宗教建築という文化

すでに我ながら忘れていましたが、タイ旅行の時の衝撃。あのわけわからないくらいド派手御殿的お寺にインスパイアされた考察を今更ながらさせていただくことにします。勝手にしろ、って感じですがね。ほほほ。

わたくしは日本では自社仏閣めぐりが大好き、イタリアでは教会めぐりが大好きという宗教建築物マニアなので、いろいろ言いたいことがあるのですよ。

そもそもわたくしは神話が大好きで、イザナギ・イザナミから天照大神、オシリスにイシス、ガイアからゼウスまでかなり読み込んでいる自信があるのですが、そんな状況でローマ・カトリックの総本山のお膝元で青春を過ごしてしまったおかげでかなり宗教観はかわりました。
というか、小さい頃英語を習う目的でプロテスタントの教会に出入りしていたりして、キリスト教といえばプロテスタントだった幼少時代、そしてチェーザレ・ボルジアに恋をして以来のカトリックの研究を経てのローマでの生活はかなり刺激的だったわー。
だってさ、すっごい豪華なんだもん!!

プロテスタントは清貧を第一の定義にしているくらいだから、教会もとっても地味。日本ではカトリック教会に出入りすることも少なかったので、ローマでの体験は強烈でした。
大体宗教というのは、根源的にはカリスマ性に基づくものだから、庶民を圧倒するくらい派手なものが「神殿」になるんだろうけど、特に派手好きなイタリアの文化内でのカトリック教会ときたら!! 総本山のサン・ピエトロ大寺院は多分世界でも5本の指に入る壮麗さ加減だし、個人的に超オススメのローマのイエズス会のジェズ教会なんて、どこかでも書きましたが、それこそ神の家には程遠い豪華絢爛さ。
もともとの聖書の「神の家」とはだいぶ違うんじゃないかなあ・・と思いつつ、わたくしが15世紀イタリアの庶民だったなら無条件降伏してただろうなあ・・と思うのよ。
あの異様なまでの悪趣味寸前の装飾加減は、ちょっと普通では考えつかないだろうなあ・・
宗教というものの凄みを感じさせるものではある。

で、大体そういう絢爛豪華なあとには反動がくるもので、だからこそ宗教改革のプロテスタントがあるわけですよね。
考えてみれば日本も同じ。平安時代のお寺なんて、今でこそ、木造建築で歴史を経ているから(ていうか京都はそもそも応仁の乱で燃えちゃってるし)地味な感じがするけど、当時は極彩色の金ぴか御殿だったわけじゃないですか。で、その反動というか、文化的成熟の一過程みたいなかんじで、禅寺とかの清貧が現われる。

ただし、仏教というのは宗教というよりも哲学に近いものだから、金ぴか御殿にしても規模は小さめですね。みんな出揃ってお祈り、という雰囲気ではなく、あくまで個対仏の対話の場所であって、キリスト教的に考えれば大貴族の個人礼拝堂みたいなものなんだろうなあ・・。
と、思っていたわたくしの意識を覆したのがタイの仏教寺院だったりするわけですが。
王宮自体が寺院を形成していて、そこに一般の人が普通にお祈りに来るというのも衝撃的だったわ・・日本で言ったら、皇居が神社をかねていて、一般の人がそこにお参りしに来る感じ?なのか?
そしてタイ旅行記でも書きましたが、なにかに取り付かれたかのように圧倒的に派手。カトリックの装飾過剰はともすれば魔術的な妖しさまで感じさせるけど、もっとあっけらかんと派手。熱帯地方のなせる業だろう、っていうくら豪快。
そうそう、カトリックには豪快という言葉はあてはまらなくて、どんなに豪奢だとしても豪快ではない。どこかスノッブだし、キリスト教という「主イエスの犠牲の上に成り立っている」というある種の悲壮さが絶対に付きまとう。大体十字架って処刑用具だしね。
反して、恐らくはブッダという何不自由ない王子様、いたって幸せな臨終を迎えた彼をを一番の先輩と仰ぐ仏教は、そういう暗さがないのよねえ・・日本の仏教はちょっと末法思想が入っている雰囲気だから、またある種の悲壮感というか諦念のようなものががあるんだけど、タイにはそれはない。よく知らないけど、恐らく絶対無い。

