嘘と誓い

わたくし、嘘が嫌いです。
人間正直が一番。と、本心から思っているので、本音勝負で勝てない場合はおとなしく引き下がる、というのを身上にしているわけですが。

イタリア人には、骨の髄まで染み付く「嘘も方便」
とにかく言い逃れがうまいのよねえ・・ある意味、うまい嘘をつける人はとても頭がいい人だと思うので、そういう意味では尊敬しているのですが、しかし。
あんまり鮮やかに嘘をつかれると、どこまで信用していいかわからなくなる、というのは、イタリア人だけじゃなく世界共通のこととは思いますが、それにしてもイタリア人は見事。口からでまかせで物事を有利に運び、その後にそれを武勇伝として吹聴してまわるという・・「うそつきは泥棒のはじまり」ということわざは、イタリアには無いのでしょう。というか、ありませんね。

それは、わたくしの知り合いのご夫婦に息子が生まれたときのこと。
敬虔なるクリスチャンというわけではないものの、とりあえずカトリック教徒が90%を占めるイタリア、当然彼らもカトリックでした。
なので、生まれた息子には「洗礼式」と言う儀式が自動的に、行われます。
日本なら、七五三、くらいの感じでしょうか。
で、ちょっと上流階級出身の彼らの息子が洗礼を受けるのは、ローマ・カトリック教会の総本山、サン・ピエトロ大寺院
親類や親しい友達を招いてのパーティー混みのこの洗礼式に、わたくしはご招待いただきまして、しかもサン・ピエトロ大寺院までの車をご夫妻、および主役である赤ちゃんとご一緒させていただく、と言う光栄に預かりました。
そして車が大寺院の駐車場に入ろうとしたときの事。

例の、かの有名なミケランジェロがデザインした制服を身にまとった衛兵さんが、車を停めました。
「失礼ですが、ここは関係者専用の駐車場となっております」
「いや、今日はこの子の洗礼式なので」
あわてず騒がず応対する父君。しかし、ミケランジェロを身にまとった衛兵は慇懃に続けます。
「洗礼式とはいえ、外の駐車場に停めていただいて、寺院内に入っていただくことになっているのですが」
一瞬の沈黙の後。
「いや、でもね、友人の枢機卿(ローマ・カトリック教会で法王の次に偉い、高級聖職者です。念のため。)が、ここに停めてもいい、って言ってくれたんだよ。ええと、なんて名前だったっけ・・度忘れしちゃった。ソニア、覚えてる?」
といって、父君は妻を振り返りました。
やあねえ。忘れちゃったの? マンツィーニ枢機卿じゃないの。ジュリオ・マンツィーニさんよ
「をを、そうだそうだ。マンツィーニ枢機卿がコチラに停めるように、と言ってくれたんだけど、ダメかな」
衛兵は、しかたがないなあ、と諦めの微笑を頬に刻んで、
「では、結構です。どうぞお進みください」
と、その身を退けたのですが。

このジュリオ・マンツィーニ枢機卿が全くの架空の人物、夫妻の友人どころかこの世に存在すらしない人だとは、車に同乗していたわたくしでさえ、気付きませんでした。
御夫妻、絶妙のコンビネーション。
何の打ち合わせもなくこれだけのことをやってのけるのがイタリア人。調子よく嘘をついてはみたものの、咄嗟に枢機卿らしい名前を思いつけなかった夫のヘルプに、妻は見事に答えたのです!
夫婦の愛の勝利!・・かぁ?

自分の息子が、洗礼式に向かう、その車です。嘘をついた相手は、天下のサン・ピエトロ大寺院の警備を預かるスイス兵です。
嘘、つくか? その状況で。

そして彼らは、さすがに洗礼式の最中はまじめな顔をしていましたが、そのあとのパーティーではさんざん、自分たちの息のあった絶妙のコンビネーションプレーの武勇伝を、親戚縁者に聞かせていました。
まあ・・確かに、すごいとは思うけどさ。いろんな意味で。
そんな波乱の展開でキリスト教徒たる第一歩を踏み出した彼らの愛息子の成長っぷりは、今後とも気になるところではありますが。

まあ、今も昔も、外交手段で最も有効なのは、「ばれてもいいときが来るまでばれない、効果的な嘘」と相場が決まっているので、嘘をつく相手が敵だったり見知らぬ他人だったりヴァティカンの衛兵だったりする分には、まだいいとして。
自分の家庭内とか、恋人同士とか、親しい友人同士の間で嘘が横行していては、イタリア人だって困るわけです。
嘘がうまいだけに、相手の嘘を警戒してしまうのもまた、イタリア人。
そんなときに彼らがよく使うのが「誓い」です。

キリスト教の教義には、「神に物事を誓ってはいけません」とあります。
神かけて誓う、というのは、キリスト教としては教義違反なわけです。そんなところでだけまじめに教義を守ってどうする? という疑問も孕みつつ、しかし、イタリア人はそういうわけで、神には誓いません。
よく誓う相手は、亡くなった自分の肉親とか。自分の子供とか。
嘘か本当か、言い争いになったときに、真実を主張するほうがよく使うのが、「お祖母ちゃんの死にかけて本当」という殺し文句だったり、疑っているほうが使うのが、「あんたの息子にかけて誓える?」だったりするわけね。
で、このあたりは、なぜか結構敬虔なイタリア人。そういう神聖なものにかけて誓った真実は、かなり真実の確率が高いと思います。
まあ、肉親の魂や子供のことをなんとも思わない極悪非道な人がいたら、それも使えない手ではありますが。

しかし! この「大切な人に誓う制度」を無効にする裏技があったりするからイタリアと言う国は侮れません。
それは、身体のどこかを、交差させておくこと
指でも足でも何でもいいんですが、指を絡ませていたり、足を組んでいたりした状態で誓った言葉は、例えそれが嘘でも問題なし。なのです。もちろん、相手にばれないようにね
だから、「あなた、浮気したわね!」「してない! 僕の死んだ母に誓う!」「・・ちょっと、そのテーブルの下の足をちゃんとこっちに出してから誓いなおして頂戴」「ぐ・・それだけは勘弁してくれ・・」などの会話は、日常茶飯事化と思われます。
まあ切羽詰ると、「死んだお母さん、ここは許せ!!」と言う心の叫びとともに、手足を広げて万歳の体勢で、「死んだ母に誓う!(すまぬ母よ・・)」と、なってしまう可能性ももちろんあるので、どこまで信用できるか、っていうのはなあ・・

ま、人間なんて嘘はつくものだしね。
ある程度人間関係を円滑に運ぶためにも避けて通れない嘘、というのもあるし。
わたくしは、死んだおばあちゃんやおじいちゃんにかけて誓ったときは嘘はつきませんけどね。でも「お前の死んだおばあさんに誓え!」なんていう誓いを強要する相手は御免こうむるし。

人間大切なのは信頼関係、ですよねえ。


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