日本人観光客考え、または日本人としての誇りについて。



残念ながら、そして無理もないことだが、イタリア人にとって日本人というのはプラダとフェラガモのブティックの前で行列し、
イタリア人と一言も会話することなく3日か4日で去っていく金持ちの外国人である。

 実際、行ってみるとびっくりするが、プラダの行列には日本人しかいない。確かに日本で買うのよりは安いかもしれないが、それにしたって他のブランドと比べても段違いに高いお値段のプラダで、大学生くらいの若い女の子が買い物をする、というのもちょっとびっくりだし、そのお値段のせいかどうか、私はプラダグッズを持ったイタリアの若い女の子を見たことがない。プラダの財政は、日本人が支えているんじゃないか、という気になってくる。日本人の私でさえ、プラダの大きな紙袋をもった女の子たちを見るとうらやましくも憎たらしくなってくるのだから、イタリア人としてみれば金にあかせてブランドものを買いあさる田舎もの、とでも思わなければ悔しくてしょうがないだろう。マジで、どうしてみんなあんなにお金持ちなんだろう?

 そして、こちらは大体グループ旅行をしているおじさんおばさんたちの服装は、一体どうしたわけか。せっかくバカンスに、しかも芸術と歴史の町ローマに来ているのだから、少しはおしゃれしよう、と思うのが人情のはずなのに、そんなかっこじゃ地元で買い物もできんだろう、というようなお召しでいらっしゃる。どこで売っているんだ、というようなぺらぺらのビニール製のウィンドブレーカーにトレパンみたいなズボン、そして小さなつばのついた丸い帽子。別に文句を言いたいわけではないが、もう少し何とかならないものだろうか。

 たしかに、観光客はみんなひどい格好をしている。アメリカ人なんて大きめのTシャツに綿の短パン(しかもどうしてもチェック)というのが制服のようだし、ドイツ人も暖かい南の国に来たのがそんなにうれしいのか、だぶだぶぺらぺらのながーいノースリーブのワンピースや、ちょっと首の辺りが伸びたTシャツというのが大勢をしめる。最近増えた韓国人も、日本人と同じか、それよりひどい格好をしているが、しかしなによりすごいのは「俺っておしゃれ大好きなんです」と主張してやまない日本人の若い男の子たちのグループだろう。もちろん、若い男の子だけでイタリアに来るなんてそりゃあもうイタリア・モーダが大好きで大好きでしょうがないんだろう、というのはよくわかるのだが、何も暑い最中、真っ黒のスーツに奇抜なネクタイを締めて、集団で歩かなくてもいいだろう。と思ったことが二度ほどある。

 重要なことに、イタリア人は皆さんが思っているほどおしゃれでも何でもないのだが、その辺は違う項で書くことにして。

 とにかく、イタリアで見る日本人観光客は、最高の評判を得ているとは言いがいたいのである。

 もちろん、文句は言わないし金払いはいいし、ということで観光業の方々からは評判がいい。サン・ピエトロ大寺院で大騒ぎするのは日本人だけ、とか言ううわさを聞いていたが、他の国からの観光客だって平気でフラッシュ撮影をしたり、おしゃべりをしていたりする。日本人はどこにいってもお行儀がいい、というのはまちがいない。

 しかし、何だか浮いている。

 私のカンでは、これは彼らの警戒心と引け目のせいではないだろうか。つまり、警戒の意識をぴりぴりと発散し、いつレイプされるか、いつひったくりにあうか、とびくついているし、馴れない外国にやってきて何か間違ったことをしてしまったらどうしよう、恥ずかしい、という気弱さがはっきりと現れている。

 まさに人を見たら泥棒と思え、初めて都会に出てきた田舎ものという感じ。そのくせ、日本にいるときだってめったにやらないような多額の買い物とか、高級レストランでの食事とかに挑戦するから、何だか不思議なことになってしまうのだ。

 もちろん、日本にいるときより用心しなければならないのは当たり前である。ちまたには盗みを糧とするジプシーやアラブ人があふれているし、イタリア人は親切だが狡賢い。箸を使わずに食事をするんだからマナーが違って当たり前だし、そもそも文化だって全く違うんだから色々わからないことがあるのは当然だろう。何をするにもちに足がつかなくっても、それはしかたない。

