女王とストレンジャーのパ・ド・ドゥが、王子とストレンジャーにすり替わっていくところの演技力も見事なもの。中でも、額の真ん中に黒い線を描いて「どうだ!」と王子に見せつけるときの冷酷だが美しい表情は、さすがにこのアイディアを考えた張本人だけあって、堂々としていて、人間の中にある絶対的な悪を体現していて、たまらないものがある。女王を腕の中に抱えながら王子を嘲笑するところの悪魔的な輝き。執事とシャンパン片手に乾杯して「おまえもワルよのお」って勝ち誇った表情を浮かべるところ、乱心して銃を構えた王子を殴り飛ばすところ、すべてがあまりにもクールで情け容赦がなくて残酷な神のようだ。アダムのストレンジャーはあまりにも完璧。他の二人のストレンジャーが苦労していた、3幕ラストの、テーブルに片足を掛け女王をくるくる回すパ・ド・ドゥも、軽々と難無くやってのける。このあたり、マシュー・ボーン版「白鳥の湖」のオリジナルキャストであるところの自信とプライドが感じられ、「どうだ、我こそが本当の白鳥だ」と言われたような気がした。

4幕。ベッドの中から這い出す、傷ついたスワン。盛り上がった筋肉の堂々たる体躯に走る真っ赤な傷跡。こんなにも力強い肉体に傷がつけられることがあるなんて、という思いにかられる。本当に弱ってしまっている首藤スワンに比べれば、アダムスワンは傷ついたとはいえまだまだ力は残されている感がする。スワンたちの執拗な攻撃から王子を守ろうとするスワンは、まさに庇護者というか、その白い姿も手伝って守護天使のようだ。その背中には、見えない天使の翼が生えていた。スワンたちと戦おうとする強い姿勢や意思を最も感じさせる、ザ・スワンである。スワンたちは、自分たちのリーダーであったザ・スワンが裏切ったことを許せなく思い王子だけでなくザ・スワンをも攻撃するのだが、スワンたちの中にも、尊敬すべき番長、じゃなくて王を攻撃していいのだろうかというためらいが感じられた。

王子を失いそうになって天を仰ぎ絶叫するザ・スワン。それは、一つの王朝の終わりを感じさせた。光り輝く、力強く美しく賢明なる王が死に、王国が没落して闇に包まれていく様を象徴しているかのようだ。アダム・クーパーは、この「白鳥の湖」では紛れもなく「神」であり「王」である。すぐすこに迫る王子の死によって、女王が支配する帝国も黄昏ていくのと同様に。栄光の時代は過ぎ去り、残るのは、真っ暗な闇と無。自分のことしか考えず王子に愛を与えなかった女王は、王子の死ですべてを奪われ、暗闇の中で生きていくしかない。一方、自らが目指すべきだった理想の王の姿をしていたザ・スワンの足跡を追っていった王子は、黄泉の国でザ・スワンを父とし、安らぎと愛に包まれるのであった…。


アダムは、技術的には最盛期を過ぎてしまったかもしれない。体の柔らかさ、ジャンプ力といったテクニック的な面では、明らかにヘススより落ちているのが見て取れた。だが、彼にはザ・スワンを演じ続けている経験から来る自信と、ザ・スワン/ストレンジャーの役柄を誰よりも深く理解しているという点で、非常に優れている。加えて、大柄で堂々とした肉体とアングロ・サクソン的でマスキュリンな美貌。3人のスワンの中で誰が一番優れているかは判断に困るところだし、それぞれのスワンの個性が全く違うので、優劣をつけることには意味はない。それでも、マシュー・ボーン版の「白鳥の湖」のザ・スワンといえば?と聞かれたら、やっぱりアダム・クーパーとしか答えようがないことを今日は実感した。とともに、彼のスワンと異なる解釈を持って、それぞれ魅力的なスワン像を作り上げたほかの二人のスワンの素晴らしさも改めて感じたのである。



The Swan / The Stranger ザ・スワン/ザ・ストレンジャー Adam Cooper アダム・クーパー
The Prince 王子 Andrew Corbett アンドリュー・コルベット
The Queen 女王 Marguerite Porter マーガリート・ポーター
The Private Secretary 執事 Richard Curto リチャード・クルト
The Girlfriend ガールフレンド Fiona-Marie Chivers フィオナ=マリー・チヴァース
The Young Prince 幼年の王子 Simon Karaiskos サイモン・カレイスコス