イロイロ考えると、宗教と政治とか、権力とかの絡み合いとなっていくわけですが、わたくしはイスラム圏にはいったことがないのでそれについてはなんともいえないんだけど、仏教とキリスト教に関する限りでは、同一宗教のなかでもお国柄によっていろいろだし、それが特に宗教建築物に現われる、というのが最近のわたくしのお気に入りの持論です。

イタリアは、つい最近まで統一もままならなかったくらい分裂の激しい、しかし世界最大の帝国・ローマの後継者としての意地をかけて、どうしてもカトリックの尊厳というか威厳というか、プライドを守ることが必要だったのでしょう。
だからこそローマ法王の権力は絶大だったし、その法王の私生児のチェーザレ・ボルジアはイタリア統一寸前くらいまでいけた。そしてだからこそ、どうしても絢爛な寺院や文化的な爛熟を必要としたのでしょう。
特にいまローマを飾るバロックなんかは、いつまでも統一できなくて、諸外国の強大化を余所のものとしてみることができなかったローマという特殊な都市の半分やけっぱちみたいな豪華さだし。(そのやけっぱちさ加減は、古代ローマの遺跡をぶっ壊して大理石をけずりとってまで教会を作った、というあたりに表れているような気が。)
そしてローマ・カトリックの縛りから抜け出したかった諸外国で成功したのがプロテスタントであり、英国国教会であるわけで、ある種カトリックのアンチテーゼとしての思想が建築物にも現れてるし。
列強諸国が、「破門が怖い」という理由で、たかが半島の一都市にすぎないローマの支配者である法王に従わなければいけないというのは、確かに不条理なことで、しかしそうはいってもそういう新興諸国にやすやすと道を譲り渡すわけには行かない旧カトリック大国がローマに味方をする、という図式がヨーロッパ史を複雑にも面白くもしているしさ。

対して、島国であるだけに列強との摩擦がそれほどなかった(中国・韓国からの影響はもちろんあるとしても、陸続きの国よりは当然干渉される度合いは少ない)日本では、独自の宗教観がそだっていって、だから今でも「世界史的にあんまり権力を持たなかった」神話の世界の宗教である神道がいまだに残ることが出来て、今でも平気でご神体は性器だったりする神社がのこっているわけじゃないですか。
伊勢神宮なんて、一宗教の総本山であるというのにはアマリにわかりにくい。扉閉まってて鏡がつるしてあるのが日本で尤も格式の高い神社、といわれても、ガイジンはぴんと来ないだろうなあ・・第一、主神が女神である宗教が今でも生き残っているのって稀有なケースじゃないかしら。古代は、大地母神信仰のほうが盛んだったのにね(って平塚らいてうみたいなこといってますが。)。

わたくしは宗教研究は大好きですが、自分では敬虔な信徒では絶対無いと思うので、というかむしろどの宗教も魅力的で大好きだからどこにもしぼれないという罰当たりさんなので、個人的にはわけわからない宗教建築が一番好き。だからサン・ピエトロも大好き。伏見稲荷大社も大好き(謎の狐像とか超大好き。)。ノートル・ダムも好き。フランスについては語り忘れてるけど。そしてタイの寺院も大好き。
現代建築ってわけわからないけど、宗教的精神性を感じさせる建物は何でも大好き。
そして、外語大のイタリア語学科でなければペルシア語学科にいきたかった、というくらアラブの文化も大好き。早く平和になって観光しにいきたいわ・・バグダッドなんてわたくし、一歩人生が違ってたら留学していたかもしれないところだもんねえ・・。

人間が動物と違うところは、それが優れているところなのかどうかはわからないけど、「歴史」というものを意識していて、それを伝統として受け継いでいくところだと思うので、そしてその「受け継ぐということ」の根幹をなすものは、近世以降は微妙としても、人間の歴史の大部分が宗教だったわけだから、その文化を思う存分味わうことの出来る現代に生まれた以上、できるだけ見て、感じて、どうせ一回しかない一生だから、知れるだけのこと知ってから死んで生きたいと思うんですけれどもね。
だんだんなに言ってるんだかわからなくなってきましたが(それはいつものことだ。)、結論としてはせっかく日本人なんだから、みんな、お寺と神社くらいは思う存分堪能しようよ、ということで。
現在の日本のオススメスポットは那智の滝。あ、建築物じゃないや・・


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