・・・滅び行くものの美しさ。なのか?
さあみなさん! お待ちかね、チェーザレと義仲そのシンクロニシティ。
その2ですわよーん。



5.牛

何を突然、と思われるかもしれませんが、コレもすごいシンクロなのです。
ボルジア家の家紋は、牡牛。しかも、大の闘牛好き。
義仲が一躍歴史のトップに立ったのは、倶梨伽羅峠の戦い牛の角に松明を括り付けて、多勢に無勢の平家を打ち破ったあの戦い。

牛に守護された二人、ってなんだかやたらとカッコ悪いですけど、彼らの人生、牛が幅を利かせているのです


6.敵

ここからがすごいのよみんなきいてちょうだいな!
チェーザレを滅ぼしたのは誰? ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ。
義仲を滅ぼしたのは誰? 後白河院。
ま・た・の・名を・・・
法王ジュリオ2世、そして後白河法王!!
そうなのよ、二人とも法王!! なの!!
どうだみんな驚いたか!!
二人とも、一応、僧籍にある最高権力者。そしてまれに見る狡猾さで有名なお人達。
かわいそうな私のヒーロー二人は、こんな生臭坊主たちにやられてしまったですわ-!

いえ。あの二人にかわいそう。なんて言葉は似合わないわ。
世の中の仕組みは、すべてヴィルトゥ(器量)とフォルトゥナ(運命)。いかにヴィルトゥがあっても、フォルトゥナの加護なしには栄光はつかめない、この非常なる世の中において、チェーザレと義仲は、どこかで、フォルトゥナに見放されてしまったのね・・

運命の神は女神であるから、若者を好む。
何故なら女というのは、往々にして、思慮深い大人よりも強引な若者を好むからである。

というのは君主論でマキャヴェリくんが述べていた言葉ですが、いやん、それじゃあ女のわたしはどーすればいーの?? というつっこみはこの際置いといて、チェーザレと義仲はその強引さ、力強さで、運命の女神の前髪を引っつかんでいた。

実は、二人には、悪運を呼びこんじゃった女、というのもいるのよね・・
チェーザレには、サンチャ・ダラゴーナ。
義仲には、藤原伊子姫。
サンチャはチェーザレの弟の嫁さんにして愛人、ナポリの王女。伊子姫は関白の娘で、義仲が是非に、と所望した、ま、一応、正妻。
チェーザレは、サンチャを裏切ってぼろぼろにしておきつつ、後々何故か助けを求めて、こっぴどく裏切られ、それが破滅をさらに早めるし。
義仲は、山猿の分際で関白のお姫様なんかを強引に娶っちゃって、京都人からの非難と軽蔑をさらに深めるし。

ある意味、これが運命の女神のしっぺ返し。だったのかもしれないなぁ。。ジェラシーってやつかね。ルクレツィアの。巴の。運命の女神の。
女ってこわーい。


7.魔都

さらに面白いのは、二人とも、「」にやられているという事実。やられている、というのは、そこでしんじゃった。という意味ではなく。

義仲がその山猿っぷりに呆れられ、京都の方々から総スカンを食らったというのは有名なお話。まあわたしがいうところの「ぶぶづけ攻撃」ってやつかしら?
チェーザレの方は、ローマ生まれのローマ育ち。生粋の建て男なんだけど・・ボルジア家はもともとスペイン出身。つまり、本当のイタリア人からすれば、いつまでたっても「スペインの牡牛野郎」。チェーザレの危機に至って、ローマの貴族たちは、「あのスペイン野郎をぶちころせ」のノリ。

つまり、都人からすれば、永遠の「余所者」だった二人。

ましてローマと京都。ともに魑魅魍魎の跋扈する魔都。スノッブな選民思想で余所者が排斥されるのは世の常ですが(パリでのマザラン枢機卿はいつまでたっても「イタ公」だったしね・・)、二人がもしも、生粋の都出身だったのなら、歴史は変わっていたかもしれません。

やっぱり政治は地盤。かしら・・


8.死に花

わたくしは、英雄の条件はその死に花の咲かせっぷりだ、と信じてやみません。
滅び行くものの美学を描いた平家物語に例とをるまでもなく。
やっぱり悲劇の英雄は、悲劇じゃない英雄よりも美しいのです。どうしたって。

チェーザレの最後は、ほとんど関係ないんじゃないかと思われる、妻の実家の小競り合いにて。
義仲の最後は、負け戦覚悟の宇治川にて、従弟にあたる義経との戦い。

チェーザレは、味方の勝ちを見届けた後、激情にかられたように単身、敵の真っ只中に突っ込んでいった、といわれます。
義仲は、愛する巴を落ち延びさせたあと、自害の直前に矢で射られての死。そばにいたのは今井兼平を含むほんの数騎のみ。

双方ともに、孤独で、惨めで、それまでの栄光の人生はなんだったのか、と思ってしまうような、あっけない死。
だからこそ壮麗で絢爛豪華な、「栄光ある死」

そして。
なんといってもコレが一番びっくり。
二人の享年は、共に31歳。
(できればわたしも31で死にたいわ・・)

二人の事を書き残したのは、片やマキャベリ、片や平家物語。
ともに、没落する過程ではクソミソに書かれていますが、ともに、その死、もしくは死後を美しい言葉で飾られています。

神は、一時、このイタリアを救うべく一人の人間をつかわされたかに思われた。しかし、その人間は、運命の絶頂で、運命に見放されてしまった。

マキャベリがチェーザレに残したこの言葉、私の権限で、義仲にも捧げさせていただきましょう。

義仲に政治的ビジョンはなかった・・とか、そういう無粋な突っ込みは、ここではなしよ♪


さあ、果てしなくいいかげんに書き流してまいりましたチェーザレと義仲の比較検討。
気に入っていただけましたでしょうか。
これは、わかる人にはわかってると思いますが、わたくしからチェーザレと義仲へ捧げたレクイエム兼、恋文なので・・
多少の事は、おおめにみてね。恋文なんだから♪
チェーザレと義仲その1を再読。
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