Swan スワン

ギャヴ・パーサンド, ギャヴィン・カワード, ジョディ・ブレミングス, デイヴィット・リース
ライアン・ジェンキンス, サイモン・ハンフリー, ゲイリー・クラーク, ニコラス・カフェツァキスマイケル・バッド, ボブ・J・ハームス, ダミエン・スティーク, レイン・ド・ライ・バレット
ルーパート・トゥーキー, サイモン・ウィリアムス


Ensemble アンサンブル

メリアム・ポーリアン, トレイシー・ブラッドリー, ピア・ドライヴァー
ローリーン・ディルテイル, エマ・スピアーズ, オリアーダ, キャサリン・フラワーズ
ルース・モス, ギャヴ・パーサンド, ギャヴィン・カワード, ジョディ・ブレミングス
デイヴィット・リース, ライアン・ジェンキンス, サイモン・ハンフリー, ゲイリー・クラーク
ニコラス・カフェツァキスマイケル・バッド, ボブ・J・ハームス, ダミエン・スティーク
レイン・ド・ライ・バレット, ルーパート・トゥーキー, サイモン・ウィリアムス


4月6日(日)マチネ ザ・スワン:ジーザス・パスター、王子:アンドリュー・コルベット

そしてついに東京公演の千秋楽になってしまった。実は前の日、友人の家で、3月8日にスワンを見に行ったメンバーで、「白鳥の湖」DVD鑑賞会をやっていた。本当はお花見をするつもりだったのだが、天気が荒れていたため中止となり、鑑賞会になったわけだ。しかも、夜には別の友人の家に行って飲み会をやってしまった。だが、この日のジーザス(ヘスス)・パスターの踊りがあまりにも素晴らしかったと言う評判を後で聞いて、死ぬほど後悔したのである。DVDという、いつでも観られるものを公演を見に行こうと思えばいけたのに、家で観るなんてなんて愚かなことをしたのだろう。舞台というのは生で一度しかないのだから、絶対に万難を排してでも見に行くべきだとこのとき、実感した。なお、DVDは自分も買っていたのだが、記憶を上書きされるのがイヤで、封も切っていなかった。この日に初めてDVDを観たわけだが、このときのアダムは若々しくて、踊りも今よりシャープな気がする。そう、このときの彼は、ヘススよりも若い年齢だったのだった。だが、とにかく印象を上書きされるのがイヤで、実はろくに見ていなくて、文化村のほうに思いを馳せていたのである。

それはさておき、ちょうど初めてAMPを観て、ヘススを観て1ヶ月が経過していた。そしてこのとき、自分の目を疑うことになる。ここ1ヶ月ですっかりこの「白鳥の湖」に魅せられ、ヘススというダンサーに魅せられていたわけだが、自分の魅せられ方がまだまだであり、本当の凄さに気づいていなかった、自分は目は開いていたのに盲目だったのではないかと思うほどだった。考えてみれば、3月14日に観てからももう3週間経っていたのであるが。それほどまでに、ヘススの成長振りが凄かったのだ。もちろん、これまでの彼のパフォーマンスは素晴らしかった。とてつもなく柔らかい体、軸の安定した美しい回転、溜めや見得を巧みに使ったセクシーな演技。彼にしか出せない稀有な個性と、抜群のテクニック、表現力を持った魅力的なダンサーであることはよくわかった。しかし、これまでの彼には少し迷いがあったのではないか、という気にさせられる部分もあったのだ。最初の頃ヘススがストレンジャーを演じている時は、ラテンの甘い魅力で迫っていたものの、背伸びしている面も伺えて、やや余裕がない感じがしていたのだ。アダムが演じるオリジナルのストレンジャーを意識して、無理して大人 のマスキュリンな男に迫ろうとしている面があったというか。大人っぽい部分と少年のような部分が混在していて未分化であるというのは、それはそれで魅力的ではあるが無理しているな、という印象を与えた。楽日となった今日、その迷いは完全に吹っ切れているのがわかったのだ。彼にしか表現し得ない、唯一無比のザ・スワン/ザ・ストレンジャーの誕生だ。