 しかし、彼らを見ていると、何だか日本人であることにコンプレックスを持ってるんじゃないか、という気がしてくる。成金の黄色人種だ、ということを認めてしまっているかのようでさえある。戦争に負けて以来、日本には図らずも白人コンプレックスが根づいてしまっているが、イタリアも、みんな忘れてるみたいだけど、あの戦争には負けているのである。おまけに、三国同盟の足をひっぱった張本人だ。言っちゃ悪いけど、日本がイタリアに負けているところなんて、探そうたってそうは見つからない。

 観光客である以上、地元の人々にある種の劣等感を抱くのは仕方がない。その国のことは、彼らの方が知っていて当たり前なのだ。だからこそ、日本にいるときよりも簡単に騙されてしまうかもしれないし、間違った行動をとって笑われることがあるかもしれない。

 でも、東京とローマを比べれば、東京の方がずっとおしゃれで洗練されているし、現代都市としての機能でもはるかに勝っている。ローマは美しい、そんなことは当たり前だが、東京だって十分魅力的だし、その東京を首都に抱く私たちが、何故イタリア人に田舎もの扱いされなければならないのか。

 プラダが好きなのもわかるし、イタリア・モーダは確かに素晴らしい。しかし、好きであることと、負けを認めることはまた別の問題である。

 日本人が金持ちなのはそれに見合うだけのことをしてきたからだし、私たちの文化にはイタリアほどではないにしろ、確かな歴史と伝統が根づいている。決してぽっとでの成金なんかじゃないのだ。あの歴史のかけらも持たないアメリカ人があれだけ図々しくしているのに、何も私たちが小さくなる必要はない。イタリア人が日本人を馬鹿に出来るとしたら、それは彼らに十分な知識がないからだし、イタリアでスリや詐欺が多いのはイタリアの責任で、世界一治安のいい日本に住む我々が被害にあうのはある程度仕方がないし、私たちが馬鹿だからではないのだ。

 何だか熱く語ってしまったが、ガイドブックにかいてある、「日本とはマナーが違う、悪い評判を立てられないようにおとなしく、お行儀よく、タバコはデザートまで吸っちゃダメ、チップを忘れるな、お店にはいるときは一声挨拶、勝手に品物に触っちゃダメ」などなどをいちいち厳格に守る必要などない。もちろん、常識の範囲内で行動しなければいけないのは当然だが、何もかもイタリア人にあわせなければいけない、なんてことはないはずである。何か間違ってしまったら笑い話にすればいいだけのことだし、アマゾンに行くときに多少の怪我を覚悟するように、犯罪防止後進国に行くのだから、多少の損害は覚悟しておけばいい。

 日本は今や、世界に比類のない経済力(ちょっと下り坂だが)、きちんとした歴史に裏付けされた素晴らしい文化と、これまた世界が憧れてやまない技術力をもち、そしてまさに日本人が生み出し、日本人によって進化していく新しい文化――漫画、アニメ、コンピューターゲームを一手に

引き受けている超大国なのである。ジャパンマネーを甘く見るな、とか、日本人を馬鹿にするんならプレステするな、とかの啖呵を切っても、誰も文句は言わない(言い過ぎ?)。

 私は国粋主義者でも何でもないが、日本は、誇るに足りる祖国である。その国民であることにプライドをもって、イタ公なんかにびくついたり、卑屈になることはないんだ! と大声で言いたい。ただでさえイタリア人であることを必要以上に誇っている彼らを、これ以上増長させることはないのである。

 もちろん、詐欺の被害にはあわない方がいいし、この国の常識もしらないよりは知っていた方がいい。なにも、金を盗まれても気にするな、金にものを言わせて傍若無人に行動しろ、というのではない。

 ただ、この国において日本人がそれにふさわしいだけの評価と扱いを得るためには、みんなもうちょっと肩の力を抜いて、余裕と誇りを持つ方がいいんじゃないかな、と思のだが、どうか。


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