ブランド、好き?

イタリアン・ブランド。
日本人はこの言葉に弱いですね。ブランド、じゃなくても、イタリア製という言葉にすら、弱い。
靴と食材に関しては、「イタリア製の価値」はあると思うけど・・他のものは、どうかなあ。

イタリアン・ブランドの代表はグッチとプラダ。
続いてドルガバ、アルマーニ、フェンディ、フェラガモトラサルディ、あたりですかね?
ちなみにシャネルやルイ・ヴィトンはイタリアン・ブランドではないので、間違わないでね♪

イタリアに「ブランド物を買いに行く!」という旅行者の方さえいるくらいですから、そりゃ、みんな好きなんだろうなあ・・っていうか、旅行費を十何万もかけてイタリアに行くくらいなら、日本で買い物したほうがよっぽど安上がりな気がするんだけど・・やっぱり「本場」で買うことに意味があるのかしら。

そんなブランド好きには天国のような場所、それはスペイン広場からまっすぐに伸びるファッション・ストリート、ヴィア・コンドッティです。
思い出す限りでも手前から順にプラダ、グッチ、ブルガリ、カルティエ、エルメス、フェラガモ、ルイ・ヴィトン(イタリア語では何故かルイ・ウィットンと呼ばれる)、ラ・ペルラにゴルティエ、アルベルタ・フェレッティとハイ・ファッション・ブランドが目白押し。
わたくしはブランドに興味がないんですが、人に頼まれたお買い物とかでしばしば訪れるのですが。

日本人・・多いよねえ・・。
特に、やはりというかなんというか、プラダとグッチ。いつ行っても満員、しかもその六割以上は日本人。残り二割くらいは韓国人か。
アジア人はブランド好き、というのは、民族の坩堝である北米でも有名な話なので、たしかにアジア人はヨーロッパ・ブランドが大好きなのでしょう。
好みの問題にことの是非はありませんが・・やっぱり、ヨーロッパ人からみれば、「成金、田舎者」と思われるよなあ・・
ま、その成金・田舎者をターゲットとして商売をしている、というのは、表には出さないまでも彼らにとっては当たり前のことなので、別にいいんですがね。
それにしても、あの店員の態度はどういうものでしょうか。そして客としての日本人の態度も。

まず、そういった高級店では、陳列してある商品を勝手に触ってはいけません。
お値段張るものをお買い物するお金持ちに対する接客、というのがスタイルとしてあるから、本来なら店員がマン・トゥ・マンでついてくれて、色々な品物を見せてくれたりアドバイスをくれる、という方法をとるべきなのでしょうが、あの混雑の中では絶対的に店員不足
手の開いている店員さんを見つけることさえ難しい、しかし接客してもらわなければ商品を見ることが出来ない、というのは根本的なところで大きな間違いがあると思うのですが、しかしまあ、実際問題そうなんだからしょうがない。
となると、いかにして店員に対して意思表示をするか、というのが大きなポイントとなってくるわけですがね。

客である日本人、お行儀よすぎ
店員であるイタリア人、横柄すぎ
それって、普通逆だろう。と思うのですがね。

こっちは少なくとも数万円の買い物をする客ですよ。普通の状況だったら、下にも置かぬもてなしをしてもらってしかるべきなんです。
日本のお店で、そんな高額な品物を買おうとしているときに、店員がいなかったり、客あしらいが乱暴だったり、何十分も待たされたら、頭に来るでしょ? 買う気も失せるでしょ?
言葉の壁があるというなら、日本人がこれだけ来ることが分かってるんだから、店員に日本語教育しろ! と思うくらいです。

しかし、彼らの態度はあくまで大名商売。「田舎者に売ってやってる」といわんばかりのあの態度。声をかけてくれるのを待って、おとなしく商品の前に立っている日本人なんてムシムシ、は当然として、無理やり声をかけようものなら迷惑そうな顔さえする始末。
接客のプロとして、基本的なところが出来てないよ、あんた達。どんなに忙しくても、笑顔で「申し訳ありません、少々お待ちください」くらいは言うべきだろう。