4月2日のアダム・クーパーとの共演を観た時、個人的にはアンドリュー・コルベット演じる王子の評価は必ずしも高くなかった。アンドリューは3人の王子の中では最も容姿に恵まれており、王子のダメな部分が表現できていないように見受けられた。アダムとの組み合わせは、アングロサクソン系の美男子二人が並んでいるので、スワンと王子の関係がよくわからないうえ、似たもの同士というイメージがあった。さらに、パ・ド・ドゥが今ひとつかな、という感想を持ってしまったのだ。ところが、今回、ヘススとアンドリューのコンビは極めてよかった。ラテン系の愛らしいスワン/ストレンジャーに対し、アングロサクソン系のすらっとした、だが美しく繊細であることだけがとりえの、心ががらんどうの王子の対比は鮮やか。王子のほうが身長が高いのはどうかな、と思っていたが違和感はなかった。二人ともクラシック・バレエ系のダンサーであるため、パ・ド・ドゥも美しく決まっていた。

そして2幕のヘスス!この1ヶ月で恐ろしいほどの進化を遂げ、蛹が脱皮してあでやかな蝶に変身していく様子を見るかのようだった。彼の演じるザ・スワンだが、動きが高度に洗練され、しかもまったく人間には見えない。人間でなければ鳥でもない、"ザ・スワン”という名前のついた、世界にただひとりの生き物−生きているのではなく精霊か妖精なのかもしれないけど−である。その軽やかでしなやかでしかも妖艶な佇まいは、現実とは思えない。甘い夢を見ているようだ。跳躍はどこまでも高く、力強いのに柳のように柔らかだ。王子を前に踊るソロでは、ふわっと高く跳びゆるやかにつややかに舞い、体の関節を完璧にコントロールして自由に飛びまわれる歓びに溢れ、生の喜び、この世界の美しさを全身で伝えている。愛と美とエロスの伝道師のよう。それなのに、静止する場面ではピタッと微動だにしないので、メリハリが利いているのが心地よい。また、独特の、溜めを効かせ、ポーズを1/2テンポずらした動きをすることによって、"じらし”の効果が出て、静止した時のポーズの美しさと動きの大胆さが強調される。これは彼にしか出せない個性の一つだ。

その視線の放つ、ぞくぞくするような妖気。この舞台に登場する女性たちが束になっても敵わない。かつてのヘススが持っていた、ローティーンの少女の無邪気で無防備な色気から一転して、周囲をを誘惑することを知った、でも自分の本当の魅力に完全には気がついていない10代後半の人物のエロティシズムが、彼の目線にはある。豹のような、人の心を射抜いてしまうような鋭くしなやかで野性的な表情には、王子ならずとも魂を奪われてしまうだろう。こんな誘惑者に引っかかってしまったら、すべてを捨て、すべてを捧げて奴隷になってもいいと思ってしまうだろう。こんな神にだったら、喜んで命も魂も捧げます、と口を滑らせそうになってしまう。

そう、まるで美しい姿と声で男を誘惑し、死に至らしめるサイレン(Siren)のような妖しい魔力を持っているのが今日のヘスススワンだ。しかし、ヘスススワンは、王子を誘いその魅力の虜にするが、サイレンのような悪魔的な存在ではない。官能的な姿/表情なのに、同時に優しい存在でもあるのだ。スワンたちの群れの先頭に立って「おいでおいで」と誘っていても、それは破滅や死をもたらそうとしているわけでも、恋の地獄に落とそうとしているわけでもない。自分たちの楽しい世界へと招いているのである。こんなに恐ろしいほどのcharmがありながらも、ザ・スワンが王子に提供するのはlust(性的な欲望)ではなく、compassionとsympathy(共感)、そして友情のような愛。ザ・スワンは王子にとってのソウルメイトとならんとしていたのだ。ザ・スワンと王子の目線の位置は、全く同じであることが多い。王子がへたりこんだりおののいて地面に座り込んでいる時、ザ・スワンも体を折り曲げ身を低くして、くちばしで王子に触れようとする。そして二人の視線が同じ高さで交錯したときに生み出される、なんともいえぬ危うい緊張感。妖艶なスワンに見つめられた王子は、戸惑う。王子は、これ までの人生の中で、一度もそんな目で見られたことはなかったのだ。誘惑と、包み込むような慈愛という相反するような二つの要素を併せ持った視線。それだけでなく、ザ・スワンの方からも「怖がらないでぼくの胸に飛び込んで、ぼくを愛してよ」という王子を求めるメッセージを伝えようとしているのだ。ここにあるのは、3幕のストレンジャーのように誘い挑発して挙句の果てには冷たく突き放す、という偽りの愛ではない。やがて二人の視線は絡み合い、心は通じ合い、コーダの二人のパ・ド・ドゥの絶妙のハーモニーへとつながっていくのだった。一箇所、ヘススの足が滑ってしまったところが会ったのがやや残念だったが。

