仏教とキリスト教

仏教。それはオリエンタルな未知の宗教。
ブッダ。それはでっぷりと太った三段腹の中年の男(そのお腹に触ると幸運が訪れる)。
禅。それは東洋的瞑想で、ニュー・エイジといわれるミニマリズム系インテリアとかに通じる思想。

イタリア人にとっての仏教って、そんなもんです。

仏教思想というのは、日本人にとっては割りとわかりやすい、というか、自然と身についてくるくらい身近なものなんですよね。色即是空、といわれて、「この世の万物は、すなわちすべて、無である」といわれても、なんとなく解っちゃう。頭ではわからなくても、感覚として理解できてしまう、というのは、わたくしたちが東洋人だからこそ、だと思います。
そもそも東洋思想というのは基本に円環がある
すべてのものは滅び、また生まれ、そしてまた滅びる。盛者必衰であり、輪廻転生でもある。
でも西洋思想、というのはキリスト教思想を根に持っているだけに、一本道の直線。前に進むのみ。
そしてすべての終末、である「最後の審判」で、幕を下ろすことになってる。
だから、東洋的な「円環、循環」の思想は、イタリア人には全く異質なものなわけです。
まあ仏教でも「末法思想」はあるし、その円環から抜け出すことを「解脱」といい、それが最終目標なわけだから、完全に円で閉じているわけではなく、その上に「なにか」があるとはいっても、そこから抜け出すまでは永遠の循環、という思想は、キリスト教にはない。

キリスト教は、「イエス・キリスト」という「救世主」が全人類を救ってくれるわけですが、仏教にとっての「ブッダ」は、あくまでもはじめて「解脱」をした人間であって、全人類を救ってくれたわけじゃないし。
わたくし達すべての人間は、ブッダに救われるというより、自ら永劫の時間をかけてその境地に辿り着き、自らを救わねばならないわけです。
キリスト教だと、洗礼をうけて、神様を信じていれば、イエス様の犠牲によって信者はすべてすくわれるわけですが、仏教においては悪いことをすれば、信者であっても、効果てきめんに次の世では蝿に生まれ変わっちゃうかもしれないし。念仏を唱えれば救われる、といってくれるありがたい宗派もあるけど、それが仏教全体の決まりごと、ではないし。

それぞれの宗教は、それぞれの世界に、思想的に影響しているのは間違いないわけですよね。
だから文化にも大きく影響しているし、宗教なんて関係ない現代っ子な人たちにだって、絶対どこかに影響してる
イタリアの話なので、ローマ・カトリック教会に限定して言いますが、ローマの教会はそれはもう、間違っても「清貧」なんて言葉の似合わない豪華絢爛さ。しかも規模が大きい。大勢の人が礼拝できるというのが基本的な構造
対して日本のお寺が、建物自体は大きいかもしれないけど、仏様と対面して祈祷できるスペースが小さいのはやっぱり、キリスト教が「対世界全体」の宗教であるのに比べて、仏教が「対個人」の宗教の色合いが濃い、という理由もあると思われます。もちろん例外はそれぞれ、あるにしてもね。

イタリアは、もちろんローマ・カトリックを国教とする国ですが(でも宗教の自由はもちろん保障されてます)、非常に大らかな感じで信じているのは、日本においての仏教が大らかに信じられているのと一緒。
というかむしろ、外国のクリスチャンはイタリアのクリスチャンよりもよほど敬虔で、熱心。
イタリア人、普通はめったに日曜礼拝なんていかないしね。
クリスマスだってそれぞれの家でご飯食べて、ミサに参加するのは一大イベントだし。
ローマ・カトリック教会が一貫して反対している「避妊」に関してだって、南米のカトリック教徒はそれをまともに守っているから、子供が出来すぎちゃって困る、などの問題が頻出しているというのに、それを言っている張本人・ローマ教皇を擁するローマで、避妊具の購入はどこのスーパーでもできるというお気軽っぷり
だいたいまともに信じてたら、結婚前の肉体関係なんて論外なわけだし。
それは、あまりにも日常的にキリスト教というものが身近にあるので、わざわざ厳しい戒律を守らなくても、常に意識し、そして救われる、と思ってるからなんだろうけど。
確かに三歩歩けば教会にあたるローマ、ちょっと敬虔な気分になったらミサをやっている教会を見つけるのも簡単だし。

あ。でも困ったときの神頼み、っていうのは世界共通なんだよねえ。
日本でも、子供が大病になったりすると、新興宗教に大枚を寄付してしまったりするお母さんが続出するのは有名な話ですが、わたくしのお友達が不治の病を患ってしまったときの彼のお母さんのキリスト教への傾倒っぷりは、ちょっとびっくりしたものです。
なにしろ・・郵便振替でバシバシ寄付をするほか、おうちでは常に生放送のミサ付きキリスト教番組をテレビで見ていたし、教会の前を通りかかるたびにお祈りを捧げていました。
そういう意味では、日本の仏教徒よりも、イタリア人のキリスト教への依存度は強いね。
日本だって、そういう状況なら、普通にお寺通いしたっていいはずなのに、そこに新興宗教が出てくるのはやっぱり仏教の縛りが緩いから、でしょう。日本人って実は、宗教大好きなのにね。
だから「各宗教の信者の合計が、国全体の人口を越える」などというありえない状況が生まれてきてしまうわけよねえ・・「宗教といえばキリスト教」、に理屈なしに頼れるイタリア人は、やっぱり恵まれてるのかも。

しかし、まあ、だからこそ、なんですが、イタリア人の仏教に対する理解の具合、低すぎ

日本のクリスチャンがイタリアのクリスチャンよりもよほど敬虔なのはまあ、当たり前として、イタリア人。仏教に対するそのミーハーな意識はどんなものか。
一応、世界三大宗教のひとつであり、壮大な歴史と伝統を持つ仏教に対して「仏教が流行」という言い回しが使われてしまうのは、「所詮キリスト教以外の宗教はまがい物」という意識の産物かしら。

いや、それもちょっと違うんだよなあ・・
仏教文化が、上記の理由で「対個人」な思想が強いから、伝導をしようという熱い意欲にやや、欠けていたというのもあるんだろうなあ・・
たとえば、日本なら、探せばキリスト教の教会、というのはいくらでも見つかるし、正しい話をしてくれる神父様、牧師様も割りと身近にいるものですが、イタリアで活動する仏教のお寺やお話をしてくれるお坊様、というのは見たことがない。
圧倒的な情報不足、という中では、仏教という宗教も、「なんか未知の不思議な思想、ミニマリズム、かっこいい!」という風になっちゃうよねえ・・
そう考えると、イエズス会の功績というのは大きいですわね。地の果てまでも伝道していこうというその熱意が、世界中のキリスト教信者の獲得のみならず、キリスト教へのある程度以上の知識をもたらしているわけだから。

以下、事情があって削除。中途半端でごめん遊ばせ♪


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