そして、対する日本人。日本人同士ではぶつぶつ文句を言ってはいるものの、イタリア人の店員に対しては一貫して弱気。待て、といわれれば忠犬ハチ公もかくや、という待ちっぷりを見せるし、横柄に扱われても弱気な笑みを浮かべて怒りもしない。
挙句の果てに、何時間待っても接客すらしてもらえず、何も買わずにすごすご帰っていくという・・
困ったもんだ。

わたくしは別に、成金でも田舎者でもいいと思いますよ。どんな状況だって、お金を払うほうが偉いのは自由経済のルールです。ブランドが好き、というのは、いまいちわたくしには理解できないんだけど、好きならしょうがないじゃん。その品物を身に纏うことが自分に自信を与え、美しく見せてくれると思うのなら、喜ばしいことじゃないですか。
だから、そこで及び腰でいちゃいけないんだってば! そんなことだから奴らが付け上がるわけです。

通常の価値で考えれば明らかに高価な値段設定をしているブランド物というのは、その「格」イタリア語で言えばClasse、を売り物にしているわけよね。
その品物をショップで購入し、持っているということがステイタスであり、品格をあらわさなければいけないわけです。
だったら、客としても当然、「格」がなかったら、そんな品物持ってても意味無いでしょ?

以前わたくしは、「ルイ・ヴィトンのスーツケースは、召使に運ばせるもの。ソレを自分で持っていること自体ナンセンス」とまで思っていたものですが、最近はそこまで過激なことは言いませんが、それにしたって、おどおど弱気でショッピングするくらいなら、ブランド物なんて買うな。とは、思います。今でも。

クラッセ(格)のあるシニョーレ(旦那)でありシニョーラ(奥方)でありシニョリーナ(お嬢様)だからこそ持つ意味のある品物なんだから。少なくてもそのお店の中ではそれなりの扱いを受ける権利があるし、その辺のことを理解していない無粋なイタリア人店員が幅を利かせていたとしても、コチラとしてはあくまでも客としての格を保って、お買い物しなきゃいけないのよ。
無粋なイタリア人ねえ・・と思いつつも、「あら、いやねえ。店員の教育も出来ないなんて、グッチの格もおちたものだわ・・」などとつぶやきつつ、泰然と待つなり、「お忙しいのは分かるけど、こちらも急いでますの。どうにかしていただけません?」という毅然とした態度で接客させなくてはね。

わたくしはお買い物に行くと、まあそれはだいたいわたくし自身のためのものではないわけですが、とにかくちゃんとした接客を望みます。とりあえず歩いている店員に意志を伝え、品物を出してもらって、ゆっくり選ぶ。決まった時点でまた歩いている店員を捕まえ、早急に対応させる。
そうすると、おとなしく黙って待っているだけの忠犬ハチ公な方々を追い抜いてしまったりするわけですが、でもそれはしょうがないじゃん。わたくしだって、数万円を握り締めて、それなりの買い物をするわけだから。
同じ客の立場で、わたくしが「当然」の態度を取った結果、他の方々には申し訳ないけど、先に接客してもらえるのは、ある意味「当然」でしょう。
向こうがその気なら、こっちもその気で。客としての当然の権利を主張しないでただ待ってたり、弱気に引き下がっていたりしたら、いつまでたっても「客としての格の足りない田舎者、だから放っておこう」と思われてしまうわ。
もちろん、非は、向こうにあるものだけどね。でもだったら、こちらでもそれなりの対応をしないと。
イタリア語が無理なら英語で、それも無理なら日本語でもかまわないから(あら日本語も出来ない店員さんなの? 無知なんだからしかたがないわね・・でも言いたいことくらい分かっていただけるわね? くらいの勢いで)、とにかく客として当然の扱いをしてもらうこと。これ重要。

そうやってヨーロッパ・ブランドというものと対等に立って、初めて、そのブランド品を身につける意味も価値も生まれると思うんだけど・・そういうものではないんでしょうかね。


.
top..