朝が来て、スワンたちが去った後、喜びに打ち震える王子。アンドリュー演じる王子は、やっと、自分の本来の美しさ、魅力に開眼して生きる幸せをかみ締めるように踊るのだった。そう、やっと彼はここで本当に開くことができたのである。だが、3幕で王子の瞳は再び曇らされる。

3幕。ヘススによるストレンジャーは、スワンのときほどの魅力はないのでは、とこれまで思っていた。2日にアダムが演じるストレンジャーを観て、アダムのカリスマ性、男性的な魅力、ギラギラした悪の匂いは決して誰にも真似できないものと実感していた。なので、私はここで驚かされることになる。前回のヘススによるストレンジャーを観てから2週間。ここでヘスス・ストレンジャーは驚愕の変身を遂げていたのである。前回観たときも、一回目よりもかなり色っぽさと危ない魅力が増しているのを感じることができたが、今回の進化は驚くべきものだった。中性的な部分、可愛らしい愛嬌の部分は薄まり(しかし、そこが彼らしさでもあるので、愛嬌と両性具有的なスパイスはもちろん残っている)、ワイルドで危険な薫りを放つ異邦人になりきっている。ダンス一つとっても、従来のねちっこさは残したままで、シャープさが増しているのだ。その上、これまでの1ヵ月半にも及ぶ公演で得た自信が反映し、ギリギリのところでがんばっています的な部分が消え、余裕たっぷりで軽々とすばやい動きをこなしている。セクシーな、グラインドするような腰の動きも、より柔軟でかつ鋭く淫らでたまらな いものに。たぐいまれなセックスアピールを誇示して誰の目をも釘付けにしてしまい、ここで皆の魂を奪い取ってしまうのだ。

コーカソイドの上品な人々が中心の舞踏会の中に舞い降りた、ひとりの黒い天使。黒い髪に、長いまつげに縁取られた黒曜石の瞳、黒い衣装の異邦人は、宴の席に黒い染みとなって、みるみる参加者たちに侵食していく。ラテン系のヘススは、コーカソイドのアダムとは別の際立ち方をしている。宴の賓客に向ける、悪魔のような冷たく輝く視線はクールなのにねちっこい。公演最初の頃の「誰でもOK」というサインではなく、すっかり高嶺の花のように咲き誇り、手に入れるには命くらいは差し出さないとならないくらいの魔性の魅力を持つようになってしまった。その腕の中に王女をひとりずつ抱きながらも、次の王女を待ち受ける様子は、彼女たちの求愛を受けながらも、軽くいなしてじらし、ゲームを楽しむ余裕も感じさせている。自分の心は決して何者にも与えない。愛しているのは自分のことだけ。一見受け入れてくれそうなのに、突き放してしまう冷たい身勝手さが、かえってゲームの参加者の心を熱く燃やしてしまう。王女たちは、ライバルの王女たちに勝ちたいとギラギラとした欲望を体全体で表現し、異邦人を挑発しようとする。だが、ゲームの達人のストレンジャーは、それくらいの誘惑 には決して動じない。彼が欲しいのは王女でもなければ女王でもない。ゲームの勝者になり、すべての者の心をズタズタに引き裂くことこそが、彼にとっての至福なのだ。ストレンジャーは、執事の命令によって女王の寵愛を得て王子を狂気に陥れるという策略に乗ったかのように見える。ところが、実際のところは、ストレンジャーはすべての権力を手に入れた上で、女王を裏切り、父親である執事を裏切り、唯一自分がその王国に君臨するという未来絵図が見える。王子を嘲笑し、女王と情熱的なパ・ド・ドゥを踊り、それでも余裕たっぷりで来るべき陰謀の完成に思いを馳せているような悪魔的な表情が、一見愛らしい顔の中によぎっている。

そんな完成度の高いストレンジャーの毒牙にかかってしまっては、純粋培養で育てられた王子はひとたまりもない。2幕での、優しく包容力のあったザ・スワンがこんな悪魔の衣をまとって登場したんだから。私に生きる希望を与えてくれた、ただひとりの友達になってくれた、無償の愛さえも捧げてくれたあの天使のようなスワンは一体どこへ消えてしまったの。私が醜いアヒルの子でもなければ、でくの坊のお坊ちゃまでもない、美しく光り輝く王子であると教えてくれたザ・スワンが、残酷で邪な神の似姿で舞い戻ってくるなんて…。アンドリュー王子は、端正な顔立ちで体の線も麗しいだけに、よりその苦悩はダイレクトに伝わってくるし、ストレンジャーとのパ・ド・ドゥにはぞくぞくするほど恐ろしい美しさがある。あらかじめ負けることがわかっているゲームに身を投じる王子の、怯え切っているが、1%の可能性にすがり付こうとする必死さをその表情と体の動きの中に表現している。そんな王子を手のひらでもてあそぶストレンジャーは、つめたく冷えた月明かりに照らされて、ますますその邪悪な美を際立たせる。勝敗はいとも簡単に決まり、あたりを見回すと味方をしてくれる人はひとり もいない。いや、唯一ガールフレンドだけは執事の陰謀を知っているから王子に同情しているのだけど、王子の目に彼女は映らない。もはや世界中すべての人々が敵であり、あの夜に自分は本当は美しい白鳥だと知ったのは単なる夢だったのだと、王子は思い込むことになってしまった。ストレンジャーはスワンの愛は偽りだと思い知らせ、王子が主役だったはずの舞踏会の主役の座を奪い、すべての女たちの心を奪い、しまいには母である女王の愛さえも勝ち取った。なによりも、王子の愛と自尊心までも奪い去ったのである。アンドリュー演じる王子を観ると、美しい姿、高貴な生まれと権力という、誰もがうらやむ恵まれた部分が、すべて裏目に作用し、王子を地獄へと追い込んでいるということがよくわかる。

ミュージカル仕立ての男女対抗ダンスも軽々と、自信たっぷりにこなしたストレンジャーは、最後に女王の腕を取り、翻弄するかのように彼女を抱いてくるくると回る。今日の舞台で唯一物足りないところがあったとしたら、それは、このシーンで女王をちゃんと持ち上げられなかったことだろう。テーブルに脚を掛け、女王をリフトしてその上に回転させるというこのシーンは難易度が高いが、4回のうちまともに脚の上に女王をうまく持ち上げられたのは一回のみ。(首藤もこれが苦手のようだった。アダムは逆に、いつでもこれを綺麗にキメられていた)残り三回は誤魔化していたのがよくわかってしまう。リフトについては、ヘススは苦手であるということがここでも露呈してしまった。王子を混乱に陥れ悲劇を引き起こさせた後、ストレンジャーが高笑いするところは、流石に今回の経験で自信を手に入れたのか、堂々としていて、魔王のような美しさがみなぎっている。最初の頃の無邪気な感じはすっかり消えてしまったが、それでも邪悪さの中にも独特の愛嬌があるのが、ヘススらしい。

そして4幕。笑っても泣いても、日本で見るヘスススワンは最後である。今回実感したのは、ヘススの演技力、表現力である。テクニックのあるダンサーはいくらでもいるだろうけど、彼のように、観る者の魂に刻印を残すことができるダンサーは稀有なのではないかと改めて思った。愛する王子が痛めつけられる姿に魂の底から激しく慟哭し、長いまつげで縁取られた瞳からは黒い涙を幾筋も流す。若く美しい若者が、無二の友と思っていた白鳥の仲間たちに襲われ、最初は驚きながらも、徐々に奪われていく生命力のすべてを振り絞って抵抗し王子を守ろうとして、やがて若い命を散らし、生命の灯を消していく。少しずつ力を奪われていきながらも血を流し、渾身の力で抵抗し、わずかに残された生命力のすべてをこめた絶叫。すべての力を奪われ、すべての希望を摘み取られ、ベッドの中に倒れこみ吸い込まれていくザ・スワンの悲しく壮絶な表情を私は生涯忘れることはないだろう。王子とザ・スワンは王室、ヘテロセクシャルが善であり、人間同士の恋愛が正しいと言う固定概念に対して戦いを挑んで敗れ去りこの世界から消えていった。だが、お互いの命を賭けて、その存在のすべてを賭けてふた りで戦ったという事実は観る者すべての記憶に刻印を残し、実は二人は勝利したのだという印象を残して幕切れとなる。

人間が人間として生きる上で何が一番必要か。それは誰かを愛することであり、誰かに愛されることであり、そしてどんな人にでも、自分という存在が決して無意味なものではなく、愛される価値があり、世界の中で、わずかひとりであったとしても、その誰かに必要とされているものであるということを、この物語は語ってくれた。人生のほんの一瞬、愛された記憶というのは、たとえその愛がうたかたのように儚く消え去ってしまったとしても、その記憶さえあればこれからの日々を生き抜く力になってくれる。生きることに迷いを感じている人、人生の意味を見つけられないでいる人、誰にも愛されていないという絶対的な孤独を感じている人、自分には何も価値がないと思っている人に、きっとこの作品は勇気を与えてくれる。ほんのなかでも、どんな人に対してでも、慈愛の微笑で温かく包んでくれるへスススワンに救われた人は、私のみならず数多くいるのではないだろうか?そのことを感じさせてくれたスワンは彼ひとりだと思うし、だからこそ私は彼を愛するのである。

涙でメイクがすっかり流れてしまい、まるでパンダのように目の周りが真っ黒になってしまったカーテンコールのへスス。ハードな6週間を踊り終えた充実感がいっぱいで本当に嬉しそうな顔をしていた。最初のうちは正直頼りない、スワンの群れのうちに埋もれてしまっている感じ、ストレンジャーの時にはあまりにも可愛すぎ、といった欠点があったが、舞台を重ねていくうちに彼にしかない、一度観たら魂に刻み込まれるような麻薬のような魅力に転化していったのである。この間の成長はまさに恐ろしいほどといってもいいほどだ。これから先、彼はどのようなダンサーに成長していくのだろう。技術的にも高度なものを持っているし、表現力も類稀であるが、何よりも人々の記憶に残る踊り手になるのだと思い、そんな彼が蛹から美しい蝶に羽化していく瞬間を目撃できた幸せをかみ締めつつ、帰途についた。終わったあとは、震えで席から立てなくなってしまうほどだった。

The Swan / The Stranger
ザ・スワン/ザ・ストレンジャー Jesus Pastor ジーザス・パスター
The Prince 王子 Andrew Corbett アンドリュー・コルベット
The Queen 女王 Marguerite Porter マーガリート・ポーター
The Private Secretary 執事 Richard Curto リチャード・クルト
The Girlfriendガールフレンド Fiona Marie Chivers フィオナ=マリー・チヴァース
The Young Prince 幼年の王子 Simon Karaiskos サイモン・カレイスコス


Swan スワン

ギャヴ・パーサンド, ギャヴィン・カワード, キム・アムンドセン, サイモン・カレイスコス
ライアン・ジェンキンス, サイモン・ハンフリー, ボブ・J・ハームス
ヘンドリック・ジャニュアリー, ゲイリー・クラーク, マイケル・バッド, ダミエン・スティーク
レイン・ド・ライ・バレット, ルーパート・トゥーキー, サイモン・ウィリアムス


Ensemble アンサンブル

ヘザー・ヘイベンス, ルース・モス, ピア・ドライヴァー, ローリーン・ディルテイル
エマ・スピアーズ, オリアーダ, キャサリン・フラワーズ, ケイティー・ゲイプ
ギャヴ・パーサンド, ギャヴィン・カワード, キム・アムンドセン, デイヴィット・リース
サイモン・カレイスコス, ライアン・ジェンキンス, サイモン・ハンフリー, ボブ・J・ハームス
ヘンドリック・ジャニュアリー, ゲイリー・クラーク, マイケル・バッド, ダミエン・スティーク
レイン・ド・ライ・バレット, ルーパート・トゥーキー, サイモン・ウィリアムス